先日、縁があって朗読ライブへ行ってきました。
朗読とは・・・wikipediaによると、
・朗読は、声を出しながら文章を読むこと。
・「音読」ともいうが、「朗読」には「感情をこめて読み上げる」という意味あいも含まれる。
・また、朗読を芸術的な観点から「文字言語で表現された文学作品を音声言語で再表現する芸術」と
とらえる考え方、あるいは、学問&教育的な観点から「自分の読みを獲得し、それを他者に朗(あきら)かに
する行為」ととらえる考え方もある。
・文章を暗記した上でこれを行うことを暗唱という。また、声を出さず、心の中で読み上げることを「黙読」といい、
これに対比させる意味では音読という語もある。さらに、芸術的な表現として文学作品をよむ段階を「表現よみ」
という用語で示すという考えもある。
今回、観に行ったライブは、独りで舞台の中央に立ち、ライティングを変えながら、ご自分の詩を暗唱朗読する
という表現法でした。一時間ほどのライブでしたが、ドリンク付という事で、焼酎のロックを飲みながら、
静けさの緊張感漂う最中、変な酔い方をしてしまったのでした^^;
ただ、そんな空気・空間の中で気がついた事があります。音楽ライブは、「リズム」「メロディ」「詩」「歌声」など
沢山の要素を受け取るのですが、朗読は「声」だけなんですね。ですから、すごくストレートに入り込んでくる。
表現者と受け手の波長が合えば、すごく同化すると思うんです。
今回、私とは波長のあまり合わない表現者でしたので、その体験はできませんでしたが、いったんハマルと
かなり心に響きそうですね。
それと、「表現者」には、
・オリジナリティがあり独創的な世界観を見せ、引きずり込んでくるタイプ
(見たことも感じたこともないような、いわゆる前衛芸術的??なもの)
・受け手に表現を共感させるようなタイプ
(潜在意識、集合意識に働きかけるようなもの)
があると思いました。
いずれにしても、受け手の主観で感じ取るものですから、100人いれば100人の感じ方があり、
共感するところも全て違うことでしょう。自分の経験や感覚に照らして受け取るのですから、
例えば、「子ども」に関する作品に関して、若い女性と母親では受け取り方が全く違うでしょう。
(反面、時代を顕わす集合意識に働きかけるような作品もありますが)
同じ映画でも、若い頃に観た時と、歳を取り経験を積み重ねて観た時とでは、捉え方が違いますよね。
今後、自分で何かを表現する手法として刺激になったのでした^^