~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

山梨県 キャンプと温泉と桃源郷と(107.とらべるショット)

2022-04-22 07:50:58 | ・旅・山

2022.4.16~18 山梨県へ出かけました。

16日 土曜日 7時過ぎに家を出ましたが20KM近く事故渋滞との事で稲城ICで降りて、ちんたら下道を西へ。 

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大月市・桂川の新緑 キレイでした~^^

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山梨県甲州市 道の駅・甲斐大和

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道の駅の手打ちそば処『そばの実』ちょうど11時から開店って事で早めにお昼を^^

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昨年もそうでしたが、コロナ禍で山梨県は何処もお店の入店管理がしっかりされています。

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天目そば

ここは「そば切りの発祥の地」との事ですが、二説あるようですよ。

『山梨のそば』(山梨日日新聞社出版局 1996)には、「そば切りの発祥の地には…長野県・信州本山宿(木曽の楢川村)と山梨県・甲州天目山(大和村棲雲寺)の二説がある」とある。「そば切り」は、現在のような細く切ってゆでる「そば」のことで、江戸時代の初めごろに生まれた。それ以前は、焼き餅のようにしたり、雑炊やすいとんのような形で食べられていた。
元禄年間から享保に至る30年余りの間に尾張藩士の天野信景が書いた随想録『塩尻』に、「蕎麦切は甲州よりはじまる、初め天目山へ参詣多かりし時、所民参詣の諸人に食を売に米麦の少かりし故、そばをねりてはたことせし、其後うとむを学びて今のそば切とはなりしと信濃人のかたりし。」と記されており、大和村(現甲州市)の天目山棲雲寺(栖雲寺)が発祥の地とされています。

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勝沼町に入ると南アルプスが拝めました^^

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三光寺(勝沼町)の大スギ

存在感のある大杉で通り過ぎてから後ろ髪を引かれ、戻って撮影。このスギは三光寺(勝沼町)が宮宕山から、この地に移された康永元年(1342年)頃この場所に植えられたものと推定されています。そうすると樹齢700年近いわけですね。ですが、2018年の台風24号で大枝がねじれるように倒れて幹の3分の1を剥ぎ取ってしまってそうです。十分に風格はあるのですが、ちょっと痛々しい姿でした。

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山梨市牧丘町 タンポポの黄色と桃の花のピンクが良い感じ^^

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いつもの牧丘町のキャンプ場のお手伝い^^

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キャンプ場の斜面に階段を作りましたよ。
いや~楽しかったです。いつもなら「乾杯するよ~」「ピザ焼けたよ~」の声に即反応するのですが、あまりに階段作りに没頭しちゃって・・・。飲んだら、まず動けなくなるからということで、ほぼ形になるまで、みんな、夢中で取り組みました(笑)。童心になっちゃいましたね~。子どもの頃って、こうやって夢中で遊んでいたんだろうなあ。

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タケノコの丸焼き 豪快です。美味しかったです^^

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肉眼より星がよく見えて写っています。スマホ HUAWEI P30 Proにて。まだまだ使えますね^^ 久々にカラオケ(マイク無し(笑))やったり楽しい夜でした。

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タラの芽 これは・・・1番芽なのかなあ。大きいなあ。

タラノメは、はじめに1番芽が出てきます。その後、その両脇から2番芽と3番芽が出てくるのですが、摘んで良いのは1番芽だけです。全ての芽を摘んでしまうと、その木は枯れてしまいます。https://www.yamareco.com/modules/diary/269024-detail-162750様より。

4.17(日) キャンプ場を離れ、塩山市へ。

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塩ノ山

「塩山」は市域南西部に位置する「塩の山(しおのやま)」に由来し、古代から「さしでの磯」(山梨市)とともに歌枕として知られています。この塩の山、上の写真のようにポンと盛り上がっています。

塩山温泉 源泉の地の脇からこの塩の山を少し歩きました。塩の山については下記のようなピラミッド、UFOなどの7不思議があるようですよ。

 

『志ほの山 さしでの磯に すむ千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく』

「古今和歌集」の「詠み人知らず」の句です。「塩の山に近い差出の磯に棲息するちどりが、天皇の治めるこの時代が八千年も長く長く続くように鳴いている」の一首です。があるが、天下の名勝・差出の磯は奈良・平安時代の昔から文人墨客が訪れ、その感懐を詩歌や絵画に残しています。

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差出の磯は、ちょうどこの辺り。山梨市駅の北の笛吹川兄川・弟川が流れ込む辺りですね。この写真は差出磯大嶽山神社より撮影。

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塩の山の西の向嶽寺

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向嶽寺ひょうたん池

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向嶽寺中門(重要文化財)

向嶽寺・・・禅寺で臨済宗向嶽寺派の大本山。向嶽寺の開山は抜隊得勝(ばっすいとくしょう)禅師〔慧光大円禅師〕です。塩山温泉は、約650年ほど前に向嶽寺の開祖である抜隊禅師が発見したと云われています。

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サクランボ狩りの窪田農園

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大切に囲われたハウスの中ではサクランボ用のサクラが満開でしたよ。

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4.17(日)夜は塩山温泉の宏池荘(こうちそう)にお世話になりました。

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おお!いろいろな方が来られてますね~。

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部屋窓より。

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部屋 昭和っぽいです。落ち着きます^^

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源泉のpH値:10.1アルカリ性 源泉の温度:23.8度

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思わず笑っちゃう十訓でした^^

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貸し切り露天風呂

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奥に大浴場 500円で日帰り入浴できます。

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夕食 おなかパンパンになりました^^

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朝食 

8時の朝食後、支度をして出発~ とりあえず桃源郷が見たいなと・・・

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笛吹市の桃源郷菜の花畑

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もう花摘みされていますね。

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25万本のモモの花、一斉に開花 山梨・笛吹市(2022年4月9日) 例年より5日早かったそうです。

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花摘み前だと、盆地の方ももっとピンク色で綺麗だったでしょうねー。

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観光用で花摘みされてないのかな?別種かな?キレイでした^^

その後、県内の幾つかの神社を参拝していたら、韮崎で以前来たことがあるような大きなサクラが・・・・・。

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韮崎の「わに塚のサクラ」 樹齢約300年、幹周り3.6m、樹高17mの一本桜で、市の天然記念物 もう葉桜になっていますが、過去のブログをひっくり返したら出てきました。

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2010.4.11撮影。この時、桃源郷ももっとピンク色っぽかったので桜開花辺りに桃も開花なんでしょうね。

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ハナミズキの街路樹もあちこちでキレイでした^^

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山梨県内で参った神社は、それぞれ下記神社ブログに投稿していきます。写真は穂見神社。

神社たち by matol

神社たち by matol

わたし(matol)の神社参拝記録です(お寺も含めます)。

神社たち by matol

 

筑波連山・加波山 参拝ハイキング(106.とらべるショット)

2022-04-19 19:15:00 | ・旅・山

2022.4.12 加波山(かばさん)に登ってきました。

 

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土浦北ICを降り、しばらく北西に走ると筑波山地が見えてきます。 

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ところどころヤマザクラ?が咲いてますね。新緑が良い感じ^^

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途中に鎮座していた茨城県石岡市小幡の「白鳥神社」。桜に誘われて車を停めて参拝。

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筑波山

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加波山三枝祇神社 本宮&親宮 遥拝殿・里宮 天狗さん^^

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加波山神社 真壁拝殿(里宮) 天狗さんの目が光っていました^^

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加波山

この真壁拝殿前の駐車場に車を停めて登る??と思ったけど、ちょっと遠そうなんでしばらく車を走らせると・・・

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加波山・二合目 の寝不動尊 ここでトイレをお借りして更に上ると・・

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なんか凄い建物が・・・・。この対面が駐車場になっていて、そこに車を停めました。

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道路沿いを上るルートと

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鳥居のある加波山本宮参道があって、参道を上りましたよ。

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しばらく上ると、大きな石が出てきました。

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ミヤマキシミがキレイに咲いていました。

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更に上ると・・どんどん、デッカイ石が増えてきます。

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割れてます^^;

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修験系の香りが漂っています。

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山頂手前。〇〇先生の石碑などがひしめいています。 

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山頂付近は大石、大岩でひしめきあっています。山頂は何処だったのかな(笑)

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力強さを感じますね。

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加波山三枝祇神社本宮本殿と板状の大岩

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この加波山三枝祇神社本宮本殿の板状の大岩は凄い存在感です。

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三尊石 少し下るとこんな岩も。

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加波山は標高709m

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こちらは加波山神社中宮本殿(加波山天中宮)

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春霞?でボワッとしていました。

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山を下り始めると・・・おお!カタクリが咲いていました^^ 

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更に、下を見ると、おお!枝垂桜がこれでもか!という感じで満開^^

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加波山神社・拝殿  加波山三枝祇神社・親宮・拝殿

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加波山三枝祇神社親宮拝殿前でもカタクリが^^

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枝垂桜、上から観た方がインパクトありましたね。

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「山を守る 鳥を守れ」林野庁 けっこう年代物ですね~

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山を下ると、ニリンソウが群生して咲いていました。

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ヤマブキもこんなに咲いていました。

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採石場 花崗岩(真壁石)

古来から、加波山は良質な真壁御影石(=花崗岩)を産出してきました。

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ネコちゃんが運転してました(笑)

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筑波山が見えていました。

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気温上昇で水戸で26.4℃!いや~、今シーズン初登山でしたが登りがキツくてヨレヨレになりましたわ。帰宅後、さほど筋肉痛が出なかったということは、やはり暑さにやられたみたいです。鍛えなきゃ^^


民芸・陶芸の栃木県益子町 濱田庄司記念益子参考館

2022-04-08 15:28:00 | ・旅・山

 

2022.4.5 神社参拝を兼ねて陶芸の町・栃木県益子町へ。まずは腹ごしらえ(笑)

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益子町の南外れにある「呑珠庵 (ドンジュアン) 」
十割そば、美味しかったです^^ お塩はうま味を引き出しますねー。

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白い鳥居と桜 良い風景です^^

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益子町の北にある小宅古墳群((前方後円墳6基、円墳29基、総数35基からなる古墳群)・・・ 小貝川の支流である小宅川の右岸丘陵上の平坦面及び南向きの緩斜面に立地しています。菜の花の黄色がキレイでしたよ。桜はいろんな種類があって次々に咲きそうです。隣接する亀岡八幡宮は後ほど投稿します。

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益子陶芸美術館/陶芸メッセ・益子

残念ながら展示替えのため休館でしたが散策はできました。

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旧濱田庄司邸
実際に濱田庄司が住んでいた茅葺の邸宅を移築。

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薪窯

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登り窯

濱田庄司が生前に愛用していた登り窯を移築復元。

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その後、すぐ近くにある、濱田庄司記念益子参考館へ。3月の「新美の巨人たち」の放送を観て一度来てみたかったのでした。

 

公益財団法人濱田庄司記念益子参考館

公益財団法人濱田庄司記念益子参考館

Shoji Hamada Memorial Mashiko Sankokan Museum

公益財団法人濱田庄司記念益子参考館

 
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大谷石の石蔵を利用した展示室です。2号館では主に西洋やオリエントの蒐集品を、3号館では日本や中国、朝鮮、台湾などアジアの蒐集品を展示しています。

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栃木県産の大谷石の石蔵は、県内の特徴的な建築の一つ。益子参考館の石蔵は、隣町の真岡市から移築されたものです。

いや~、美しいです。大谷石、いいなあ。渋いなあ。

公益財団法人 濱田庄司記念益子参考館は、陶芸家濱田庄司が長い時間をかけて蒐集した陶磁器、漆器、木工、金工、家具、染織、その他工芸品を展示・公開するために、濱田庄司の自邸の一部を活用する形で1977年4月に開館しました。

 濱田の蒐集は、日本国内にとどまらず、中国、朝鮮、台湾、太平洋諸国、中近東、ヨーロッパ、中米などの各地に広がり、時代的にも古代から近現代まで多岐にわたります。

 その蒐集品は、自分の作品が負けたと感じたときの記念として、購入し蒐集した諸品でもありました。これらは、濱田の眼を楽しませ、刺激し、制作の糧となったもので、身辺に間近くおいて親しんだものでした。

 濱田庄司記念益子参考館は、濱田がそれらの品々から享受した喜びと思慮を、広く工芸家および一般の愛好者と共にしたい、また自身が制作の際に参考としたものを、一般の人たちにも「参考」としてほしい、との願いをもって設立されました。

 現在では、それらの蒐集品に加え、濱田庄司自身の作品および、バーナード・リーチや河井寛次郎ら、濱田が交流を持った作家たちの作品も合わせて展示・公開しています。https://mashiko-sankokan.net/top/about/より引用。

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濱田庄司が使用していた工房(細工場)

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登り窯

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登り窯の内部

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赤絵窯

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登り窯(塩釉窯)

顔みたいですね^^ 登り窯はイモムシのようです^^

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長屋門 
濱田庄司は長屋門がお好きだったようですね。「門」から入ったり出たりする行為は、「域」をまたぐわけで、人の精神の切り替えも行われるように思いますね。

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4号館は、「上ん台(うえんだい)」と呼ばれた濱田庄司の別邸を展示棟として公開・活用しています。家具や食器類などの蒐集品を展示しています。イギリスのウィンザー・チェアーや濱田デザインのテーブルセットなどで、ご休憩いただくこともできます。

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美しいです。

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建物の外から・・・美しい・・・

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建物内部

1942年に隣町から移築した大きな母屋で、濱田庄司のもっともお気に入りの建物でした。豪壮な庄屋建築ですが、土間部分を板張り・石敷きにするなど、移築時に濱田が様々な手を加えており、独特の雰囲気を持つ建築となっています。
 イギリスや日本の家具、木喰仏など様々なコレクションを陳列しています。

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囲炉裏(いろり)には薪がくべられていました。室内には薄っすらと煙が・・・。懐かしい匂いがしていましたよ。照明も素敵だなあ。

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階段箪笥(たんす)も良いですね。

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ウィンザー・チェアー、座り心地良かったですよ。抹茶をいただきました。

いや~、民芸・・・落ち着きますね~。歳かな(笑)

民芸運動民藝運動、みんげいうんどう)とは、1926年大正15年)、「日本民藝美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続けられている。「民藝」とは、民衆的工芸の意[1]

日本民藝館の創設者であり民藝運動の中心人物でもある柳宗悦は、日本各地の焼き物染織漆器、木竹工など、無名の工人の作になる日用雑器、朝鮮王朝時代の美術工芸品、江戸時代の遊行僧・木喰(もくじき)の仏像など、それまでの美術史が正当に評価してこなかった、西洋的な意味でのファインアートでもなく高価な古美術品でもない、無名の職人による民衆的美術工芸の美を発掘し、世に紹介することに努めた(柳が収集活動を行っていた時代の日本では「李朝」という用語が一般的で、柳自身ももっぱら「李朝」を用いているが、本項では「朝鮮王朝時代」の表記を用いる)。

雑誌『白樺』の同人であり西洋近代美術の紹介者でもあった柳は、1914年(大正3年)、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教との出会いを通じて朝鮮の美術に関心をもつようになり朝鮮王朝時代の白磁、朝鮮民画、家具などの素朴な美を世に紹介することに努めた。

1923年関東大震災の大被害を契機として京都に居を移した柳は、濱田庄司河井寛次郎らとともに、いわゆる「民藝運動」を展開した。柳、濱田、河井らは、当時の美術界ではほとんど無視されていた日本各地の日常雑器、日用品など、無名の工人による民衆的工芸品の中に真の美を見出し、これを世に広く紹介する活動に尽力した。運動の中心であった柳は、当時ほとんど研究が進んでおらず、美術品としての評価も定まっていなかった日本各地の民衆的工芸品の調査・収集のため、日本全国を精力的に旅した。
民芸運動 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2022年1月17日 (月) 16:27 

白樺』(しらかば)は、1910年4月に創刊され、1923年8月に廃刊された文芸雑誌・美術雑誌。本誌は武者小路実篤志賀直哉木下利玄正親町公和細川護立ら上流階級の青年たちによって創刊された。有島武郎学習院の関係者が多く集い、岸田劉生も表紙装丁を担当したり、文章を掲載したりした。その他のメンバーに、有島生馬里見弴長與善郎柳宗悦園池公致児島喜久雄郡虎彦[1][2]

白樺派の活動の中心として第一次世界大戦期の日本文学で大きな役割を果たした。個性主義・自由主義を基調とした。1923年8月まで続き、全160号が発刊された。161号も刊行予定だったが、関東大震災の影響により廃刊となった。

創刊号の表紙には白樺の若木が描かれた。武者小路実篤による夏目漱石それから』の評論や、志賀直哉の『網走まで』が掲載された。

白樺 (雑誌)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年8月23日 (月) 09:08 
 

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http://www.pejite-mashiko.com/top/

 


2019.5.12 南高尾山周辺・植物観察2

2022-03-22 09:33:32 | ・旅・山
2019.5.12 高尾山周辺へハイキングに出かけました。
続きです。
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ウマノアシガタ キンポウゲ
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クサボケ
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ジュウニヒトエ
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マルバスミレ?
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ホタルカズラ 尾根上に咲いていましたよ。綺麗な色合いでした。
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見晴台付近から望む津久井湖、丹沢方面
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ニオイタチツボスミレ
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中沢山山頂
展望はあまりありませんが、立派な観音菩薩像が鎮座していました。
 
中沢山から入沢山、少し分かりにくい入沢川沿いに下ります。
そこは、驚くようなニリンソウ群生地でした。
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どこまでもニリンソウが咲いていました。下りの両側にもずっと咲いていましたよ。
まるで天国のようでした。
 
とても野草をたくさん植えられているお宅がありました。撮らせてもらいましたよ。
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オオバナノエンレイソウでしょうか?
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イカリソウ
 
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イカリソウとサクラソウ
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タイツリソウ
いや~お見事なお庭でした。
 
ホントに久しぶりの山、山里歩きでした。疲れましたが春を満喫できて最高な一日でした。

2019.5.12 南高尾山周辺・植物観察1

2022-03-22 09:32:17 | ・旅・山
2019.5.12 高尾山周辺へハイキングに出かけました。
 
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あ~、やっぱり新緑はいいなあ。。。
 
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高尾山口駅から、20号沿いを歩き、高尾山ICをくぐり、「うかい鳥山」方面へ。
 
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八王子市南浅川町3062にある貴布袮神社。寛永元年(1624)創建。京都の貴船神社の分社。
ちょっと体調が良くなかったので参拝はできませんでした。youtubeのおかげで拝殿まで
見ることができてホントにありがたいです。
 
さて、「うかい鳥山」方面へ左折して植物観察開始です。
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吉髙菊一稲荷神社
こちらもyoutubeで拝殿まで拝見いたしました。感謝感謝。
「山嵐大神」「沖大明神」「蛇塚」が映っていました。ググってみると他にも
「三吉大神」「高一大神」「白菊大神」「菊一大神」などの石碑があるようです。
ちょっといろいろとググってみましたが、これらの神様は良く分かりませんでした。
別名の神様か、地元の貢献された方か、霊能者の方か・・・・・。
 
そして、この鳥居をくぐった直ぐ先にはたくさんの春植物が見られたのでした。

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正面には、なんと「ミズバショウ」咲き終わった「ザゼンソウ」も見られました。
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残念、ちょっと早かった「クマガイソウ」の蕾。ロープで囲われて保護されています。
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「イチリンソウ」
ん?ハクサンイチゲか?と思うくらい花がニリンソウよりもかなり大きかったです。
やっとイチリンソウの花を見ることができました^^
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ヤマルリソウ・・・花弁の色は薄桃色から薄青色へと変化するそうです。
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マルバスミレ
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センボンヤリ
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趣のある橋です。

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左奥は「ヤマブキ」 右は「ヤマブキソウ」ヤマブキソウもちょっと早かったみたいです。
この斜面いっぱいに咲くそうですよ。
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ヤマブキ 花びらは5枚
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ヤマブキソウ 花びらは4枚 生え方が全然違いますが、色合いよく似ています。
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ヤマブキソウ
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アメリカスミレサイシン(プリケアナ) 
青紫色基調は、アメリカスミレサイシン(パピリオナケア)北アメリカ原産の外来種。
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ヒカゲスミレ?
葉が茶色っぽいからタカオスミレでしょうか?
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ジロボウエンゴサク
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マルバコンロンソウ
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アオキの花と実 可愛い小さな花ですね。つづく~
 

南アルプス・仙丈ケ岳4(2018.9.21~24)

2018-11-03 19:43:19 | ・旅・山

う~、投稿できずにほぼ一か月経っちゃいましたねー。公私バタバタ忙しく・・・^^;

2018.9.21~24 南アルプスの仙丈ケ岳へ登ってきました。

9.23 続きです。 7時頃、仙丈ケ岳・仙丈小屋を出発。仙丈小屋から仙丈ケ岳山頂~仙丈藪沢カールに沿い~
小仙丈尾根~小仙丈ケ岳~大滝ノ頭~北沢峠へ戻ります。

中央アルプス・駒ヶ岳方面も良く見えています。

仙丈ケ岳山頂方向

千畳敷カール方向

3033m 仙丈ケ岳山頂!360度大パノラマでしたよ。

甲斐駒ヶ岳がずっと^^

小仙丈ケ岳方面

振り返れば・・・

仙丈小屋もそろそろ見納め。 

だんだん甲斐駒ケ岳が近くなってきます。

鳳凰三山 地蔵岳のオベリスク

小仙丈ケ岳山頂 

面白い雲でした。

ずっと甲斐駒ヶ岳を観ながら・・・

五合目の大滝ノ頭(2510m)まで降りてきました。

ゴゼンタチバナの実

かわいいです^^

前にも観たことがありますねー。 

いや~、良く歩きましたー。

鋸岳の鹿窓方面 帰りの南アルプス林道バスより。

「高遠さくらホテル」から望む仙丈ケ岳

「高遠さくらホテル」の高遠湖

帰りに寄ったSAより諏訪湖

いや~、投稿までずいぶん間が空いてしまって・・・^^; 写真はともかくアップしたかったのでアップします。(終)


南アルプス・仙丈ケ岳3(2018.9.21~24)

2018-10-23 17:38:37 | ・旅・山

う~、投稿できずにほぼ一か月経っちゃいましたねー。公私バタバタ忙しく・・・^^;

2018.9.21~24 南アルプスの仙丈ケ岳へ登ってきました。

9.22 続きです。

18:44 外にあるトイレに行って撮影。

18:50 仙丈ケ岳藪沢カール おやすみなさい~

夜中、トイレに行きましたが星が奇麗でしたよ。

山小屋のお兄さんに聞いたら、これだけ天候が良さそうなのは今シーズン数えるほどしかないとのこと。ならば、
早起きしてご来光を拝まなければ!
23日 05:30 日の出タイムということで、
04:30ごろ出発。私的にはご来光よりも、陽が昇るだいぶ前の
オレンジ~濃ブルーのグラデーションマジックアワーが最も好きなのです。

手前はヘッデンの灯り(笑

甲斐駒&八ヶ岳

富士山・北岳・間ノ岳

ご来光を待っていたら、バサバサバサとライチョウが数羽飛んできました。個体識別の足環が付いていますね。
かなり暗く、動きも早くてブレブレです。動画には可愛い鳴き声も入っていますよ。

富士山・北岳・間ノ岳

登山中、あちこちで「富士山・北岳・間ノ岳」の声が。みなさん、コレが見たかったんですよねー。

日本の最高峰1.2.3ですが、3位の奥穂高岳と間ノ岳は同じ高さ3190mなのかな?

とても柔らかなご来光となりました。かつて観たご来光の中で、これだけ包み込むような柔らかなご来光は初めてでした。
強烈な光が飛び込んでくるご来光も素晴らしいですが、あの世とこの世の繋がりを感じさせるこんなご来光も染み入るものです。

06:00 仙丈ケ岳・仙丈小屋に戻って朝食。 つづく~


南アルプス・仙丈ケ岳2(2018.9.21~24)

2018-10-21 08:34:58 | ・旅・山

う~、投稿できずにほぼ一か月経っちゃいましたねー。公私バタバタ忙しく・・・^^;

2018.9.21~24 南アルプスの仙丈ケ岳へ登ってきました。

15:01 遂に山小屋裏の「仙丈ケ岳藪沢カール」が姿を現しました。つづきです。
山小屋から少し下がり水場へ。
 カールの全貌がもっと良く見えるポイントを探して。

う~ん・・・分かりません。。。

まだ雲が流れてきて見えなくなったりします。

カールの全貌を観るポイントは遠そうだったので戻りました。

少し仙丈ケ岳方向に登りました。

雲がすごい速さで流れて?飛んでいきます。

 

 

わずかに彩雲っぽく。

槍ヶ岳

八ヶ岳

甲斐駒ヶ岳と摩利支天

18:04

つづく~


南アルプス・仙丈ケ岳1(2018.9.21~24)

2018-10-19 10:24:43 | ・旅・山

う~、投稿できずにほぼ一か月経っちゃいましたねー。公私バタバタ忙しく・・・^^;

2018.9.21~24 南アルプスの仙丈ケ岳へ登ってきました。

一週間以上前から天気図とにらめっこ。21日に登る予定でしたが、天候が一日ズラした方が良さそうとの事で、
山小屋予約も何とかズラすことができ行ってきました。

21日(金)お昼頃、中央道伊那ICで下りて、「高遠温泉さくらの湯」へ。雨でしたよ。ここの温泉、ものすごくツルツル
でした。ツルツルの温泉、あちこちで入っているけど、一番ツルツル?ヌメヌメ?してたんじゃないかなあ。さすがに
平日の雨なんでガラガラ。ほぼ地元のおじーさん、おばーさんのみ。昼食もこちらで。お蕎麦が美味しくてビックリ
しちゃいました。伊那市長谷にある道の駅「南アルプスむら」の有名なクロワッサンも平日なので売っていましたよ。
このクロワッサン、予約しておいて帰りに頂いて帰りました。小ぶりでちょっと甘めかな。

温泉でサッパリして南アルプス林道バスのりばの仙流荘へ。ここから一般車両は規制がかかっています。ガラガラの駐車場へ
クルマを入れて林道バスで北沢峠へ。

仙流荘14:20~北沢峠15:15林道バスもガラガラ。相変わらず雨です。。。

乗車中、道端の「フジアザミ」がたくさん見られましたよ。 山の景色は全くNG。

北沢峠・こもれび山荘

未だ山に登っていないのに、今夜のお宿・こもれび山荘へ(笑

雑魚寝スペースは一人1人カーテンで区切られていて快適でした。料理も美味しかった^^
標高2036m 収容人員 110人 https://hyakkei.me/articles-704

9.22 06時頃、雨の中を出発!

長兵衛さんの作られた登山道を二合目まで登り・・・

五合目の大滝ノ頭(2510m)

幾つかの沢を渡り・・・

09:25 藪沢小屋(2550m) 相変わらず、亀の歩みのように登っています(笑

ナナカマド

う~ん・・・コバイケイソウの枯れ姿かなあ?

トリカブトですね。

最後の大きな沢を渡り・・・

馬の背ヒュッテ(2640m)到着~。

ず~っと雨でしたね。こちらの山小屋に上がらせてもらって、おでん注文して持ち込み合わせて昼食させてもらいました。

防鹿柵、ありましたよ。

枯れリンドウでしょうか?

12時頃、ハイマツ帯に入ってきました。天候悪いから、せめてライチョウでも現れないかなあと思いましたがNGでした。

水場を通り・・・・

13:17 仙丈小屋到着! 

ガスっています。ずっと雨の中だったので早めにチェックイン。おかげで長い雑魚寝脇の階段上の場所にしてもらえました。

ビール飲んで寛いでいると・・・

14:15 お~雲が切れてきた。

15:01 遂に山小屋裏の「仙丈ケ岳藪沢カール」が姿を現しました。つづく~


2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢1(妙義山 石門巡り)

2018-08-15 15:11:04 | ・旅・山

2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢1(妙義山 石門巡り)

休暇村嬬恋鹿沢へ行きました。kouchaに付き合って植物観察中心ですな。鹿沢へ行く途中、妙義山へ。

08:30前に妙義山登山口のある中之嶽神社前到着。

ホオジロ

う~ん・・・なんだっけ?

「ぐんまくん」(笑

第1石門

石門=アーチ状になっているんです。不思議な景色です。

第2石門

第2石門へ通ずる「かにの横ばい」のクサリ

次に「たてばり」鎖場

ツルビランジ(ナデシコ科)が見られたようですが写真撮れず。。。

第2石門直下。この「たてばり」なかなか登り難いですわ。

第2石門直下より反対側の下り。

第2石門の頭上

「つるべ下がり」短い距離なのですが少し雨も降っていて鎖も滑りやすく、なかなかスリルがありましたよ。

右側に何やら赤い物体が・・・

ツチアケビの実でしたー。
ツチアケビ
森林内に生育するラン科植物。ラン科植物として、また腐生植物(菌従属栄養植物)としては非常に草たけが高く
、大きな真っ赤な果実がつくので、大変人目を引く植物である。日本固有種。別名ヤマシャクジョウ(山錫杖)by wikipedia

第4石門

妙義らしい風景ですね。

なかなかスリル満点のコースでしたよ。


2018.6.29~7.1 八ヶ岳6(硫黄岳~爆裂火口~夏沢峠)

2018-07-25 13:20:11 | ・旅・山

2018.6.29~7.1 八ヶ岳6(硫黄岳~夏沢峠)

2018.6.29~7.1 八ヶ岳へ行ってきました。目的は植物観察&横岳登山。

横岳から硫黄岳山荘へ戻ってきました。硫黄岳山荘周りの植物保護地域を一回り。

クロユリ

ウルップソウ

ミヤマシオガマ ミヤマキンバイ

真っ平らな山が見えていました。荒船山なのかなあ??

ミツバオウレンの群落

さて、硫黄岳山荘にお別れして硫黄岳へ。

ケルンが続いています。前日は強風・視界不良の中、このケルンの御蔭で山荘までたどり着けましたよ。

で、またまた天候が悪くなってきました。本当に山は天候がくるくる変わりますね。

爆裂火口・・・・前日は全く見えなかったが・・・また見えないのかな?と思ったら・・・

爆裂火口 遂に拝めました!いや~なかなか凄い迫力ですわ。

八ヶ岳は約200万年前から1万年前までの長い期間に何度も噴火を繰り返して形成されたといわれています。
硫黄岳山頂の南北の両脇には、直径1㎞深さ550mの巨大な爆裂火口跡があり、火山の面影が色濃く残る迫力ある景色が
広がっています。

前日は、オーレン小屋~赤岩の頭~硫黄岳~硫黄岳山荘のルートでしたが、
帰路は硫黄岳山荘~硫黄岳~爆裂火口沿いに夏沢峠~オーレン小屋のルートで戻りました。

ヒュッテ夏沢が見えてきました。14時ごろでしたが植物観察20人位の2パーティが登っていきました。
この後、硫黄岳山荘まで行くのかな。けっこうキツそうな行程ですねー。でもコースタイムで行けば2時間位なのか・・・。

うわ~、なんすか? こんなにトゲがある葉っぱ。

「ハリブキ」だそうで・・・。緑白色の目立たない小さな花(写真奥)を多数つける。秋に果実が赤く熟すそうです。

手前の「山びこ荘」ここに泊まる事も考えましたが、オーレン小屋まで下りて泊まりました。
ここ「山びこ荘」には、ヤマネやモモンガが棲みついているそうですよ。つづく~


2018.6.29~7.1 八ヶ岳4(横岳1)

2018-07-23 08:33:53 | ・旅・山

2018.6.29~7.1 八ヶ岳4(横岳1)

2018.6.29~7.1 八ヶ岳へ行ってきました。目的は植物観察&横岳登山。

硫黄岳山荘から横岳へ。なんと、富士山が奇麗に見れました!
富士山が見れると思っていなかったので、いや~感動しましたわ。思わずウルウルしてしまいました。

 

さて、横岳へ。天候がいつ変わるか分からないので植物観察は後回し。

ウルップソウ

山頂付近にクサリ場が見えます。

イワベンケイ(岩弁慶) ベンケイソウ科。岩場などの厳しい環境で生育する。

ハクサンイチゲ

 

 

 

ウルップソウ つづく~


2018.6「山形旅行記」6(肘折温泉)

2018-07-11 18:20:48 | ・旅・山

2018.6「山形旅行記」6(膝折温泉)

2018.6 山形方面へ参拝の旅に出かけました。さ~て、出羽三山神社への参拝後、最上川を東へ・・お宿のある肘折温泉へ。 

お宿付近からの銅山川 

肘折温泉(ひじおり おんせん)・・・山形県最上郡大蔵村にある温泉。

「肘折カルデラ」と呼ばれる直径2kmのカルデラ(凹地・窪地)の東端に位置する。カルデラの中心にある黄金温泉、最奥部の
野湯である石抱温泉などとともに肘折温泉郷を形成している。
温泉街の一角にある「小松渕」は、トロイデ型(鐘状)火山の噴火口が渕になったものである。
肘折カルデラは気象庁によって活火山に指定されており、肘折温泉郷全体が「肘折火山」のマグマ溜りの上に位置している。
日本有数の豪雪地帯としても有名であり、冬季の積雪量は4 mを越えることもある。
ニュース番組の気象情報では、時々、当地の積雪量が全国ニュースで紹介される。
旅館17軒で「積雪最大記録を更新したら宿泊無料」というキャンペーン“ドカ雪割”を実施していたところ、2018年2月の豪雪で
初めて適用され、予約や問い合わせが相次いだ。

月山の麓、銅山川沿いに数多くの旅館が存在する。古くは湯治場であったことから、自炊部を持つ旅館が多い。
木造建築の古い旅館や住宅が多く、鄙びた湯治場の雰囲気を形成している。by wikipedia

旧肘折郵便局舎

昭和12年に建てられた木造の『旧肘折郵便局舎』は、温泉街のちょうど真中にあり、肘折の〈懐かしさ〉を演出する街の
小さなランドマーク^^

わずか20年足らずの間に3回も大火があったようです。

薬師神社(湯坐神社)

明徳元年(1390:室町時代)7月14日 創建で、明治10年8月 村の神となったとされています。

薬師神社の奥の稲荷神社

神社にはエンレイソウがたくさん^^

冬は景色が一変するのでしょうね。

銅山川 川面がキラキラと奇麗でした。

開湯は奈良時代の大同2年(807年)である。
豊後国出身の源翁がこの地を訪れた際、老僧より肘を折った際に治療した温泉を教えられた、という伝説が残る。
温泉名もこれに由来して肘折温泉となったとされるが、柳田國男は銅山川がここで大きく曲折していることによる地形から
命名と推測している。

江戸時代には、肘折温泉から月山を始めとする出羽三山への参道口として多くの参詣客を集めた。
肘折温泉には、天台宗寺院である「阿吽(あうん)院」が建てられた。
現在も、月山の登山口として「肘折口」があり、登山道が整備されている。
一方、葉山修験の拠点としても、真言宗寺院である「蜜蔵院」があった。
肘折温泉は出羽三山、葉山両山への参道口として多くの宿坊があった。斎藤茂吉も訪れたことがある。

明治期より湯治場土産としてこけしが作られてきた。昭和に入ると収集家によるこけし研究が盛んになり、肘折こけしも
系統の
一つとして分けられて「肘折系」とされた。肘折温泉内にはかつては多くの肘折系こけし工人がいたが、現在当地の
工人数は
一名である。 by wikipedia

日本最大級の鋼製ラーメン構造桟道橋として2013年11月30日に開通した「肘折希望(のぞみ)大橋」から観る肘折温泉。
肘折温泉の全貌が見えます。

巨大雪だるまがあったようですが小さなピラミッドみたいになってました^^  

いや~、ゆったりと過ごしましたよ。感謝感謝^^


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記10(佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡)

2018-06-17 19:33:27 | ・旅・山

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記10(佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

27日、kouchaが観たいと云うので急きょ、金山へ。そういえば相川にはローソンがありました。ホテルでもコンビニでも
あちこちの販売店でも佐渡の方々は「おもてなし」という言葉がぴったり当てはまるように、とても丁寧に接客してくれます。

道遊の割戸

佐渡金銀山の中でも開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡。巨大な金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿
になっています。山頂部の割れ目は、幅約30m、深さ約74mにも達します。道遊脈と呼ばれる脈幅約10mの優良鉱脈を有して
おり、明治以降も割戸の下部で大規模な開発が行われました。さど観光ナビより。

佐渡金山

宗太夫坑(そうだゆうこう)江戸金山絵巻コース「宗太夫坑」(江戸初期に開発された手掘り坑道。地下深く掘り進んだ
坑道跡に、「佐渡金山絵巻」に描かれている採掘作業を忠実に再現)を見学しましたよ。

佐渡金銀山400年の歴史を伝える史跡。江戸金山絵巻(宗太夫坑)コースでは、人形を使って当時の採掘作業を忠実に再現。

明治官営鉱山(道遊坑)コースには、明治期以降の近代化産業遺産群が残ります。さらに「東洋一の選鉱場」「日本初の西洋式
竪坑」などの施設をガイド付きで巡るコースもあり、壮大なスケールに驚かされます。さど観光ナビより。

鉱脈発見!「金銀山大盛」
採掘坑開きのお祝いの様子で、金銀が多く集まった富鉱帯が見つかると、岩盤が少しでも掘りやすくなるよう『やわらぎ』
という祭礼用の舞を舞って前途を祝したそうですよ。

「ムカデ信仰」
ムカデの姿形が鉱脈の形や鉱山の採掘穴に似ていることから鉱山師や鍛冶師に信仰されたようです。
「毘沙門天の百足」より。

確かにムカデのような・・・。

金鉱石とは
金は、白色の石英脈の中で銀黒(ぎんぐろ)帯と呼ばれる黒色の縞の中に賦存します。黒色の縞は、主に輝銀鉱と呼ばれる銀の
鉱物で黄鉄鉱や黄銅鉱を伴います。金はこの縞の中に含まれています。通常よほどの高品位鉱(500g/トン以上)でなければ
肉眼で見ることはできません。鉱石の中で金色に輝く鉱物の殆どは黄鉄鉱か黄銅鉱で、これらの鉱物はすりつぶして粉にすると
黒色となるので、金と区別できます。http://www.sado-kinzan.com/knowledge/より。

江戸時代に41トン、昭和でも22トンも金産出量があったんですねー。

佐渡金山400年の歴史
佐渡金山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられています。1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が
置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて
機械化・近代化が図られました。1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の
近代化に貢献しました。その後1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を
遂げました。平成元年3月(1989年)残念ながら、資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。
http://www.sado-kinzan.comより。

続いて、前日草臥れ果てて寄れなかった北沢浮遊選鉱場跡へ。

この写真は、総源寺前から前日に撮ったもの。タクシーの運転手さんに教えてもらった高台。ちょっと木々が生い茂り
残念。。。。。

県道31号線より

いや~、どこを切り取っても絵になりますね。ホントのラピュタのよう。ライトアップもされるようですよ。


北沢浮遊選鉱場跡

近代遺産の象徴「東洋一の浮遊選鉱場」相川の北沢地区には発電所やシックナーなど鉱山の近代化に貢献した施設群(国の史跡)
が密集しています。もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、世界で初めて実用化
に成功したものです。戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ、1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できること
から「東洋一」とうたわれました。さど観光ナビより。

佐渡奉行所跡


2018.5.25~27「佐渡島」旅行記9(大佐渡スカイライン~乙和池~相川湾)

2018-06-16 06:30:27 | ・旅・山

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記9(大佐渡スカイライン~乙和池~相川湾)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

ドンデン山荘を後に大佐渡スカイラインを西へ。今夜のお宿・相川を目指します。とりあえず両津方面へ。

おっ、遠くにすごく大きな銅像が・・・

「世界一大きい日蓮像」だったようです。

「日蓮宗開宗750年慶讃事業」として、全国3,000人を超える僧侶・信徒の協力で建てられた銅像です。両津湾を背に、
釈迦の生まれたインドの方角に向かって建つ姿は、高さ約13m、台座を含むと26m。ゆかりの地・佐渡にふさわしい威厳に
満ちた姿でそびえ立ちます。さど観光ナビより。

続いてリクエストにより「佐渡乳業」へ。

地元の方もスタンプカード持って次から次に来られていましたよ。

おいしい佐渡の乳製品をどうぞ!2015年オープンの佐渡乳業直売所です。牧場から毎朝届く新鮮な生乳で作る佐渡牛乳や
バター、チーズなどを販売しております。人気の「ミルクソフトクリーム」はじめ、佐渡乳業商品を1品からご購入いただけます。
チーズ工房では全国チーズコンテスト金賞受賞のクリームチーズやカマンベールチーズなど各種ご用意しております。佐渡旅行
のお土産に好評のギフトセットもございます。お近くを通りましたら気軽にお立ち寄りください。佐渡乳業hpより。

航空自衛隊 佐渡分屯基地の脇を通り白雲台へ。

佐渡分屯基地・・標高510mの両尾山(むろおやま)付近に庁舎があり、レーダーサイトは金北山(標高1,171.9m)山頂運用
していたが、2010年(平成22年)よりその西隣の妙見山(標高1,042m)山頂に建設され稼動を始めたJ/FPS-5にその役割が
引き継がれた。防衛省管理道路(白雲台〜金北山)を通行する場合は、航空自衛隊佐渡分屯基地への届出が必要。

白雲台

大佐渡スカイラインのオアシス標高約850mに建つ山小屋風の建物。
展望デッキから望む、両津湾、国中平野、小木半島などの大パノラマは感動的ですよん。

海がまるで空のようで・・・綺麗でしたよ。

相川湾へ向かう途中の「乙和池」に立ち寄りました。

思わず何枚も写真を・・・・すごい裂け方です。こんな裂け方は初めて見ました。

オウレンの果実 面白い形です。根茎は漢方薬としても使われるそうです。

浮島があります。とても神秘的です。

乙和池を一回りしましたが、クマやシカは居ないとはいえ、独りではちょっと怖いですね。おとわ様が池から姿を現しそうです。

・池の中央に日本最大の高層湿原性浮島をもち、神秘的な雰囲気に包まれた池です。標高560m。
・乙和池は大佐渡スカイラインを登ったところにある、大平高原に近い林道を600メートルほど入った所にあります。
・周囲の地形は小起伏を成して、自然林のブナ・ミズナラを主とする落葉広葉樹林に囲まれた静かで神秘的な場所です。
・乙和池の周囲の樹林にはミズナラを優占種とするブナ、ハウチワカエデ、ヤマモミジがあり、これらの下にはハイイヌガヤが
 多く見られ、林床の草木ではミヤマカンスゲが極めて多く見られます。

・池と周囲の落葉広葉樹林全体で約200種の植物が確認されています。
・浮島の面積は約400平方メートルで、ノハナショウブ、サヤヌカグサ、エゾミソハギ等の草木群落と2~3メートルの腐食層から
 成り立っています。

・また、島の中には井戸と呼ばれる穴があり、島が浮揚する役目を果たしていると言います。

おとわ伝説
山のふもとの長福寺へある日美しい娘が泊めてほしいとやってきたところ、和尚は気の毒に思って、泊めてあげることに
しました。どこから来たかは語りませんが、名はおとわとだけ言いました。

ある年の田植えの終わった頃、草の芽を採りに来たおとわが、誤って女人禁制の山の近くまで来てしまいました。
あわてて山を下る途中、そこの小さい池で下着のすそを洗っていると、その池の主に見染められてしまいました。
すると、あっという間におとわの立っていたところを浮島の様に残して池は大きく広がっていき、池からは主の大蛇が現れ、
おとわに自分の代わりにこの池の主になるためにここに留まれと言います。

泣く泣く頼んで、一旦は帰してもらうことができましたが、3日後、おとわを呼ぶ主の声が聞こえ、おとわはとうとう池の主に
なる決心をします。

かごに乗って山へ向かう途中、ヒヅメの音が遠くから聞こえてきたかと思うと、白馬にまたがった貴公子が現れ、おとわを前に
乗せ、もやの中に消えていきました。

これが池の主の大蛇で、その日から7日間山は霧に包まれ、7日目には大雨となり天地は暗く閉ざされました。
村の人達はこの雨で池の主は天に昇り、おとわが代わって池の主にになったのだと言っています。
にいがた観光ナビより。

旧相川税務署 昭和6年(1931)に建築され、同45年まで税務署として使用されていたそうです。国登録・有形文化財。

「北沢浮遊選鉱場跡」は次回投稿します。

宿泊した佐渡・相川の「ホテル万長」からの夕景 

夕食後、ホテルで催された「佐渡おけさ」 疲れ切ってヨレヨレでございました(笑

相川町

江戸時代には佐渡金山と佐渡奉行所がおかれ、佐渡国の中心であった。明治以降は佐渡観光の中心地として栄えた。
現在は何となく静かな空気が・・・。土曜日宿泊でしたが部屋が空いているようで広い特別室が用意されていました。
仲居さんは東京出身のとても好感の持てる若男人で木曽、利尻島などを経て佐渡で働いているそうです。日本酒が趣味のよう。

つづく~