2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
ウメガサソウ(梅笠草)
イチヤクソウ科 ウメガサソウ属
和名の由来は、花の形が梅に似ていて下向きに咲くことからきている。
残念ながら、どれも未だツボミでした。これじゃ、「梅の実笠草」ですねー(笑
でも、とても可愛くて何枚も写真を撮ってしまいました。
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
ウメガサソウ(梅笠草)
イチヤクソウ科 ウメガサソウ属
和名の由来は、花の形が梅に似ていて下向きに咲くことからきている。
残念ながら、どれも未だツボミでした。これじゃ、「梅の実笠草」ですねー(笑
でも、とても可愛くて何枚も写真を撮ってしまいました。
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
ヒメハギ(姫萩) ヒメハギ科ヒメハギ属の常緑の多年草。
いい色合いです。
ギボウシのつぼみ
ムラサキ(紫) ムラサキ科の植物の一種。
花は白いのに何故ムラサキ?
根は暗紫色で、生薬「シコン」(紫根)である。この生薬は日本薬局方に収録されており、
抗炎症作用、創傷治癒の促進作用、殺菌作用などがある。
日本三大色素の1つです。冠位十二階の最高位(大徳・小徳)や勅許が必要だった紫袈裟などの
高貴な色の染料として用いられてきました。南部紫、江戸むらさき、京紫、鹿角紫など古来から
様々な地域で優れた染色法が生み出されています。
オカウツボ ハマウツボ科ハマウツボ属
オカウツボはオトコヨモギに寄生する。
北山麓での観察会での最後の最後で見つけられました。このオカウツボだけを目当てに
参加されていた方が見つけました。嬉しかったでしょうね^^
それにしても、なかなかの色合いです。
ホソバノキリンソウ(細葉の麒麟草) ベンケイソウ科キリンソウ属
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
ヤグルマソウ
ヤグルマソウ(矢車草)ユキノシタ科ヤグルマソウ属の多年草。
あちこちで沢山咲いていました。
ヤマトキソウ(山朱鷺草) ラン科トキソウ属
名の由来:淡い桃色をした花の色が「トキ」に似ているから。 可憐な花です^^
シモツケ(下野)バラ科シモツケ属の落葉低木。
アザミのつぼみ
ヒメイズイ(姫委ずい) ユリ科アマドコロ属
花名の一部にあるイズイ(委ずい)とは、漢名でアマドコロ(甘野老)の意味で、これより小さいことによります。
ハナヒリノキ(嚏の木)ツツジ科イワナンテン属の落葉低木。有毒植物。
和名ハナヒリノキ(嚏の木)の由来は、その粉が鼻にはいると激しいくしゃみを起こさせるのでついたという。嚏(はなひり)はくしゃみの意味。
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
シソバタツナミ
シソバタツナミは小型のタツナミソウの仲間で、茎には曲がった毛が密に生えている。
ナワシロイチゴ
ナワシロイチゴ(苗代苺)バラ科キイチゴ属に分類される植物の一種。
果実は食用になり、生食には向かないが、砂糖を加えてジャムにすると美味。by wikipedia
コナスビ (サクラソウ科)
果実の奥がナスビ(なす)に似ていて、なすよりだいぶ小さいのでこうよばれています。
ヤブウツギ スイカズラ科 タニウツギ属
白、ピンク、紅・・・いろんな色合いがあって綺麗でした。
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
「葉っぱ」もよく観察すると個性的ですねー。
ヒキヨモギの葉
深度合成写真
「タケニグサ」でしょうか?
面白い葉っぱですねー。
「ワラビ」かな。
「ツクバネウツギ」??
「ワレモコウ」??
「ミズヒキ」
この観察会のときに先生が、「植物の観察は、葉っぱの形状をどれだけ把握しているかで同定作業の能力が問われる」と
仰られていました。考えてみれば、花は、一年の間に一回、しかも二週間くらいしか咲かないですものね。植物のその生涯の
大半は「葉っぱ」なわけです。
今まで、植物は「緑の葉っぱ」でくくっちゃっていたわけで・・・・・・・。本気でやるなら・・・なかなかタイヘンな世界なわけです。
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
セイタカスズムシソウ(背高鈴虫草)
ラン科 クモキリソウ属
いや~、変わった花ですねー。ホントにスズムシの羽みたいです。
カナビキソウ(鉄引草)
ビャクダン科カナビキソウ属
ちっちゃなちっちゃな花です^^
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
カイジンドウ(甲斐竜胆)
シソ科 キランソウ属
和名の由来は、「甲斐の国に咲く竜胆」が転訛したもの。
確かにキランソウに花が少し似ていますねー。ちょっと毛深い?(笑
ネバリノギラン(粘芒蘭)
ソクシンラン属の多年草。
ノギランに似るが、花序軸等に腺毛があり粘るので、ネバリノギラン(粘芒蘭)の名がある。
もう少し花開いていると良かったんですけどねー。触りましたが、全体にホントにベトベトしてましたよ。
キンポウゲ(ウマノアシガタ)
お花テカテカで綺麗です^^
ノイバラでいいのかな?
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
フナバラソウ(舟腹草)
チョコレート色^^ いや~、個性的な色合いの花ですねー。
キョウチクトウ科カモメヅル属の多年草。旧分類では、ガガイモ科に属する。
花が終わると緑色の、ガガイモ科特有の袋果(実)をつける。秋に袋果が割れ、種髪(毛束)をつけた種子がはじける。
袋果の形が舟腹に似ることから名づけられた。
丈の低い草原にのみ出るものである。往々にしてそれは人間の手のはいる里山的環境における土手などであり、
それらが失われたことでその生育域が大きく減少している。by wikipedia
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。
ベニバナヤマシャクヤク
野草とは思えません。美しいです^^
ポツリポツリと4本くらい咲いていました。二次草原の中では華やかな色合いです。
花びらはすぐに散ってしまうそうです。ネットで調べてみると開花後2~3日で散るとなっていますね。
なんと一時間後にはご覧の通りに・・・^^;
見れてラッキーでした。
2015.6.14 植物観察会に参加してきました。まあ、いろいろ見てきましたよ。
アヤメがあちこちに、ポツポツと咲いていて二次草原に色合いを付けていました。
ニガナの白い花、シロバナニガナは初めて見たかも。
人懐っこいシジミチョウ 「ヒメシジミ」でよいのかな。
変形菌・粘菌 「マメホコリ」でいいのかな? この子の大きさは、わずか3mm位^^
ホオアカ
久しぶりに見ました。
ノビタキ♂
初めてみました^^
ノビタキ♀
ノビタキ♀
ノビタキ♀
小さなバッタらしきものをくわえていますね。
メスは結構近くまで来てくれました。
山中湖~^^
ぞろぞろ~観察会風景^^
やっと富士山頂が拝めましたよ。
しかし、こんな所(北富士演習場)に入れるなんてビックリしちゃいました。
植物屋さん、鳥屋さん、モトクロス、ピクニック・・・いろんな方たちがおられました。
ちらっとテレビ放送で見かけたので見に行ってきました。
まさに小さなザゼンソウですね。
ザゼンソウは、まず花が咲いて発熱で周りの雪を溶かしたりしますが、このヒメザゼンソウは、まず葉っぱを付けて葉が枯れる6月頃
に3cmくらいの花が咲くようです。発熱もしないみたいですね。大小はありますが同じサトイモ科のそっくりな花なのに、成長戦略が
異なります。
こちらでは、見え易いように花の周りが手入れされてましたが、普通に日当たりの悪い森に咲いてたら、まず気が付かないだろうなあ。
「さいたま緑の森博物館」のお姉さんに、とても丁寧に教えて頂きました^^
「ヒメザゼンソウをウルイと誤食したことによる食中毒が発生したそうです。山菜と有毒植物が混生することがあるので、よく確認して
採るようにしましょう。」との事です。山菜採りは、葉の形状把握に詳しくなって良い勉強になるのかもしれませんね。
先日参加した植物観察会の先生が、植物の同定作業でもっとも大切なのは、「葉の形状把握」と云われていました。花の開花期間は
短いですものね。
セリバヒエンソウ
ジャノヒゲ でいいのかな?
2015.6.16 埼玉県入間市 さいたま緑の森博物館
2015.6.5~6 諏訪方面へ行ってきました。
秋宮、春宮、万治の石仏を見学後、昼食。
やっぱり、お蕎麦でしょ、ということで同行者に調べてもらいましたよ。
八洲
「信州名産品八洲そばは、古くからそばの産地として名高い八ヶ岳山麓に産する香り高い純良無比のそば粉を原料として、
古来より引き継がれた家伝の卵切手打そばの技法によって丹誠込めて作り上げたもの。昭和39年5月に両陛下をお迎えし
たそうです。」
という事で美味しかったですよ~。
事前に、お蕎麦屋さんのハシゴをしようということになってましたので、1枚(なんと2枚で一人前)食して次のお店へ。
本宮へ行って、少しお腹を空かしてからと思ってたのですが、場所的に、続いて二件目へ(笑)
諏訪市豊田、手打ち「真味」 100%そば粉使用
1番粉を使用した更科そば、2番粉を使用した真味そば、3番粉を使用した田舎そば
更科は白く、2、3とだんだん色濃く、蕎麦風味も強く・・・。う~む・・・お勉強になりました。
美味しかった~^^ さて、パンパン満腹のおなかで本宮へ。
諏訪大社 上社本宮
全国一万有余の諏訪神社の総本社です。
本宮神楽殿の大太鼓
神楽は絶えてしまっているようですね。太鼓は大晦日のみ打つことにしているようです。
H22.4奉納 「皮面直径2.1m・胴長さ2.5m・胴太さ2.7m・重さ1トン」で、制作費は、約4500万円!
無形民俗文化財にもなっている「十五夜祭奉納相撲」という行事があります。
この土俵はその神事に使われるようです。
すごい存在感のあるヒノキの巨木です。
贄掛の大欅 (にえかけのおおけやき) 推定樹齢1000年。
布橋門 と 御柱
布橋(屋根付き廊下・神の通る道)
参拝の仕方が変わっていて、鳥居をくぐり左に進み折り返すように布橋を渡り入口門をくぐり左に進んで参拝する
という独特な参道となっています。布橋は、古くは大祝のみが渡り、布が敷かれたそうです。
絵馬堂(布橋途中にあります)
勅使門(別名:四脚門) 徳川家康の寄進(重要文化財)です。
もっとも重要な東宝殿・西宝殿が、この門の左右にありますが西宝殿の屋根がちらりと写っているだけで・・^^;
拝所
この奥に幣拝殿があります。 左にわずかに宝殿が見えているような・・。
諏訪大社には本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背林(通称 御山)、秋宮はイチイの神木、春宮はスギの神木を神体とし、
拝殿からそれらを拝する。なお、前宮は古くは上社摂社であった関係で本殿を有している。 本宮・秋宮・春宮には、本殿がない
代わりに2つの宝殿がある。
宝殿の一方には神輿が納められ、寅と申の年の御柱祭で御柱建て替えと同時にもう一方へ遷座し、古い宝殿は建て替えられる。
すなわち1つの宝殿は12年ごとに建て替えられ、神明造に似た古い様式を現在に伝えている。寅年から申年の間、神輿は向かっ
て右の宝殿に納められる(申年から翌寅年は逆)。神輿の納められる宝殿は「神殿」と呼ばれて祭祀が行われ、もう一方は「権殿」
と呼ばれる。このように宝殿は一般の本殿にあたると解され、神社に本殿が設けられる過渡期の状態と考えられている。
by wikipedia
幣拝殿
諏訪大社上社本宮(諏訪市)の拝殿や幣殿など6棟(国重要文化財)の屋根を銅板ぶきから戦前の檜皮ひわだぶきに戻す工事が
終わり、ちょうど前々日の6月4日に完工式が行われたのでした。
「修復では、ヒノキの皮を厚さ約10センチに重ね、拝殿、幣殿、左・右・脇の片拝殿の5棟の屋根をふいた。また、徳川家康が寄進
したと伝えられる四脚門しきゃくもんは、サワラの木を厚さ3ミリに手割りして重ねていった。」
との事で、屋根がホントに綺麗でしたよ。
拝殿下の彫刻
波間(龍?)と鳥(キジ?)・・・いろいろと創造が膨らみます。
何やらパワーを感じ、私的に鳥肌の立つような風景でした。
アップにすると・・・・
やはり御柱の存在感はスゴイです。
勅願殿
ご祈祷は、ここで行われるようです。
境内側から見る北参道
東参道前の「金子茶房」の2階より
お茶しました。まだ、お蕎麦でタプンタプンでしたが(笑
「極上のコーヒー」800円 高い!と思いましたが、2杯以上ありそうです。アカシアのハチミツ、黒糖にレモングラスを溶いたもの。
私的に、ちょっとコーヒーの飲み方に新たな感覚を見つけました^^
「金子茶房」
東京都現代美術館、東京オペラシティーを設計された松本出身の建築家・柳澤孝彦氏の建築のお店。
施主は、地元諏訪の企業、日東光学(株)。この茶房は、会議室としても使われるようですよ。
こんなところで会議すれば、名案が浮かびそうですねえ。。。
神社と反対側は、八ヶ岳が望めます。(この日は曇っていて隠れちゃってました)
その後、リクエストにお応えして、帰路途中の上野原の軍刀利神社へ。
16:52 こんな夕方に来たのは初めてですねー。独りではちょっと怖いかも。「熊出没」の看板もありますし。
軍刀利神社の大桂
そうそう、約1名、聴診器を持ってきていて、「巨木の気」を聴くぞ~ということで^^
実際に聞いてみると・・・・・ゴーと、かザーとか、ゴボゴボとか、近くで話している人の声まで聴診器から聞こえます。
帰ってから調べてみましたが、神戸大学さんのこちらのページによると、
「樹木の幹に耳あるいは聴診器をあてると「樹液の流れる音が聞こえる」という話 がありますが,科学的にはこれは正しくありません。
聴診器で聞こえる音,つまり人間の耳がとらえることのできる音には,葉が風に揺られてぶつかる音,枝の揺れによるきし みなどの
多くの音が混ざっています。幹に耳をあてると音が聞こえるので,何となく「水が流れる音」と言い出したのではないかと思います。」
との事です。
幹の中の水の流れの音、水を吸い上げる音などは?>>>こちらによると、
「幹の中を流れる水は浸透圧と毛細管現象によって上昇し、流れる速度は1時間に40cm程度なので聞こえるような音は出ない。」
「聴診器は身体の音を聴くときは肌に、木々の場合は木々に密着させなければならない。結構使い方は難しい。実際、樹木は堅く、
円柱形だし、表面には凹凸がある。聴診器を樹木に密着させることが困難どころか不可能で、そのために以下のごとくいろんな音が
聞こえてくる。むしろ面白い。」
■自分の身体から発する音、■聴診器と木の間を通る風の音、■木の葉がざわめき音、■遠くの車の音を含む環境騒音、
■地面を伝わってくる近くの川の音など、■人の足音など。
確かに、きっちりと聴診器を当てるのは難しかったですね。わずかでも動くと音が出ますし、凸凹しているのでピッタリと密着させる
ことができない。でも、いろいろと楽しめて面白かったですねー。
大桂は、いつも通りお元気でした^^
今回の旅は、いつもと違って、いろいろな体験をさせて頂きました。主に、「食」と「寛ぎ」と「聴診器」ですね(笑
家族や、独りでぶらつくと、あまり余裕のある時間の過ごし方をしないので、良い経験でした。
同行して頂いた皆さま、ありがとうございました^^
2015.6.5~6 諏訪方面へ行ってきました。
9時半ごろにチェックアウトして、リクエストの「創業安政五年(1858) えびす屋」で
お土産にわかさぎの空揚を購入(美味しかった!)後、「諏訪大社下社秋宮」へ。
諏訪大社下社秋宮
いい天気になりました。風が吹くと木々に付いた雨粒がパラパラパラパラ~と振り落ちます。キラキラ綺麗でした。
寝入りの杉
樹齢600~800年
諏訪大社は杉よりもケヤキの巨樹が多いようですが、こちらは杉の巨木です。秋宮の鳥居をくぐると、境内の真ん中に
ど~んとそびえ立っています。参道真ん中の立ち位置もなんか不思議です。
秋宮「神楽殿」
拝殿かと思ったら神楽殿でした。参道の真ん中にあります。う~ん・・・・神楽殿って参道の脇にありますよね?
参道の真ん中とは・・・・・。そもそも神楽殿とは、神様へ奉納するために神社の境内に設けた神楽を奏するための建物
ですね。方向や場所とかは、あまり関係ないのかなあ?
注連縄は出雲大社のと同じ大きさ?(ちょっと幅が狭いように感じるけど)で長さ約7.5m、重さ約1トン、
青銅製の狛犬は日本一の大きさだそうです。
来年が御柱祭(2016)ですが、その前年に更新される注連縄は、「出雲大社注連縄保存会」から技術指導を受けて
作るようになったそうです。出雲大社のとは少し違うそうですが。
ちょうど「大安」だったようで、この神楽殿では結婚式が行われていましたよ。
幣拝殿
大安なのでお宮参りのご家族も^^
幣拝殿
幣拝殿(重要文化財) 江戸時代、安永10年(1781年)落成。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)
が並ぶ。
幣拝殿の脇から 御柱は「一の柱」
幣拝殿の奥の御宝殿
この御宝殿の奥に御神体の「イチイ」の木があるようです。
神様=木、ではなく、神が宿るまたは降りるものと考えると、例え枯れてしまっても新たに植樹すればよいということに
なるのでしょうか?http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/simosya/akisintai.htm より。
上社の神体山に対し、下社は御神木を御神体として拝します。
御宝殿は、新しい方を「神殿」、古い方を「権殿」と呼び、「寅年と申年毎」に左右の「遷座祭」を行います(御柱祭)。
それとは別に、秋宮で8月1日、遷座祭(お舟祭):2月1日に秋宮から春宮にお遷した御霊代を春宮に戻します(例大祭)。
う~ん・・・・・ということは、今は、秋宮は神様はお留守ということ??
寅年と申年毎に、秋宮・春宮共に、それぞれの宝殿の右、左に神様を移し(宝殿造営)、
更に、2/1に春宮に神様を移し、8/1に秋宮に神様を移し・・・・・・・・神様もけっこうお忙しいですね。
でも、ずっと御神木には神様は宿っている・・・・? 神様がたくさん居られても不思議ではありませんが。
ちゃんと、しっかり勉強しないと解りませんね。。。。。^^;;;
10:00~10:30くらいでしたが、大安とあり結構賑わっていました。
新鶴本店)
秋宮脇の創業明治6年・塩羊羹の和菓子店。リクエストで寄りましたよ。「甘いもの・しょっぱいもの」同時に味わえて、
昔の人も旅の途中で頬張れば、疲れも飛んだことでしょう^^
その後、すぐ近くの「下諏訪町立歴史民俗資料館」に立ち寄りました。あまり旅行者は来ないのかなあ。
入館してから電気を付けてもらいました。館長?さん、とても親切でいろいろ教えて頂きました。
下諏訪は、江戸時代には中山道と甲州道中の合流した所にできた宿場町を中心に発展しました。(資料館のすぐ近くに
甲州街道の終点がありました。)東には中山道一番の難所といわれる和田峠西には塩尻峠と二つの峠に挟まれ交通・軍事上
の要衝の地でした。しかもここには有名な諏訪大社下社があり、また古くから 宿場の中に綿の湯・小湯・旦過湯などの温泉が
出ていて、その賑わいぶりは『木曾路名所図絵』や『金草鞋』に描かれていました。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/dsmsh/shakrekisishiryo.html より
その後、春宮へ。
諏訪大社下社春宮
ぱっと見ると、秋宮とほとんど同じような造りなのですが、人も少なく静かでした。
秋宮が立川流であるのに対して春宮は大隈流の建造で、幣拝殿などの細部に施された彫刻などはまったく異質だそうです。
これは江戸時代を代表する2つの流派が同じ図面で競い合って秋宮と春宮を建てたためだそうですよ。
幣拝殿
幣拝殿の奥の御宝殿
下社では寅年と申年の左右の御遷座祭の他に半年毎に春宮と秋宮の遷座祭が執行されます。春宮は杉の木を、秋宮は一位の木を
御神木として拝しております。
その後、万治の石仏を見に行きました。
浮島神社(諏訪大社下社の末社)
途中に浮島社がありました。
横笛(神楽笛?篠笛?)の音色が、川の流れの音と共に良い空間を作っていました。
諏訪湖周辺は、あちこちで水音がして、流れの音がして・・・ホントに浄化され続けているような清らかな空間のように感じました。
万治の石仏
私的には3~4度目でしょうか。
今一度、wikipediaで調べてみると、
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
「万治」という名の由来は万治3年(1660年)11月1日(石仏の胴部に刻まれている。他に「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれているが
この二人は僧籍にも見当たらない)に造られたとされるところによる。
伝説によると、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようと鑿を入れたところ(その鑿は現存している)、傷口
から血が出てきたため職人達は祟りをおそれ、その晩に職人達が夢枕で上原山に良い石材があるという夢を見て、その山に行き探した
ところ見つけることが出来職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀った。
それに因んでこの辺りの地名は石仏となっている(住所としては載っていない)。この石仏は芸術家の岡本太郎が訪れて大絶賛したこと
により有名となった。ほか新田次郎も賞賛している。
「首が伸びる」
1991年8月に一度頭部が落下しており一度支柱で固定し修複したが、その後ある写真家が毎年撮った写真を見たところ、首が伸びて
いる事が分かった。2007年にテレビ番組で紹介され観光客も増えたが、下諏訪観光協会は「周辺の安全確保」ためとしてまた修復する
ことにし、2008年3月4日に修復作業が行われ、頭部の下から水や泥、賽銭25円が発見された。首が伸びた原因は、以前の修複時に
つけた支柱に水が溜まり、氷になって斜めになり、その繰り返しで頭部が上昇したとされる。修復前に測定したところ、正面で4cmで左右
は6~7cm上昇していた。by wikipedia
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
石仏のアタマ・・・なんか大きな地震があったら落ちそうだなあと思いました。なんと、一度、アタマが落ちてるんですねー^^;;
岡本太郎さんの万治の石仏「石碑」も見てきました。「芸術は爆発だ!」の岡本太郎が「こんな面白いもの見たことがない」と大絶賛して
残した石碑だそうです。
新田次郎の鷲ヶ峰物語の中の「万治の石仏=イースター島起源」の小説も面白かったですね。また読み直そうかな。
つづく~
2015.6.5~6 諏訪方面へ行ってきました。
熱田神社を離れ、先に投稿した中央構造線溝口露頭断層を見学した後、諏訪へ。
翌日参ろうと思っていた上社前宮の前を通りかかったので少し雨が降ってましたが立ち寄りました。
諏訪大社上社前宮
静かな空気でした。
天保の文字が見えますね。扇子はどうして・・・?
天保元年(1830年)には伊勢お蔭参りが大流行したそうですよ。
1833年にD・D・ホームが生まれ、1839年にモーゼスが生まれ、1848年にフォックス家事件が起きました。
なんのこっちゃ・・・>>>>>>>>>>近代スピリチュアリズム史でした(笑)
前宮拝殿
高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられている。
現在の社殿は昭和七年伊勢の神宮の御用材を以て建られたもの。
「御柱」と「水眼の清流」
御柱脇を流れる「水眼(すいが)」の清流。直線距離で約1キロ先の水源から一気に下り、前宮から分かれた一つは
「中小路」に沿って小町屋を駈け抜けます。古くから神水として大切にされていたようです。中世では、この川のほとり
に精進屋を設けて心身を清め、重要神事に使用した記録が残っているそうです。
すばらしい森です。まさに精霊が住んでいそうです。
上社前宮は、諏訪明神の信仰の原点といわれています。
もともと、諏訪大社では木や石などに降りる精霊として、ミシャクジ神を祀っています。
まさに諏訪信仰の原点を見るかのような所でした。
水眼川の源泉は、前宮の鎮座する小町屋の南南西、釜無山脈の北側に発達している此の附近必従谷(ひつじゅうこく)の
一たる水眼川窪の奥、前宮の本殿から約八丁を隔てた地点の谷底にある。此の附近一帯は複輝石安山岩より成り、厚さ約四〇〇米に
及ぶが、その厚い安山岩の下底から俄(にわか)に湧出しているのである。昭和四年八月十四日の調査によると水量 毎秒約1.5屯
水温(摂氏)10.7 水素イオン濃度 7.1を示し、水質中性に近く極めて良好である。
而してその湧出量も、温度も、恐らく年中不変であろうと考えらるる。次に此水が流下して前宮附近に至ると水温(摂氏) 14.8
水素イオン濃度 7.0となる。則ち温度は途中から稍(やや)高められて来るが、水素イオン濃度にさしたる変化のない点からしても、
地表又は浅層の地下水の混入の殆どないものと判断できる。
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/mieru/suiga.htm より
水眼川と御柱 町を見守っているかのようですね。
四つの諏訪大社、それぞれに御柱が境内の四隅に配列されています。
何処の御柱もスゴイ存在感でした。
前宮のすぐ近くのカフェで、ちょっと休憩。お花が綺麗でした。
前宮は四隅の御柱をすべて観ることができるのですよと教えて頂きました。その後、諏訪湖へ。
今夜のお宿
部屋からも諏訪湖が観る事ができ、温泉もちょっと温めでいい感じ。夕食・昼食も居酒屋さんの個室みたいで
とてもよかったです^^
宿の裏側
チェックインから朝まで、けっこう雨が降ったようですが・・・
早朝散歩・・・晴れてきましたよ^^
諏訪湖に鳥居のある小さな島が・・・。
調べたら、「初島」という人工島のようです。
1954年4月に諏訪湖祭湖上花火大会の打ち上げ場として作られたそうです。つづく~
2015.6.5~6 諏訪方面へ行ってきました。
その後、道の駅「南アルプス村」へ立ち寄り、気になっていた「熱田神社」へ。伊那周辺のガイドに「本殿は伊那日光
と云われ、精巧な彫刻は国の重要文化財」とあったからです。
国道152号秋葉街道の一本東側の道路沿いに熱田神社はありました。
その空気、空間に、思わず、おお!!と雄たけびを上げてしましました。
熱田神社
伊那市長谷にある神社。
熱田神社の創建年は不詳。
伝承によると日本武尊が東夷東征の帰りにこの地を訪れ、住民の安寧を祈り小祠を建立したのが始まりとされ、
その後、日本武尊を偲んだ住民が熱田神宮の分霊を勧請。
住民の産土神(うぶすながみ)。(産土神=その人の生まれた土地を守る神。鎮守(ちんじゅ)の神)
いや~立派な神社です。
境内にある石造りの案内板より
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
熱田神社(重要文化財)
「信濃なる伊那てう里の片辺にも めぐみ熱田の神の御柱」
遠い昔の先祖たちが日本武尊を信仰し、尾張の国熱田神社の形影(三方三っ辻)をお迎えし、産土神
として祀ったのが当社のはじまりである。
現在の本殿は宝暦十二年(一七六二)溝口村百数十戸の氏子が三〇〇両という大金を出しあって
建築したものである。
この建築には宮大工であった当溝口村高見善八は棟梁となり、多くの職人とともに精魂こめて仕上げ
たもので、規模といい造作といい、近隣に比類ない豪華なものである。
特に彫刻部は上州(現群馬県)勢多郡の関口文治郎、彩色は武州(現埼玉県)熊谷在の森田清吉で
ある。竜・象・唐獅子・花鳥などの彫刻は実に巧妙華麗で見あきることがない。それで名声が響きわたり
「伊那日光」と呼ばれるようになった。
また、この本殿を風雨から防ぐため、明治二十一年(一八八八)天覆(かやぶき屋根)を再建し、以降
幾たびかの屋根替えが行われ現在に至っている。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
ご神木のケヤキ
樹齢は定かではありませんが、かなりの巨木でした。
お参りして、裏へ回り、本殿へ。
いや~、スゴイ彫刻群です。
囲われているので、撮るのがタイヘンでした。
予約しておけば本殿内に入れたようです。
龍のお眼目がまん丸でアニメのようで可愛いですね。
「本殿は1762年に溝口村百数十戸の氏子が300両という大金を出しあって 建築した」とあります。どこかのサイトで現在に
当てはめると、約300万円/戸、寄付したことになるそうです。いや~ホントに「大金」ですね。
本殿は宝暦12年(1762)に氏子の浄財で建てられたもの。
三間社入母屋造、棟梁は地元の高見善八、彫刻は関口文治郎、向拝の目貫き龍は享和元年(1801)に奉納。
建築は元より木鼻の麒麟や肘木の唐獅子・象・龍、隅木の獏など多くの精細な彫刻が施していて「伊那の日光東照宮」の
別称があります。
現在の本殿は明治時代に建てられた茅葺の覆屋の中にあり保存状態も極めて高く覆屋と共に国指定重要文化財に指定。
長野県WEB観光案内所より
神社裏の小道
いや~すばらしい神社、柔らかな気を漂わせる一帯でした。来てよかったです^^ つづく~