~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

レッスン3 「人間関係」のレッスン(4)

2012-06-27 06:26:41 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。 

不幸にして、ある人たち・・・実はあまりにも多くの人たち・・・にとっては、愛
はしばしば支配であり、操作であり、ときに憎しみであるのです。しかし、不幸な
経験によって形成された狂気に、いつまでも囚われている必要はありません。愛を
定義し直し、望ましい関係を作り上げることは可能なのです。ところが残念ながら、
そうしようとする人は少ない。
人がうまくいかない関係の中に留まる理由は二つあります。一つは相手が変わる事
を期待しているから、もう一つは、どんな関係でもきっとうまくいくはずだと教え
られてきたからです。うまくいかなかった昔の関係に戻ろうとする人が、いかに多
いことか・・・。

自分がおかしいと思う事について相手と対決するのは、何も悪い事ではありません。
ただし、期待を持った対決は相手への操作になります。相手と分かち合い、互いに
真実を語る必要はあります。ただし、自分が望む反応を得るためにそうしてなりま
せん。

毎日を いらいらしながら暮らしている人は、「こうあるべきだ」というイメージを
持っている人です。
現在の相手を見ることは、過去や未来の相手を見る事よりも難しい。相手がずっと
昔にした事を、未だに根に持っている人がなんと多い事か。たとえ相手が謝罪し、
変わっていたとしても、過去の不幸な記憶で現在の相手を評価している人は沢山い
ます。
将来に対するイメージ、こうあるべきだという幻想、そして戦略や健忘録を手放し
たとき、愛は自然にあるべき形をとってきます。愛は私たちの思うところには行か
ず、愛自身が行きたいところに行くものなのです。

人間関係を通して自己の魂の存在を学び、魂の豊かな構造を学び、自己を癒しへと
導く事を学びます。愛の関係において先入観から生まれた自分だけの記憶の執着を
捨てたとき、私たちは誰を愛するのか、いつまで愛し続けるのかといった疑問を退
けます。私たちよりはるかに偉大な力によって、私たちのために創造された本当の
愛を見つけるために、その限界を乗り越えるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

愛を定義しなおす・・・今まで思っていた「愛」は違っている。染み付いてしまった固定観念

を壊してみる。そこから違った世界が見えてくるのかもしれません。


相手を、自分好みにしようとしてはいけない。人をコントロールすることはできない。相手を

尊重し、傾聴する・・・・そこから分かり合える光が見えてくるのでしょう。


「いらいらしながら暮らしている人は、「こうあるべきだ」というイメージを持っている人」・・・・

小我が強いという事になりますね。自分の思考の枠の外の事が許せず、枠の中でなけれ

ば安心できないといった事なのでしょう。


「現在の相手を見る」・・・・相手の過去の事や、今まではこうだったという記憶が、相手を

見る先入観を作成してしまいます。「今のあなた」「今日のあなた」に、なんの先入観も持た

ずに接することができれば、全く違った人間関係が築けるかもしれません。


昨日会社で誰かから嫌な思いを受けた。その嫌な思いを昨日のうちに切り捨て、今日、

その人とまっさらな状態で接してみる。おそらくできないでしょう(笑)でも、そんなつもりで

思考・行動していると、受けた嫌な思いという感情の束縛時間は、どんどん短くなっていき

ます。試してみてください^^


後ほど「時間のレッスン」が出てきますが、「現在の相手を見る」は、「現在に生きる」に繋が

ります。ここでも強烈な訓えがありますのでお楽しみを^^

以上で、「人間関係のレッスン」は、終了。次回からは、「喪失のレッスン」です。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (慈慧)
2012-06-27 20:40:30
「愛」は仏教では「渇愛」(かつあい)といって
煩悩のひとつなんですよ。

よく言われる「愛」は、「慈悲」という言葉が
近いとされます。
返信する
Unknown (慈慧さんへ)
2012-06-28 08:35:37
渇愛

仏教の思想から生まれた概念で、人間が持つ根本的な欲望のこと。

欲愛(よくあい)・・・肉体の快楽を求める欲望
有愛(うあい)・・・生きることへの執着
無有愛(むうあい)・・・平穏に生きたいという欲望
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ふむふむ・・・
「渇」は、「かわく」ですものね。
「渇いている」と感じているのであれば、
満たさなければなりません。満たす行為は、
小我といったところでしょうか。

15のライフレッスンbyキューブラーロスに
出てくる「愛」は、そんな渇愛(所有愛、恋
愛、執着)と慈悲(慈愛)が、ごちゃ混ぜなん
ですよ。

ただ、生きていると、まさにごちゃ混ぜな状態
の真っ只中にいるので、分けずに都度気が付け
ばいいのかなと。

それでも、気が付くと渇愛に陥っちゃって、自
ら苦しむことが多いですよね。

まあ、この世で生きていれば仕方ないことなの
かもしれませんが。

カナメは、どうバランスをとっていくかなのか
なあ。

だんだん「渇」ではなく「枯」てくれば、
自然に慈愛に向かうのかも・・・・ね(笑
返信する

コメントを投稿