~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

尾張国一ノ宮 真清田神社(愛知県一宮市)

2017-06-30 12:50:44 | ・神社・お寺

2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。

あちこち神社にも寄ってきましたよ。続きまして・・・一宮市の真清田神社へ。

わはははは(笑

境内の裏側の小さな駐車場に止めて歩きだしたら、この子たちが出迎えてくれましたよ^^

クルマで神社隣接を通った際に、何か不思議な感覚がしたので、まずは、神社の外側を歩いてみました。

真清田神社境内の東側隣接部分です。食べ物屋さん、飲み屋さんが並んでいます。

 

シャッターの降りているお店が多いですが、反物屋さんや生地屋さんが開いていましたよ。

真清田神社のhpによると、「境内は一宮市の中心、本通りの正面目抜きにあり、一宮市が、神社を中心として発達した町で
あることが分かります。 周囲には古来、土塀をめぐらしていました。その辺りを馬道具の飾立場とすると共に出店を設け、
門前市も盛大に開かれていました。」との事で、 活気は失せてしまっていましたが、昭和の頃には賑わっていたような
絵図らが浮かんできましたよ。何故、反物屋さんや生地屋さん??その答えは後程^^

社号標と正面鳥居

いや~大きいです。立派です。

正面鳥居と楼門

立派な楼門です。

楼門 昭和36年11月竣工。楼上南側に掲げる扁額は、伝聖武天皇ご宸筆の旧額を模して人間国宝平櫛田中氏が彫刻を施した。

楼門手前より拝殿

楼門内には、コスプレの若者がたくさん居ました。なんか不思議^^

なぜ、コスプレの若者が多いのか??こちらをご覧ください。

http://nyarosuke-information.com/ichinomiyatanabata-cosplay/

手水舎

昭和20年7月28日の空襲において焼失を免れた。吐水龍は、寛永8年(1631)初代尾張藩主徳川義直公奉納によるもの
(現在はレプリカ)。他には・・・まあ、いろいろと置かれていました。覗きこんだり、撫でたり・・・(笑

社務所

拝殿 奥の本殿は凄そうですね。

本殿・・・近くまで行けず・・・ほとんど拝めませんでした。

拝殿 正面

拝殿内 素晴らしいですね^^

楼門 境内側から

境内には服織(はたおり)神社がありました。

服織神社

御祭神:萬幡豊秋津師比賣命(よろずはた とよ あきつし ひめのみこと)を奉祀する。
一宮七夕まつりにミス七夕・ミス織物が参列し御衣奉献祭が斎行される。

・真清田神社の主祭神「天火明命」の母神である「萬幡豊秋津師比賣命」をお祀りする。機織の神様。
・尾張地方は、昔から稲作(尾張米)と繊維業が盛んだが、それだけに天火明命と萬幡豊秋津師比賣命の母子神は
 地域の人々から篤い信仰を集めている。
萬幡豊秋津師比賣命は別名を「棚機姫神(たなばたひめのかみ)」と呼ばれ、七夕伝説の「織姫」と同一と
考えられている。そのため“縁結びの神様”としても信仰を集めるようになった。

そんなわけで、コスプレの若者が多かったわけですね^^

「社務所で、縁結びのお守りを分けていただくと、”運命之紅糸”が入っています。一本は、服織神社に結びんで祈願を…。
もう一本は、ご自身でお持ち下さい。」との事ですよ^^

神池

当神社の宝物「真清田神社参詣曼茶羅」(安土桃山~江戸初期)にも描かれています。

さざれ石
 
なかなか見どころ満載の面白い神社でした。一宮という格式??にこだわらず、地域や時代に馴染んでいるところが
スゴイですね。繊維業~服織神社のおかげでミス七夕・ミス織物、更には「布=コスチューム」の街へと進化すべく、
地域活性化を図るために「コスチュームタウン構想事業」を一宮市は展開しています。「コスプレパレード」は2017年
6年目。 神社を飛び越えた神社です^^

真清田神社(ますみだじんじゃ、眞清田神社)

・愛知県一宮市真清田にある神社。式内社(名神大社)、尾張国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

・愛知県北西部、一宮市の中心部に鎮座する。創建は詳らかでないが、古代に尾張地方を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、
 尾張氏祖神の天火明命を祭神とする。

・中世には尾張国の一宮に位置づけられ、一帯の地名「一宮」はこの真清田神社の社格に由来する。現在でも一宮市の市章は
 真清田神社の神宝がモチーフとされるように、古くから一宮地域の発展に関わってきた古社である。

・祭神について
 現在、真清田神社の祭神は上記の通り天火明命とされるが、かつては国常立尊祭神説や大己貴命祭神説など複数説が存在
 した。これらのうち国常立尊祭神説は、『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)に記される説で、最も古い
 時代に遡る。しかし近年では、同書が続けて真清田神社を日本中の一宮と主張していることから、伊勢神宮と比肩するため
 に天照大神より古い国常立尊が持ちだされたものと考えられている。一方、大己貴命祭神説は『大日本国一宮記』に見える
 説で、出現は室町時代末期から江戸時代初期頃に遡り、諸文献に散見される。

 これらに対して天火明命祭神説は、江戸時代に吉見幸和や栗田寛により唱えられたものである。天火明命は、『日本書紀』 
 『古事記』の神話では天照大神の孫神(天忍穂耳命の子神)とされ、『先代旧事本紀』では饒速日命と同一視される神で
 ある。そしてこの天火明命に比定する説において、社名の「マスミ」が真清鏡(ますみのかがみ)のように鏡に関係する
 語であるとして、鏡作氏や尾張氏の祖神の天火明命が祭神だと想定された。しかしながら、尾張氏は尾張地方に広く勢力を
 持った氏族ではあるが、真清田神社との関係を示す文献・伝承は知られていない。

 歴史的には、中世末期から江戸時代までは国常立尊祭神説が主流で、明治の時点での祭神は国常立尊のほか天照大御神・
 月夜見神・大己貴神・大竜王神の5柱となっていた。しかし『特選神名牒』において「天照大御神」が
 「天火明命(天照国照彦天火明尊)」の誤記と見なされ、かつ他の4柱が省略され天火明命1柱とされた関係で、以後は
 現在まで天火明命1柱説が採用されている。なお、『真清田神社史』では国常立尊祭神説を荒唐無稽としながらも、天火明命と
 大己貴命については、それぞれ尾張氏の祖先神と奉斎神(土地神)であった可能性を指摘する。


・国史での初見は承和14年(847年)で、「真清田天神」の神階が無位から従五位下に昇叙されたとある。その後、仁寿元年(851年)
 に「真清田神」は官社に列し、またその神階が仁寿3年(853年)に従四位下、貞観7年(865年)に正四位上に昇叙されている。

 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では尾張国中島郡に「真墨田神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また
 『尾張国内神名帳』(尾張国内神名牒)では、「正一位 真清田明神」と記載されている。

 永万元年(1165年)の「神祇官諸社年貢注文」に「尾張国一宮 八丈五疋」とあるのを初見として、平安時代末期以降に真清田神社は
 尾張国で一宮の地位にあったとされ、これは現在の一宮市の市名の由来にもなっている。一宮に次ぐ尾張国二宮は大縣神社(犬山市宮山)、
 三宮は熱田神宮(名古屋市熱田区)とされるが、神階・格式の点では熱田神宮の方が尾張国で最高位にあり矛盾する。この点については
 古来諸説が挙げられているが、今日では尾張国府との距離関係の反映とする説や、東海道における京からの位置関係の反映とする説が
 一般視されている。

 明治維新後、明治18年(1885年)に近代社格制度において国幣小社に列した。かつて「真清田大名神」「真清田大明神」
 「一宮真清田大神」「一宮大明神」と称された社名も、明治に現在の「真清田神社」に統一された。by wikipedia


神明大一社(愛知県岩倉市)

2017-06-30 12:47:44 | ・神社・お寺

2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。

あちこち神社にも寄ってきましたよ。続きまして、神社の前を通り過ぎて、とても良さそうな神社だったので
Uターンして立ち寄りました。

名鉄犬山線岩倉駅から近く、旧岩倉街道西側に鎮座する。南面の鳥居

境内

境内社には、稲荷社・子安社・白山社・天神社・津島社・市神社・猿田彦神社・出雲社があります。

拝殿

拝殿 正面

とても個性的、木造が良い感じの拝殿内です。神紋の「丸に大一」となっていますが、拝殿内は「丸に太一」となっています。
神文マークがこんな風に並ぶととても可愛らしい感じですね。

お宮参り^^ 地元にとても密着しているような神社でした。

秀成稲荷大明神

子安大神

手水舎

神橋

神楽殿

とても「ほんわか」する神社でした。

神明大一社(しんめいだいいちしゃ)

・愛知県岩倉市中本町西出口にある神社。近代社格では県社。総社神明太一宮などとも。

・『皇大神宮建久巳下古文書』、いわゆる『神宮雑書』によれば、当地は鳥羽天皇(在位:1107年-1123年)奉献の神領の地。

・当社は平安時代後期の永久年間(1113年-1118年)、伊勢の神宮(伊勢神宮)を勧請・奉斎したことに始まる。

・御祭神は、天照皇大神・豊受皇大神・国常立尊・倭姫命。神紋は、丸に大一。

・戦国時代は、戦乱の巷と化し、社殿も、織田信長による岩倉城攻と同時に炎上したという。文禄3年(1595年)に
 再興された。

・例祭は、10月17日。4月の桜まつりと、8月の山車夏まつりからなる岩倉の山車まつりに、新溝神社・神明生田神社
 などとともに参加する。岩倉の山車は、大上市場山車・中本町山車・下本町山車の三台があり、当社はその中でも
 中本町山車に該当する。昭和30年代の中頃には、一時中絶したが、平成の世になり、市制20周年を機に復活、平成4年
 (1992年)には岩倉街道での三台の山車の揃い曳きが実現した。

・境内社に、稲荷社・子安社・白山社・天神社・津島社・市神社・猿田彦神社・出雲社がある。

http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1062574992.html より


鳳来山東照宮(愛知県新城市)

2017-06-29 06:52:59 | ・神社・お寺

2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。

あちこち神社にも寄ってきましたよ。鳳来寺山周辺の植物の次はメインの鳳来山東照宮^^

一番下の鳥居をくぐり・・・

のぼり旗の反対側は・・・

じゃ~ん!良い感じの階段です。なんかワクワクする瞬間です。

杉の木立に囲まれ・・・

鳥居と拝殿

この鳥居の上にセッコクランが咲いていたのでした。

拝殿

もちろん葵の紋ですね。

拝殿 脇より

本殿 

本殿

立派ですね。

鳳来山東照宮(ほうらいさんとうしょうぐう)

・愛知県新城市の鳳来寺山に鎮座する神社。正式名称は「東照宮」。日光・久能山と並ぶ三大東照宮の1社を称している。

・徳川家康(東照大権現)を主祭神に、「鎮守三社」と称される山王権現、熊野権現、白山権現を合祀している。

・慶安元年(1648年)4月、日光東照宮へ参拝した折に改めて『東照社縁起』を読み、徳川家康の出生と三河国設楽郡の
 鳳来寺との縁に感銘を受けた江戸幕府3代将軍家光が、鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願。

・江戸城内の紅葉山御殿に祭られていた「御宮殿」(厨子)と神体である「御神像」(神像)を遷祀したのが創まりである。

・家康の父母である松平広忠と正室於大の方(伝通院)は、子のできないことを憂い、祈願のために夫妻そろって領内の
 鳳来寺に参篭したところ、伝通院が東方より現れた老翁に金珠を与えられる夢を見て、間もなく家康を懐妊したという。

・家康の出生は壬寅年寅月寅の日にあたる天文11年(1542年)12月26日の寅の刻(午前5時頃)であったとされるが、
 鳳来寺では家康誕生と時を同じくして、薬師堂の本尊である薬師如来を守護する十二神将の中、寅神でもある真達羅
 大将の神像が忽然と姿を消し、家康が薨ずると神像もひとりでにもとの位置に戻っていたといい、以来、家康は真達羅
 大将の化身であったと伝えられている。by wikipedia

鳥居の上のセッコクラン

いや~、予想以上の山中の良い空気・空間でしたよ^^


鳳来寺山周辺の植物(愛知県新城市)

2017-06-26 14:23:05 | ・植物

2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。

あちこち神社にも寄ってきましたよ。では鳳来寺山周辺の植物を。。。。。

カワツツジ
う~ん・・・正式名が解らない。。。。鳳来峡の宇連川の岩場やや鳳来寺山の岩場で見られました。
kouchaによるとヤマツツジかなあと。。。。

ユキノシタ

これだけの群落を見たのは初めてですね。すごい数でした。

タツナミソウで良いのかな?

川の中の落ち葉・枯葉の中で咲いていたんだけど・・・どうも外来種系のような・・・?バーベナの仲間???

セッコクラン 

ユキノシタやタツナミソウを撮っていたら、植物系おばさんが教えてくれました。 

「鳳来寺東照宮」に関しては後程投稿しますが、鳥居の上に何か白い花が・・・・?

なんと、鳥居の上に「セッコクラン」が咲いていたのでした。

セッコクランは根を空気中に出して古木の樹上や岩壁に根を張り生活するランの仲間。
葉は水分の蒸発を防ぐために小さめでやや厚く、茎は太くて水分を保てるようになっています。

樹上や岩上に多数の根を出し着生する常緑の多年草。茎は束生し、高さ10~30㎝になる。 葉は細長く、長さ約5㎝、
質は厚く、茎に2~3年ついている。花がつくのは、2~3年目に葉が落ちたあとの茎で、 細い花茎を出し、白色~淡紅色の
花を1~2個つける。花には芳香がある。

湿度の高い谷間の樹上によく見られる。杉の木に着生しているものが多い。セッコクは、木の高い所に着生することが
多いので、なかなか近くで観察することができない。写真は望遠撮影です。

参考:http://takaovc599.ec-net.jp/01top/0102topics04/010204topics01.html 


鳳来寺(愛知県新城市)

2017-06-24 06:30:14 | ・神社・お寺

2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。

あちこち神社にも寄ってきましたよ。

愛知県新城市 鳳来峡の宇連川

湯谷温泉 イワツツジ カジカガエル・・・ちびっと散策しましたよ。

湯谷温泉の歴史は古く、開湯は1300年前であるとされる。開湯伝説によれば、鳳来寺の開祖、利修仙人により発見されたと
伝わる。「長篠村史」には「仙人は温泉のすぐれた効力により心身の調和をとり、修行を極め悟りを開き実に308歳の長寿を
全うした」との記録が残る。by wikipedia

ひょえ~、308歳!!!!(笑

鳳来峡沿いのJR飯田線

愛知県豊橋市の豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結びます。195.7キロ。久しぶりに鈍行列車の旅・・してみたいなあ。。

「見た目や姿の良い女房でも夫の事を疎かにして、お茶ばかりいつも飲んだり、物見遊山の好きな女房は離縁する事(笑)」

安政6年2月 東郷八ケ村

鳳来寺山パークウェイ山頂駐車場付近より

う~む・・・石碑や祠のようなものが・・・修行していたんだろうなあ・・・。

古家と割と広い庭地がありました。ググったら、やはり宿坊だったようですね。

お地蔵さん(地蔵菩薩(じぞうぼさつ))は、子供を守ってくれる仏様。よだれかけは、子供の使っていたものをお地蔵様
つける事によって、子供の匂いを覚えてもらい守ってもらうという意味合いの事がググると出てきます。
赤いよだれかけは赤子(赤ちゃん)の赤という説や、赤色には魔除けの意味があるという説や、長生きを願ったという説も
あります。が、
このよだれかけ、お地蔵さんの為に作られたようにも思うし、白いですね。それとも色褪せちゃったのかな?^^
左の群生の花はユキノシタ。ものすごい数のユキノシタが咲いていましたよ。

なんとも個性的な狛犬です^^

大河ドラマ、見てますよ~。虎松はこの鳳来寺に預けられていたんですね。

鳳来寺本堂

参道からちゃんと入ってくると石段の数が1,425段あり、国の重要文化財の徳川家光によって建てられた仁王門があった
ようです。鳳来寺山のブッポウソウ~♪という歌があるそうです。

・鳳来寺(ほうらいじ)は、愛知県新城市の鳳来寺山の山頂付近にある真言宗五智教団の寺院。
・本尊は開山の利修作とされる薬師如来。
・参道の石段の数が1,425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財である。
・愛知県の県鳥であるコノハズク(仏法僧)の寺としても有名である。
・寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山したと伝える。利修は霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、
 十二神将、四天王を彫刻したとも伝わる。
・文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名
 及び山名の由来となっている。利修の17日間の加持祈祷が功を奏したか、天皇は快癒。この功によって伽藍が建立
 されたという。
・鎌倉時代には源頼朝によって再興されたと伝える。
・江戸時代に入ると幕府の庇護を受け、850石に増領される。さらに家光の治世で大いに栄えた。
 徳川家康の生母・於大の方が当山に参籠し、家康を授けられたという伝説を知った家光が大号令を発したためである。
 それにより、当山諸僧坊の伽藍が改築されただけでなく、家康を祀る東照宮が新たに造営され、慶安4年(1651年)
 に完成をみたのである(東照宮などに限る)。最終的には、東照宮の運営領を含む1,350石が新たに寺領となった。
 by wikipedia

東照宮は後で投稿します^^


三保の松原・羽車神社

2017-06-23 07:01:19 | ・神社・お寺

2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。

あちこち神社にも寄ってきましたよ。

御穂神社を参拝後、神社前の「神の道」を通って三保の松原へ。

御穂神社から松原へと続く松並木道(500m位)に純木を使った「神の道」。松の根を傷めないように木製の歩道が整備(2009年)
され、車いすでも移動できるようになりました。
夜はライトアップされるようですよ。

毎年2月14日深夜、羽衣の松の前で行われる神迎えの神事「筒粥祭」では、天から降りた神はこの道を通って御穂神社へと
導かれます。樹齢200~400年といわれる老松に囲まれた松並木を往復しましたが、とても気持ちよかったですよ。

木道終点から三保松原へ。

海岸には松が点々と・・・こちらは三代目の羽衣の松

羽衣の松

羽衣の松は御穂神社の神体で、祭神の三穂津彦命(大国主命)・三穂津姫命が降臨する際の依り代とされる。初代「羽衣の松」は
1707年(宝永4年)の宝永大噴火の際に海に沈んだと伝えられる。

二代目「羽衣の松」は高さ約10m、外周5m、樹齢650年のクロマツで、立ち枯れが進んだため、2010年(平成22年)10月に
近くにある別の松を三代目の「羽衣の松」に認定して世代交代し、2013年(平成25年)7月3日に先代「羽衣の松」は約3mの幹
残して伐採された。by wikipedia

わずかに富士山の裾野が拝めました。

見えなかった方のために・・・(笑

広々として気持ちいいです。

三保の松原
・静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地。その美しさから日本新三景(大沼、三保の松原、耶馬溪)、日本三大松原
 (三保の松原、虹の松原、気比の松原)のひとつとされ、国の名勝に指定されている。
・ユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録されている。
平安時代から親しまれている三保半島の東側に広がる景勝地である。
・総延長7km、3万699本の松林が生い茂る海浜と、駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名。
・歌川広重の『六十余州名所図会』「駿河 三保のまつ原」を始めとする浮世絵にも描かれている。
・日本最古の和歌集である『万葉集』に詠われて以降、多くの和歌の題材となり、謡曲『羽衣』の舞台にもなっている。
・三保半島は、安倍川から海へと流された土砂が太平洋の荒波に運ばれ、日本平を擁する有度山を削りながら出来た砂嘴である。
 何百年にわたり流された土砂(漂砂)が静岡海岸、さらには清水海岸に幅百mを超える砂浜を作り、現在の清水港を囲む
 三保半島、および三保の松原の砂浜を形成した。
・羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」があり、付近の御穂神社には
 羽衣の切れ端といわれるものが保存されている。
・羽衣の松には毎年元日の朝に大勢の人々が集い、伊豆半島の山々から昇る初日の出を拝んでいる。by wikipdeia

羽車神社

御穂神社の離宮

羽車神社の創祀は詳らかでないが、江戸期編纂の諸文献に「羽車磯田社、弁才天、六観音、羽衣宗像社」などとみえ、『駿河記』
には「此社古へは猶數十町隔しに、往年狂濤衝突し漸く汀渚を沒してより、社地を退となり」と所載。
http://iiduna.blog49.fc2.com/blog-entry-91.html より

羽車神社のお隣の二代目の羽衣の松(樹齢650年のクロマツ)平成25年伐採

平成18~19年ごろの二代目の羽衣松
http://iiduna.blog49.fc2.com/blog-entry-91.html より

三保の松原入り口の「喫茶食事羽衣」さんで、茶そばを頂きました。静岡ですからねー。お茶の風味が強く美味しかったですよ^^


御穂神社(静岡市清水区三保)

2017-06-22 07:09:01 | ・神社・お寺

2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。

あちこち神社にも寄ってきましたよ。

由比の豊積神社から更に西へ。清水の中心地を抜けて三保の松原方面・御穂(みほ)神社へ。同じ「みほ」と読ませ
ますが、何で字が違うんでしょうね?wikipediaによると「みほ」の字は、「御穂」のほか「御廬」「三穂」「三保」
にも作るとなっています。

清水中心部は、けっこう車を飛ばす方が多かったですねー。市内北部の竜爪山は標高1000m以上あるようで、
けっこう山の威圧感があり、とても賑わっている都市ですが、狭く感じました。

清水市

・日本平の東麓に位置し、富士山を望む港町。
・清水地区は天然の良港である折戸湾を持ち、古くから海運中継地として発展した。一方、江尻地区は東海道江尻宿の
 宿場町として発展した。
・本市出身の漫画家さくらももこ原作の漫画「ちびまる子ちゃん」の舞台として有名。
・日本国内では、サッカー王国としても知られ、Jリーグ草創期には「日本のブラジル」とも呼ばれた。
・羽衣伝説で知られ、旧静岡市と合併後の2013年に世界文化遺産に登録された三保の松原を抱える都市でもある。

・清水市域に人々が住み始めたのは、1万年以上前であったと言われており(縄文前期にはすでにムラが形成されていた
 ことが庵原の大乗寺平遺跡の出土遺物から立証されている)、5世紀ごろには大集落「イホハラの国」が出現している。
・律令制が確立する前は、廬原国造廬原氏が治める廬原国の国衙が置かれ、駿河の国の中心寺も又庵原にあり(尾羽廃寺)、
 現在の静岡県中部地域の中心であった。
・日本書紀には663年朝鮮「白村江の戦い」に当地から廬原君臣に率いられた万余の健児(兵士)が出港して行ったことが
 記述されている。
・日本武尊の伝説につながる草薙神社や三保の松原の美穂神社が、平安時代の延喜式に記載されている。
・承久の乱や梶原景時討滅等の戦功により、清水武士団の勢威拡大。吉川氏は西遷。
・今川氏の領国を経て、甲斐武田氏により駿河が領国化されると、武田氏の水軍基地になる。
・江戸時代には江尻に東海道江尻宿が置かれる一方、清水湊は西国の赤穂の塩等を江戸へ送る中継基地としての役割を担うと
 共に、富士川舟運を通じた信濃・甲斐方面からの廻米輸送基地として栄えた。by wikipedia

で、三保の松原へ行く前に御穂神社へ参拝に行きました。

境内入り口

三保大明神^^

高い松・・・風も良い感じです。

参道の拝殿前に神楽殿があります。 

神馬舎と末社

神馬
1773年(安永2年)の駿府大火で静岡浅間神社の神馬2頭が御穂神社へと逃れ、1頭は御穂神社に残り、1頭はもとに戻ったと
いう伝説が残されている。もとは左甚五郎作といわれる木製のものだったという。この神馬くん、愛嬌のある顔をしていましたよ。

社務所と拝殿

神楽殿

拝殿

本殿

とても気が高まる空間でした。よい空気、風が流れていました。生命力が高まり、気が満ち、疲れが取れたのには驚き
でした。ずっと居たい神社でしたね。

子安神社

安産を願い、穴の開いた柄杓がたくさん^^

御穂神社(みほじんじゃ)
・静岡県静岡市清水区三保にある神社。式内社、駿河国三宮で、旧社格は県社。
・三保の松原の「羽衣の松」に関係する神社として知られる。
・神社境内と参道(神の道)は、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つ「三保の松原」の範囲に含まれる。

・祭神:大己貴命(大国主)別名「三穂津彦命」。三穂津姫命。『延喜式』神名帳では祭神は1座。『駿河雑志』では、
 「御穂津彦」・「御穂津姫」の2柱。

・創建は不詳。『駿河雑志』では、日本武尊が勅により官幣を奉じ社領を寄進したとも、出雲国の御穂埼(現・島根県松江市美保関町)
 から遷座した神であるとも伝えるが明らかではない。
・三保の松原には「羽衣の松」があり、羽衣の松から御穂神社社頭までは松並木が続くが、この並木道は羽衣の松を依代として降臨した
 神が御穂神社に至るための道とされ「神の道」と称される。現在でも筒粥神事では海岸において神迎えの儀式が行われるが、その際に
 神の依りついたひもろぎは松並木を通って境内にもたらされる。これらから、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える
 常世信仰にあると考えられている。
・国史では神名を「御廬神」として、貞観7年(865年)に従五位下から従五位上へ、のち元慶3年(879年)に正五位下へ神階が昇叙
 されたという記事が見える。
・『延喜式』神名帳では駿河国廬原郡(庵原郡)に「御穂神社」と記載され、式内社に列している。
・寛文年間(1661年-1673年)頃の偽書とされる『駿河国風土記』では、「日本武尊奉勅供官幣、始献圭田五百畝、為国之三宮」と
 記載されていることから、当社は駿河国において富士山本宮浅間大社(一宮)、豊積神社(二宮)に次ぐ三宮の地位にあったと推測
 されている。ただし、同記でそのように記す根拠は明らかとなっていない。by wikipedia

「神の道」です。神社の前から三保松原へ続いています。ちゃんと歩いて三保松原へ向かいましたよ。


豊積神社(静岡市清水区(旧由比町))

2017-06-21 18:06:47 | ・神社・お寺

2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。

あちこち神社にも寄ってきましたよ。

まずは、豊積神社へ。由比の辺りは、いつも東名自動車道で通過してしまってて、立ち寄るのは初めてですねー。
背後がすぐに山で、なかなか狭い地域ですね。

由比町
「東海道の親不知」と呼ばれる断崖に位置し、歴史地理学的には関東政権(江戸・鎌倉・小田原)と東海政権(駿府)
の境界となってきた。江戸時代には東海道由比宿の宿場町であった。現在では、サクラエビとシラスの漁業基地としても
有名である。by wikipedia

で、豊積神社へ。

豊積神社(とよづみじんじゃ)

静岡県静岡市清水区にある神社。式内社、駿河国二宮で、旧社格は郷社。祭神:木之花佐久夜毘売命 

・社伝では、延暦10年(791年)の創建。
・坂上田村麻呂は東征の途中で戦勝を祈願、そして帰途に戦勝祝いとして神楽を奉納したといい、
 お太鼓祭(県指定無形民俗文化財)の起源はその神楽にあるという。
・延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では駿河国廬原郡(庵原郡)に「豊積神社」と記載があり、当社をこれに
 比定する説が有力視される。
・寛文年間(1661年-1673年)頃の偽書とされる『駿河国風土記』では、「豊積神社或止由気神社日本武尊祭之地也、
 国中之二宮也」と記載されていることから、当社は駿河国において富士山本宮浅間大社(一宮)に次ぐ二宮の地位に
 あったと推測されている。ただし、同記でそのように記す根拠は明らかではない。
・江戸時代の朱印地は16石余。なお、天正17年(1589年)の文書に見えるように、近世には「浅間」とも称していた。
 享保21年(1736年)の口上書では、「豊積浅間社」と称したうえで、式内社「豊積神社」の後裔と主張している。
・明治維新後、明治6年(1873年)3月に近代社格制度において郷社に列した。  by wikipedia

拝殿

綺麗な緑色の注連縄が印象的です。ビニール製なんでしょうか?

本殿 

立派な大銀杏でした。

神社の北側は東海道、東側は蒲鉾工場とお寺、南側は公園とお寺。この狭い地域にお寺・公園も含めてかなりの広さです。
由来の看板によると、古代には物々交換の市場の場所だったようですね。何となく当時の人々が集まっている様子が浮かん
できました。

この大銀杏の上で、カラスがとんでもない声で鳴いていました。理由は分かっていますが書くのは避けます。その光景に
気が吸い取られたようで・・・神社は素晴らしかったのですが・・・残念でした。


日向山(山梨県北杜市)周辺10・写し鏡(八ヶ岳)

2017-06-13 16:00:29 | ・ショートトリップ

2017.5.27日向山(山梨県北杜市)周辺へ行ってきました。

山も鳥も植物も景色も存分に楽しめましたよ。

ラストです。横手駒ケ嶽神社へ寄った後、こんな風景に出会えました。

綺麗でした^^

その後、白州・尾白の森名水公園「べるが」の尾白の湯につかって帰りました。赤湯は気持ちよかったですよ。 


日向山(山梨県北杜市)周辺9・横手駒ケ嶽神社

2017-06-13 15:58:01 | ・神社・お寺

2017.5.27日向山(山梨県北杜市)周辺へ行ってきました。

山も鳥も植物も景色も存分に楽しめましたよ。いろいろ投稿していきます。

ということで、日向山を離れ、近くに神社に立ち寄りました。違う駒ヶ岳神社(甲斐駒ケ岳神社・竹宇地区)へ向かう
予定でしたが、こちらの横手駒ケ嶽神社へ来ちゃいました。でもある意味正解だったのかも^^ヨレヨレだったため、
ここだけ参拝しました。

山梨県側の甲斐駒ケ岳への登山口は、この横手からと竹宇地区にあり、それぞれの登山口に駒ケ嶽神社が鎮座して
います。
地元では竹宇駒ケ嶽神社、横手駒ケ嶽神社と区別して呼んでいるようです。竹宇地区の神社公式サイトでは
甲斐駒ケ嶽神社となっています。

拝殿

カラス天狗の絵に惹かれました。

本殿

本殿裏の傾斜地にはたくさんの石碑や祠が・・・

境内は傾斜地にあり、社殿後方には多くの祠や石碑が立っている。切妻造本殿の後方には駒嶽大権現(大己貴命)、
麻利支尊天(手力男命)。他にも観世音菩薩、刀利天狗(猿田彦大神)、刀利大権現(少彦名大神)、七丈嶽子安大明神、
駒嶽馬頭観世音、天津火之大神(三宝荒神)、妙見大菩薩、成田不動明王、秋葉大権現、神変大菩薩、役の行者など。
社殿の左手に剣が逆さに建てられ、御神木の後方境内左手には甲斐駒ケ岳登山道を開いた信濃国の延命行者を祀った
開山堂。
開山堂の周囲には多くの霊神の石碑が並んでいる。
http://www.genbu.net/data/kai/yokokaikoma_title.htm より。

神楽殿

御由緒
神の代に建御名方命この地に至りし時、雄大にして崇高な山の姿に うたれ、「この山はいと高く清々しき地なり、かれ
ここにあが御親 の神を祭るべし」と云うに始まる。

雄略天皇の御代二年六月に改めて 雲州宇迦山(出雲大社)より遷祀したと伝えられている。

祭神は国家鎮護、五穀守護の神大己貴命(大国主命)にして造化の 神天之御中主神、高皇産霊神、少彦名命、素盞鳴命、
保食之神等 の諸神を合祀している。

駒ケ嶽は甲信に誇る高山であり、懸崖数千 丈の絶壁にして、上古より神仙の集る霊山として知られ白鳳二年役の 行者小角が
当山にて仙術を修め、富士山とともに当山の開闢とも伝え れている。

往古新羅三郎義光はこの神に祈願して子を授かり、 その子孫が武運に勝れ繁栄するよう、山頂の巨石に延久主義光の 五字が
かすかに残っていたと社伝に伝えられている。

釜無川等四川が 駒ケ嶽に源を発し、その下流一帯には牧場があり馬の産地であった。 当山の源流には神馬の精が宿っていると
いわれ、この水により育った馬の中から多くの名馬がうまれたと云われる。

厩戸皇子の御愛馬は この渓流によって神馬と云われ、郡名も本山より巨摩郡と称すと 云う。

また広大な山中には珠玉、薬草を産し沢山の人がその恩恵 に浴している。牧場からの貢馬は神前にて安全を祈願し、山中から
採集された薬を共に朝廷に献上され、大同年間畏こくも天皇の病を癒し奉ったと伝えれられている。

文化十三年六月、信濃国の延命行者(小尾 権三郎)は入山禁止の駒ケ嶽に特に許されて入山し、幾多の苦難を克服し嶮岨な
この山に始めて登山の途を開かれた。

世に駒ケ嶽開山として 尊敬せられ神徳顕著により崇敬者の登山する者が多い。

以来駒ケ嶽教(神仏習合)として発展し広く県の内外に多くの講社が結成され 境内及び御嶽には神々の石碑が奉納され
文政六年元三大師を勧請 の砌り東叡山の宮様より慈恵大師尊形を御下賜になり、同年 神祇管領卜部朝臣長卿より巨摩嶽神社の
軸物を賜わった。

また神祇管領家より駒ケ嶽神社の額字を賜わり、刻して前宮の鳥居に掲げ ている。昭和五十五年、代太神楽が白州町無形文化財
に指定された。
-境内由緒書きより-

夕方に参ったので、境内は静まり返っていましたが、深い歴史と信仰の蓄積を感じました。


日向山(山梨県北杜市)周辺8・鳥と蛇

2017-06-08 08:33:34 | ・鳥・生物

017.5.27日向山(山梨県北杜市)周辺へ行ってきました。

山も鳥も植物も景色も存分に楽しめましたよ。いろいろ投稿していきます。

さて、植物やら山の風景を投稿してきましたが、鳥も見てきましたよ。珍しい蛇も^^ 

セグロセキレイ

日向山方面へ向かう途中、道の駅「はくしゅう」で見かけました。

キビタキ

いや~、ちっちゃい(笑)
あちこちで鳴いて、あちこちで見かけたのですが、なかなか上手く撮れませんでした。いい声でしたよ~♪

ヒガラ

日向山の雁が原にて。芋虫を咥えていますねー。お初かも^^ 

タカチホヘビ

日向山から下る途中で現れました。ちんたら歩いてるものだから・・・こその出逢いでしたね^^

日本に生息する蛇の種類は36種。そのうち本土(北海道・本州・四国・九州)には8種類 のヘビが生息しています。

このヘビは、けっこう珍しいらしいですよ。

タカチホヘビ(高千穂蛇)

タカチホヘビ科タカチホヘビ属に分類されるヘビの1種。
分布:日本(北海道、本州、四国、九州、大隅諸島)、中国南東部、ベトナム。
形態:全長30-60 cm。体色は褐色で、正中線上に黒い縦縞が入る。鱗には虹色の光沢がある。
生態:森林等に生息する。夜行性で、昼間は落ち葉や倒木の下等に潜り休む。雨天時には昼間でも地表に現れ活動する
こともある。食性は動物食で、甲虫類の幼虫やミミズ等を食べる。繁殖形態は卵生で、7月下旬から8月にかけて、
3-13個の卵を産む。

1888年に高千穂宣麿男爵が“発見”するまでは日本人研究者に認識されていなかったため、和名には彼の名が付けられている。
しかし Peters (1869年)の原記載に「“angeblich aus Japan” (おそらく日本産)」と記されており、高千穂が“発見”する
約20年前には既に外国人によって本種の標本作成と種の認識がなされていた。また夜行性で人目に触れることが少ないため
かつては幻のヘビと言われたこともがあるが、現在では人目につかないだけで特に珍しい種類ではなく、生息数はそれほど
少なくないと考えられている。by wikipedia


日向山(山梨県北杜市)周辺7・日向山山頂風景

2017-06-07 06:34:58 | ・ショートトリップ

2017.5.27日向山(山梨県北杜市)周辺へ行ってきました。

山も鳥も植物も景色も存分に楽しめましたよ。いろいろ投稿していきます。

ということで、やっと日向山山頂の風景を^^

この登山道から登り、つづれ折りをどんどん登っていき・・・

日向山山頂到着~!
でも、ここには三角点しかありません(笑

さらに行くと・・・

なんか、海辺手前の松林を抜けるような雰囲気で・・・・

ど~ん!一気に見晴らしの良い場所へ。しかも砂浜みたいで・・・・

山頂の西の雁ヶ原(がんがはら)

甲斐駒ケ岳も見えています。

すごい景観です。

覗き込むと吸い込まれそうです。

花崗岩のザレ場に足をとられながら・・・ちょっと怖い・・・

八ヶ岳が綺麗に見えていました。

登山者が登ってきます。錦滝からの登山コースは、このザレ場の斜面を登ってきます。
30度近くあるんじゃないかなあ。まるでスキー場ですよ。

右上に人の頭が見えます。ここから降りてきました。

鳳凰三山 尖っている山頂を超望遠で・・・

地蔵岳のオベリスクです!

ザレ場の突端に向かいます。

いや~どこそこ絵になります。

ザレ場の突端に「大明神」が・・。上部が欠けていて裏に「子安」の石碑が。「子安大明神」という事ですね。
この大明神碑の裏には「寶覺明徳霊神」碑も重なるように建っていました。

うっすらと富士山も見えていました。

数年後にはこの木々も倒れているかもしれませんね。。。

雁ヶ原の北側より望む八ヶ岳

いや~すごいところでした。非日常的な風景でしたねー。

花崗岩の風化

花崗岩は結晶粒子が大きくかつ鉱物結晶の熱膨張率が異なるため、温度差の大きい所では粒子間の結合が弱まり、表面が
ぼろぼろになりやすい(風化しやすい)。
花崗岩中の主成分である石英は非常に風化しにくいため、風化が進むと構成鉱物の粗い粒子を残したままばらばらの状態になり、
非常にもろく崩れやすくなる。
このようにして生じた白から黄土色の粗い砂を真砂土、あるいは単に真砂という。
花崗岩地帯には真砂が広く分布し、強い降雨により多量の砂が流れ出すため、花崗岩地帯の多くが砂防地域として指定されている。
また、真砂は学校の校庭の敷き砂などとして利用される。
この土が河川によって海まで運ばれると、風化に強い石英主体の砂となり白い砂浜となる。瀬戸内海の白砂青松や山陰地方の
砂丘は、中国山地の大量の花崗岩が元になっている。by wikipedia

ほんとに海の砂浜と同じなんだ(@_@)


日向山(山梨県北杜市)周辺6・登山道の植物

2017-06-06 07:02:01 | ・植物

2017.5.27日向山(山梨県北杜市)周辺へ行ってきました。

山も鳥も植物も景色も存分に楽しめましたよ。いろいろ投稿していきます。

尾白川林道から登山口まで戻り、日向山へ。やっと山登りですわ(笑

錦滝から日向山山頂へ向かうコースをたどろうと思ったのですが、けっこう荒れているようで、いったん登山口まで
戻って別ルートで登ったのでした。この日は、錦滝~日向山山頂コースを辿った方も結構居たようですけどね。

炭焼き窯跡

登山口1130mから割と勾配のある山道をつづれ折りで1667mへ。

オオヤマフスマ

可憐です。

で、更に登っていくと・・・・
やった~!ついにギンリョウソウに出逢えました。見れそうでなかなか見れなかったんですよ。

一か所にたくさん咲いていました。っていっても未だツボミっぽかったですが。。。まーいいんです(笑

なんか可愛いな。でも別名:幽霊タケ(笑

ギンリョウソウ(銀竜草 )

・シャクジョウソウ科の多年草。腐生植物としてはもっとも有名なものの一つ。
・別名ユウレイタケ。
・森林の林床に生え、ベニタケ属菌類に寄生し、究極的にはベニタケ属菌類と
 共生する樹木が光合成により作り出している有機物を、菌経由で得て生活している。

・日本全土に分布し、山地のやや湿り気のある場所に生育する。by wikipedia

さ~て、こいつは何ものなのか?いろいろ調べましたが良く解りません。
アミガサタケの幼菌かとも思ったのですが、なんか違うような・・・・。
海の中では、何となく似たような物体に出逢ったことがあるような・・。何かのキノコ類の赤ちゃんじゃないのかなあ。

ベニバナツクバネウツギ

マイヅルソウ
スズラン亜科マイヅルソウ属に属する多年草。葉の模様が舞う鶴に見えることから、舞鶴草という名がついたそうですよ。

オオカメノキ

もう花は散っちゃってました。

サルオガセ

ツルキンバイ
山頂に近づくにつれ、スミレと一緒にどんどん増えていきました。 

イワセントウソウ
ちっちゃ~い花なんですが、そんな花にもちゃ~んとちっちゃな昆虫が(笑

ウスバサイシン(薄葉細辛)

ウマノスズクサ科の仲間は、冬に葉があるということから名前が付いているが、このウスバサイシンは冬には枯れてしまう。
薄暗い山地の林の中に育ち、褐色で葉の根元に隠れて花が咲くので、とにかく目立たない。
同種のアオイ類などと比べ、葉が薄いこと、味が辛いことが和名の由来となっている。アリが種子を運ぶ。

この子は、日向山の頂上の花崗岩の割れ目に咲いていました。こんな場所でも咲くんですねえ。

ミヤマハタザオ(アブラナ科 ハタザオ属)
名前は、茎が旗を掲げる竿のようであることから。>>深山旗竿

マルバコンロンソウ

今シーズンはミツバ、ヒロハそしてマルバと三種見れましたねー^^


日向山(山梨県北杜市)周辺5・ユキワリソウ

2017-06-05 06:37:06 | ・植物

2017.5.27日向山(山梨県北杜市)周辺へ行ってきました。

山も鳥も植物も景色も存分に楽しめましたよ。いろいろ投稿していきます。

では、尾白川林道の植物たちを。林道をトコトコと「錦滝」方面へ。

今回、もっともお目当ての花、ユキワリソウ。ちゃんと滝の脇っちょに咲いていましたよ。
陽射しを浴びて綺麗でした。もっと近くで見たくて、ちょっと登りました。

錦滝

写真の右側の真ん中辺りの影の中に咲いています。 

望遠にて

超望遠にて。こんな時、超望遠は便利ですね。

近くに咲いていないかと探したら・・・・

咲いてましたが、崩れそうな場所で近くまでは近寄れませんでした。

いや~綺麗な色合いです!

滝の右側・・・ホント、崩れそうなんですよねー。

滝とユキワリソウを撮ろうと頑張りましたが、なかなかうまくいかず。。。

まあ、こんな感じでホントに滝の脇に咲いていて、なぜか他の場所にはほとんど咲いていませんでした。
ホントに湿った岩場が好きなんですねえ。
ユキワリソウって良く聞くのですが、イチリンソウやアズマイチゲもユキワリソウと呼ぶ地方があります。
やっと、ホントのユキワリソウに出逢えたのでした。

ユキワリソウ(雪割草)

・サクラソウ科サクラソウ属の多年草。
・高山植物で日本全土の亜高山帯から高山帯に自生する。新潟県では「県の草花」に指定されている。
・山地の湿った岩場に生育する。高さは10cmほどになる。葉はだ円形で根生し、幅1-1.5cm、長さ3-10cm、
 表面は緑色でしわが多く、ふちには波状のゆるい鋸歯があり、やや裏側に曲がる。また、葉の裏面は
 淡黄の粉がある。花茎は高さ7-15cmになり、その先に3-20個の淡い紅紫色の花をつける。花の径は
 10-14mm。苞は線形になり、基部は袋状に膨らまない。花期は5-6月。
・イチリンソウ、ニリンソウ、アズマイチゲ、ショウジョウバカマ、ハシリドコロなども雪割草、とよぶ地方もある。
 by wikipedia


日向山(山梨県北杜市)周辺4・タガソデソウ

2017-06-04 06:58:40 | ・植物

2017.5.27日向山(山梨県北杜市)周辺へ行ってきました。

山も鳥も植物も景色も存分に楽しめましたよ。いろいろ投稿していきます。

では、尾白川林道の植物たちを。林道をトコトコと「錦滝」方面へ。
すぐに「タガソデソウ」が見つかりました。
とても清楚な感じの可愛い花でしたよ。

タガソデソウ(誰袖草)

・ナデシコ科の多年草。茎は直立し、高さ約40センチ。葉は広披針(こうひしん)形で長さ約7センチ。
・初夏、茎頂に径約2センチの白色花を数個開く。花弁は全縁。果実は長く突き出し、先端は反り返る。
・中部地方の落葉樹林下に生え、中国東北部、シベリアに分布する。
・名は、花が白く香気があることから、『古今集』の「色より香こそあはれと思ほゆれ、誰袖ふれし宿の梅ぞも」
 になぞらえたものという。【日本大百科全書】
・長野県と山梨県、岐阜県にだけ生えている希少種で、環境省の絶滅危惧II類(VU)、長野県の準絶滅危惧(NT)。
 http://www.okadanouen.com/zukan/tagasodesou.html より