~風に吹かれて~ by ポー(paw)

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2018.6「山形旅行記」1(湯殿山神社)

2018-06-28 16:59:35 | ・神社・お寺

2018.6「山形旅行記」1(湯殿山神社)

2018.6 山形方面へ参拝の旅に出かけました。ほとんどクルマで出かけることが多いので「新幹線」が物珍しく(笑)

う~む・・・てっちゃんが惹かれる理由が良く分かります。美しさ、大きさ、音・・・

ご縁があって、鉄道ファンの方々に初めて何も良く分からないままに旅に連れて行ってもらったのは、北海道で最後のSL運行の
年でした。私が15歳の夏。周遊券を使い、二週間夜行列車を繋ぎ、時刻表を見ながら蒸気機関車の写真を撮る旅でした。
そこで、旅行、写真に目覚めたわけです。旅は列車の旅からクルマ主体に、写真は風景からウミウシ、花、鳥と何でも撮る
ようになりました。どこを掘り下げてもまだまだ世の中には知らない事がたくさんあります。今回は、神社主体の旅ですが、
そこを掘り下げても、おそらく生涯たどり着くことはないでしょう。

07:12東京発 10:06山形着 山形新幹線・つばさ123号 乗車。

「山形新幹線・つばさ123号」と「東北新幹線・やまびこ123号」連結部分
福島駅で切り離されます。

車窓風景 米沢を超えた辺り。

山形新幹線
1992年、新在直通方式のミニ新幹線として開業した。名称の通り、福島駅 - 新庄駅間のほとんどが山形県内である。
「新幹線」と案内されているものの、この区間は正式には在来線である奥羽本線の一部。山形新幹線の在来線区間は設備的制約
(踏切の存在、130km/hを超える速度での安全設備が未整備、福島・山形県境の急勾配区間の存在)のため、最高速度は
130km/h。by wikipedia

ミニ新幹線
車長は、フル規格新幹線の25mに対して、ミニ新幹線では20 - 23mであり、車幅は、3380mmに対して、2945mm。
そのため、新幹線区間では、乗降口とホームとの間隔が開いてしまうため、折り畳み式のステップを車両の乗降ドアの下部に
備える。by wikipedia

車両幅が狭いため、座席も通常は2席/3席ですが、山形新幹線は、2席/2席でしたよ。

車窓風景 ん?山の斜面にビニールハウス。調べたらブドウ畑のようです。

・山形県のぶどう栽培の歴史はかなり古く、南陽市鳥上坂のぶどうの碑には、「ここは江戸時代初期にぶどう栽培が始まった
山形県ぶどう発祥の地」とあります。
・大洞鉱山が隆盛していた頃、①甲州(現、山梨県)の鉱夫が甲州ぶどうを持ち込んだ説、②また出羽三山に通じるこの街道を
通って、修験者がぶどうを持ち込んだ説の2つが伝えられています。
・現在、山形県はぶどう生産量で全国3位を誇っている。ぶどうは排水の良い土地を好む。日照が十分あり、昼夜の寒暖の差が

大きく、成熟期に雨が少ないなどの条件も、県内のぶどう産地は満たしており、山梨の勝沼地方ともよくにているといいます。https://www.ajfarm.com/2767/ より。

地元栽培のぶどうを使用し、風土の良さを生かしたワイン作りが盛んで県内には14のワイナリーがあるそうですよ。

車窓からは、上山市の超高層マンション「スカイタワー41」も見えました。最高部の高さが地上134mと山形県内で最高層の
建築物で田んぼの中にドカンと建っていましたよ。

10:06 山形駅到着~。

レール&レンタカー予約していたので駅前のJR駅レンタカーへ。車種は日産NOTEでした。想像よりもなかなか広いです。
大人4人でも十分^^ 山形自動車道で月山方面へ。道中、雪を被った真っ白な月山が綺麗に見えていました。終点月山で
降り国道112号線、湯殿山有料道へ。有料道に入ると、エゾハルゼミの鳴き声が賑やかに陽射しは爽やかに・・・・・

修行の旅(笑)第一弾は「湯殿山神社」。

大鳥居

事前調査でネットで良く見ていた大鳥居。予想していたよりもデッカイですねー。

湯殿山休息所にクルマを停めて歩いて登ろうかと思ったら、この参道にクマが出たのではないかとの情報が^^;
とりあえず、短い距離ですが休息所売店前から参拝バス(片道200円 約1km、徒歩で約20分ほど)に乗りましたよ。

本宮入口 ここから階段参道。

湯殿山のご由来(看板より)

御祭神
大山祇命(おおやまづみのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)

出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で推古天皇元年(593)、第32代崇峻天皇の御子である蜂子皇子様の御開山
である。
皇子は、蘇我氏の難を避け、京都の由良から海路を経て、出羽国庄内浜の由良に入られた。そして三本足の霊鳥の導くまま
羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒山上に羽黒権現の御示現を拝し、次いで、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧請して
羽黒三所大権現と称した。

その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄上人修験道の祖と言われる役の行者、また真言宗の開祖弘法大師
天台宗の開祖伝教大師とその弟子慈覚大師なども来山して修行をしたとも伝えられている。
こうして皇子修行の道は次第に発展して羽黒派修験道となり、全国に名を知られ時代を重ねるにつれ、人々の厚い信仰を

集めることとなった。

此処、湯殿山は、推古13年(605)の御開山とされ、出羽三山の総奥の院として特に厚い信仰を集めてきた。
江戸時代までは真言宗として奉仕してきたが、明治維新に際して神仏分離(廃仏毀釈)が発令され、古への神奈備山にかえり
神社として奉仕している。

殊に出羽三山信仰は「三関三度」や「擬死再生」など、生まれ変わりの信仰が今も尚息づいている。
羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再生
すると考えられる。

特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祇命・大己貴命・少彦名命の霊験により、神仏と一体になり
即身成仏を得ることが出来るとされた。
また湯殿山本宮では、御神体を目の当たりに拝し、直に触れてお詣りが出来る御霊験の有り難さより、俳聖松尾芭蕉も
「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の句を残された、古来「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場なので
ある。

なお、ここから撮影は禁止。

湯殿山神社へ参拝

湯殿山は「語るなかれ、聞くなかれ」と言われるように、「湯殿山で見聞きしたことは決して口外してはいけない。それに
ついて聞いてもいけない」という掟が古来よりあるそうです。

湯殿山本宮では、御神体を目の当たりに拝し、直に触れてお詣りが出来る御霊験の有り難さより、俳聖松尾芭蕉も
「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の句を残された、古来「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場なので

ある。

というわけで多くは語りません。ググると情報はたくさん出てきますのでお調べください。

感想としては、湯殿山神社の御神体にも驚かされましたが、御神体近くはいかにエネルギーが漲っているか感覚的に感じられ
ました。
それは風水で云う龍穴のようで、上野原の軍刀利神社奥ノ院の大桂の地場と同じような感覚。こちらの方が更に大きな
磁場というか地球のエネルギーを感じましたね。神社空間というよりもエネルギー凝縮場、自然に頭を垂れる・手を合わせて
しまう畏れ多い自然への崇拝・・・原始信仰が未だに息づいているような場でした。

三山が神仏習合であった時代、三山を抖擻(とそう)する修行を「三関三渡」といった。羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は
阿弥陀如来(過去)、葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされ、それらの加護と導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、
湯殿山の大日如来(三関を超越した世界)の宝窟に安住し、即身成仏(生きたまま悟りを開く)の妙果を得るというものである。
裸足になってご神体に登拝するのは、大日如来と一体になって感得することである。また湯殿山は神の世界ゆえ、古来より人工は
許されず社殿を設けないのである。

湯殿山神社本宮では、参拝に際して現在でも履き物を脱ぎ、裸足になり、御祓いを受けてからでなければお詣りは許されない。
俗世とは切り離された神域である。

月山から西に尾根づたいに下りること8km、月山の絶頂より流れ落ちる梵字川のほとり、幽邃な仙境に、悠久の太古より、滾々と
霊厳とを御霊代として、大山祗神、大巳貴命(大国主神)、少彦名神の三神が鎮まります湯殿山神社(1,100m)がある。
http://www.dewasanzan.jp/publics/index/16/ より。

開山期間は、積雪のため6月1日より11月3日頃まで。(積雪期は閉山、湯殿山開山祭/6月1日) 

本宮入り口より 赤い鳥居が見えています。素晴らしい場でした。帰りは徒歩で下りました。

タニウツギ 満開でした。

本宮入り口・・・後ろ髪を引かれるように・・・バスで登ってきた参道を下ります。

ミズバショウとキンリュウカ

参道のあちこちに境内社がありました。

水の流れの音が心地よいです。

水の流れは湯殿山神社方向から。流れの下は黄褐色の石岩が続いています。

梵字川にかかる神橋

湯殿山神社方向 湯殿山神社から神橋が見えておりました。

まだまだ雪が残っていました。

大鳥居脇の「玉姫稲荷神社」

此処仙人沢の霊域に於いて、即身成仏の修行に挺身された鉄門海上人が守り神として帰依され、その御守護を得て成仏されたと
のいわれから湯殿大神に願掛けする人は、先ず玉姫稲荷にお参りし、その霊験におすがりし、そのおたすけを頂いて本願を達成
するという習わしがありました。(由緒看板より)

ナガハシスミレ?

日本国内にはおよそ十数体の即身仏が現存すると言われていますが、そのうち6体が庄内の5つの寺院に安置されているそうです。

湯殿山休憩所でお蕎麦を頂きました。つづく~


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記14(牛尾神社~帰路)

2018-06-22 14:19:40 | ・神社・お寺

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記14(牛尾神社~帰路)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

27日、佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡、塩生湿地の植物探索後、一路、海岸から標高900m付近の天然杉遊歩道コースへ。
昼食後、「トキの森公園」&自然の朱鷺を観察して、旅の最後にちょっとだけ神社へ。

境内社の天満宮 薬師堂と太子堂を合祀。文政9年(1826年)建立の棟札あり。
すごい存在感の天満宮です。

拝殿前の大杉が印象的です。

拝殿 すごい装飾彫刻です。屋根もすごいですね。シャチホコも飾られています。

能舞台

「潟上の天王さん」の奉納能 牛尾神社は出雲大社の流れをくむ由緒ある古社。能舞台も格式と重厚さを備え、佐渡の能舞台
ではほぼ最大。薪能の歴史も佐渡では古いものの一つです。天王祭宵宮では能舞台において薪能を奉納。潟上と吾潟の鬼太鼓
も奉納されます。本祭では、巫女舞、大黒舞。神輿渡御が行われ、鬼太鼓が家々を門付して回ります。さど観光ナビより。

・・・いったい本殿はどうなっているんでしょう。

「潟上の天王さん」の名前で親しまれる古社。792年「出雲大社」より大国主命などを勧請して建立。再建された拝殿には
鯉の泳ぐ姿や順徳上皇の物語絵など精緻な彫刻群が施され、当時の棟梁や名工たちの技術が偲ばれます。拝殿前の樹齢
約1千年の御神木は、子授け・安産の杉として信仰されています。1901年に再建された瓦葺き正面入母屋造り・背面寄棟造り
の能舞台(県の有形民俗文化財)は、定能が盛んであった「国仲四所の御能場」の1つに数えられます。演能の歴史も古く、
室町期の能面「翁面」と「三番叟面」(県の有形文化財)が社宝として保管されており、毎年6月には例祭宵宮薪能が演じられています。さど観光ナビより。

拝殿脇

龍もド迫力です。

鬼瓦もスゴイですね。

15:11撮影 流石に帰りの時間が圧していて駆け足の参拝になってしまいました。

境内は重厚で、ゆっくりとその空気・空間に溶けてみたかったですね。さて大急ぎでフェリー乗り場へ。

両津港付近のシャッター街。

・両津港から10分ほど歩いたところに、古くから栄えてきた「両津夷(えびす)本町商店街」。約1キロにわたって
 100軒近い商店が並ぶが、営業しているのは十数軒。過疎化でシャッター通り化してしまった。
・昭和25年に約12万6千人だった島の人口は年々減り、平成25年4月1日現在で約6万1千人と半数以下になった。
・若者の島離れと高齢化が原因だ。佐渡では進学と就職のため、高校卒業後に約80%の若者が島を離れる。
・さらに毎年、千人程度の島民が亡くなっていく。
・夕暮れの後、両津港近くの住宅街を歩くと、明かりが漏れてこない民家が多いことに戸惑う。
・市の人口のうち65歳以上の割合は昭和25年に6・6%だったが、平成25年4月1日現在で37・7%となっている。
・平均年齢も平成16年に49・38歳だったが、今年2月末現在で52・28歳まで上がった。
・佐渡市は地域再生のため、留学生や観光客の受け入れ、農業の連携先などとして中国との関係を強化する道を模索している。
 産経ニュースより。

・・・・佐渡は深刻な問題を抱えているのですね。歴史も辿れるし、素晴らしい自然もあり、何とか観光等で、
もっともっと盛り上がってもらいたいですね。

佐渡について
佐渡島は新潟県の日本海沖に浮かぶ、周囲281.5km人口約57000人の大きな離島です。地図で見るとSの字や蝶々の形に
見えるなどインパクトのある形をしているのではないでしょうか。島の中央には広い穀倉地帯の平野が広がり、その北側
には標高1000mを超える大佐渡山脈、南側には果樹栽培が盛んな小佐渡山地があります。 佐渡の作り上げる自然は多様で、
海を見れば砂浜、砂利浜、岩礁、断崖絶壁、山を見れば棚田、果樹園地、深い谷や、急峻な山。多くの渡り鳥がその羽を
休める島であり、トキと共生する生物に優しい島づくりをしています。 佐渡島沖の海流の影響で、新潟県本土に比べ
冬は1,2度高く反対に夏は1,2度涼しい。季節の移ろいがとても丁寧で四季折々の植物、魚、果樹を楽しむことができます。
また鬼太鼓、薪能を始め伝統文化が島民によって守られ、現代でも継承を行っています。
佐渡UIターンサポートセンターより。

16:05両津→18:35新潟フェリーに乗り込み、クタクタ状態で新潟へ。

佐渡でお寿司食べたかったーという事で調べたら直ぐ近くに「廻転寿司 佐渡 弁慶」が^^
でも40分待ちとの事でお隣の「別館・立ち食い」へ。こちらは空いていて直ぐに食べられました^^
ノドグロ、カワハギ肝のせ 美味しゅうございました。感謝感謝。

その後、新潟から東京までkouchaと交代で関越自動車道を南下。0時前には自宅に到着。なかなかパワフルな旅行で
ございました。(終)


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記13(朱鷺トキ)

2018-06-21 07:10:00 | ・鳥・生物

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記13(朱鷺トキ)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

27日、佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡、塩生湿地の植物探索後、一路、海岸から標高900m付近の天然杉遊歩道コースへ。
昼食後、未だフェリーまで時間があるという事で「トキの森公園」を目指しました。

「トキの森公園」近くの広大な田園地帯で助手席のkouchaが放鳥トキを発見!

二羽でついばんでいましたよ。かなり遠いです。超望遠撮影。トキを見かけても車から降りたりして脅かしては
いけません。

1月~6月の繁殖期には、ペアで巣の中心に行動することが多い。なわばり形成。

トキの羽色の変化
トキは首のあたりの皮膚が黒く、繁殖期が近づくとこの皮膚が厚くなり粉状になって剥がれ落ちます。それを水浴びの後
こすりつけるため、頭から背中にかけて黒くなります。この様な羽色の変化は鳥の中でトキだけです。羽色が黒くなると
繁殖可能を示すとともに、抱卵時の保護色とも考えられています。「トキのたより」より。

その後、「トキの森公園」へ。

トキの野生復帰シンボルマスコット^^

ゲージ越しにて。朱鷺色の羽根がホントに綺麗です。

トキふれあいプラザ
マジックミラー越しにとても近くで観察する事ができます。工夫されていますねー。

それにしても赤いマスクをしているような顔はちょっと怖いですね。

現在、自然界にはおよそ300羽のトキが生息していますが、まだ野生定着というレベルに達していないことから、佐渡市民を
はじめとする多くの皆様に野生のトキを積極的に見せることができる状況にありません。 この施設は、トキが飛翔可能な
大型ケージを整備し、その中により 自然に近い環境を再現することで、飛翔、採餌、巣作り等トキの生態を観察できるように
整備しました。トキの森公園より。

トキの森公園を後に、一社だけ神社へ参拝に行きました。が、その道中、再び、放鳥トキが1羽飛来してきました!
いや~、ついてますなあ。飛来時の朱鷺色の羽根を広げた写真は残念ながら撮ることができませんでしたー。

しばらく観察する事ができました。警戒心が強いですね。放鳥トキ300羽のうち3羽に逢えるなんて。
さすがにkouchaの眼は確かです^^ホントにラッキーでしたよ。次回、佐渡最終投稿で終わりです。

トキ(朱鷺、鴇、Nipponia nippon)
ペリカン目トキ科トキ属に分類される鳥類。 2010年12月上旬の時点で中国・日本・韓国を合わせた個体数は1,814羽。
学名は Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)で、しばしば「日本を象徴する鳥」などと呼ばれるが、日本の国鳥は
キジである。新潟県の「県の鳥」、佐渡市と輪島市の「市の鳥」である。

18世紀・19世紀前半まではごくありふれた鳥であった。日本では東北地方や日本海側に多く、太平洋側や九州ではあまり
見られなかったようである。しかし、いずれの国でも乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、日本では
2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。

トキは日本では古くから知られていた。奈良時代の文献には「ツキ」「ツク」などの名で現れており、『日本書紀』
『万葉集』では漢字で「桃花鳥」と記されている。

トキの肉は古くから食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥
(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったと
される。

トキは田畑を踏み荒らす害鳥であった。穢れ意識の影響で肉食が禁じられ鳥獣類が保護されていた江戸時代においても、
あまりにトキが多く困っていたため、お上にトキ駆除の申請を出した地域もあったほどである。

江戸時代までトキは日本国内に広く分布したが、明治に入り、日本で肉食の習慣が広まり、また経済活動の活発化により
軍民問わず羽毛の需要が急増したため、肉や羽根を取る目的で乱獲されるようになった。by wikipedia


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記12(大佐渡石名天然杉遊歩道)

2018-06-21 07:09:05 | ・植物

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記12(大佐渡石名天然杉遊歩道)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

27日、佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡、塩生湿地の植物探索後、一路、海岸から標高900m付近の天然杉遊歩道コースへ。
相川から真野湾経由両津北上!この天然杉への山道がなかなか狭かったですわ。いや~なかなか盛沢山の最終日です(笑)
午後には、「トキの森公園」も寄りましたよ。

11:30に遊歩道入口着~。

イワカガミはホントにあちこちで私たちの目を楽しませてくれました。

大きな天然杉がたくさん。

「ザゼンソウ」

「キクザキイチゲ」

「カタクリ」

「キクザキイチゲ」と「カタクリ」色合いがいいですねー。

「カタクリ」

「フキノトウ」池の奥は未だ凍っていました。

早春の植物、スプリングエフェメラルがたくさん目を楽しませてくれました。

「象牙杉」 ホントに枝振りが象牙のようです。

ヒメアオキ 赤い実を付けますが、こんな花なんですねー。

「四天王杉」四本の大杉が寄り添っています。迫力ありましたよ。

杉の幹下部のフカフカな場所にもイワカガミくん。

大黒杉

名も無く個性的な天然杉がほかにもたくさん。

ナガハシスミレ

ショウジョウバカマ

う~む・・・顔のようだなあ。。

周遊コースでめぐる石名の天然杉
標高900m付近の天然杉を気軽に楽しめるのが石名天然杉の周遊コースです。遊歩道入口近くまで車で行くことができ、
およそ650mの遊歩道沿いに、公募で命名された「象牙杉」「羽衣杉」などの巨木が枝を伸ばしています。強風と霧にも
まれ奇抜な形となり、材木に適さない杉が伐採されずに残りました。中には樹齢300年を超えるものもあります。
さど観光ナビより。

展望台で昼食。

展望台 ベンチの下にもイワカガミ^^

ヒメイチゲ

小さなイチゲの花なのでヒメイチゲなんでしょうね。可愛かったです。お初かと思ったら2017.7唐松岳で見ていました。つづく~


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記11(外海府海岸・塩生湿地 ウミミドリ)

2018-06-20 14:54:13 | ・植物

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記11(塩生湿地)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

佐渡金山見学、北沢浮遊選鉱場跡の写真撮影後、再び、相川から北上、尖閣湾方面へ。目的は塩生湿地の植物。
弁慶のはさみ岩のちょっと北側、獅子岩付近で良さげな場所をkouchaが選択。

塩沼(えんしょう)もしく塩性湿地、塩性沼沢とは、海岸にある湿地・沼地であり、海に近いため潮汐の影響により、
時間帯により塩水・汽水に冠水するか、または陸地となる地形である。干潟全般よりも波浪の影響を受けにくい場所に
分布しており、通常、塩生植物の繁殖が見られる。by wikipedia

日本海側の潮汐状況は、満潮と干潮の最大水位差がたった20cm程度で、太平洋側の10%前後。という事は、塩生湿地
の塩分濃度はほぼほぼ安定しているのだとしたら、塩生植物にとっては繁殖し易い環境なのかもしれません。

ノイバラ

野原や草原、道端などに生え、森林に出ることはあまり見ない。河川敷など、攪乱(かくらん)の多い場所によく生え、
刈り込まれてもよく萌芽する、雑草的な性格が強い。by wikipedia

磯場に降りていくと元気に囀っている子が・・・

「コチドリ」ちゃんでした。埼玉の沼でも見かけます。埼玉で見かけたのは、いずれも冬だったので眼の周囲の黄色い
アイリングの幅が小さかったようです。この子は黄色いくて可愛いですね。

何採ってるのかなあ。

スナビキソウ
ムラサキ科キダチルリソウ属の多年草。別名、ハマムラサキ。
和名スナビキソウは、「砂引草」の意で、海岸の砂地の中に地下茎を長く伸ばして繁殖することによる。by wikipedia

この左側辺りでkouchaがウミミドリを発見!

kouchaのお目当ての↓ウミミドリ↓、咲いていましたよ^^

ウミミドリ

・さくらそう科ー
・新潟県では佐渡の海岸だけに分布する北方系の植物で、佐渡での分布は全国分布の南限です。
・高さ10cm程の小さな草で、初夏に桃色の星のような花が咲きます。
・磯の潮だまりの湿地にクッション状に群生し、これまた珍しいドロイ、エゾウキヤガラ、シオクグなどと一緒に生えています。
・ウミミドリが生育できる環境を考えてみますと、大変厳しいことが分かります。磯の湿地で、波が直接にはかからない所です。
 波が来なければ磯はすぐに乾燥するので、湿地という条件は案外難しい。
http://www.macro-eng.co.jp/plant/hogo20/hog2004.html様より。

秋になっても紅葉しないことから「海緑」と名付けられているようです。

福島県では、2013年10月、県のレッドデータブックで絶滅危惧1類に指定されている、サクラソウ科の多年草「ウミミドリ」が、
相馬市松川浦の津波被災地で見つかった。松川浦では約50年ぶりの確認だったそうです。

北海道・濤沸湖は、川と海の水が入り混じる汽水湖のため、湿地は塩水にひたされています。そのため、塩性が強くても生育できる
塩生植物のアッケシソウ(サンゴソウ)やシバナ、ウミミドリが見られます。

貴重な植物のようです。見られて良かったです^^


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記10(佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡)

2018-06-17 19:33:27 | ・旅・山

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記10(佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

27日、kouchaが観たいと云うので急きょ、金山へ。そういえば相川にはローソンがありました。ホテルでもコンビニでも
あちこちの販売店でも佐渡の方々は「おもてなし」という言葉がぴったり当てはまるように、とても丁寧に接客してくれます。

道遊の割戸

佐渡金銀山の中でも開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡。巨大な金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿
になっています。山頂部の割れ目は、幅約30m、深さ約74mにも達します。道遊脈と呼ばれる脈幅約10mの優良鉱脈を有して
おり、明治以降も割戸の下部で大規模な開発が行われました。さど観光ナビより。

佐渡金山

宗太夫坑(そうだゆうこう)江戸金山絵巻コース「宗太夫坑」(江戸初期に開発された手掘り坑道。地下深く掘り進んだ
坑道跡に、「佐渡金山絵巻」に描かれている採掘作業を忠実に再現)を見学しましたよ。

佐渡金銀山400年の歴史を伝える史跡。江戸金山絵巻(宗太夫坑)コースでは、人形を使って当時の採掘作業を忠実に再現。

明治官営鉱山(道遊坑)コースには、明治期以降の近代化産業遺産群が残ります。さらに「東洋一の選鉱場」「日本初の西洋式
竪坑」などの施設をガイド付きで巡るコースもあり、壮大なスケールに驚かされます。さど観光ナビより。

鉱脈発見!「金銀山大盛」
採掘坑開きのお祝いの様子で、金銀が多く集まった富鉱帯が見つかると、岩盤が少しでも掘りやすくなるよう『やわらぎ』
という祭礼用の舞を舞って前途を祝したそうですよ。

「ムカデ信仰」
ムカデの姿形が鉱脈の形や鉱山の採掘穴に似ていることから鉱山師や鍛冶師に信仰されたようです。
「毘沙門天の百足」より。

確かにムカデのような・・・。

金鉱石とは
金は、白色の石英脈の中で銀黒(ぎんぐろ)帯と呼ばれる黒色の縞の中に賦存します。黒色の縞は、主に輝銀鉱と呼ばれる銀の
鉱物で黄鉄鉱や黄銅鉱を伴います。金はこの縞の中に含まれています。通常よほどの高品位鉱(500g/トン以上)でなければ
肉眼で見ることはできません。鉱石の中で金色に輝く鉱物の殆どは黄鉄鉱か黄銅鉱で、これらの鉱物はすりつぶして粉にすると
黒色となるので、金と区別できます。http://www.sado-kinzan.com/knowledge/より。

江戸時代に41トン、昭和でも22トンも金産出量があったんですねー。

佐渡金山400年の歴史
佐渡金山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられています。1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が
置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて
機械化・近代化が図られました。1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の
近代化に貢献しました。その後1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を
遂げました。平成元年3月(1989年)残念ながら、資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。
http://www.sado-kinzan.comより。

続いて、前日草臥れ果てて寄れなかった北沢浮遊選鉱場跡へ。

この写真は、総源寺前から前日に撮ったもの。タクシーの運転手さんに教えてもらった高台。ちょっと木々が生い茂り
残念。。。。。

県道31号線より

いや~、どこを切り取っても絵になりますね。ホントのラピュタのよう。ライトアップもされるようですよ。


北沢浮遊選鉱場跡

近代遺産の象徴「東洋一の浮遊選鉱場」相川の北沢地区には発電所やシックナーなど鉱山の近代化に貢献した施設群(国の史跡)
が密集しています。もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、世界で初めて実用化
に成功したものです。戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ、1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できること
から「東洋一」とうたわれました。さど観光ナビより。

佐渡奉行所跡


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記9(大佐渡スカイライン~乙和池~相川湾)

2018-06-16 06:30:27 | ・旅・山

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記9(大佐渡スカイライン~乙和池~相川湾)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

ドンデン山荘を後に大佐渡スカイラインを西へ。今夜のお宿・相川を目指します。とりあえず両津方面へ。

おっ、遠くにすごく大きな銅像が・・・

「世界一大きい日蓮像」だったようです。

「日蓮宗開宗750年慶讃事業」として、全国3,000人を超える僧侶・信徒の協力で建てられた銅像です。両津湾を背に、
釈迦の生まれたインドの方角に向かって建つ姿は、高さ約13m、台座を含むと26m。ゆかりの地・佐渡にふさわしい威厳に
満ちた姿でそびえ立ちます。さど観光ナビより。

続いてリクエストにより「佐渡乳業」へ。

地元の方もスタンプカード持って次から次に来られていましたよ。

おいしい佐渡の乳製品をどうぞ!2015年オープンの佐渡乳業直売所です。牧場から毎朝届く新鮮な生乳で作る佐渡牛乳や
バター、チーズなどを販売しております。人気の「ミルクソフトクリーム」はじめ、佐渡乳業商品を1品からご購入いただけます。
チーズ工房では全国チーズコンテスト金賞受賞のクリームチーズやカマンベールチーズなど各種ご用意しております。佐渡旅行
のお土産に好評のギフトセットもございます。お近くを通りましたら気軽にお立ち寄りください。佐渡乳業hpより。

航空自衛隊 佐渡分屯基地の脇を通り白雲台へ。

佐渡分屯基地・・標高510mの両尾山(むろおやま)付近に庁舎があり、レーダーサイトは金北山(標高1,171.9m)山頂運用
していたが、2010年(平成22年)よりその西隣の妙見山(標高1,042m)山頂に建設され稼動を始めたJ/FPS-5にその役割が
引き継がれた。防衛省管理道路(白雲台〜金北山)を通行する場合は、航空自衛隊佐渡分屯基地への届出が必要。

白雲台

大佐渡スカイラインのオアシス標高約850mに建つ山小屋風の建物。
展望デッキから望む、両津湾、国中平野、小木半島などの大パノラマは感動的ですよん。

海がまるで空のようで・・・綺麗でしたよ。

相川湾へ向かう途中の「乙和池」に立ち寄りました。

思わず何枚も写真を・・・・すごい裂け方です。こんな裂け方は初めて見ました。

オウレンの果実 面白い形です。根茎は漢方薬としても使われるそうです。

浮島があります。とても神秘的です。

乙和池を一回りしましたが、クマやシカは居ないとはいえ、独りではちょっと怖いですね。おとわ様が池から姿を現しそうです。

・池の中央に日本最大の高層湿原性浮島をもち、神秘的な雰囲気に包まれた池です。標高560m。
・乙和池は大佐渡スカイラインを登ったところにある、大平高原に近い林道を600メートルほど入った所にあります。
・周囲の地形は小起伏を成して、自然林のブナ・ミズナラを主とする落葉広葉樹林に囲まれた静かで神秘的な場所です。
・乙和池の周囲の樹林にはミズナラを優占種とするブナ、ハウチワカエデ、ヤマモミジがあり、これらの下にはハイイヌガヤが
 多く見られ、林床の草木ではミヤマカンスゲが極めて多く見られます。

・池と周囲の落葉広葉樹林全体で約200種の植物が確認されています。
・浮島の面積は約400平方メートルで、ノハナショウブ、サヤヌカグサ、エゾミソハギ等の草木群落と2~3メートルの腐食層から
 成り立っています。

・また、島の中には井戸と呼ばれる穴があり、島が浮揚する役目を果たしていると言います。

おとわ伝説
山のふもとの長福寺へある日美しい娘が泊めてほしいとやってきたところ、和尚は気の毒に思って、泊めてあげることに
しました。どこから来たかは語りませんが、名はおとわとだけ言いました。

ある年の田植えの終わった頃、草の芽を採りに来たおとわが、誤って女人禁制の山の近くまで来てしまいました。
あわてて山を下る途中、そこの小さい池で下着のすそを洗っていると、その池の主に見染められてしまいました。
すると、あっという間におとわの立っていたところを浮島の様に残して池は大きく広がっていき、池からは主の大蛇が現れ、
おとわに自分の代わりにこの池の主になるためにここに留まれと言います。

泣く泣く頼んで、一旦は帰してもらうことができましたが、3日後、おとわを呼ぶ主の声が聞こえ、おとわはとうとう池の主に
なる決心をします。

かごに乗って山へ向かう途中、ヒヅメの音が遠くから聞こえてきたかと思うと、白馬にまたがった貴公子が現れ、おとわを前に
乗せ、もやの中に消えていきました。

これが池の主の大蛇で、その日から7日間山は霧に包まれ、7日目には大雨となり天地は暗く閉ざされました。
村の人達はこの雨で池の主は天に昇り、おとわが代わって池の主にになったのだと言っています。
にいがた観光ナビより。

旧相川税務署 昭和6年(1931)に建築され、同45年まで税務署として使用されていたそうです。国登録・有形文化財。

「北沢浮遊選鉱場跡」は次回投稿します。

宿泊した佐渡・相川の「ホテル万長」からの夕景 

夕食後、ホテルで催された「佐渡おけさ」 疲れ切ってヨレヨレでございました(笑

相川町

江戸時代には佐渡金山と佐渡奉行所がおかれ、佐渡国の中心であった。明治以降は佐渡観光の中心地として栄えた。
現在は何となく静かな空気が・・・。土曜日宿泊でしたが部屋が空いているようで広い特別室が用意されていました。
仲居さんは東京出身のとても好感の持てる若男人で木曽、利尻島などを経て佐渡で働いているそうです。日本酒が趣味のよう。

つづく~


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記8(椿越峠~尻立山~ドンデン山荘)

2018-06-14 05:51:57 | ・旅・山

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記8(椿越峠~ドンデン山荘)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。というわけで二日目は徹底的に植物観察^^

椿越峠からドンデン山荘方面への景観です。春の植物を楽しんで、しばらく進むと一気に視界が開けます。
植物相もガラリと変わりましたね。

小川が流れていたり、湿原っぽい箇所もあり、なかなか変化に富み楽しめましたよ。

イワカガミ

天気は最高!風も穏やかでした。中央の赤い屋根の避難小屋付近で昼食。避難小屋へ向かう小道でもシラネアオイが奇麗
でした。小屋までご一緒した娘さん、無事に旅を終えたかな?日差しは厳しかったけれど、風が気持ち良かったですよ^^

尻立山 940m

金北山

ホオジロが元気に鳴いていました。

タチツボスミレ&ミヤマキジムシロ

泊まったドンデン山荘屋根越しの両津港方面

両津港方面アップ

トリガタハンショウヅル? ドンデン山荘駐車場付近にて。

ドンデン山

正式名はタダラ峰ですが、900メートル級の3つの山を合わせた高原一帯を「ドンデン山」と呼んでいます。頂の丸い山の
意味「鈍嶺(どんでん)」に由来する通称が示すように険しい大佐渡山地のほぼ中央で、唯一穏やかな山容を見せています。
あたりは高山植物や山野草の宝庫。「新日本百名山」や「花の百名山」に数えられ、春から初夏にかけてトレッキング客で
にぎわいます。さど観光ナビより。

再度ドンデン山荘に立ち寄り、懐かしいキリンレモンを飲んで、これまた懐かしい味のイチゴシロップのかき氷食べて休憩。
いや~楽しいトレッキングでございました。ヤマシャクヤク、ミスミソウの花には出逢えませんでしたが、シラネアオイ群生は
満開だったし、何よりも天気が良かったし・・・感謝感謝^^ つづく~


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記7(アオネバ十字路~椿越峠)シラネアオイ満開^^

2018-06-13 14:52:34 | ・植物

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記7(アオネバ十字路~椿越峠)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。というわけで二日目は徹底的に植物観察^^

アオネバ渓谷トレッキング~アオネバ十字路から椿越峠方面への植物です。

金北縦走路入口のバイオトイレ付近には未だ雪が残っていてキクザキイチゲやカタクリ、このヤマエンゴサクなどが
未だ咲いていましたよ。

ヤマエンゴサク

エチゴキジムシロ こちらもたくさん咲いていました。

エチゴキジムシロ バラ科

和名は、越後の国(新潟県)に生えるキジムシロの意味で、「キジムシロ」は円く広がった株をキジが座る小さなむしろに
たとえたもの。日当りのよい山地の岩場に生えていることが多く、高さ5-30cmになる多年草。全体に毛が多い。
分布はおおむね本州の新潟以北の日本海側、関東北西部。http://www.jplants.sakura.ne.jp/etigokij.html様より。

で、内緒のシラネアオイ群生地へ。

いや~お見事でした。ツボミは見当たらなかったのでまさに「ド満開状態」^^

花びら(に見える萼)が5枚(通常は4枚)のシラネアオイを発見!珍しいかな?

動画もアップ^^

少しずつ色合いが違います。白~薄紫色。尾瀬で見かけるシラネアオイの花はほとんどが青紫色のようです。

濃い青紫色のシラネアオイも見てみたいなあ。

シラネアオイ(白根葵、学名:Glaucidium palmatum Siebold et Zucc.)
キンポウゲ科(シラネアオイ科として分けることも多い)シラネアオイ属の多年草の1種。深山の植物。日本固有種の
1属1種である。
北海道から本州中北部の日本海側にかけての山地帯と亜高山帯のやや湿り気のあるところに分布している。高さは20-30 cm。
花期は5-7月頃。花弁はなく、7 cmほどの淡い紫色の大きな萼片が4枚あり、大変美しい姿をしている。
和名は、日光白根山に多く、花がタチアオイに似ることからシラネアオイ(白根葵)と名づけられた。by wikipedia

クロモジ

ふきのとう

ネコノメソウの仲間

ミヤマカタバミ

カタクリ

サンカヨウ

サンカヨウの花はこの子しか見つけられませんでした。

ザゼンソウ

エンレイソウ

イワカガミ

フデリンドウ

チゴユリ

タムシバ

いや~素晴らしかった!たくさんの春の花々に出会えたのでした^^


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記6(アオネバ渓谷トレッキング)

2018-06-11 14:05:56 | ・植物

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記6(アオネバ渓谷)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。というわけで二日目は徹底的に植物観察^^

07:20頃、ドンデン山荘から頼んでおいたタクシーでアオネバ渓谷入口へ。標高890mのドンデン山荘から標高300mの
アオネバ渓谷入り口までタクシーで下り、そこからドンデン山荘へ登るトレッキングコースです。

タクシーの運転手さん、ゆっくりと山道を下りながら、沢山お話してくれましたよ。「佐渡全体としては、佐渡沖を暖流の
対馬海流が流れている影響から、冬は新潟県の本土側に比べて、気温が1〜2度ほど高く積雪は少ない。」ようですが、
この冬は気温がマイナス3、4度まで下がり水道管の破裂が多かったようです。空き家が多いので大変だったそうですよ。
まるで観光タクシーに乗ったようにいろいろと情報を頂きました。山荘まで迎えに来てもらって渓谷入り口まで3000円弱。
安かったです。申し訳ないような有難いような。。。

山荘のhpでは「大佐渡全体の放牧は約30頭。うちドンデン周辺は、外海府の一軒が20数頭を放牧しています。」となって
いますが、10頭以下と聞いたような・・・?いずれにしても放牧牛はそんなに沢山は居ないようです。

佐渡のトレッキングルートの中で、最もポピュラーなルートで、両津港からも近く、早春の残雪期、晩春の新緑期、無雪期、
それぞれに魅力ある花や楽しみがあります。

それでは植物観察トレッキング開始~

まずは、アオネバ渓谷入り口(300m)~アオネバ十字路(775m)まで。

ずっとエンレイソウがありましたが、入り口付近は花は終わり実になっていましたが尾根付近では未だ綺麗に咲いていました。

タツナミソウ(デワノタツナミソウ?)

ヤマオダマキ
標高を上げると未だツボミでしたよ。たくさんありました。

ギンリョウソウ

イワカガミ

渓谷入口付近では終わっていましたが登るにつれて咲いている子が増えてきました。白っぽい個体が多かったかな。

コケイラン

あちこちでたくさん咲いていました。

実になっているエンレイソウ

いや~緑が深いです。

オオナルコユリ

コマユミ 可愛い花です。

あちこち水の流れがありホントに緑が綺麗でした。

青粘土 アオネバの地名の由来です。

ニシキゴロモ キランソウの仲間ですね。

ハナイカダ

ハナイカダ「なかよし」

カエデの仲間の種「なかよし2」

ヤグルマソウ 和名の由来は、小葉の構成が、端午の節句の鯉のぼりにそえる「矢車」に似ることによる。
良く「ヤグルマソウ」と呼んでいる花は、現在「ヤグルマギク」と統一されているそうですよ。

ヤマトグサ

黒いモノは雄蕊の蕊が落ちた花糸。ヤマトグサの受粉は風媒花という雄しべが風に揺らされ葯を散らして受粉する仕組みの植物。
開花すると3枚の外花被片が上向きに巻くように反り返る。

1884年に牧野富太郎が本種を最初に高知県で発見した。これを研究してその結果を大久保三郎との連名で1887年に「植物学雑誌」
に記載論文を発表した。本種は日本固有種であり、しかも日本人の手によって記載され、それが日本の学術雑誌に発表された
最初の植物である。和名はこれに基づく。1888年に伊藤篤太郎の記載したトガクシソウが最初に日本人により学名が与えられ
たものであり、本種はその翌年の1889年に日本人として2番目にその学名が与えられた。by wikipedia

いや~ちっちゃい花でした。それにしてもユニークな形状ですねー。日本では多くの都道府県でレッドリストの指定を受けています。

ヤマオダマキ

ウラジロヨウラク こちらもあちこちで咲いていました。

フッキソウ

ルイオウボタン

ツクバネソウ  実とガクの姿が羽根つきの羽に似ていることから名づけられました。

途中の「ユブ」から勾配が急になります。アオネバ十字路到着~

新緑と青空が美しかった~。ここも天国みたい。

今回もっとも見たかったシラネアオイ
渓谷ではシラネアオイは終わっていましたがこの十字路付近では綺麗に咲いていましたよ。

シラネアオイ 次回投稿でも群生を紹介します。

ヒトリシズカ

タニウツギ 佐渡の山に入るとあちこちで賑やかに咲いていました。

オオカメノキ

ニリンソウ

ミヤマカタバミ

キクザキイチゲ

エンレイソウ

季節を巻き戻したような花々でしたよ。つづく~


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記5(ドンデン山荘泊)

2018-06-07 05:56:40 | ・旅・山

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記5(ドンデン山荘)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。「二ツ亀」「大野亀」「荒崎神社」「羽吉の大クワ」の後、
ドンデン山荘へ。いや~なかなかの山道でした。

山荘に着いてしばらくすると警察官が来られたり何やら不穏な空気・・・・。山荘付近は霧で下界も見えない状態だったの
ですが、どうやら遭難者が出た模様・・・。結局、翌日には救助されたようでしたが・・良かったです。

研修室に泊まらせて頂き快適でございました。「きりょうよし」・・サラリとして美味しゅうございました。
他のお客様はクラブツーリズムの金北山登山ツアーの方々。同席の入間から来られたご夫婦と酔っ払って意気投合。なんと
100名山制覇、海外の山にも登られているそうです。お喋りし過ぎて失礼いたしました。

夜には霧も晴れ夜景が拝めました。星も綺麗だった記憶があるものの寝不足&疲れでお酒3合でノックアウト(笑)
21時就寝>2時まで爆睡。

04:30 日の出

山荘脇の電線でキセキレイが元気に鳴いていました。

太陽が昇ってしばらくすると海に美しい光のラインが出来ました。

日の出を見終わり、もう一眠り(笑

06:30

佐渡ドンデン高原は、古くから牛の放牧地となってきた芝草原が広がり、海抜900mでは通常見ることのできないシラネ
アオイ、シャクナゲなどの高山植物をはじめユキワリソウやキクザキイチゲ・ザゼンソウなど各種の山野草が非常に多く
自生する、「花の百名山」にも数えられる魅力の地。

この山荘は、大佐渡トレッキングコースのほぼ中間部に位置し、宿泊や食事・喫茶・トレッキング情報をご提供できる施設
です。2005年にオープンしてから今日まで多くのトレッキング並びに観光客の皆様にご利用頂いております。特に山荘
デッキからの眺望は感動の連続で日本海はもちろん、朝日や漁火、遥か本土の山並みを一望しながら、大自然を相手に静かな
時間をゆっくりと過ごせる心地よい宿です。本年度は4月21日からオープン。

ドンデン山荘HPより。 つづく~


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記4(荒崎神社)

2018-06-06 00:38:57 | ・神社・お寺

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記4(荒崎神社)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。「二ツ亀」「大野亀」の後、ドンデン山荘へ。

その途中の気になった「荒崎神社」と「大クワ」の木に立ち寄りました。

両津港から新潟県道45号線を北上後、西へ回り込んでドンデン山荘へ向かうルート(新潟県道81号線・佐渡縦貫線)
が6/17まで入川側冬期閉鎖継の為、北上した45号線を南下。北上時に気になった神社を参拝しました。この45号線
沿いには集落ごとにしっかりとした神社がありそうでしたよ。ググってみると両津から北端まで1~2km毎に神社が
あるようです。

新潟県の4700社余りに及ぶ神社数は全国一。『延喜式』の式内社は、越後、佐渡では63社を数えます。

幾つかの神社を通り過ぎたうち「荒崎神社」にお呼びがかかりました(笑)いえいえ拝殿の装飾彫刻が目に飛び込んだ
からでした。

荒崎神社

祭神 迦具土命(かぐつちのみこと)

宝暦寺社帳に「荒崎大明神、社人助右エ門、当社永享十午年(一四三八)勧請、社地弐畝歩御除 」とある。

利済庵の鎮守であったものが村の産土神として祀られたといわれている。その名残であろうか、 以前は元旦の早朝に
利済庵の僧侶が読経をしてから、参拝者が新年のあいさつを交わすという風習 があった。

祭神「迦具土命」は伊邪那美命(いざなみのみこと)の子で火の神であるところから、火を使う 塩釜に関係がある神社
いわれている。境内からは、縄文土器・石鏃(やじり)などが出土してい る。 看板より。

由緒:京都の愛宕神社を勧請したという伝承がある利済庵(曹洞宗の寺院)の鎮守だったものが、村の産土神として
祀られたといわれています。現在の社殿は昭和10年の改築。

立派な装飾彫刻です。狛犬が見当たりませんでしたが、拝殿内に木彫の狛犬が居られたようですよ。
http://www.komainu.org/sado/ryotu/arasaki/arasaki.htmlより。

明治の頃、新潟県は全国で最も人口が多かったこと、或いは明治末期に時の政府が進めた神社合祀政策の影響を比較的
受けなかったことなどが背景にあると考えられます。
人口が多かったということは、かつて日本人の9割が農業によって生活を成り立たせていた時代に、広い穀倉地帯を有し、
収穫高が大きかったことが関係しています。
人口の多さが自然村(農耕・漁労を通じて、自然に形成された村落共同体)の多さにつながり、必然的に神社数も多かった

のだということになります。その意味では、新潟県は神社の自然な成り立ちを今に伝えていると言えるでしょう。
新潟県神社庁より

なるほど、このような理由で神社が多いわけですね。

続いて、近くの「羽吉の大クワ」

大クワは、旧家のお屋敷内に立っています。私有物ですが、そこまで小道が作られていて、誰でも自由に見学できるように
なっています。旧家の一階の屋根は押しつぶされていました。

養蚕の歴史を伝えるヤマグワの巨木
佐渡は昔から山桑摘みの養蚕の島で、県下で1~2位の養蚕地でした。
このヤマグワは樹齢約1300年と推定される老大樹で、根元周囲5.2m、高さ9m。幹が4本に分岐しており、枝張りは18m。
北海道小樽の恵比寿神社の大クワ、群馬県沼田市の薄根の大クワとともに日本のクワ三名木の一つに挙げられています。
さど観光ナビより

いや~立派な桑の木でした。桑の木ってこんなに大きくなるんですねー。


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記3(大野亀)

2018-06-05 07:38:36 | ・旅・山

 2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。
「二ツ亀」の後、近くのトビシマカンゾウ群生地で有名な「大野亀」へ。一枚岩だそうですよ。

大野亀と棚田 朝夕のマジックアワー時には更に美しそうですねー。

大野亀到着~ 観光バス・観光客がたくさん。海外の方はほとんど居なかったような。。。

大佐渡の北の海に突出する亀形の大岩塊「大野亀」では、トビシマカンゾウの日本一の大群落が見られます。
佐渡ではトビシマカンゾウを「ヨーラメ」と呼びます。ヨーラメの「ヨー」は魚のことで、「ラメ」は卵をはらむことです。
この花咲けば海活きかえり魚生きかえるといいます。にいがた観光ナビより。

トビシマカンゾウとカラマツソウ

トビシマカンゾウはちょっと早かったみたいです。でもキレイでしたよ。

見えている島が先ほど立ち寄った「二ツ亀」。ここからみると二つの島に見えますね。

残念ながら大野亀山頂方向はここまで。

標高167mの一枚岩が海に突き出している姿は圧巻。『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』二つ星として掲載された
巨岩です。あたりは50万株100万本ものトビシマカンゾウの群生地で、黄色い花が一面に広がる季節は多くの人が訪れます。
花の見頃は5月下旬~6月上旬で、6月の第2日曜日は「佐渡カンゾウ祭り」で、鬼太鼓や民謡が披露されます。さど観光ナビより。

大野亀の鳥居

神社巡りをライフワークとしているpawとしては気になります。調べましたが良く分かりません。イメージとしては、大野亀の
山頂に奥宮か元宮があって祠があるような・・・しかし頂上へ続く参道は崩落や土砂の自然流出などにより、通行に危険な状態
が発生していて通行止め。眺めも良さそうだったし・・残念。過去の様子をググってみると、

・細い道(参道)が頂まで続いていて狭い頂に石祠が建てられている。台座をいれると高さは2.5m。
・あまりの大きさに、麓からは石燈籠、昔の灯台のように見える。
・石祠台座には「明治廿八未年九月吉日」とあり、石祠内に「龍澤山善寶寺」の御札が納められている。
善寶寺は山形県鶴岡市にある曹洞宗の寺。海の守護神である龍神を祀るお寺として、漁業関係者に厚く信仰され、とくに
 日本海に面した道県で信仰されている。
「龍王講」という漁民が主体となった信仰組織により、明治時代に流行神のように広まったらしい。
善寶寺信仰は佐渡においても盛んだった。
・佐渡の海岸に祀られた善寶寺関係の石塔、石祠小社など60基が報告されている。石塔では善寶寺を象徴する「両大龍王神」
 「八大龍王」の銘が目立つ。
・賽の河原(二ツ亀と大野亀の間)海岸近くの窟屋に納められた地蔵たちは、奥の方に古い佐渡の地蔵たちが不規則に並び、
 手前には新しい地蔵が整然と並んでいる。
https://blog.goo.ne.jp/bosatu2014/e/518f9938154d927c2a05f0ae9c9368ed 様より。

残念ながら遊歩道からは祠は確認できませんでした。神仏習合時の龍神信仰のようですね。こちらでは風は収まっていました。
二ツ亀と合わせてとても土地のエネルギーを感じる空気・空間でした。

メモ:海藻のギンバソウはここでしか売ってなかったみたい。つづく~


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記2(二ツ亀)

2018-06-04 07:09:14 | ・植物

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

両津港から佐渡島を北上。両津港付近はシャッター街で寂れていましたね。この件に関しては後ほど。道路は快適。
北上する道路沿いには黒光りする瓦屋根と暗い色の壁の家が多いです。能登もこんな風景だったような・・・。
南の島とはちょっと空気・空間が違いますね。疲れ・寝不足もあって少し滅入りましたが、天気が良かったので助かりました。
集落ごとに立派な神社がありそうでした。石碑やお墓もたくさんあって歴史の蓄積が感じられます。この辺りの光景も南の島
とはちょっと違いますね。白い壁で明るい色の屋根なら随分感じ方が違うでしょうね。北への道中、食堂もコンビニもあり
ません。最終日に真野湾付近を通りましたがこちらは結構開けていました。

13時ごろ、佐渡島北端の「二ツ亀」に到着。二ツ亀方面へ約350段くらいの階段を下っていきます。

二ツ亀

いや~なかなかの迫力です。写真よりも遥かに広大です。

並んだ亀に見える「沖の島」と「磯の島」二匹の亀がうずくまっているように見える島。潮の満ち引きで景色が変わる。
海水の透明度は佐渡随一を誇り、二ツ亀海水浴場は「日本の快水浴場100選」にも選ばれています。「大野亀」とともに、
『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で二つ星として掲載されています。さど観光ナビより。

海の色もキレイです。茶色っぽい箇所は海藻。

「大野亀」方面

ジャケツイバラ

オドリコソウ

たくさんのオドリコソウが咲いていました。佐渡島全域で見られました。

セリ科の仲間

ホタルカズラ

ホタルカズラ(蛍葛)
ムラサキ科ムラサキ属に分類される多年草の1種。
和名は、草むらの中に点々とつける花の色をホタルの光にたとえたことに由来する。by wikipedia

ダイミョウセセリ

黒地に白帯のあるセセリチョウ。翅を完全に開いてとまることが多い。地方によって翅のもように違いがあり、東京付近には
白帯がはっきりしない「関東型」が、大阪付近には白帯が明瞭な「関西型」が多い。こやつは「関西型」ですかね。

 

更に階段を下っていきます。

絵になる風景です。

「天国のようなところだ」

その思いは、自然景観に対する畏怖の念から沸き起こったからでしょう。久しぶりに観る道東に似た原始的な自然の造形美に
心を打たれました。
この場から気を上げるエネルギーを受け取り、寝不足体調不良&気の滅入りは一気に解消したのでした。

階段途中より

いや~風が強いのなんの・・・

ハマハタザオ

凄い風でした。段丘の陰に隠れて昼食しました。

ハマナスと二ツ亀

イワユリと二ツ亀

イワユリ

この二ツ亀の岩壁 仏様に見える箇所もあって手を合わせました。

ミヤコグサと二ツ亀

アメフラシの卵が海藻に付いていましたが、ちょっと他のウミウシは居なそうでしたね。この潮溜りでは黒いモノが
動いていましたが、はて・・・???

イワユリ 低い位置での開花ですねー。風対策かなあ。

ハマナス 目の覚めるような色合いでした。こちらも風を避けるように低く低く。。バラ科なので・・ホントに薔薇のような
甘い香りがしていました。

「二ツ亀」なわけですけど、近くからは二つの島に見えなくて・・・大野亀からはちゃんと二つに見えましたよ。
とにかく風が強かったです。山の方はもっと強かったとか・・・。この海岸線を南下すると賽の河原、大野亀に繋がりますが、
駐車場まで戻り大野亀へと向かいました。
つづく~ 


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記1(新潟~両津)

2018-06-03 10:19:50 | ・旅・山

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。
04時過ぎに東京出発、08:20新潟港着。約320キロ。kouchaと半分ずつ運転。金曜日だったので新潟市内で通勤渋滞に
合うもほぼ予定通り。市内で給油。

良い天気^^

フェリーのターミナルビル3階待合室 佐渡産コシヒカリのふき味噌&さざえ味噌爆弾おにぎり、おいしゅうございました^^

お土産屋さんのお隣。なんか昭和の香りがする食堂ですわ。

09:20出航。11:50着。「おけさ丸」(運航時間2時間30分)+1000円の1等イス席は快適でしたよ。

佐渡牛乳のパックは朱鷺(トキ)のデザイン^^

かっぱえびせん 上手に食べましたよ^^

川と海の色が・・・・

いよいよ佐渡島

島内で最も高い金北山(標高1,171.9m)。未だ雪が残っています。手前の灯台は「おけさ灯台」。

両津港着。さー佐渡旅行はじまり はじまり~^^