2017.2.4
横浜関内へライブを観に行く途中で「鶴見神社」へ立ち寄りました。
横浜を中心として「杉山神社」が数十社あります。主に五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社ですが、
多摩川を越えた領域には存在しない謎の多い神社だそうです。
で、この「鶴見神社」は、古来、杉山大明神(杉山神社)と称されていたそうです。
鶴見神社
東海道本線のすぐ脇にあります。横浜・川崎間の最古の神社のようですよ。
本殿は、杉山大明神(五十猛命)と天王宮(素盞嗚尊スサノオ)の二社相殿となっています。
鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。
1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。by wikipedia
天王宮、牛頭天王、素戔嗚尊(スサノオノミコト)に関してはいずれ調べてみようと思います。
狛犬があまり見たことのない荒々しい溶岩?の上から見下ろしています。
拝殿
鶴のマークが印象的ですね。
神紋は有職鶴(ゆうそくづる)
鶴は古代から霊鳥として尊ばれてきた。また亀とともに長寿のしるしとされ、めでたい動物といわれてきた。
wikiによると、「鶴見」の名は、鎌倉時代から現れ、源頼朝がここで鶴を放ったことから命名されたという伝説もある
ようですが、杉山神社の頃からこの神紋だったのでしょうか。それとも鶴見神社に改めた後なのでしょうか?
宝物殿の扉も神紋の有職鶴が印象的です。
拝殿を背に・・・たくさんの方が参っているようですね。
1962年(昭和37年)、境内の古木が倒れた際にその根元から弥生時代後期の土器や古墳時代の土師器、鎌倉時代に至る
祭祀遺跡が発見された。これにより、創建伝承以前から祭祀の場となっていたことが確認された。
また、2005年(平成17年)の施設構築時に貝層の中から弥生時代終末期〜古墳時代前期のものと思われる土器片が出土
している。さらに2008年(平成20年)の調査では境内から貝塚(鶴見神社境内貝塚として横浜市指定史跡に指定)が発見
されており、先の貝層との関連が考えられる他、今回発見された貝塚の周辺からも古墳時代前期の竪穴式住居跡が確認されて
いる。
相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御する。
この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に流れ着いたものと伝えられる。当時、少し上流にあった
鎮守天王社(現在は川崎市幸区小倉の小倉神社)の祭礼のとき、鶴見川で神輿を洗った際に、誤って流してしまったものと
される。
神木に関して、一つの伝承がある。江戸時代のこと、その神木の中でも大きな檜が人々の信仰をあつめていた。あるとき、
江戸の芝居小屋の棟木にするため、この檜の巨木を切り倒したところ、病人が出るなど奇怪なことが続いた。そこで、
この檜を伐採した跡に、これに代わる木を植えたところ、鎮まったという。by wikipedia
横浜最古の神事芸能田遊びは、明治五年を最後に廃絶となったが、昭和六十二年に再興された。以来杉山祭と呼称して
田祭り保存会が結成され、毎年例祭日に奉納されている。
本殿
本殿裏から
溶岩のような岩石に囲まれて建てられています。
ググってみると富士山溶岩を礎石にしていると紹介しているページもありましたが・・。社殿は1915年(大正4年)11月に
再建されたようですので、富士講の方々も関わっていたようにも思うのですがどうでしょう?本殿裏に富士塚もありましたし。
本殿奥の「富士塚」。
境内の外より。
かつては約5,000坪もの社地を有していたと伝えられていますが、明治五年(1872)、新橋・横浜間に日本初の鉄道が
開通し鶴見駅も開業したのだが、この際に線路敷くために、当社の西半分が失われてしまいました。浅間神社もあった
ようなのですが残念ですね。。。
いろいろとググってみると、こちら様のページが非常に詳しくまとめられていました。
https://jinjamemo.com/archives/post-2920.html