~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

富士河口湖周辺6(冨士御室浅間神社)

2016-01-29 13:18:34 | ・神社・お寺

2016.1.16 またまた富士山方面へ行ってきました。

河口浅間神社、道祖神祭、御師の家へ寄った後、河口湖方面へちょこっと向かったところの「ほうとう不動」で昼食。

帰ってきてからyahooに「ほうとう」検索かけたら、「甲州ほうとう小作」(以前行きました)に次いで二番目に出てくるお店でした。

河口湖周辺に4店舗くらいあるみたいですね。美味しかったです^^ でも量が多くて食べきれませんでした。

 

続いて、富士山中最古の神社と云われる、「冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)」へ行きました。

冨士御室浅間神社・里宮(本宮もこの境内にあります)

河口湖南湖畔の中ほどに佇んでいました。桜の季節は綺麗みたいですよ。

参道を進むと随身門

随身門をくぐると拝殿

拝殿

もっとたくさんの人が訪れているのではないかと思いましたが、数人の参拝者のみで、とても静かでした。

お昼過ぎでしたのでポカポカ暖かく長閑な空間で、ゆったりと参拝できました。

拝殿は、富士山方向を向いています(背中に河口湖)

続いて、同じ境内脇にある本宮へ。

里宮の拝殿とは趣を異にする朱塗りの本宮拝殿です。

こちらが冨士御室浅間神社本宮の本殿。

囲われていたのでカメラでは撮れず、iphoneで撮影しました。

 

冨士御室浅間神社

文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって創建されたと伝えられる。社名の「御室」は、かつて祭祀を石柱をめぐらせた中で

執り行っていたことによるものである。

天徳2年(958年)には、村上天皇により、氏子の祭祀の利便のため河口湖の南岸に里宮が創建された。

中世には修験道、近世には富士講と結びついて発展した。

戦国時代には甲斐武田氏の崇敬を受けた。

現在の社殿(里宮)は、明治22年に再建されたものである。

現在の本殿は、慶長17年(1612年)に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられたものである。その後4回の大改修を経て、

昭和48年(1973年)に富士山二合目から里宮に移築された。

構造は、一間社入母屋造り、向拝唐破風造りで、屋根は檜皮葺形銅板葺きであり、桃山時代の特徴をもっている。

国の重要文化財に指定されている。 

富士登山道の二合目、標高1700mの地点にある「奥宮」があります。

境内は本宮と里宮からなる。本宮である山宮は富士山吉田口登山道の二合目に鎮座する。この山宮の境内は富士吉田市の中にある

富士河口湖町勝山の飛び地である。富士山山中に最初に勧請された神社とされている。里宮は河口湖畔の勝山に鎮座する。

by wikipedia

 

12世紀末期から16世紀後半にかけて複数回にわたり修築が行われ、

16世紀後半には、この地域の封建領主であった武田信玄(1521~1573)により大修理が行われたとされています。

現在、里宮に存在する冨士御室浅間神社の本殿は、1612年に本宮の境内において再建されたものであります。

再建後の1698年、1867年にも修復が行われましたが、二合目の本宮の地は冬季の参拝及び維持に困難を極めたことから、

厳しい自然環境から恒久的に本殿を保護するため、

1973~74年に河口湖畔の集落にほど近い現在の里宮の地に移築されました。

http://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4350.html より

神社の西側、駐車場の奥のシッコゴ公園から河口湖を望む。

河口湖というと華やかな印象があって、こんな原生的なイメージはありませんでした。

春の流鏑馬神事(やぶさめしんじ)の舞台となる公園です。「シッコゴ」というのはアイヌ語で「湿原」を意味します。

穏やかで温かく気持ちよかったです。この二日後、富士河口湖町40cm、都心でも6cmの積雪で富士山は真っ白になりました。


富士河口湖周辺5(道祖神祭御神木・御師の家・富士山牛玉(ごおう)

2016-01-24 01:40:33 | ・神社・お寺

2016.1.16 またまた富士山方面へ行ってきました。

河口浅間神社の脇では地元の「道祖神祭」。

地元の方々に少し話を伺いました。

道祖神祭・・・今まで地元周辺の三か所で行われていたようですが今年から?ここに集約されたようです(違うかもしれません)。

御神木の飾りの中央の赤い丸は陽が昇る方角に、白い丸は陽が沈む方角向けて立てられるようです。

富士河口湖町河口の河口浅間(あさま)神社に隣接する広場で14日、小正月行事の道祖神まつりの一環で、「御神木建て」があった。

神社の裏山から5日に切り出し、枝を払った長さ約30メートルのスギの先端部分に、地区の人々が書き初めや「花」と呼ばれる色紙、

「火打ち」と呼ばれる三角形の布袋などを結びつけた。その後、約100人が協力して広場に立てた。

「御神木保存会」によると、旅人や住民の無病息災を祈る伝統行事で、江戸時代から続くという。ご神木は20日に倒され、「花」や

「火打ち」は地区の約450世帯に幸運を招く縁起物として配られる。

http://www.asahi.com/articles/ASJ1G452KJ1GUZOB008.html

 

富士河口湖町の道祖神祭ご神木

富士河口湖町の道祖神祭は、42歳厄年の人たちが祭礼の世話人となる。祭礼の奉納者はその年に厄年を迎える地域住民。

33歳、42歳、還暦厄年、また喜寿77歳の祝い奉納者も見える。その中で、42歳の本厄の人たちが、祭礼で一番重要なご神木、

五色吹流し、晒し、手ぬぐい、清酒、缶ビール、酎ハイ、缶コーヒー、お茶などを奉納する。奉納の飲み物は道祖神祭のどんど焼きで

ふるまわれる。

道祖神祭は、外部からの疫病の侵入を防ぐ、交通安全の神様(=道祖神)に祈るために行われる。「梵天(万物創世の神)にご神木を

見せつけ、そのご利益をヒイチに入れてもらう」と言われている。
 
御神木は、直径40cmぐらいのスギかヒノキ。厄年の人が山を持っていればその中から切り出してくる。小正月行事は本厄の人が

運営する。前厄になったら手伝いに来て、内容を受け継ぐ。本厄の人がご神木を掛け声をかけながら1人3回引っ張って吊り上げる。

色とりどりのヒイチ、御幣、は、祭礼が終わった後、地域の家庭に配られ、玄関の魔除けとして一年間飾られる。

http://www.mmdb.net/usr/digiken/dosojin1/page/A0018.html 

河口浅間神社鳥居の対面にある「御師の家・河口十二坊 梅谷(本庄)家」

御師(おし)とは富士山の神霊と崇拝者の間にたち、崇拝者に代わって祈りをあげ、お札を配り、登拝(信仰登山)の際には自宅を

宿泊所として提供し、富士信仰を広める役割を果たした人々のことです。

梅谷(本庄)の門は、寛政12年(1800)建立。梅谷(本庄)の本宅は安永5年(1776)に建てられたもの。

河口では唯一残っている貴重な建物だそうです。

残念ながら中は見ることができませんでした。

 

「富士山牛玉」

御師の家の縁側にご自由に・・・とあったので頂いてきました。デザインは一番右のものです。 


富士河口湖周辺4(河口浅間神社)

2016-01-23 08:11:56 | ・神社・お寺

2016.1.16 またまた富士山方面へ行ってきました。

「新倉富士浅間神社」へ寄った後、「河口浅間神社」へ行きました。

「河口浅間神社」は通称で、正式名は「浅間神社」。

富士山の北麓で御坂山地を背負い、河口湖越しに富士山と対峙して鎮座しています。

祭神: 浅間大神 (あさまおおかみ)=木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を指すとする。

創建 貞観6年(864年)に始まった富士山の噴火鎮祭のため、貞観7年(865年)に浅間神を奉斎したのが始まり。by wikipedia

見事な杉の古木が立ち並ぶ参道 いや~立派です。 

参道中央の祠・・・波多志神

河口浅間神社の創始者伴直真貞(とものあたいまさだ)の霊を祀る。

随神門

拝殿

拝殿内左側

本殿

美麗石ひひらいし(ひいら石)

拝殿前に置かれた石祠は、「美麗石」(ひいら石)と呼ばれ、これは『日本三代実録』にいう浅間明神を初めて祀った

古代祭祀の石閣と伝えられている。石をもって造営された祭祀は彩り美麗だったといわれている。

 

本殿脇~奥は、凄い空間でした。

樹齢1000年を越える杉の大樹が密生し、その中に神木とされる七本杉があり、山梨県の天然記念物にも指定されています。

カワラヒワがたくさん居ましたよ。

神木の七本杉(山梨県天然記念物)

境内には樹齢1000年を越える杉の大樹が密生し、その中に神木とされる七本杉があり、山梨県の天然記念物にも指定されています。

境内右手に神綿(しんめい)、齢鶴(れいかく)、産射(うぶや)の三本があり、拝殿の斜め前に御爾(みしるし)の一本、

境内の奥に父母(かずいろ)とよばれる二本、そして社殿の奥に天壌(てんじょう)の一本で計七本。

 

凄い神社でした。樹齢1000(1200年?)を越える杉の巨木が密生し、地球のエネルギーを吸い上げ、どうだ!言わんばかりに

威風堂々・・・どっかり佇んでいました。素晴らしい!また立ち寄りたい神社の一つに加わりました。


富士河口湖周辺3(新倉富士浅間神社)

2016-01-22 15:05:28 | ・神社・お寺

2016.1.16 またまた富士山方面へ行ってきました。

忍野八海に寄った後、「新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ)」に行きました。富士山周辺には沢山の浅間神社があります。

駐車場に停めて参道を上ります。

振り返ると正面に富士山が拝めます。

新倉富士浅間神社

御祭神 木花咲耶姫命 大山祇命 瓊瓊杵尊

当社の創建は慶雲3年(西暦705年)で、甲斐国八代郡荒倉郷の氏神としてお祀りしたものである。

大同2年(西暦807年)には富士山の大噴火があり、平城天皇の命により当社に勅使が参向せられ、国土安泰富士山鎮火祭を

執り行った。この時、平城天皇より三国第一山の称号と天皇の御親筆である勅額・破魔宝面・金幣が奉納された。

戦国時代には武田信玄の父・信虎が北条氏との戦にあたり、境内地である新倉山に陣をとり、当社で戦勝を祈願し勝利したことにより、

刀を奉納された。

現在では災除け・家庭円満・安産・子育ての神として地域の人々をはじめ県外に渡って広く信仰を集めており、また、春になると

300本の桜が花を咲かせ、富士の眺望とともに人々の目を楽しませている。http://www.arakurasengen.com/index.html より

なかなか良い感じのハイキングコースです。今回は、他の神社にも行くので忠霊塔まで。

富士パノラマ台より いい眺めです^^

この忠霊塔(五重塔)と富士山がいいアングルです。

海外からの方も見かけましたよ。桜の頃はとても綺麗みたいですよ。

海外からの評価も含めて、富士山の絶景ポイントのひとつのようです。

地元の野球少年が階段上りで、しごかれていました^^


富士河口湖周辺2(忍野八海付近の霧氷)

2016-01-21 09:09:10 | ・旅・山

2016.1.16 またまた富士山方面へ行ってきました。

忍野八海付近の霧氷です。ちょうど9時ごろです。

ここに着く前に山中湖を通過しましたが、朝霧で湖は全く見えませんでした。

いや~、綺麗でした。思わずクルマを停めて撮りましたよ。おそらく30分~1時間で溶けちゃうんでしょうね。いいタイミングでした^^

モノクロにしてみました。

綺麗に枝が白くなっていました。

霧氷(むひょう)

気温が氷点下のときに空気中の水蒸気や、氷点下以下でも凝固していない過冷却の霧が樹木などに付着してできる氷のことである。

白色や半透明で、結晶構造が顕著な着氷現象の一つである。霧氷は生じ方によって樹氷(じゅひょう)、粗氷(そひょう)、樹霜(じゅそう)

の三種類に分類される。


富士河口湖周辺1(足柄SA~忍野八海)

2016-01-20 11:58:14 | ・旅・山

2016.1.16 またまた富士山方面へ行ってきました。

NERV中日本 EVANGELION足柄 新東名補完計画 ~ROAD TO AICHI~

足柄SAより

1/18に雪になりましたが、この時点では未だ雪が少なかったですね。

左の雪のラインを拡大望遠。火口に沿っていたのでした。

御殿場ICから須走経由で山中湖へ。山中湖湖畔の138号線に入ると、ものすごい朝霧で真っ白!

その後、忍野八海へ向かいましたが、忍野入り口へ曲がると「霧氷」が!綺麗でしたよ~。次回投稿します。

とりあえず、忍野八海^^

9時過ぎに着きましたが、中国人他の海外旅行客がたくさん。さすがメジャー観光処ですね。

中学校の遠足?、2008年1月以来3回目かな。

とうもろこし、干してました。

山梨の伝統野菜・甲州もろこしは実に100年も前から栽培されているとうもろこしで、戦時中はこの甲州もろこしを粉にし、

団子などにして食べるのが一般的でした。冬になると軒下に数多くの甲州もろこしを吊るしている光景が、当たり前のように

見られたようです。おやきとかにもするのかな?

御釜池 水深7mもあります。 綺麗です^^

忍野八海

山梨県忍野村にある湧泉群。

富士山の雪解け水が地下の溶岩の間で、約20年の歳月をかけてろ過され、湧水となって8か所の泉をつくる。

忍野八海からの湧水は山中湖を水源とする相模川水系の桂川と合流する。

国指定の天然記念物、名水百選に指定。県の新富嶽百景にも選定されている。

「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。by wikipedia


2016.1.18雪の東京

2016-01-19 08:14:49 | ・神社・お寺

2016.1.18 07:50 東京・中野

JR高円寺駅や京王線の千歳烏山駅などで、列車の本数を減らしたため入場規制が行われ、多くの人が駅に入れませんでした。

対策が難しい中で行われた間引き運転、そして、それに伴うホームへの入場規制。国土交通省は、「事故を未然に防ぐために速度を

落とす必要などから間引き運転をせざるを得ないこともある。間引き運転をしないと駅と駅の間に列車が停止し、急病人の対処が難しく

なってしまうこともある」としている。


下町ぶらり(大横川)

2016-01-18 10:54:11 | ・神社・お寺

2016.1.11成人の日にフラリと「亀戸天神社」へ行った後、もう一箇所神社に行くかーという事で、錦糸町経由で門前中町の

富岡八幡宮まで、ウォーキング&ヴィッパサナー瞑想を兼ねてブラブラ歩きました。

江東観世音

昭和15年に坂東16番札所水澤観世音(伊香保町)の別院として創建され、錦糸町 の観音様として親しまれている寺院。

錦糸町から大横川(運河)を南下します。

江東区パトロール・カヌー? 気持ち良さそうですね。

江東区と江戸川区にまたがる旧中川では、カヌーカヤックを楽しめるようです。これは楽しいかも^^

大横川

江戸時代に埋め立てられた場所にできた運河です。

大横川から木場公園へ

木場公園

総面積は24.2ha。元々は、地名の由来通り、近辺は材木業関連の倉庫や貯木場などが多かった。しかし新しい埋立地が完成して、

今までの貯木場としての機能が新木場へ移転したため、江東区の防災都市計画(住宅などが密集していることによる火災や地震被害を

食い止めるため)の一環として、当地に公園を作ることになった。1992年開園 by wikipedia

富岡八幡宮

ちょうど、お昼12時に門前中町の富岡八幡宮へ到着。13000歩、10km位でした。

参拝客が大鳥居まで並んでいて、すごく時間がかかりそうだったので、諦めて、奥にある冨士浅間神社だけお参りして来ました。

それにしても、すごい参拝客でビックリ^^;


亀戸天神社

2016-01-17 09:17:28 | ・神社・お寺

2016.1.11成人の日にフラリと「亀戸天神社」へ行きました。

道路反対側から。

09:35 左のお店は「元祖くず餅 船橋屋」さん。文化2年(西暦1805年)に開店した亀戸天神本店。美味しかったですよ^^

太鼓橋(男橋)

鳥居をくぐると、心字池( 「心」の草書体をかたどってつくられた日本庭園 の池)があり、なかなか高低さのある太鼓橋(男橋)

を渡ります。九州大宰府天満宮の境内にならって造られています。

「さだまさし」さんの「飛び梅」が聴こえてきそうです♪

心字池にかかる 三つの赤い橋は

一つ目が過去で

二つ目が現在

三つ目の橋で君が 転びそうになった時初めて君の手に触れた 僕の指♪

東京スカイツリーと太鼓橋(男橋)

太鼓橋(男橋)の天辺より見る平橋。男橋は過去、平橋は現在、その先の女橋は未来を顕しています。 

藤の花が咲くころは素晴らしいでしょうね~!

太鼓橋(男橋)の天辺より望遠にて。

女橋には成人式の女性が写真撮影。未来に向けて!ですね^^

太鼓橋(女橋)と琴柱灯籠

琴の弦を支える琴柱に似ていることに由来する名前の灯籠です。

亀戸天神社(通称:亀戸天神、亀戸天満宮、東宰府天満宮)

東京都江東区亀戸にある神社(天満宮)。菅原道真を祀り、学問の神様として親しまれている。

正保年間(1644年 - 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広める

ため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして1661年(寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の

小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。by wikipedia

本殿付近

太助灯籠

「猿まわし」もやっていましたよ。

アタマ、なでなで^^

天神様(菅原道真公)は承和12年(845)6月25日に御誕生になりましたが子の都市が乙丑の年に当り、延喜3年(903)

2月25日大宰府の配所で亡くなられたとき、道真公自らの御遺言により御遺体を牛車に乗せて牛に引かせ、牛が止まった所を

御墓所と定めてそのところに神廟(現在の大宰府天満宮)が建立されたのも乙牛年のことでした。

讃岐守(香川県)として御在任中農工に勤しむ牛の姿に深い慈愛の心を示され、又、大宰府へ西下の途中牛の鳴き声に刺客から

逃れられたり、どこからともなく飛び来たった白牛に危難から救われられるなど天神様と牛とのかかわりは史実や演技に或は

伝承を通して伝えられています。その底流には御生誕の年はもとより神廟にお祀りされた年も丑年に当るという御神縁があり、

以来牛は天神様の神使(みつかわしめ)、天神様を守護するものとして篤く信仰されています。

http://tokyokoto.blog.shinobi.jp/ より

本堂手前にある「鷽の碑」と「五歳菅公像」

鳥の「うそ(鷽)」は、縁起の良い鳥で、天満宮や天神社では「うそ替え」の神事が行われます。

「悪いことを、うそ(嘘)にするために」 「嘘を真にするために」

ええ~っと思うわけですが、この神事により、アタマの切り替えができるのではないかと思うわけです。

過去は変えられけれど、過去に縛られて生きるのも自分自身の思考の指向性の問題で、少しでも

ネガティブな事象から切り離す、アタマを切り変える、新たな道に踏み出す・・そんな儀式にも思えます。

 紅梅殿

道真公が太宰府へ渡ったとき、慕って飛んできたと言われるのが飛梅で、紅梅殿はこの「飛梅」の実生を祀っています。

蝋梅

こんな蝋梅見たの初めてだなあ。未だ葉っぱが残っていて花は満開!


横浜~

2016-01-15 09:27:44 | ・ショートトリップ

ちょっとアジアン家具を買いに「横浜ワールドポーターズ」へ。 9階駐車場より

横浜赤レンガ倉庫、氷川丸、山下公園、マリンタワー・・一望できます。

すごい人だなあと思ったら、「横浜消防出初式2016」をやっていました。 

2016年1月10日(日)午前10時30分から午後3時30分まで  8万人来場するみたいですよ。子どもは楽しいだろうなあ。。。

2016.1.10 お昼頃