~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

江古田浅間神社(東京都練馬区)

2018-01-31 06:44:18 | ・神社・お寺

2018.1.13 中野区江古田方面の神社へ参拝に行ってきました。10000歩以上歩きましたよ^^

武蔵野稲荷神社参拝後、今回の目的地の江古田浅間神社へ向かいました。よくよく調べてみたら、江古田は中野区ですが、
西武池袋線の江古田駅は練馬区なんですね!!!!いや~知りませんでしたわ。。。

江古田市場通りのたいやきやさん。閉まってましたけど。。。何となくあちこち昭和の風情があって良い感じでした。

目的の江古田浅間神社は江古田駅の目の前でした。

鳥居

境内 二本の大きなケヤキが印象的です。

拝殿

拝殿 脇より。後方に大きな富士塚があります。

「茅原浅間」と書かれていますね。

浅間神社

・東京都練馬区小竹町にある神社。
・「江古田浅間神社」、「茅原浅間神社」とも呼称される。
・木花佐久夜姫命を祀る富士信仰の神社である。
・創立年代は社伝によると承平元年(931年)からとされるが、歴史学的には不詳。
・『新編武蔵風土記稿』によると「富士浅間社」とされ、別当寺は真言宗豊山派能満寺(旭丘)。
・境内の歌碑に「果てもなきこの武蔵野の茅原に富士ばかりこそ山は見えけれ」とあり、一名茅原浅間神社
 (かやはらせんげんじんじゃ)とも呼ばれた。
・昔、小竹町と江古田町の人々がこの神社の所有をめぐって争ったところ、夏にもかかわらず雪が降る天変地異が起きた。
 これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として祀ることにし争いを収めたという伝説が残る。なお、別当寺である
 能満寺の山号は「夏雪山」であり、やはり夏に降る雪の伝説が残る。by wikipedia

拝殿左側より

拝殿左側の更に奥から富士塚の山頂が見えました。

山頂の祠

拝殿右側より。富士塚に入れるときは、こちらから入るようですね。

残念ながら登拝はできませんでした。三が日と山開き、9月例祭の時には登れるようですよ。

江古田の富士塚

・拝殿の後方に国の重要有形民俗文化財に指定されている「江古田の富士塚」(えこだのふじづか、通称:江古田富士とも)
 が保存されている。
・富士山の溶岩で覆われた富士塚で、天保10年(1839年)に小竹丸祓講により建造されたとされる。高さ8メートル、
 直径約30メートルで、山には天狗や猿などの神像、石碑もある。

・境内には文化4年(1807年)の石灯籠などの遺物も残っていることから、この富士塚も文化年間に築かれたのではないかと
 いう説もある。
・都区内の富士塚の中では大規模なものとされる。
・この富士塚では「山開き」「登山」などの神事がおこなわれており、記録映画も作成された。1983年を最後に講中による
 富士塚参詣はなくなったが、7月1日の山開きは続けられておりこの日には一般の登拝が可能である(この他に正月三が日や
 当社の例祭が行われる9月の第2土曜日および日曜日にも登ることができる)。by wikipedia

江戸期に富士講の人々に崇敬され、富士山から持ち帰った溶岩で富士塚が作られたようですよ。江古田の町の風情やこの神社
の空間・空気・・・・目を閉じると江戸の頃の賑わいが浮かぶようでした。


武蔵野稲荷神社(東京都練馬区)

2018-01-30 07:08:58 | ・神社・お寺

2018.1.13 中野区江古田方面の神社へ参拝に行ってきました。10000歩以上歩きましたよ^^

豊玉氷川神社を北上。目的は江古田の浅間神社でしたが、通り道に鳥居を発見。武蔵大学の学生通り抜け禁止の看板が
ありましたよ。近道になるのかな?

一ノ鳥居  鳥居をくぐって線路沿いに進みます。

二ノ鳥居

クランク状に進みます。燈籠が大きいですね。

参道は狭い感じですが神門が実に立派です。狭い参道から、まさかこのような神門のある構えだとは思っていなかったので驚きました。

随神門

いや~立派ですわ。昭和50~55年にかけて拝殿と共に整備されたようですが、なかなか個性的ですね。

祭儀殿

井戸

・御祭神 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)

・御由緒 当社は古くから多くの善男善女の篤い信仰にささえられて今日に至りましたが、特に商売繁昌、無病息災、
 禍転じて福となす “つなぎの神様” 江古田のお稲荷さんとして知られ、境内には開運幟が翻って、植裁された深い
 緑の中で鮮やかに映えている。http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/nerima/6867/ より。

本殿の方へは行けませんでした。

 

拝殿上部
いや~綺麗
な彫刻です。上部に「月」と「太陽」。その下に「恵比寿様」と「大黒様」。「弁天様」も?とても賑やかです^^

更に左上部を望遠撮影
気が使ったのですが、https://ameblo.jp/loveryou0225/entry-11745179314.html 様によると、隋神門の外に御祭神の
案内板があって、そちらによると、

・月日十天上大神(つきひじゅってんじょうおおかみ)
陰気を陽気に替へ、病気を直し、厄をはらい、人間、神に切り替える陽気ぐらしの切り替への神様。

・武蔵野稲荷大神
商売繁盛、金銀冨貴、開運の神。家内安全、交通安全、除災招福、食物の神様。

・弥栄天神(いやさかてんじん)(天満大自在天神)
学業成就、文道の大祖風月の本主として京都北野天満宮より観請。

のようです。この「月日十天上大神」さんは、どんな神様なのだろうとググってみましたが、某宗教団体分派の記述ぐらい
しか情報がありませんでした。左側の装飾マークには10個の星(丸)と陽と月が描かれているので「月日十天上大神」の
象徴なのでしょうか。

左は、境内・隋神門内の大黒様の手水舎
中央は、高天原鳥居入り口

「高天原」の鳥居

武蔵野稲荷神社身代稲荷大神

不思議な色合い(空気・空間において)ある神社でした。

武蔵野稲荷神社

・鎮座の年代は不詳。
・現在、本殿の建っている小高い塚は、瓢箪塚あるいは割塚(後が二個に割れているところから)とも言われた(明治初年の地図による)。
・文明9年(1477)、江古田・沼袋の戦で太田道灌によって滅ぼされた豊島軍の死者を葬った豊島氏の塚との言い伝えもある。
・古い塚であることは確かで、その守りとして稲荷が祀られたと考えられる。
・塚には白狐が十数匹も棲んでいたので白狐塚とも言った。ある時死んだ子狐を埋めて供養し幼児がよく育つようにと祈ったのが子守塚だと言う。

・明治、大正から昭和と、商家、歌舞伎役者、馬主、事業家等の信仰を集め、平成となった現在でも除災招福、病気平癒、商売繁昌の祈願が多い。
・弥栄天神は京都北野天満宮より勧請されたものである。

・境内建造物は、大正7年(1918)建築の際儀殿を除いて、昭和50年から5ヶ年計画で、本殿、拝殿、鳥居、随神門と新築整備されたものである。
 その際、塚の後の割れている所は、本殿整備のため埋め戻された。
・手水舎は大黒が臼造りをしている珍しい作品である。

・参道はサクラ、イチョウなどの落葉樹がトンネルのように茂り、春は花、秋は紅葉で彩られる。
・なお、昔は「三の稲荷」とも言って、三の日の縁日が大変な人出で賑わったが、今は行われていない。(「練馬の神社」より)

https://tesshow.jp/nerima/shrine_sakaecho_inari.html 様より


2018.1.22~23東京/大雪

2018-01-24 15:44:51 | ・日常

2018.1.22~23東京/大雪

動かしながら偶然撮った一枚。おもろいわ~。

帰宅途中

帰宅~

これだけベランダの手すりに雪が積もったのは初めてですねー。

出社~会社の屋上より

なんとツララも^^

いや~降りましたわ。。。

黒潮蛇行と東京大雪の関連付けをしている大学の教授さん、大当たりですね~。


豊玉氷川神社(東京都練馬区)

2018-01-24 15:01:20 | ・神社・お寺

2018.1.13 中野区江古田方面の神社へ参拝に行ってきました。10000歩以上歩きましたよ^^

正面の鳥居

ビール麦発祥の地 なんとこの地はビール醸造に大きく貢献した地域でした^^

「金子ゴールデン」でググってみたら、「JA東京あおば」でプライベートブランド商品として、

「練馬金子ゴールデンビール」を今でも販売していましたよ^^

日本初のビール麦!苦味をおさえたほんのり甘みのある味で、シャンパンの様なキメの細やかな泡と林檎の様な香りが

特徴です。1本330mlで580円。

神楽殿

社殿右手の「須賀神社」

拝殿

豊玉氷川神社

現在境内社となっている北野神社が最も古い主祭神であり、次いで須賀神社に変わり、更にその後氷川神社が主神となった
ようです。

本殿

江戸時代の文化・文政期に編纂された「新編武蔵風土記稿」では中荒井村(中新井村)の項目に「氷川社 村ノ鎮守ナリ。
例祭九月十八日。正覚院持。末社牛頭天王 天神 稲荷」と記されており、「中新井の氷川さま」の俗称がある。
https://jinja.tokyolovers.jp/tokyo/nerima/toyotamahikawajinja より。

社殿左の「北野天満神社」(左)と「三峯神社」(右)

三峰神社

三峰神社の狛犬、オオカミですね。なかなか迫力がありました。

境内の井戸

二度目の参拝だったと思います。環状七号線脇ですが良い空間でしたよ。

参拝を終えて、江古田方面へ北上途中にこんな建物が・・・。

唐沢博物館

「日本教育史研究で、実物からアプローチする独自の業績をあげた唐澤富太郎。その生涯をかけて収集した実物資料を
展示する個人博物館」だそうですよ。

いや~こんな博物館があったとは・・・。唐澤富太郎・・「親鸞の人間観・教育観」など著作も多数あるようです。


迎賓館赤坂離宮2

2018-01-19 18:19:59 | ・ショートトリップ

つづきです。

2018.1

昨年12月、「平成29年度迎賓館赤坂離宮一般公開本館及び主庭参観(個人)」へ応募していました。
以前仕事で前をよく通ることがあって、一度、参観してみたいなあと思っていたのでした。

で、1月に参観してきましたよ。14時からの参観だったので、正面は逆光で残念でした。でも主庭の庭園側は、
西陽を燦々と浴び、それはそれは美しかったです。赤坂迎賓館2で投稿します。

というわけで、ここから主庭側です。

館内見学は写真左下から出入りします。

西側面

冬の陽光が当りとても綺麗です。

青空が綺麗でした。

主庭側からの本館

主庭の噴水

この噴水が実に美しかったです。

 

アップにするとド迫力ですね~。

人も少なかったので警備の方に写真を撮ってもらえました。

噴水の美しい水色は、今の季節ならではのようですよ。迎賓館・噴水で画像をググってみると緑色っぽい時期もありますね。
藻の発生?陽光の注ぐ角度???

更に写す角度で随分と印象が違います↓

この写真は、お日様を噴水中央の柱に隠して撮ってみました。

本館はホントに美しかったです。

超望遠で撮ってみました。館内も外観も一見大人しめなのですが、ま~ホントに細かい彫刻が施されていました。

というわけで、もっと時間をかけて見学しても良かったなあと思いましたよ。次の予定があったので残念。。。。

明治以降の文化財としては初の国宝、100年以上の歴史を経て、歴史に翻弄されながらも良く残ってくれました。

また機会があったら見学したいですね^^


迎賓館赤坂離宮1

2018-01-18 19:27:27 | ・ショートトリップ

2018.1

昨年12月、「平成29年度迎賓館赤坂離宮一般公開本館及び主庭参観(個人)」へ応募していました。
以前仕事で前をよく通ることがあって、一度、参観してみたいなあと思っていたのでした。

で、1月に参観してきましたよ。14時からの参観だったので、正面は逆光で残念でした。でも主庭の庭園側は、
西陽を燦々と浴び、それはそれは美しかったです。赤坂迎賓館2で投稿します。

参観料金は1000円。手荷物検査はまるで空港みたいでした。

本館内は撮影禁止。お酒飲んでたら入れませんよ。禁止事項が具体的でスゴイのでコピペします。

 8.禁止事項
 (1) 入場を禁止・制限する者
  飲酒、薬物等により意識障害が起きていると推認される者、動物(身体障害者補助犬を除く。)を同伴する者、
  危険物を携行する者、旗ざお、スーツケース等大きな荷物等で通行を妨げ、又は他に危害、迷惑等を及ぼす
  おそれのある物を携行する者、その他迎賓館赤坂離宮の一般公開に支障があると認められる者

 (2) 禁止行為
  a 館内で携帯電話、スマートフォン、カメラ、タブレット、ペットボトル、傘(日傘を含む。)を露出させて携行すること
  b 館内で携帯電話、スマートフォン、タブレット等を用いて音声発信・受信通話すること
  c 館内に食糧等を持ち込むこと
  d 当館が指定した場所以外での飲食(飲料、ガム・飴等含む。)をすること
  e 館内の装飾品、調度品、壁面等に触れ、いたずら書きをし、又は持ち去ること
  f 館内で走ったり飛び跳ね、館内交通に支障を生じさせること
  g 池や噴水に硬貨等を投げ入れること
  h 動植物や魚を捕獲・採取し、又は殺傷・損傷すること
  i 敷地内の館所有物品等を破損・移動させ、又は土石の類を採取すること
  j 敷地内で飲酒・喫煙すること及びライター等による着火・引火行為等をすること
  k 敷地内で不規則かつ不用意な発言、奇声を発し、又は騒音を発生させること
  l 敷地内でごみの廃棄、私物の置き去りをすること
  m 敷地内でスケッチ、拡声器使用、プラカード・横断幕等の掲示等を行うこと
  n 敷地内で貼り紙・ビラ類の配布,集会又は示威行為をすること
  o 敷地内への自転車等での乗り入れ又は運動競技を行うこと
  p 仮装や奇抜な服装、迎賓館赤坂離宮の品位を貶める風紀を乱す服装などで入場すること
  q 子どもを同伴している場合、放置・放任すること
  r 許可業者以外の敷地内での物の販売・頒布、募金又は業として興行を行うこと
  s 係員・警衛官等の整理誘導・制止に従わず、場内(迎賓館全域)の通行の安全を妨げ、または立入を禁じた場所に立ち入ること
  t 無線操縦型小型無人機(ドローン等)の持ち込み・使用
  u その他迎賓館赤坂離宮内の秩序又は風紀を乱し、一般公開に支障があると認められる行為をすること
 (3) その他
  入場後に係員・警衛官の注意や指示に対して拒否又は不同意の意思表示をし、あるいは前項各号に該当する行為が確認された参観者及び同行者は直ちに退場していただく場合があります。

内閣府迎賓館赤坂離宮
http://www.geihinkan.go.jp/geihinkan/akasaka/koukai.html

館内は、一見、派手さはないけれどゴージャス。品の良さを感じましたねー。すごい空間でした。あまりの異空間で、
もし、誰も居なくて独りで入り込んだら、幻視を見そうですわ。ノルウェー産の大理石の円柱の模様が凄かったですねー。

館内を見学後、庭園側(主庭)を見学、その後、前庭へ周りましたが、投稿は逆に前庭から羅列していきます。

迎賓館正面門

門の内側より。

迎賓館建物前から観る正面門

迎賓館建物前から観る正面門方面

前庭では、飲み物や迎賓館参観記念オリジナルフレーム切手などを販売していました。どうやったらクルマ持ち込んで
販売できるんでしょうね。なんか警備が凄く厳しいのに何となくアンバランスなイメージを受けました。私だけ??

完全に逆光なんですよねー。残念です。

本館正面ぎりぎりまで行くことができます。 

 

日本が独自の文化を守りながらの西洋化と富国強兵に突き進んでいた時代を象徴して、天皇を『武勲の者』という印象を
表現するために、正面玄関の屋根飾りや内装の模様などに鎧武者の意匠があるなど、建物全体に西洋の宮殿建築に日本風の
意匠が混じった装飾になっている。by wikipedia

 

衛舎・・・正門から本館へと向かう左右(東西方向)に建つ旧衛士詰所。シンメトリーで双方とも23.3×6.4m、
地上1階地下1階、寄棟造り、スレート葺き。国宝指定。

前庭の巨樹 特に看板も無く・・・しかし立派な巨木でした。

沿革

・東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。

・鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、
 元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)
 に建てられた。

・しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかった
 ことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。

・嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

・1924年(大正13年)、大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が
 成ると、その後の数年間、赤坂離宮は裕仁親王一家の住居たる東宮御所として使用されたが、裕仁親王が天皇に即位した後
 は離宮として使用されることも稀になった。

・終戦時には高松宮宣仁親王が昭和天皇に、皇居を出て赤坂離宮へ移り住むことを提案したが、天皇は使い勝手が悪く経費が
 かさむとして拒否している。

・第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948–61年)、法務庁法制意見
 長官(1948–60年)、裁判官弾劾裁判所(1948–70年)、内閣憲法調査会(1956-60年)、東京オリンピック組織
 委員会(1961–65年)などに使用された。

・その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区
 芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、1962年
 (昭和37年)に当時の池田勇人首相の発意によって新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。

・これを受けて、池田及び池田の後継として1964年(昭和39年)に首相に就任した佐藤栄作の2代の政権下で政府部内で
 検討を重ねた結果、『旧赤坂離宮を改修し、これを外国賓客に対する迎賓施設に供する』ことが、1967年(昭和42年)
 に決定された。

・こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計
 協力により、田中角栄政権当時の1974年(昭和49年)3月に現在の迎賓館が完成した。

・新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、1974年11月に現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・
 フォードだった。 過去に2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、大規模な改修工事が行われたことが
 ある。

・2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定、明治以降の文化財としては初の国宝と
 なった。 2016年 (平成28年)4月から一般公開、12月にはライトアップが行われた。by wikipedia

 

https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00312/

https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00317/


瀬川洋&トラベリン・オーシャン・ブルーバーズ/結成20周年記念ライブ♪

2018-01-11 07:40:08 | ・映画・本・絵

2017.12.24

瀬川洋&トラベリン・オーシャン・ブルーバーズ/結成20周年記念ライブ♪ 原宿クロコダイル

この度、トラヴェリン・オーシャン・ブルーバーズは結成20周年を迎えました。加えて、瀬川洋は古希ザ・ダイナマイツが

レコード・デビューしてから50年、これらを記念してアニバーサリー・ライヴを行ないます!

というわけで、そりゃ駆け付けない分けには行きません^^

原宿から歩きました。相変わらず、すごい人ですねー。外国人も多くなりました。表参道から明治通りへ。久しぶりですなー。

12:00開場ということでしたが、オープンが遅れてお店前には列ができていました。日頃、夜でしか逢わないオーディエンスと、

太陽の下で出逢う(さらに酔っていない・笑)というのは、ちょっと気恥しいような何とも不思議な感覚でしたねー。

店内は満杯^^ いや~いいですね~♪

カウンター脇のテーブルに陣取りました。ちょっと柱やカウンターがあってステージは観にくいんだけど、ここしか座れ

なかったもんで。入り口上部を見上げると、お~ここにPAがあったんだ。なんと梯子で登っていくみたい。

客席側はミラーが多くとても広々と見えますね。光も散りばめられていてキレイです♪

12:30開演が、13時過ぎに開始~♪

シバイさん、力のこもったサックスが響きわたり、モリさんも元気に登場~

瀬川さんの「目から汗が・・・・」に思わず、わたしもウルウルしちゃいましたね。20年の歳月はいろいろな事を思い
起こさせ、向こうの世界に逝ってしまった人たちが浮かんでは消えて・・・それぞれの人たちの胸に、いろいろな思いが
押し寄せてきたことでしょう。

瀬川さんは、三途の川を渡る駄賃が足りずに渡れないそうですよ(笑

わたし、後半からは入り口脇で、ずっと踊ってました。

キラキラしていて綺麗だったなあ。

Tupelo Honeyは最高でした。ベースのりのりの楽曲、何だったっけ?シゲちゃんもまるで踊っているみたいなプレイで♪

金子マリさんやtob創世期の大戸敏文さんも応援に^^

ダイナマイツ復活!

吉田さんのベース、野村さんのドラム、最高でした♪

マリちゃん熱唱^^

「何故に生まれて」久しぶりに聴けましたよ。

結成20周年記念ライブ♪ それでもこだわりのある楽曲はトコトンと^^。瀬川さんの音楽に対する熱意は相変わらずです^^

休憩中にダイナマイツの頃の映像が流れていました。みなさん、食い入るように観ていましたよ^^

15時終演予定でしたが、開演が遅れたから15時半くらいかと思ってましたが・・・何とアンコール含め、16時30分過ぎまで、
行われました。3時間以上のライブ!!!いや~すごかったです。後半ずっと立ちっぱなし踊りっぱなしだったので、さすがに
腰にきましたね(笑)戦いでした(笑)でも、たくさんの方がたくさんのエネルギーをもらえたのではないでしょうか。

ライブハウスを出るとすでに暗く、表参道はこんな感じでした。

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「1998.11.22 渋谷屋根裏 のメモ」

彼らの音楽の根底にあるもの、それは、誰もの心臓の鼓動に調和する魂。スルメのように、かめば、かむほど、味がある。
なつかしい、忘れていた幼いころの原風景がよみがえる。一つ一つの音を、まるで言霊のように、大切に、そして、
エネルギッシュな、調和で聴かせてくれる。一人一人の生活に、ヴィタミン剤のように常用してほしい。

瀬川洋率いるトラベリン・オ-シャン・ブル-バ-ズの待ちわびた5ヶ月ぶりのライブが、昨年12月同様、渋谷屋根裏で行わ
れた。1時間遅れでスタート。前半1時間、休憩をはさんで、後半も1時間半近い実にパワフルなステージだった。ほとんど、
MCは無く、ひたむきに調和を重んじ、楽曲で表現しようとする、本物のロック・ライブ・スピリットは、不変だ。ここで言う
調和は、けしてこじんまりまとまるのではなく、砂浜に波が打ちあげるように、時には激しく、時にはクールに客席までもを巻き
込む自然なエネルギーの和である。共鳴といってもよいだろう。さらに、ゲストのKYON(key)や、元ダイナマイツの大木啓造らの
ゲスト参加により、アットホームな、そしてパワフルな色を巻き散らしていた。’金を払って聞きに来てるんだから、精一杯プレイ
するんだ’という、彼のポリシーは、ヴィジュアル・パフォーマンスではなく、個々の魂に飛び込むこだわりの音に息づいていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「1998.11.18 02:30の思い出」

少しずつ、まどろみが浅くなり、何かに呼び寄せられて目がさめる。 行かなくては・・・・。 真夜中の街は、普段とは違い、
頬を、赤く染めるように高揚した魂たちが、静 かに、それを待っていた。 まるで、それに吸い寄せられるように・・・・。

そんな、いつもと違う雰囲気に包まれて、少しずつ胸が高鳴ってくる。 北斗七星、オリオン、すばる・・・。いつもより鮮明に
見えている。 雲は切れ、月は隠れ、風は、ほとんど無い。 すべてのものが、息をひそめて待っている。 ビルを、早足で駆けあ
がると、いきなり、眼の中に閃光が飛び込んできた。 流れた後の軌跡が、飛行機雲になる。 圧倒的な明るさと視界の端から端まで
流れる星たち。 見慣れた都会の夜空を、日常から非日常へと一瞬に変えていく。

曇りのない瞳で見つめていた沖縄・阿嘉島で出会った流れ星。 命を吹き込んだオリオンをかすめた都会で出会った流れ星。
消えゆく命を見つめていたノース・オアフで出会った流れ星。 自分の歴史に刻まれた流れ星との出会いは、いくつかあったが、…。

これなら、願い事も間に合いそうだが、頭の中が真っ白になり、 僕の頭上のフキダシには、‘…・!!’感嘆符しか出てこない。
まるで、夜空は、巨大なキャンパス。絵描きは…・誰?

この壮大なドラマのBGMは、26年前にレコーデイングされた、瀬川洋の ‘なぜに生まれて’。 時の流れを飛び越えて、
スチールギターのフレーズと、彼の歌声が、流れ星 と絶妙な、ハーモニーを奏でていた。 


川口神社(埼玉県川口市)

2018-01-06 12:20:43 | ・神社・お寺

2017.12 鎮守氷川神社(埼玉県川口市)へ参拝後、帰るつもりでしたが、道中、川口神社の脇を通ったら、浅間神社が
見えたのでUターンして参拝いたしました。

大きな鳥居です。鳥居脇にブランコがあって、なんか良い感じです^^

神門

境内社の浅間神社・富士塚

社務所

境内 なかなか広くて巨木も多いです。良い空気・空間です。

12月の七五三お参り

最近は、ご両親が共働きで都合が付かなかったり、父親が海外出張などのケースも多いので、11/15前後お参りの幅は、
かなり広がっているそうです。11/15は、旧暦から見れば冬至に近い満月の日のようで、となれば「子の成長」を願う
には冬至(1年の始まり)がいちばん適切なのかもしれませんね。

川口神社
・式内社で、旧社格は県社。
・中央・幸栄・並木地区13町村の氏神であるとともに、川口の総鎮守として崇敬される。
・祭神:素盞嗚尊、菅原道真公、宇迦之御魂命、保食命、金山彦命
金山彦命は鉱業・鍛冶の神であり、川口で盛んな鋳物の守護神とされる。
・歴史:創建の由緒の記録は水害により失われており不明であるが、社伝では天慶年間(938年 - 947年)に
 足立郡司判官代・武蔵武芝によって創建されたと伝える。当初は氷川社と称し、氷川大明神とも称された。
・1873年(明治6年)に村社に列格し、後に川口町内の天神社(菅原道真)、稲荷社3社(宇迦之御魂命・保食命)、
 金山社(金山彦命)を順次合祀して、1909年(明治42年)、社名を川口神社に改めた。
・1933年(昭和8年)、川口市の市制施行により総鎮守となり、1935年(昭和10年)、県社に昇格した。by wikipedia

本殿

本殿

境内社の「金山神社 拝殿」

川口の伝統基幹産業である「鋳物業の守護神」として篤い信仰があります。
1947年には工場数が703となり、鋳物生産額が全国の約3分の1占めたそうですよ。

境内社の旧社殿(現・八雲社)は川口町最古の神社建築として、市の文化財に指定されました。

境内の「恵比寿神と大黒天」

旧狛犬 以前の狛犬も大切にされているのが良いですね。

境内社の「梅ノ木天神社」

川口の名は、南を流れる荒川に合流する芝川の河口に当たることに由来。
中世の頃は鎌倉街道中道、そして江戸になると日光御成街道の宿場として川口宿が成立。
古くから今でも鋳物工場の溶解炉のそばには必ず金山様の神棚が祀られている。

浅間神社は、昭和初期に築造され放置されていた小さな富士塚を、最近になって改修。
https://jinjamemo.com/archives/43496418.html より。

川口駅にも近く、周りには高い建物があちこちに建っていますが、地元に溶け込む空気・空間にとても安らぎをおぼえました。


2018.1.1本年も宜しくお願いいたします。

2018-01-01 12:42:24 | ・日常

 

本年も宜しくお願いいたします。

↓2017年のこのブログ投稿の私的ベストショット集です(クリックで別ページへ飛び拡大して見れます)。

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また神社参拝(お寺・遺跡も有り)がライフワーク化してきていているので、そちらもこのブログから抜粋

して投稿しています。

神社 by paw

今後とも宜しくお願いいたします。