2018.4.28 神奈川の神社を巡りました。依知神社参拝後、修験系の八菅山へある八菅神社へ。修験系の神社、好きなんですよね^^
立地は厚木市内の北、丹沢山系の東はずれになります。山下には宮ケ瀬湖から流れ出て相模川へ注ぐ中津川が流れています。
かなりの急こう配です。更に上の拝殿まで階段で約300段の石段と云われていますが、そんなに石段は無かったような。。。。
拝殿(覆殿)
お掃除されている方とお話ししました。パワースポット、心霊スポットですよ~との事^^ 後述するwikiとほぼ同じ内容のお話を
お聞きしました。けっこう遠くからもお参りに見えられるとか(そういえば、初めにどちらから来られましたか?と声を掛けられ
ました)。この拝殿の脇にゲタ箱があって、スリッパに履き替え拝殿内部を近くから見ることができました。
覆殿内部のずらりと並んだ本殿。すごいです!この拝殿(覆殿)はおそらく神仏分離前はお寺の客殿とかではなかったのかなあ。
なお、この写真はiphoneで撮らせて頂きました。下記の七社の本殿と思われます。
・国常立命 ( くにとこたちのみこと )
・伊弉諾尊 ( いざなぎのみこと )
・伊弉冉尊 ( いざなみのみこと )
・誉田別命 ( ほんだわけのみこと )
・金山毘古命 ( かなやまびこのみこと )
・大己貴命 ( おおなむちのみこと )
・天忍穂耳命 ( おめのおしほみみのみこと )
由緒 中世に遡る関東でも有数の修験道の霊場であったが、慶應4年/明治元年(1868年)の神仏判然令で、神仏分離が行われ、
さらには廃仏毀釈によって、神仏習合の修験は解体され、明治以降は郷社八菅神社となった。
この地を拠点とした八菅修験は、正応4年(1291年)に熊野長床衆が峯入り修行をした巨大な碑伝(ひで)(峰入り修業を
行った修験者がその証しとして立てるもの。八菅神社の宝物館に収められているこの碑伝は、八菅に峰入りした長喜、
竹重寺別当、顕秀等3人の名が記されています。長さ368センチメートル、幅43センチメートル、厚さ11センチメートル。
滋賀県大津市明王院所蔵の元久元年(1204)、高さ391センチメートルの碑伝に並ぶ国内最古最大級の碑伝です。)が残り、
天文21年(1552年)には、京都の聖護院門跡の道増がこの地に入峯した記録が残る。
貞享4年(1687年)には聖護院末の本山派修験となった。中世には八菅山の神は「八菅山大権現」として祀られた。
近世に至り、八菅山七社権現となり、熊野権現を中心に、蔵王、箱根、男山八幡、山王、白山、伊豆走湯の七社権現を祀り、
別当寺の光勝寺のもとに、本坊24坊、脇坊22坊が奉仕する修験者の一山組織をなし、修験集落として栄えた。
峯入り修行は、八菅山と大山の間の峰々をたどる修行で、春の峰は2月20日から4月8日まで、秋の峰は7月20日から9月8日
まで、いずれも49日間であったが、弘治3年(1557年)に35日となり、秋の峰は永禄3年(1560年)に中絶した。しかし、
春の峰は明治5年(1872年)まで継続した。
明治5年の修験宗廃止令によって、修験集落八菅山は消滅した。山内に多数居住していた修験者は還俗し、山麓で帰農した。
この際、宝喜院など有力な15の院坊は足立原姓を名乗った。「鬼の子孫」としての誇りを伝えたのである。
春の例大祭では修験道時代の名残で「火渡り」が行われている。 八菅山の縁起は天明6年(1786年)、文化6年(1809年)、
天保11年(1840年)の三本がある。これらはいずれも、大宝3年(703年)の役小角の開基を説く。天保本によれば、
日本武尊が東征の砌に、この山を「蛇形山」と名付けた。その後、役小角が峯入り修行に入り、不動・薬師・地蔵の三体の像を
刻んだ時に、池の中から白菅八茎が生ずる奇瑞が起こったので「八菅山」と名付けた。和銅2年(709年)に行基が勅願所として
七社権現の寺を建立したという。縁起や伝承には様々な異説が伝えられている。by wikipedia
七社権現の中に「伊豆走湯」があるのがビックリですね。2016.10 熱海 <こちらで以前に行っています。
八菅山頂上付近(170m) 展望台より 東京、横浜方面が良く見えていました。展望台までアスレチックがあったり
子ども連れでも楽しめるかも。遠足とかで登られているような。。。
ミヤマナルコユリ
ササバギンラン
龍神様の目を司る右眼池(左眼池もあります)
八菅山は古名を蛇形山といった、むかし日本武尊が坂本(現在の中津坂本地区)でこの山をながめられ、山容が竜に似ている
ところから名付けられました。そしてこの山中には蛇体の各部分にあたる池の名前(左眼池、右眼池、鼻池、口池、舌畑など)
と言われる場所が今も残っています。
八菅神社は、丹沢山塊の東のヘリに位置し、東に中津川、南にも中津川に注ぐ川が流れています。風水的にも良さそうに
思えます(良く分かりませんが)。樹勢も強いですし、とても生命力を感じる山中の神社でした。