~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

夏の夕景

2015-08-31 18:50:01 | ・写真

ネタがありませんね(笑

アップしてなかった写真をアップします。

それにしても、あの暑さは何処に行ってしまったのでせう?? 気温の低いのは助かりますけどね。 

2015.7.26の夕景

2015.8.5の夕景


ウミウシ探索隊出動(ヨツスジミノウミウシ他)

2015-08-24 12:21:02 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

2014.8.15 ++ウミウシ探索隊++神奈川県横須賀市長井5丁目

潮のボトムは、小和田湾 11時03分 19cm。

一年ぶりに長井5丁目へウミウシ探索に出かけました。
8時半ごろから探索開始。11時半頃まで磯のシュノーケリングを
楽しみました。

アンドンクラゲが出始めました。この日は2~3個体の目撃だけでしたが。

前回、芝崎で、アオウミウシ、ムカデミノウミウシが全く見られず、
特に、あの青いムカデミノが恋しくて、今回は長井5丁目で探索しました。

9時半過ぎまで潮の引きがあまり良くなく、予想以上にうねってました。
ウミウシですが、どうも少ない・・・。野鳥の会の方も来られていて、
情報を頂きましたが、昨年の3月の油流出事故以降、潮だまりでも個体数が
少ないそうです。果たして油流出は影響があるのでしょうか?

シュノーケリングエリアでは、定番ウミウシはほぼ見られましたが、
リュウモンイロやジボガは見られませんでした。サラサやコモンやウスイロも
見られませんでしたね。

ジボガは、探索当初、この磯では全く見られませんでしたが、ある時期
から急に見られるようになった経緯があります。

何がどうして、増えたり減ったりするのでしょうね・・・。未だに全く
解りません。食べ物はさほど変化してないように思えますし、水温も
緩やかな変化でしょうし・・・。

季節的な出没種は、ある程度解ってきています。
今回も、秋を感じる、クロヘリアメフラシ、クロスジアメフラアシ(野鳥の会の
方が極小の個体を確認)、ハクセンミノウミウシなどが見られています。

アオウミウシは3か所で、1個体、2個体、4個体確認。
ムカデミノウミウシは1か所に6個体確認しましたが他の場所では見られませんでした。
ただ、あまり今まで見られなかったヨツスジミノウミウシが石裏から2、1、1、1
と出没しました。

この2年ほど、あまり探索していなかったので、個体数、種の推移が把握
できていませんが、また定期的に通いたいなあと思ったのでした。

成果は、

オカダウミシ多数
アオウミウシx7
ムカデミノウミウシx6(やっぱり青くて綺麗です。)
タツナミガイx多数
シロウミウシx1
クロヘリアメフラシx3
ハクセンミノウミウシx2
ヨツスジミノウミウシx5
セトミドリガイx3
オトメウミウシx1

の10種でした。

他に野鳥の会の方が、クロスジアメフラシ、ヤツミノウミウシを確認。

ヨツスジミノウミウシ 15mm位
石裏から出ました。5個体見られましたが、この輩がこれ程多く見られた
事は今まで無かったですね。う~む・・・不思議です。

クロヘリアメフラシ 15mm位

秋ですねえ。。。

ムカデミノウミウシ 40mm位
ただ一か所に10~40mmの個体が6個体パラパラと見られました。
やっぱり、ここのムカデミノはホントに青くてキレイです。

ハクセンミノウミウシ 5mm位
白線ナシバージョンかな。

アオウミウシ 20~30mm
固まって居ました。磯観察では、やっぱり定番アオが居ないと何か気抜けしますね。

シロウミウシ 40mm位
やっと一個体見られました。

カゴカキダイ


氷川女体神社

2015-08-23 12:08:39 | ・神社・お寺

2015.8 氷川女体神社に行ってきました。

「にょたい」の文字と響きが、う~む・・・・・(笑

でも「男体山」や「女体山」なんて名称もありますからね。

氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ、旧字体:氷川女體神社)

埼玉県さいたま市緑区にある神社。武蔵国一宮を称する。旧社格は郷社。

主祭神は「奇稲田姫命」(須佐之男命の妻)。

さいたま市大宮区の「氷川神社」(主祭神:須佐之男命)を「男体社」とし、それに対し当社は「女体社」にあたる。by wikipedia

な~るほど、それで女体神社なわけですねー。

小雨が降っていましたが、それはそれで静寂した空間が良い感じでした。

「全国で当社だけがおすすめの願いごとを叶えてくれる巫女人形(一体1200円)

「祈り方のひけつ」在中らしいです。

う~む・・・・これだけ着物を着た人形が納められているということは、願い事が叶ったわけですねえ。

思いっきり、現世ご利益満載なわけですが・・・^^;; 

「祈り方の秘訣」が気になりますねー。引き寄せ系の手法でしょうか?

近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を

一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したもの。

元の見沼付近に位置する当社と氷川神社、中山神社は直線上にある。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の

氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている。これらから、3社で一体の

氷川神社を形成して見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していた、とする説がある。by wikipedia

見沼竜神社

見沼の竜伝承は人身御供を求めるものから人命を助ける竜まで様々な伝承が存在する。

ここから、さいたま市は市のマスコットキャラとして「つなが竜ヌゥ」という名前でいわゆる「ゆるキャラ」が誕生しました^^

境内のこの辺りの空間に引き寄せられました。

赤い橋を渡ると、磐船祭祭祀遺跡がありました。

磐船祭祭祀遺跡

境内前の御幸道のつき当たりには「磐船祭祭祀遺跡」がある。元々、氷川女体神社で最も重要な祭祀は、見沼で行われていた

御船祭であった。しかし、享保12年(1727年)に見沼が干拓され、見沼での御船祭が行えなくなった。そこで、見沼の一部で

あった場所に、池の中に丸い島を築いた祭祀場を設け、そこで御船祭の代わりとなる「磐船祭」を行うこととなった。磐船祭は

明治初年には行われなくなったが、その遺跡が良い保存状態で残されている。by wikipedia

 

黄色い小さな花が沢山咲いていました。雨が降っていたので、ほとんどうつむいていましたけどね。 

アサザ(浅沙、阿佐佐)・・・ミツガシワ科アサザ属の多年草。葉っぱ>スイレンの葉に似て切れ込みがありますね。


ウミウシ探索隊出動(8.12番外)

2015-08-21 12:23:05 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

2015.8.12 神奈川県三浦郡葉山町芝崎

ウミウシ探索で見られた他の生物写真です。

シマウミグモでいいのかな? 小さいです。

突くと、足を縮めて格納しました。

右の個体をウミウシか?と思って撮りましたが、オヨギイソギンチャクのようですね。

左は、ウズマキゴカイでもないし・・・・ケヤリムシの仲間?エゾカサネカンザシかな。

う~ん・・・何の卵でしょうねえ。。。面白い形状だなあ。

手前はオヤビッチャですねー。奥の尾っぽが白黒の魚はなんでしょうねえ?

深くて閉鎖的な潮だまりにはたくさんの小魚の群れが。

この中にお腹が割れている子が二匹居ますねえ。何処かで見たような形状だけど・・・

大きなタコが居ました。この後、スミを吐かれました^^;

コケギンポかな。黄色い輩でした。

カワハギのペア

ずっと仲良く一緒に泳いでいました。

ウミフクロウを撮っていたら、この子がウミフクロウや私の指やカメラを
突いて、やたらと人懐っこかったですよ。
イシダイの幼魚のようですね^^

水深50cmの世界もいろいろ見れてなかなか面白いのですよ^^


金鑚(かなさな)神社2(多宝塔、ハグロソウ他)

2015-08-20 06:23:33 | ・神社・お寺

2015.8.8 金鑚(かなさな)神社に行きました。

境内では、参道脇に立つ多宝塔が国の重要文化財に指定されています。

  

金鑚神社多宝塔(境内案内板より)

金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけ ら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二 重の塔婆である。

天文三年(一五三四)に阿保郷丹荘の豪族である阿保 弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦 日、

大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築である とともに、阿保氏に係わる遺構で

あることも注目される。 塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、 国指定の重要文化財となっている。 

 

築500年という事ですね。いや~なかなか渋かったです。存在感満点^^

ヒメジゾですかね? 葉っぱの写真が無いのでガクの形状で判断しましたが・・・ イヌコウジュ??

 

深度合成にて

イワタバコ

昨年のお盆休みに行った榛名神社以来ですね。いつ見ても可愛い花です。石垣に咲いていました。

クモの巣なんだけど、すごい存在感でした。中央を凝視し続けると異次元空間へ行っちゃいそう。

花びらが二枚しかない花・・・う~ん、あまり見たことがないなあ。珍しいのかなあ?調べたら、

ハグロソウ(キツネノマゴ科 ハグロソウ属)

ハグロソウ(葉黒草)」の名は、花の赤褐色の斑紋を 「お歯黒」 に似ているのでという説と、葉が黒っぽい緑をしているからだという説が

あるみたい。私的には、花びらが歯みたいだし、赤褐色の斑紋が 「お歯黒」に似ていると思いますねえ。

2枚の花びらの植物は、日本には数種類しかないらしいです。その一つの ツユクサ は身近だが、このハグロソウは、本州中部より

南の森林帯が生育地で、見る機会は少ないそうです。ラッキー^^ 結構咲いていたのであまり珍しくないだろうと思ったのですが、

もっとちゃんと撮れば良かったなあ。。。

クサノオウ(草の黄)・・・ケシ科クサノオウ属

一年生(越年草)の草本植物

全草に約21種のアルカロイド成分を含み、その多くが人間にとって有毒である。本種を特徴づける黄色い乳液などはその最たるもの

であるが、古くから薬用に供されており毒性が知れわたっていたからか、誤食による中毒事故は少ない。

なお、誤食すると皮膚同様に消化器内の粘膜がただれ、時には死に至ることとなる。by wikipedia

こわ~~~^^;;

ダイコンソウですかね??

お蕎麦屋さん脇で売っていた「シラサギカヤツリ」(カヤツリグサ科・リンコスポラ属/原産地:北アメリカ)

涼しげなデザインが良いですね^^


金鑚(かなさな)神社1(境内、鏡岩)

2015-08-19 17:59:24 | ・神社・お寺

2015.8.8 金鑚(かなさな)神社に行きました。

 

金鑚神社(かなさなじんじゃ、金鑽神社)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。

関東平野西縁、埼玉県北西部に立つ御獄山(標高343.4メートル)山麓に鎮座し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山

として祀る。山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られる。

また、「武州六大明神(武蔵六所大明神)」の一社にも数えられる神社である。

社名「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。神流川周辺では

刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある。

by wikipedia

 

金鑚神社(境内案内板より)

金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社であ る。むかしは武蔵国二の宮とも称された。

地名の二の宮はこれによ っている。社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命 より

賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉 納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まり

とされている。

鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十 二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代

には徳川幕府から御 朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。

境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義 家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときの

ものという伝説の 遺跡”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋”などがある。

なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体 としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのは

ここのほか、全国 でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。

街道沿いの大鳥居をくぐり、駐車場に車を止めると参道方向の右手(駐車場ほぼ正面)に金鑚神社多宝塔が見えます。

この多宝塔は、次回に投稿しますね。緩やかな坂を登ると社務所があり、その前の灯籠、赤い橋が境内中央へと誘います。

鳥居の正面は神楽殿です。

鳥居の手前右手側

下乗(げじょう)

「これより先は神域なので乗り物から下りて入りなさい。乗り物から下りなさい。乗り物に乗ったまま入ってはいけません」

という意味です。昔の人は、ここで「駕籠(かご)」や「輿(こし)」から降りたのですね。

ちなみに「下馬(げば)」は「馬に乗ったまま入ってはいけません。馬から下りて入りなさい。」という意味。

旗懸銀杏

樹齢約550年といわれるイチョウの大木。金鑚神社の御神木で、源義家奥州平定の帰路に植えたイチョウの二代目ともいわれる。

ひっそりとした神楽殿

何となく惹かれる空間で、そこは「無」ではなく、「沈黙の気配」を感じました。

拝殿正面

拝殿後方

拝殿後方奥に本殿はありません。

通常の神社であれば、そこに本殿があるはずですが、当社は、奈良の大神神社、長野の諏訪大社同様、本殿を持たない

珍しい神社です。 社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀っています。山を神体山とするため、社殿には本殿は

設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られています。

 

御嶽山もしくは御室ヶ嶽は、金華山ともいい、山腹に銅を彫ったあとがあるらしく、その銅は、黄鉄鋼を多く含んでおり、

黄金色をしていたという。その銅採掘を神格化したと考える説である。故に、当社の祭神を「金山彦命」であるとする資料

もある。http://www.genbu.net/data/musasi/kanasana_title.htm より

境内の左手、御嶽山へ向う途中に、長屋状態の境内社(19社)が祀られています。

神体山の御室山(御室ヶ獄)ではなく神楽殿奥の御嶽山周囲のくるりと一回りできるコースがあったので行ってみました。

いや~暑かったっす。しかし、山道はフカフカな土壌のようなものが引かれていて歩きやすかったです。

左回りで登って下りましたが、あやめ池は枯れてたのかな?解りませんでした。

鏡岩手前の、このコースのピーク。遠足かな?子どもたちがたくさん居ましたよ。

コースには、石仏群がずっと寄り添っていました。

帰りはほとんど階段の下りでした。右回りで正解だったかも。

降り始めると、この鏡岩がありました。

 

御嶽の鏡岩(昭和三十一年七月十九日 国指定特別天然記念物)

御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八 王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩面の

大きさは、高さ約四メートル、幅約九メートルと大きく、北向きで 約三十度の傾斜をなしている。岩質は赤鉄石英片岩で、

赤褐色に 光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩 がずれた方向に生じるさく痕がみられる。

岩面の大きさや、断層 の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている。

鏡岩は古くから人々に知られていたようであり、江戸時代に記 された『遊歴雑記』には、鏡岩に向えば「人影顔面の皺まで明細

にうつりて、恰も姿見の明鏡にむかふがごとし」とあり、『甲子 夜話』にも同様の記述がある。また、鏡岩がある御嶽山の一帯は、

中世の山城である御嶽城跡が所在することでも知られているが、 鏡岩が敵の目標となることから、城の防備のため松明でいぶした

ので赤褐色になったという伝説や、高崎城(群馬県)が落城した時 には火災の炎が映ったとも伝えられている。

このように鏡のように物の姿を映すということから、鏡岩といわれるようになった。(案内板より)

 

下りはずっと階段でした。ゆっくりしたかったのですが、とにかく蚊がうるさくて参りました。

神流川の北側、群馬県の鬼石町・天神茶屋でお蕎麦を食べて、神川町のヤマキ醸造・麹庵へ寄りました。

その脇のちょっと変わった山。頂上まで行けるのかな? 


ウミウシ探索隊出動(マンリョウウミウシ他)

2015-08-17 11:25:50 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

2015.8.12 神奈川県三浦郡葉山町芝崎

潮のボトムは、小田和湾 9時10分 33cm 。

芝崎にウミウシ探索に出かけました。
7時~10時間半ごろまでシュノーケリング。

若干うねっていましたが潮はけっこう引きました。

相変わらず、ウミウシは少なかったです。

季節来遊魚が入ってきてます。

かなり粘って探しましたが、ムカデミノ、アオ、シロは
見当たらず・・・。

タコにスミをはかれ、魚と戯れてきました。

中央の湾付近には全く居なかったメリベが森戸側には
結構いました。不思議です。

成果は、

オカダウミウシ多数
タツナミガイ多数
メリベ多数
ヤツミノウミウシ多数
ハクセンミノウミウシX2
ミノウミウシX2
アカエラミノウミウシX5
アカボシウミウシX1
オトメウミウシX1
セトミドリガイX1
クロシタナシウミウシX多数
ウミフクロウX1
マンリョウウミウシ(初)X1

の13種でした。

さ~てウミウシがこの中に居ますよ。緑色のミル(海藻)の塊の左上です。

そのミルの中に居たのは
セトミドリガイ 5-10mm位
薄い色で黒い点々がやたらと目立ち、いろいろと調べましたがセトミドリガイで良さそうかな。

ヤツミノウミウシと卵塊 10mm位
中央湾手前の石裏からぞくぞく登場。久しぶりに逢いましたが沢山いましたよ。

ミノウミウシと卵塊 10mm位

ハクセンミノウミウシと卵塊 5-10mm位

オカダウミウシ 3mm位

クロシタナシウミウシ 10mm位
小さな個体が石裏から5個体ほど見られました。 

アカボシウミウシ 5-10mm位
小さかったー。

アカエラミノウミウシ 10mm位
中央湾の森戸側に集中して居ました。 

ウミフクロウ 10-15mm位
小さな個体でした。

メリベ 15mm位
小さな個体が多かったです。

マンリョウウミウシ(初) 10-15mm位
センリョウウミウシやツブツブウミウシの同定作業で何度も図鑑で見ていた
ので初めてじゃないと思ったらお初でした^^


ウミウシ探索隊出動(ジョオウミノウミウシ他)

2015-08-15 18:37:22 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

2015.7.26 ++ウミウシ探索隊++神奈川県三浦郡葉山町堀内

潮のボトムは、小田和湾 07:00 55cm。

0600~0800、二時間位探索しました。

この時期、森戸神社の駐車場は6時から。やっぱり3000円(笑

あまり潮の引きは良くなかったけど、早朝に引くので、
人も少ないし、道路も空いているだろうという事で
森戸で探索しました。

穏やかな海!と思ったら、あまり引かないし、思ったよりも
うねっていて、いつもの探索ポイントは全くNG。

シュノーケリングでは、ほとんどウミウシが見つからず。。。
シロ3個体、アオ1個体、オトメ1個体、石裏からはメリベ多数・・・
しかし、う~ん・・これはウミウシかあ?と思った小さな個体が、
なんと、お初のジョオウミノウミウシでした^^
まだ、ウミウシの神様は付いていてくれているみたいです^^

また、唯一の暗い潮だまりでkouchaが二度目のヒカリウミウシ、
シャクジョウミノウミウシなどを発見。
ヒカリウミウシ・ダンシングを堪能しました。

う~む・・・やはり森戸は侮れないな・・・という探索でした。

成果は、

アオウミウシX1
シロウミウシX3
オトメウミウシX1
セトミドリガイX1
ジョオウミノウミウシ(初)X1
ヒカリウミウシX1
シャクジョウミノウミウシX2
ハクセンミノウミウシX3
フタスジミノウミウシX1
メリベ多数

の10種でした。

アオウミウシ 20mm位
なぜか1個体しか見つけられず^^;

ハクセンミノウミウシ 5-10mm位
この子が出てくると夏もピークを超えたって感じですが、
まだまだ暑そうですなあ。。。

フタスジミノウミウシ  5-10mm位

シャクジョウミノウミウシ 5-10mm位
こちらも二度目でした。肉眼では白い点があまり見えず、ミノの根っこだけ
が黒く、不思議なミノウミウシに見えて、むむ??新参種?と思いましたが
この子ですね。

ヒカリウミウシ 15mm位
二度目でした。メリベのように、よく踊っていましたよ。

ジョオウミノウミウシ(初) 5-10mm位
なんだ?このウミウシは??ミノウミウシなのか??と思うほど、ミノが
面白い形状でした。トゲ付バージョンで良さそうです。
いや~、小さかったです。


2015.7タイ・バンコク旅行記11(ダムヌンサドアク水上マーケット・タイ古式マッサージ)fin

2015-08-14 08:43:21 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

さ~て、最終投稿です。

ココナッツファーム見学後、ダムヌンサドアク水上マーケットへ。

この近くのウボンワンダラム寺院??で神秘治療(トゥエイヘエケン・・チョハッカイが憑依して

長い筒のような棒を身体に向けて覗きながら治療する)が行われていた20年以上も前のテレビの録画を観て、

今はどうなっているのか知りたかったんですが、ガイドさんも全く知らないようでした。知らないフリ

をしていたのかもしれませんけどね。

船着き場

ここから船に乗っていきます。

写真売りのカメラマン^^

いや~、すんごいスピードで飛ばします。

水路沿いには、普通に住居があります。

水路を直角に曲がります。さすがにスピードダウンです。

曲がりきると、またすっ飛ばします。

舟上より

舟上より

舟上より

狭い水路なのですれ違う時はスピードダウン。水路左右からの跳ね返りの波もスゴイです。

舟上より

タイの家の庭先では、一本柱に小さなお堂が乗ったようなかたちの祠を見かけることがよくあります。これは土地の神様を祀る

「サーン・プラプーム」と呼ばれるもの。タイの人々はもともと精霊信仰(アニミズム)を持ち、古来、森林や巨樹、土地、家屋

など至るところに精霊(ピーまたはチャオ)が住んでいて、供養をすればそれらによる庇護を、対して悪い行いには罰を受けると

考えてきました。現在のような祠やそれにまつわる細かいしきたりなどは後にヒンドゥー教の影響のなかで生まれたものですが、

そういった考えはいまなお人々の間に根強く残っています。 http://www.thailandtravel.or.jp/about/culture.html

舟上より

舟上より

 

そろそろ水上マーケットです。

こんな売り方をして売れるんですかねえ。。。。

賑わってきました。

川が少し臭うので口をふさいでますねえ。。

上陸しました。

ずいぶん賑わっていました。お土産屋さんをぶらりと見ました。

LONG LIVE THE KING

バンコク旅行中、あちこちで見られました。

一緒に写真を撮ると○○バーツ。ニシキヘビ?も出動していました。

その後、地元のスーパーマーケットで食事。でバンコクに戻りマッサージ。

タイ古式マッサージ

●タイ伝統の一種のマッサージであり、ストレッチングを含んでいる。

●インドに始まり、アーユルベーダを取り込んでいるので、タイ古式マッサージは必然的にヨーガのような様式を含んだ。

被術者はマッサージのコースの間に多くのヨーガと同じ体位をさせられるのが特徴。主にそのスタイルによって、大きく2つの

流派に分けられているが、南部式スタイル(俗にバンコクスタイルと呼ばれる)では指圧療法が強調されるのに対して、

北部式スタイル(俗にチェンマイスタイルと呼ばれる)にはストレッチ動作が多い。

これはワット・ポーが近代化するにあたって西洋現代医学的見地から汎用性が高くかつ大多数の人が運用するにあたり安全なもの

に再構築された影響が考えられる。

 

●シャーマニズムやアニミズムとも深く関わっており、本来ボーンナイフを使った荒療治や聖水を使った徐霊や薬草学等と組みあわせた

古式総合医学として認知するべきであるが、マッサージ手技のみクローズアップされてしまい、こういったトータルで施術できる人が

タイ本国でも減ってきている。達人と呼ばれる人は麻痺などの治療も行っているが、現在それらのノウハウも廃れてきている。

 

●この独自のマッサージ施術法のルーツは、およそ2500年前にさかのぼる。タイではシバカゴーマラバット「Javika Kumar Baccha」

として知られるブッダの主治医によって、タイに導入されたと信じられている。つまり、仏教の伝来と共に伝来したこの施術法は、

タイの寺院で発展してきた。

 

●マッサージ被術者は着替えた後、マットレスの上に横たわる。マッサージ施術者は手と前腕を使って強固なリズミカルな圧力を

被術者の体のほとんどすべての部分にかかるように押す。一般にマッサージは体の「SEN」(と呼ばれるエネルギーライン)に従う。

ある動作では、施術者の脚と足は被術者の体あるいは手足を固定させるために使われ、またある動作では、手で体を固定しながら

足でマッサージをする。 通常オイルは用いられないが、時々被術者の体を暖め静めるために熱いハーブの包帯が使われる。一般に

タイのマッサージのフルコースは2時間あるいはそれ以上続く。フルコースには、手指、足指、耳などを引っ張り、指関節をほぐし、

被術者の背中を踏み、回転する動きなどで被術者の背中を弓なりに曲げることを含む。マッサージに標準的な手順とリズムがある。

被施術者は仰向けになり、足の施術から始まる。施術者は呼吸の速さで被施術者を圧迫していくことが理想とされる。

by wikipedia

 

いや~、足の内側の下から上まで、痛かったっす。悲鳴を上げると多少加減してくれましたが(笑

2時間、あっという間でしたね。気持ちよかったです。寝るまでには至らず、変性意識状態に陥ったようで、白昼夢を観ました。

顔の大きな民族衣装で身を包んだ輩が動き回っていました。とても人間とは思えず、ここは地球じゃないなと思いました。

帰ってから、こうやってブログ投稿の整理をしてて分かったのですが、この顔の大きな輩は、なんと、ヤック(鬼神)でした!

あまり意識してなかったんだけど、ファインダー越しのヤックが刷り込まれていたのかなあ。でも鬼神にしては、もうちょっと

人間味があるようなイメージだったけど。なんとも不思議な時間帯でした。

夕食は空港近くのコ・ランタ・レストラン

空港近くなので着陸飛行機が眺められて良かったですよ。

屋外で夕食なのですが、雨が降って屋内へ。ちょっと残念でした。

空港内のお土産屋さんにて。

スワンナプーム国際空港

TG682便  22:45(現地時間)発  7/20(月) 06:55 羽田空港着

いや~、なかなか過激な旅行でございました。帰りも前の席のビジネスマンが落ち着かず、ガラスコップを割ったり・・・

ほとんど眠れませんでした。帰国後、またマッサージしてもらいたかったのは云うまでもありません(笑  fin


2015.7タイ・バンコク旅行記10(ココナッツファーム見学)

2015-08-13 10:55:18 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

さ~て、最終日です。ニューハーフショーの後、お腹を壊しました。

いえ、別にニューハーフショーを観たからではありません(笑

帰国後、いろいろ他者と話していて、水はミネラルウォーターを飲んでいたのですが、ホテルの水道水で歯を

普通に磨いていて・・・お腹の弱い人は、それだけでもお腹の調子が悪くなるとか・・・。

お腹は弱い方なので、過敏になり過ぎてお腹を壊したかと思っていたのですが、そんな要因もあったのかも

しれませんねえ。 

最終日は、ヤシの実工場と水上マーケットです。

バス窓より

バンコクからダムヌンサドアク水上マーケット方面へ。

途中で塩田が沢山ありました。道路端で塩も売っていましたよ。畑の向こうは海なんでしょうねー。見えませんが^^;

ココナッツファーム

ココナッツファーム 入口

いい感じです^^

う~む・・・無造作にヤシの実が積まれてますねー。

ヤシ(椰子)

単子葉植物ヤシ目 ヤシ科に属する植物の総称である。熱帯地方に多く、独特の樹型で知られている。

熱帯地方を中心に253属、約3333種がある。日本には7種ほどが自生。

古来より、多くの種が、さまざまな方法で利用されている。

食用
ココヤシ:(液状胚乳)は飲用、ナタ・デ・ココの原料、固形胚乳の層はココナッツとして食用、水分とともに砕いて乳液状に

したものはココナッツミルク。

ココヤシやアサイーなどの成長点はハート・オブ・パーム(ヤシの芽、パルミート)と呼ばれ、野菜としてサラダなどに利用される。

ナツメヤシ、ココヤシ、サゴヤシなどの樹液を煮詰めるとパームシュガーができる。また、樹液を醗酵させて酒を作ることもできる。

他にも薬用、建材などにも利用されている。by wikipedia

 

ここでは、砂糖を作っていました。

ヤシの花芽 花は小型で、穂になって生じる。花序の基部には包がある。花びらは小型。ちっちゃ~なヤシの実が写ってますね。

ヤシの実の殻は薪のような役割をしているのかな。

じっくり火が入った胚乳は黄金色をしています。ぐるぐるかき混ぜると次第にトロトロになって固まってくる。

パームシュガーのできあがり。

砂糖、オイル、工芸品、ジュース・・・・ヤシの実だけで、いろいろなモノが作られます。

もしかして、ヤシの実だけあれば生きていけるかな?

可愛い^^

なんと、家の中も見学。

2013年のカレンダーですが、タイ仏歴2556年。タイ仏歴マイナス西暦=543です。

12月5日(土) プーミポン国王(ラーマ9世)誕生日 12月10日(木) 憲法記念日 12月31日(木) 大晦日

仏滅紀元:釈迦が入滅したとされる年、またはその翌年を元年とする紀年法。

高床式です。チーク材かな?ピカピカです。ココナッツオイルで磨いてるのかな?(笑)

と思って調べたら、

チークはマホガニーと並ぶ優良高級材として様々な用途に用いられる銘木である。材質は堅く強靭で耐久性があり、病害虫にも強い。

天然の油成分があって、オイルやニスで手入れしなくても耐久性がある。加工も容易で、よく乾燥させた場合は伸縮率が小さく、

家具に向く。水にも強いので、甲板・内装などの船舶用材や建築材として広く使用される。by wikipedia

 

生活の様子がよく解りました。それにしても大らかですね^^

ウチも見られるようにしたら、もっと整理整頓、綺麗になるかな(笑

プラクルアン(タイのお守り)

タイ国では19世紀末から20世紀初頭にかけてバンコクで有名な幽霊譚(幽霊物語)が成立し、ナーン・ナーク(メー・ナーク)

の物語として知られる。この物語ではナーン・ナークの悪霊を鎮めるために呪術師や仏教僧侶トー師が登場する。

タイ社会の民間信仰においては、異常死(ターイホーン tai hong)した死者の霊が現世に未練をもち、凶悪な悪霊(ピータイホーン)

となり親族や村落にさまざまな災厄をもたらすとして懼れられている。そのピー(悪霊)信仰に対する人々の不安や苦悩に

対処するため呪術専門家としてモーピーがおり、仏教もまた呪的サービスとしてプラパリット(護呪)、聖水(ナームモン)の撒布、

聖糸(サーイシン)の囲繞(いにょう:囲うこと)、プラクルアン(พระเครื่อง)の護符などを提供してきた。プラクルアンとはブッダや

僧の姿をかたどった小仏像の護符であり、材質は金属・粘土を焼いたものから、貝の粉に薬草を混ぜたもの、中には高僧の頭髪を混ぜて

固めたものなど多彩であるが、緻密なデザインはなく、素朴で単純なデザインの物が多い。主に寺院で発行され日本のお守りのような

身に着けやすいサイズのものである。 僧侶が一つ一つ祈祷を奉げて制作するもので、厄除けや現世利益に効果があると信じられており、

首からぶら下げられて大切に扱われる。 高僧の手になるものには数百万バーツの高値がつくこともある。 現代ではこのお守りに

多数のマニアがおり、コレクションや投機対象にもなっている。タイでは数十もの専門雑誌が存在するほど一般的で身近な存在である。

by wikipedia

ココナッツファーム見学でしたが、お宅の中も興味深かったです。


2015.7タイ・バンコク旅行記9(バンコク5-ジム・トンプソンの家)

2015-08-10 12:58:10 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。


ワット・プラケオ王宮寺院に圧倒された後、「ジム・トンプソンの家」へ。

ジム・トンプソンの家

ジム・トンプソンの家は、タイのバンコクパトゥムワン区にある博物館。現在はバンコクでも人気の観光地のひとつと

なっている。アメリカの実業家でタイのシルク王ジム・トンプソンが、マレーシアのキャメロン・ハイランドで謎の失踪を

遂げる直前まで住んでいた家。

1950、60年代に彼がタイ各地で集めてきた種々の建築様式が取り入れられている。トンプソンはシルク会社を立ち上げた頃、

東南アジアの芸術作品を集めていた。トンプソンはタイだけでなく、当時のビルマやカンボジア、ラオスも仏教芸術品の収集先

としていた。しばしばこれらの国に作品を収集するために出かけていた。ジム・トンプソンの家には、トンプソンが収集した

仏教芸術作品などが展示されている。by wikipedia

繭玉

微笑みの国・タイ 手を合わせて、コップンカー(ありがとう)^^

錦鯉 ちょっと和風の要素が^^

カーテンのような下がり花

見上げると高いところに花が・・・

アップで。何の花でしょうね。

左はセン・セープ運河 停留所(船着場)もありましたよ。

ステキな館でした。 館内は撮影が禁止されていました。

ジム・トンプソン

戦後、タイ・シルクを復興させた男・・・1967年3月26日に、休暇で訪れていたマレーシアの高級別荘地、

キャメロン・ハイランドにあるシンガポール人の友人の別荘「ムーンライト・コテージ」で忽然と姿を消す。

トンプソン自体が以前諜報機関に所属し、失踪当時もアメリカなどの諜報関係者と接触を持っていたこと、

政変が繰り返されていたタイの政府上層部や反政府指導者に知人が多かったことなどから、身代金目的の

営利誘拐から諜報活動がらみの誘拐と暗殺、単なるジャングルでの遭難から地元住民による殺害まで、

さまざまな失踪理由が取りざたされたものの、現在に至るまでその行方も生死も謎のままである。

松本清張はこの事件をヒントに推理小説『熱い絹』を書いた。

なお、失踪から5か月後の8月30日、トンプソンの姉であるキャサリン・トンプソン・ウッド(当時74歳)が

ペンシルベニア州の自宅で他殺体で発見されているが、この事件の犯人は検挙されておらず、トンプソンの

失踪と関連があるかどうかも不明である。by wikipedia

う~ん・・・・映画にでもなりそうな生涯ですね。

 

ところで、この館、若いタイの女性がたどたどしい日本語で案内してくれたのですが、歯の矯正をして

いました。他にも歯の矯正をしている若い女性が目立ちました。何で?ちょっと調べてみました。

・タイ人はとにかく自分や他人の歯並びを気にする。タイのような階級社会では、まず人の外見を重要視する。

・階級社会は格差社会を生み出す。

・学歴に関して、高卒だと初任給が5,000バーツ(15,000円)、大学卒で12,000バーツ(36,000円)、

 修士だと25,000バーツ(75,000円)と明確に格差が生じます。問題は大卒だと勤続数年で月収が数倍に

 なるのに対して、高卒者の月収はほとんど変わらないことです。こうした背景で近年はタイの大学進学率が

 35%を超えたというデータもある。http://www.npo-asian.com/pages/Thai.html より

タイでの歯の矯正は、30,000バーツ(90,000円)以上。矯正完了までに少なくとも2年。(それでも

 日本よりははるかに安い(十分の一?)ですから、わざわざタイで歯の矯正をする日本人もいるらしいです)

・田舎からバンコクに出稼ぎにきて、アパートを始めとする衣食住の体制をやっと整えた後に、歯の矯正までやっと

 手が回るのが彼女らの現実。ですから、歯の矯正をすることは一種の憧れであり一つの到達点でもある。

 

う~む・・・いろいろググったら、まー、いろんな側面と深みがあって、「外こもりの聖地タイ」

なんて情報も入ってきて・・・・・まあ、このへんにしておきますか。。。

シーフード系夕食後、マンボー・キャバレーショーにてニューハーフ・ショー(笑

一時間くらいだったかな。聖子ちゃんのそっくりさんがいたり、面白かったですよ。

綺麗な人も多くて、ボケ~っと見ていて、おお!違う。いかんいかんと何度か思ったのでした(笑

中国の団体旅行客が多かったです。

 

ところで、なぜ、タイではニューハーフが多いように思うのか?

ググってみると、様々な要因があるようです。

 

・出家と徴兵の男ばかりの環境で同性愛に目覚める。

・貧困農村部では女性は売春、男性も同じような職業が儲かるからとの理由でニューハーフにさせる。

・タイは「微笑みの国」と言われるように、極めて寛容的な民族性があり、なおかつ仏教という多神教宗教自体が、

 キリスト教、イスラム教のような一神教よりも寛容な宗教なので、ニューハーフに対する差別が極めて少ない。

・同時に性適合手術実例や件数もタイがとても多い。今でこそ性同一性障害の診断書が必要だが、つい数年前

 までは診断書も不用で性適合手術が可能だった。

・すなわち、性同一性障害でなくとも収入を得る為に、ニューハーフをしているというケースも多々ある。

・このような事情で男性・女性の境界が曖昧な世界観が出来上がり、タイの性別の分類は男性と女性、ゲイ、

 レズビアン、レディボーイ、トムボーイ、男性と女性のバイセクシャルがあり、さらに細分化すると18の性別が

 存在するとも言われている。

 

 

スピリチュアリズムに照らせば、性同一性障害は、例えば、女性に多く転生してきた霊が、互いの立場や思いを

学ぶために男性に転生してきたのだが、どうしても男性に馴染めずに、心は女性のままという事もあるとの霊信

がありましたが・・・。

単純に性同一性障害の方が何らかの理由でタイに多いのかと思っていましたが、どうやら環境が性意識を曖昧な

ものにしているようですね。しかし、18の性別か・・・・おそらく世界中がそうなんでしょうけれど・・・ややこしいですね^^;


2015.7タイ・バンコク旅行記8(バンコク4-ワット・プラケオ(王宮<エメラルド>寺院)b)

2015-08-09 12:58:50 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

ともかく、何処もかしこも煌びやかです。

この方のようにポーズをとって写真を撮っている方をあちこちで見かけました。

オレンジ色の袈裟を着ている若い僧侶もあちこちで見かけました。

短い出家期間中に王宮・エメラルド寺院に観光に来られているのでしょうか。

本堂へ

本堂の中にはこの国でもっとも重要な仏像である「エメラルド仏」が鎮座しています。

これは形から察すると15世紀頃、北タイで造られたという説と手の形からスリランカで造られたという説があります。

もともとチェンライで1437年に発見され、その後ランパーン、チェンマイ、そしてラオスにも226年置かれていたことがあるそうです。

1778年トンブリー側に都を県都したタクシン王によってバンコクに持ち込まれ、1784年、エメラルド仏を安置するため本堂が

建てられました。幅48cm、高さ66cmの意外と小さい仏像だと言うことに驚かされます。

年に三回衣替えをしますが、これができるのは王族のみです。

エメラルドと言われていますが、実際は翡翠でできており、中国南方の翡翠ではないかといわれています。(注意:本堂内は撮影禁止)

http://www.bangkoknavi.com/miru/12/ より

本堂内は撮影禁止なので超望遠で狙ってみました。

「回廊の絵」

東南アジア一帯で知られている「ラーマーヤナー」と言う物語を絵にしたもの。

寺院を観光後、同じ敷地の王宮へ。

チャクリーマハープラーサート宮殿

王宮 (バンコク) チャクリーマハープラーサート宮殿

タイのバンコク・プラナコーン区にある王宮はタイ国王の「公的」な居住地であり、国内すべての宮殿の中でもっとも重要である

とされる宮殿。ただし、実際にはラーマ9世以降国王は居住しておらず、日常的な公務も行われていない。

したがって、チャクリー王朝あるいはチャクリー家のシンボル的存在にとどまっている。


王宮の建設は1782年5月6日に着工した。当時は木造の伝統的様式、いわゆる「タイ・ハウス」と呼ばれるで建てられていた。

翌年から徐々に要塞化してコンクリートの建造物を建設し、国王を経るごとに増築され続け現在みられるような形になった。

王宮はおおざっぱに北から寺院(ワット・プラケーオ)やかつて公官庁が存在した外側部分、国王のオフィスである中間部分、

国王の家族が居住する内側部分となっており、宮殿の北側を「前」と表現するなど北向きを意識して建てられた宮殿である。

by wikipedia

すごい人でしたが、それはそれは煌びやかで驚かされました。なんとも異次元空間でしたね。

今気が付いたのですが、こんな天候・空だったんですねー。あまりに煌びやかで空の色も気が付かない時間なのでした。

もっとユックリ・・・・でも、こんな空間は、どれだけ居ても、非日常的で、夢のような世界なんだろうな。。。。

いくら五感を駆使して感覚を受け取っても、脳がその情報を処理しきれない・・・そんな気がしました。

ディズニーランドも好きな人にとってはそんな感じ??だから、何度も何度も行って確かめたいのかもしれませんね^^

 


2015.7タイ・バンコク旅行記7(バンコク4-ワット・プラケオ(王宮<エメラルド>寺院)a)

2015-08-07 10:04:50 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

続いて、いよいよ、バンコク観光の目玉、最大のハイライト!タイ最高の地位と格式を誇る仏教寺院「ワットプラケオ」

王宮寺院、別名エメラルド寺院です。

バス窓より

タイ国防省

もともと同省の基盤はアユタヤ時代に創設された。現在のような省の形になったのは、ラーマ5世が西欧列強諸国の脅威に

対抗するために、1887年に常備軍を設置してからである。初めの省庁舎は王宮に面して建てられていた馬象厩舎であったが、

その後ヨーロッパ様式の建物に建て替えられた。1847年創設当初、省の指揮下の軍は陸軍のみであったが、1887年には海軍、

1913年には空軍も創設された。by wikipedia

わお!

写真では、あまり人が入らないように撮っていますが、すごい観光客です。

いろんな国の観光客が来ていましたよ。

中国?からの団体観光客は、ツアー記念撮影もされていました。

それにしても、華やか、煌びやかですわ~。

黄金の仏塔

ラーマ4世がアユタヤーにあるワット・プラシーサンペットの仏塔をまねして建てたものだといわれています。

広大に広がる敷地にある仏塔には仏舎利(仏陀の遺骨)が収められており、タイ全土から仏教徒である人々が訪れています。

http://www.bangkoknavi.com/miru/12/ より

 

ワット・プラシーラッタナサーサダーラーム

タイのバンコク・プラナコーン区にある仏教寺院。王宮の敷地内にある。その本尊から、通称ワット・プラケーオ。

エメラルド寺院の名で知られる。王宮の宮殿郡と接し、本堂にはエメラルド仏(プラ・ケーオ)が安置されている。

王室専用の仏教儀式の場であるため僧侶がおらず、僧侶が生活する庫裏などの施設がない。

普段は観光地になっており、内外から毎日たくさんの旅行客が訪れる。

1784年、ビルマ軍に備え、ラーマ1世が王朝をトンブリーからクルンテープ・マハナコーンへ移されるのと同時に、

当時の建築技術を最大限に利用して建設された。by wikipedia

キンナリー

緊那羅(きんなら)は、インド神話に登場する音楽の神々(または精霊)である。

仏教では護法善神の一尊で、天竜八部衆の一つである。by wikipedia

ヤック

夜叉(やしゃ、梵:यक्ष yakṣa、パーリ語:ञक्ख yakkhaの音写、訳:暴悪・捷疾鬼・威徳)は、

古代インド神話に登場する鬼神。薬叉(やくしゃ)とも称する。のちに仏教に取り入れられ護法善神の一尊となった。

by wikipedia

 

プラモンドップ

法典が収められています。

4ヶ所の門を鬼と蛇が守っている。

プラモンドップの横にはアンコールワットの模型があります。タイの建築様式はクメール文化の影響を強く受けています。つづく~


2015.7タイ・バンコク旅行記6(バンコク3-ワット・アルン(暁の寺))

2015-08-04 11:53:35 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

ワット・ポーに続いて、ワット・アルンへ。

歩いて・・・・と思ったら・・・

チャオプラヤー川の対岸へ渡し舟に乗ります。

う~む・・・この茶色い川は・・・・

そうだ、ベトナムに行ったときのメコン川クルーズのときと同じ色ですね。

ワット・アルン

「暁の寺」としてタイでもっとも有名な寺院のひとつ。1767年、タークシン将軍はビルマによる侵攻で荒廃したアユタヤの地を離れて

チャオプラヤー川をくだり、とある夜明けにこの寺に辿り着きました。そしてこの周辺を拠点に、現在のバンコク王朝の前身にあたる

トンブリー王朝を開き初代の王に。当時ワット・マコークと呼ばれていた小さな寺院は、そのことから「暁の寺」と呼ばれるようになった

という言い伝えがあります。また、ヴィエンチャン攻略で戦利品として持ち帰えられたエメラルド仏(持ち帰ったのは当時タークシン王

の部下だったところの後のラーマ1世)が祀られ、「王宮寺院」となっていた時期もありました(現在エメラルド仏はワット・プラケオ内で

みることができます)。ラーマ2世の頃に建設が始まり、ラーマ3世の時代に完成した現在の美しい仏塔は、バンコク様式で、10B硬貨

にも描かれています。

http://www.thailandtravel.or.jp/detail/sightseeing/?no=269 より

残念ながら写真のとおり修復中でした。ライトアップされた夜景の写真は美しかったですよ。

修復工事中。細かい作業のようです。陶器の破片?欠片?のようなものを埋め込んでいます。

チャオプラヤー川

5連くらいの貨物船もゆっくりと^^

バンコクを中心とする中央湿地帯では、農業用あるいは運搬用に運河が掘られ、世界でも有数の稲作地帯に発展した。

これをチャオプラヤー・デルタ(三角州)という。by wikipedia


2015.7タイ・バンコク旅行記5(バンコク2-ワット・ポー)

2015-08-02 10:13:01 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

17日はアユタヤ方面、18日はバンコク市内観光って感じです。

バス窓より

フワランポーン駅

タイの首都バンコク都パトゥムワン区にあるタイ国有鉄道の駅であり、タイ国有鉄道の主要幹線4路線の起点駅として

位置づけられている。また、バンコク・メトロ(地下鉄)の駅でもある。

 

ワット・ポーへ。

私のハンドルネーム「ポー」と同じ(笑) 若干、雨が降りましたが、大したことはありませんでした。

本堂の周りには、現チャクリー王朝のラマ1世から4世までの歴代王を象徴する4基の大きな仏塔が据えられています。

中国からやってきた陶器の破片をはめ込んで造られた色とりどりの仏塔は、微妙に色分けがされていて、

緑が1世、白が2世、黄色が3世、青が4世を表しています。中にはそれぞれの王の遺骨が納められていて、お墓のような役割を

果たしています。大仏塔の周りには小仏像が並んでいて、こちらは寄付をすれば一般人でも遺骨を納めることができるそうです。

http://www.bangkoknavi.com/miru/41/ より

ワット・ポー

●アユタヤ王朝末期のプラペートラチャ王時代(1688~1703年)に建立されたといわれる、バンコク最古の寺院。

その後、バンコク王朝のラーマ3世(1824~1851年)が17年をかけて長さ46メートルの涅槃像を祀る本堂と

その回廊、礼拝堂、71もの仏塔を建立させました。

また同時に、タイに古くから伝わる医薬資料を集め、それが後にタイ初の古典医療の拠点として発展することに

つながりました。見どころとしては、巨大な涅槃像をはじめ、お釈迦様にまつわる言い伝えやインドから伝わった

古典文学のラーマヤナなどを描いた本堂の壁画、そして境内のいたるところに見られる石造の面白いレプリカなど

があげられます。http://www.thailandtravel.or.jp/detail/sightseeing/?no=14 より


●ワットポーは、仏歴2331年(西暦1788年)、ラマ1世によって建てられた“バンコク最古の寺院”です。

正式名称は『ワット・プラ・チェートゥ・ポン・ラーチャ・ワ・ララーム』といい、名前が長く複雑であればある

ほど箔がついてありがたみが増すそうです。http://www.bangkoknavi.com/miru/41/

う~む・・・時代が多少ズレてるな・・・・??

 

本堂内部

本堂にはトンブリーから移されたというブロンズ製の本尊をはじめとして、150体の仏像が安置されています。

この台座にはラマ1世の御骨が納められていると云われています。

信者の方から旅行客まで、ごった煮状態です。

ナーガ上の釈迦

お釈迦様が、七つの頭をもつナーガと垂れ下がる木、ムチャリンの下で瞑想されています。

ナーガとはサンスクリット語でヘビ。もともとは水のシンボルであり、この生き物はヒンドゥー教文学の中に

登場している。このナーガのとぐろはお釈迦様を支えることで仏教に仕えることになった。

梵鐘

ワット・ポー全体図

仏像の後ろの壁の下のグレーのところに遺骨が納めらているらしいです。納骨堂ですね。

タイの仏教寺院は、幾層にも積み上げられた急勾配の屋根の形状で知られていますが、その屋根の両端の

『 人文字形 』に拡がる部分を 『 ナー・ジュア 』 と言います。

タイ上座部仏教寺院の屋根の突端部分には、『 チョー・ファー 』と呼ばれる神聖な棟飾りが乗せられています。

日本建築だと魔除けを意味する『 鬼瓦 』が乗っている箇所ですが、『 チョー・ファー 』は単なる魔除けではなく、

極めて神聖なものとして崇められています。

『 チョー・ファー 』 の形は、神や天使が住む天界園に生存する創造上の鳥の頭の形をモチーフにしたものです。

最頂部の『 チョー・ファー 』から屋根の下端に連なる金ピカの鱗状の装飾は、お釈迦様が悟りを開かれる時の

守護者である『 ナーガ蛇王 』の胴体とされています。 お釈迦様の守護者である『 ナーガ蛇王 』は、屋根の稜線

だけではなく、タイの寺院境内の彼方此方に重要な装飾飾りとして取り入れられています。

屋根の稜線部に連なる『 ナーガ蛇王 』の胴体の上にある突起物は、インド神話の創造上の高貴な水鳥の『 ホン 』

(大雁)の尻尾の羽根(ハーン・ホン) をイメージ化したものです。

http://ameblo.jp/hiro-1/entry-10028886175.html より

なぜ愛称がワット・ポーなのか?

それは境内にある、何世紀も前にスリランカから移植したとされる大きな菩提樹が由来。菩提樹の下でブッダは瞑想中に悟りを

開きましたが、伝説によると、まさしくその菩提樹の枝から増やした菩提樹がワット・ポー境内にある樹なんだそうです。

タイ語では菩提樹を「ポーの樹」と言うので、菩提樹のお寺、という愛称になっているんだそうです。

http://asiantokyo.jugem.jp/?eid=107

で、これがその菩提樹らしいです。

 

さて、礼拝堂に入り、大寝釈迦仏をぐるり1周していきます。

大きいです!

全長49メートル、高さ12メートルの寝釈迦仏の堂々とした寝姿に思わず圧倒されます。

全長46m、高さ15m レンガ造りで表面を漆喰で成型されている。という微妙に数字が違う説もあります(笑

ぺったんこの偏平足は“悟りを開いた者のしるし”。http://www.bangkoknavi.com/miru/41/ より

長さ5メートル、幅1.5メートルの大きな足の裏には、仏教と深い関わりを持つバラモン教の宇宙観が、108の絵で表されています。

螺鈿細工という、細かく砕いて磨いた貝殻を嵌め込む技法によって描かれていますが、ちょうど工事中で、上記写真が

わずかに見れました。

後姿も、手抜かりはありません。

頭をあずけていらっしゃる枕にも美しい装飾がほどこされていて、何とも優雅な後ろ姿です。

 

 

●タイ古式マッサージ

タイ・トラディショナル・マッサージには大きく分けて2つのスタイルがあり、「ワットポー」スタイルと「チェンマイ」スタイル

があります。

ワット・ポーは、タイ式マッサージの総本山。仏教医学の叡智(薬草や治療法などを記した石盤や文献)が集められた歴史が、

このお寺にマッサージスクールを設立するようプミポン国王が指示した背景にあります。

http://asiantokyo.jugem.jp/?eid=107

タイ古式マッサージに関しては、最終日に受けましたので、後でまた投稿します。