~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

2015.7タイ・バンコク旅行記11(ダムヌンサドアク水上マーケット・タイ古式マッサージ)fin

2015-08-14 08:43:21 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

さ~て、最終投稿です。

ココナッツファーム見学後、ダムヌンサドアク水上マーケットへ。

この近くのウボンワンダラム寺院??で神秘治療(トゥエイヘエケン・・チョハッカイが憑依して

長い筒のような棒を身体に向けて覗きながら治療する)が行われていた20年以上も前のテレビの録画を観て、

今はどうなっているのか知りたかったんですが、ガイドさんも全く知らないようでした。知らないフリ

をしていたのかもしれませんけどね。

船着き場

ここから船に乗っていきます。

写真売りのカメラマン^^

いや~、すんごいスピードで飛ばします。

水路沿いには、普通に住居があります。

水路を直角に曲がります。さすがにスピードダウンです。

曲がりきると、またすっ飛ばします。

舟上より

舟上より

舟上より

狭い水路なのですれ違う時はスピードダウン。水路左右からの跳ね返りの波もスゴイです。

舟上より

タイの家の庭先では、一本柱に小さなお堂が乗ったようなかたちの祠を見かけることがよくあります。これは土地の神様を祀る

「サーン・プラプーム」と呼ばれるもの。タイの人々はもともと精霊信仰(アニミズム)を持ち、古来、森林や巨樹、土地、家屋

など至るところに精霊(ピーまたはチャオ)が住んでいて、供養をすればそれらによる庇護を、対して悪い行いには罰を受けると

考えてきました。現在のような祠やそれにまつわる細かいしきたりなどは後にヒンドゥー教の影響のなかで生まれたものですが、

そういった考えはいまなお人々の間に根強く残っています。 http://www.thailandtravel.or.jp/about/culture.html

舟上より

舟上より

 

そろそろ水上マーケットです。

こんな売り方をして売れるんですかねえ。。。。

賑わってきました。

川が少し臭うので口をふさいでますねえ。。

上陸しました。

ずいぶん賑わっていました。お土産屋さんをぶらりと見ました。

LONG LIVE THE KING

バンコク旅行中、あちこちで見られました。

一緒に写真を撮ると○○バーツ。ニシキヘビ?も出動していました。

その後、地元のスーパーマーケットで食事。でバンコクに戻りマッサージ。

タイ古式マッサージ

●タイ伝統の一種のマッサージであり、ストレッチングを含んでいる。

●インドに始まり、アーユルベーダを取り込んでいるので、タイ古式マッサージは必然的にヨーガのような様式を含んだ。

被術者はマッサージのコースの間に多くのヨーガと同じ体位をさせられるのが特徴。主にそのスタイルによって、大きく2つの

流派に分けられているが、南部式スタイル(俗にバンコクスタイルと呼ばれる)では指圧療法が強調されるのに対して、

北部式スタイル(俗にチェンマイスタイルと呼ばれる)にはストレッチ動作が多い。

これはワット・ポーが近代化するにあたって西洋現代医学的見地から汎用性が高くかつ大多数の人が運用するにあたり安全なもの

に再構築された影響が考えられる。

 

●シャーマニズムやアニミズムとも深く関わっており、本来ボーンナイフを使った荒療治や聖水を使った徐霊や薬草学等と組みあわせた

古式総合医学として認知するべきであるが、マッサージ手技のみクローズアップされてしまい、こういったトータルで施術できる人が

タイ本国でも減ってきている。達人と呼ばれる人は麻痺などの治療も行っているが、現在それらのノウハウも廃れてきている。

 

●この独自のマッサージ施術法のルーツは、およそ2500年前にさかのぼる。タイではシバカゴーマラバット「Javika Kumar Baccha」

として知られるブッダの主治医によって、タイに導入されたと信じられている。つまり、仏教の伝来と共に伝来したこの施術法は、

タイの寺院で発展してきた。

 

●マッサージ被術者は着替えた後、マットレスの上に横たわる。マッサージ施術者は手と前腕を使って強固なリズミカルな圧力を

被術者の体のほとんどすべての部分にかかるように押す。一般にマッサージは体の「SEN」(と呼ばれるエネルギーライン)に従う。

ある動作では、施術者の脚と足は被術者の体あるいは手足を固定させるために使われ、またある動作では、手で体を固定しながら

足でマッサージをする。 通常オイルは用いられないが、時々被術者の体を暖め静めるために熱いハーブの包帯が使われる。一般に

タイのマッサージのフルコースは2時間あるいはそれ以上続く。フルコースには、手指、足指、耳などを引っ張り、指関節をほぐし、

被術者の背中を踏み、回転する動きなどで被術者の背中を弓なりに曲げることを含む。マッサージに標準的な手順とリズムがある。

被施術者は仰向けになり、足の施術から始まる。施術者は呼吸の速さで被施術者を圧迫していくことが理想とされる。

by wikipedia

 

いや~、足の内側の下から上まで、痛かったっす。悲鳴を上げると多少加減してくれましたが(笑

2時間、あっという間でしたね。気持ちよかったです。寝るまでには至らず、変性意識状態に陥ったようで、白昼夢を観ました。

顔の大きな民族衣装で身を包んだ輩が動き回っていました。とても人間とは思えず、ここは地球じゃないなと思いました。

帰ってから、こうやってブログ投稿の整理をしてて分かったのですが、この顔の大きな輩は、なんと、ヤック(鬼神)でした!

あまり意識してなかったんだけど、ファインダー越しのヤックが刷り込まれていたのかなあ。でも鬼神にしては、もうちょっと

人間味があるようなイメージだったけど。なんとも不思議な時間帯でした。

夕食は空港近くのコ・ランタ・レストラン

空港近くなので着陸飛行機が眺められて良かったですよ。

屋外で夕食なのですが、雨が降って屋内へ。ちょっと残念でした。

空港内のお土産屋さんにて。

スワンナプーム国際空港

TG682便  22:45(現地時間)発  7/20(月) 06:55 羽田空港着

いや~、なかなか過激な旅行でございました。帰りも前の席のビジネスマンが落ち着かず、ガラスコップを割ったり・・・

ほとんど眠れませんでした。帰国後、またマッサージしてもらいたかったのは云うまでもありません(笑  fin


2015.7タイ・バンコク旅行記10(ココナッツファーム見学)

2015-08-13 10:55:18 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

さ~て、最終日です。ニューハーフショーの後、お腹を壊しました。

いえ、別にニューハーフショーを観たからではありません(笑

帰国後、いろいろ他者と話していて、水はミネラルウォーターを飲んでいたのですが、ホテルの水道水で歯を

普通に磨いていて・・・お腹の弱い人は、それだけでもお腹の調子が悪くなるとか・・・。

お腹は弱い方なので、過敏になり過ぎてお腹を壊したかと思っていたのですが、そんな要因もあったのかも

しれませんねえ。 

最終日は、ヤシの実工場と水上マーケットです。

バス窓より

バンコクからダムヌンサドアク水上マーケット方面へ。

途中で塩田が沢山ありました。道路端で塩も売っていましたよ。畑の向こうは海なんでしょうねー。見えませんが^^;

ココナッツファーム

ココナッツファーム 入口

いい感じです^^

う~む・・・無造作にヤシの実が積まれてますねー。

ヤシ(椰子)

単子葉植物ヤシ目 ヤシ科に属する植物の総称である。熱帯地方に多く、独特の樹型で知られている。

熱帯地方を中心に253属、約3333種がある。日本には7種ほどが自生。

古来より、多くの種が、さまざまな方法で利用されている。

食用
ココヤシ:(液状胚乳)は飲用、ナタ・デ・ココの原料、固形胚乳の層はココナッツとして食用、水分とともに砕いて乳液状に

したものはココナッツミルク。

ココヤシやアサイーなどの成長点はハート・オブ・パーム(ヤシの芽、パルミート)と呼ばれ、野菜としてサラダなどに利用される。

ナツメヤシ、ココヤシ、サゴヤシなどの樹液を煮詰めるとパームシュガーができる。また、樹液を醗酵させて酒を作ることもできる。

他にも薬用、建材などにも利用されている。by wikipedia

 

ここでは、砂糖を作っていました。

ヤシの花芽 花は小型で、穂になって生じる。花序の基部には包がある。花びらは小型。ちっちゃ~なヤシの実が写ってますね。

ヤシの実の殻は薪のような役割をしているのかな。

じっくり火が入った胚乳は黄金色をしています。ぐるぐるかき混ぜると次第にトロトロになって固まってくる。

パームシュガーのできあがり。

砂糖、オイル、工芸品、ジュース・・・・ヤシの実だけで、いろいろなモノが作られます。

もしかして、ヤシの実だけあれば生きていけるかな?

可愛い^^

なんと、家の中も見学。

2013年のカレンダーですが、タイ仏歴2556年。タイ仏歴マイナス西暦=543です。

12月5日(土) プーミポン国王(ラーマ9世)誕生日 12月10日(木) 憲法記念日 12月31日(木) 大晦日

仏滅紀元:釈迦が入滅したとされる年、またはその翌年を元年とする紀年法。

高床式です。チーク材かな?ピカピカです。ココナッツオイルで磨いてるのかな?(笑)

と思って調べたら、

チークはマホガニーと並ぶ優良高級材として様々な用途に用いられる銘木である。材質は堅く強靭で耐久性があり、病害虫にも強い。

天然の油成分があって、オイルやニスで手入れしなくても耐久性がある。加工も容易で、よく乾燥させた場合は伸縮率が小さく、

家具に向く。水にも強いので、甲板・内装などの船舶用材や建築材として広く使用される。by wikipedia

 

生活の様子がよく解りました。それにしても大らかですね^^

ウチも見られるようにしたら、もっと整理整頓、綺麗になるかな(笑

プラクルアン(タイのお守り)

タイ国では19世紀末から20世紀初頭にかけてバンコクで有名な幽霊譚(幽霊物語)が成立し、ナーン・ナーク(メー・ナーク)

の物語として知られる。この物語ではナーン・ナークの悪霊を鎮めるために呪術師や仏教僧侶トー師が登場する。

タイ社会の民間信仰においては、異常死(ターイホーン tai hong)した死者の霊が現世に未練をもち、凶悪な悪霊(ピータイホーン)

となり親族や村落にさまざまな災厄をもたらすとして懼れられている。そのピー(悪霊)信仰に対する人々の不安や苦悩に

対処するため呪術専門家としてモーピーがおり、仏教もまた呪的サービスとしてプラパリット(護呪)、聖水(ナームモン)の撒布、

聖糸(サーイシン)の囲繞(いにょう:囲うこと)、プラクルアン(พระเครื่อง)の護符などを提供してきた。プラクルアンとはブッダや

僧の姿をかたどった小仏像の護符であり、材質は金属・粘土を焼いたものから、貝の粉に薬草を混ぜたもの、中には高僧の頭髪を混ぜて

固めたものなど多彩であるが、緻密なデザインはなく、素朴で単純なデザインの物が多い。主に寺院で発行され日本のお守りのような

身に着けやすいサイズのものである。 僧侶が一つ一つ祈祷を奉げて制作するもので、厄除けや現世利益に効果があると信じられており、

首からぶら下げられて大切に扱われる。 高僧の手になるものには数百万バーツの高値がつくこともある。 現代ではこのお守りに

多数のマニアがおり、コレクションや投機対象にもなっている。タイでは数十もの専門雑誌が存在するほど一般的で身近な存在である。

by wikipedia

ココナッツファーム見学でしたが、お宅の中も興味深かったです。


2015.7タイ・バンコク旅行記9(バンコク5-ジム・トンプソンの家)

2015-08-10 12:58:10 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。


ワット・プラケオ王宮寺院に圧倒された後、「ジム・トンプソンの家」へ。

ジム・トンプソンの家

ジム・トンプソンの家は、タイのバンコクパトゥムワン区にある博物館。現在はバンコクでも人気の観光地のひとつと

なっている。アメリカの実業家でタイのシルク王ジム・トンプソンが、マレーシアのキャメロン・ハイランドで謎の失踪を

遂げる直前まで住んでいた家。

1950、60年代に彼がタイ各地で集めてきた種々の建築様式が取り入れられている。トンプソンはシルク会社を立ち上げた頃、

東南アジアの芸術作品を集めていた。トンプソンはタイだけでなく、当時のビルマやカンボジア、ラオスも仏教芸術品の収集先

としていた。しばしばこれらの国に作品を収集するために出かけていた。ジム・トンプソンの家には、トンプソンが収集した

仏教芸術作品などが展示されている。by wikipedia

繭玉

微笑みの国・タイ 手を合わせて、コップンカー(ありがとう)^^

錦鯉 ちょっと和風の要素が^^

カーテンのような下がり花

見上げると高いところに花が・・・

アップで。何の花でしょうね。

左はセン・セープ運河 停留所(船着場)もありましたよ。

ステキな館でした。 館内は撮影が禁止されていました。

ジム・トンプソン

戦後、タイ・シルクを復興させた男・・・1967年3月26日に、休暇で訪れていたマレーシアの高級別荘地、

キャメロン・ハイランドにあるシンガポール人の友人の別荘「ムーンライト・コテージ」で忽然と姿を消す。

トンプソン自体が以前諜報機関に所属し、失踪当時もアメリカなどの諜報関係者と接触を持っていたこと、

政変が繰り返されていたタイの政府上層部や反政府指導者に知人が多かったことなどから、身代金目的の

営利誘拐から諜報活動がらみの誘拐と暗殺、単なるジャングルでの遭難から地元住民による殺害まで、

さまざまな失踪理由が取りざたされたものの、現在に至るまでその行方も生死も謎のままである。

松本清張はこの事件をヒントに推理小説『熱い絹』を書いた。

なお、失踪から5か月後の8月30日、トンプソンの姉であるキャサリン・トンプソン・ウッド(当時74歳)が

ペンシルベニア州の自宅で他殺体で発見されているが、この事件の犯人は検挙されておらず、トンプソンの

失踪と関連があるかどうかも不明である。by wikipedia

う~ん・・・・映画にでもなりそうな生涯ですね。

 

ところで、この館、若いタイの女性がたどたどしい日本語で案内してくれたのですが、歯の矯正をして

いました。他にも歯の矯正をしている若い女性が目立ちました。何で?ちょっと調べてみました。

・タイ人はとにかく自分や他人の歯並びを気にする。タイのような階級社会では、まず人の外見を重要視する。

・階級社会は格差社会を生み出す。

・学歴に関して、高卒だと初任給が5,000バーツ(15,000円)、大学卒で12,000バーツ(36,000円)、

 修士だと25,000バーツ(75,000円)と明確に格差が生じます。問題は大卒だと勤続数年で月収が数倍に

 なるのに対して、高卒者の月収はほとんど変わらないことです。こうした背景で近年はタイの大学進学率が

 35%を超えたというデータもある。http://www.npo-asian.com/pages/Thai.html より

タイでの歯の矯正は、30,000バーツ(90,000円)以上。矯正完了までに少なくとも2年。(それでも

 日本よりははるかに安い(十分の一?)ですから、わざわざタイで歯の矯正をする日本人もいるらしいです)

・田舎からバンコクに出稼ぎにきて、アパートを始めとする衣食住の体制をやっと整えた後に、歯の矯正までやっと

 手が回るのが彼女らの現実。ですから、歯の矯正をすることは一種の憧れであり一つの到達点でもある。

 

う~む・・・いろいろググったら、まー、いろんな側面と深みがあって、「外こもりの聖地タイ」

なんて情報も入ってきて・・・・・まあ、このへんにしておきますか。。。

シーフード系夕食後、マンボー・キャバレーショーにてニューハーフ・ショー(笑

一時間くらいだったかな。聖子ちゃんのそっくりさんがいたり、面白かったですよ。

綺麗な人も多くて、ボケ~っと見ていて、おお!違う。いかんいかんと何度か思ったのでした(笑

中国の団体旅行客が多かったです。

 

ところで、なぜ、タイではニューハーフが多いように思うのか?

ググってみると、様々な要因があるようです。

 

・出家と徴兵の男ばかりの環境で同性愛に目覚める。

・貧困農村部では女性は売春、男性も同じような職業が儲かるからとの理由でニューハーフにさせる。

・タイは「微笑みの国」と言われるように、極めて寛容的な民族性があり、なおかつ仏教という多神教宗教自体が、

 キリスト教、イスラム教のような一神教よりも寛容な宗教なので、ニューハーフに対する差別が極めて少ない。

・同時に性適合手術実例や件数もタイがとても多い。今でこそ性同一性障害の診断書が必要だが、つい数年前

 までは診断書も不用で性適合手術が可能だった。

・すなわち、性同一性障害でなくとも収入を得る為に、ニューハーフをしているというケースも多々ある。

・このような事情で男性・女性の境界が曖昧な世界観が出来上がり、タイの性別の分類は男性と女性、ゲイ、

 レズビアン、レディボーイ、トムボーイ、男性と女性のバイセクシャルがあり、さらに細分化すると18の性別が

 存在するとも言われている。

 

 

スピリチュアリズムに照らせば、性同一性障害は、例えば、女性に多く転生してきた霊が、互いの立場や思いを

学ぶために男性に転生してきたのだが、どうしても男性に馴染めずに、心は女性のままという事もあるとの霊信

がありましたが・・・。

単純に性同一性障害の方が何らかの理由でタイに多いのかと思っていましたが、どうやら環境が性意識を曖昧な

ものにしているようですね。しかし、18の性別か・・・・おそらく世界中がそうなんでしょうけれど・・・ややこしいですね^^;


2015.7タイ・バンコク旅行記8(バンコク4-ワット・プラケオ(王宮<エメラルド>寺院)b)

2015-08-09 12:58:50 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

ともかく、何処もかしこも煌びやかです。

この方のようにポーズをとって写真を撮っている方をあちこちで見かけました。

オレンジ色の袈裟を着ている若い僧侶もあちこちで見かけました。

短い出家期間中に王宮・エメラルド寺院に観光に来られているのでしょうか。

本堂へ

本堂の中にはこの国でもっとも重要な仏像である「エメラルド仏」が鎮座しています。

これは形から察すると15世紀頃、北タイで造られたという説と手の形からスリランカで造られたという説があります。

もともとチェンライで1437年に発見され、その後ランパーン、チェンマイ、そしてラオスにも226年置かれていたことがあるそうです。

1778年トンブリー側に都を県都したタクシン王によってバンコクに持ち込まれ、1784年、エメラルド仏を安置するため本堂が

建てられました。幅48cm、高さ66cmの意外と小さい仏像だと言うことに驚かされます。

年に三回衣替えをしますが、これができるのは王族のみです。

エメラルドと言われていますが、実際は翡翠でできており、中国南方の翡翠ではないかといわれています。(注意:本堂内は撮影禁止)

http://www.bangkoknavi.com/miru/12/ より

本堂内は撮影禁止なので超望遠で狙ってみました。

「回廊の絵」

東南アジア一帯で知られている「ラーマーヤナー」と言う物語を絵にしたもの。

寺院を観光後、同じ敷地の王宮へ。

チャクリーマハープラーサート宮殿

王宮 (バンコク) チャクリーマハープラーサート宮殿

タイのバンコク・プラナコーン区にある王宮はタイ国王の「公的」な居住地であり、国内すべての宮殿の中でもっとも重要である

とされる宮殿。ただし、実際にはラーマ9世以降国王は居住しておらず、日常的な公務も行われていない。

したがって、チャクリー王朝あるいはチャクリー家のシンボル的存在にとどまっている。


王宮の建設は1782年5月6日に着工した。当時は木造の伝統的様式、いわゆる「タイ・ハウス」と呼ばれるで建てられていた。

翌年から徐々に要塞化してコンクリートの建造物を建設し、国王を経るごとに増築され続け現在みられるような形になった。

王宮はおおざっぱに北から寺院(ワット・プラケーオ)やかつて公官庁が存在した外側部分、国王のオフィスである中間部分、

国王の家族が居住する内側部分となっており、宮殿の北側を「前」と表現するなど北向きを意識して建てられた宮殿である。

by wikipedia

すごい人でしたが、それはそれは煌びやかで驚かされました。なんとも異次元空間でしたね。

今気が付いたのですが、こんな天候・空だったんですねー。あまりに煌びやかで空の色も気が付かない時間なのでした。

もっとユックリ・・・・でも、こんな空間は、どれだけ居ても、非日常的で、夢のような世界なんだろうな。。。。

いくら五感を駆使して感覚を受け取っても、脳がその情報を処理しきれない・・・そんな気がしました。

ディズニーランドも好きな人にとってはそんな感じ??だから、何度も何度も行って確かめたいのかもしれませんね^^

 


2015.7タイ・バンコク旅行記7(バンコク4-ワット・プラケオ(王宮<エメラルド>寺院)a)

2015-08-07 10:04:50 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

続いて、いよいよ、バンコク観光の目玉、最大のハイライト!タイ最高の地位と格式を誇る仏教寺院「ワットプラケオ」

王宮寺院、別名エメラルド寺院です。

バス窓より

タイ国防省

もともと同省の基盤はアユタヤ時代に創設された。現在のような省の形になったのは、ラーマ5世が西欧列強諸国の脅威に

対抗するために、1887年に常備軍を設置してからである。初めの省庁舎は王宮に面して建てられていた馬象厩舎であったが、

その後ヨーロッパ様式の建物に建て替えられた。1847年創設当初、省の指揮下の軍は陸軍のみであったが、1887年には海軍、

1913年には空軍も創設された。by wikipedia

わお!

写真では、あまり人が入らないように撮っていますが、すごい観光客です。

いろんな国の観光客が来ていましたよ。

中国?からの団体観光客は、ツアー記念撮影もされていました。

それにしても、華やか、煌びやかですわ~。

黄金の仏塔

ラーマ4世がアユタヤーにあるワット・プラシーサンペットの仏塔をまねして建てたものだといわれています。

広大に広がる敷地にある仏塔には仏舎利(仏陀の遺骨)が収められており、タイ全土から仏教徒である人々が訪れています。

http://www.bangkoknavi.com/miru/12/ より

 

ワット・プラシーラッタナサーサダーラーム

タイのバンコク・プラナコーン区にある仏教寺院。王宮の敷地内にある。その本尊から、通称ワット・プラケーオ。

エメラルド寺院の名で知られる。王宮の宮殿郡と接し、本堂にはエメラルド仏(プラ・ケーオ)が安置されている。

王室専用の仏教儀式の場であるため僧侶がおらず、僧侶が生活する庫裏などの施設がない。

普段は観光地になっており、内外から毎日たくさんの旅行客が訪れる。

1784年、ビルマ軍に備え、ラーマ1世が王朝をトンブリーからクルンテープ・マハナコーンへ移されるのと同時に、

当時の建築技術を最大限に利用して建設された。by wikipedia

キンナリー

緊那羅(きんなら)は、インド神話に登場する音楽の神々(または精霊)である。

仏教では護法善神の一尊で、天竜八部衆の一つである。by wikipedia

ヤック

夜叉(やしゃ、梵:यक्ष yakṣa、パーリ語:ञक्ख yakkhaの音写、訳:暴悪・捷疾鬼・威徳)は、

古代インド神話に登場する鬼神。薬叉(やくしゃ)とも称する。のちに仏教に取り入れられ護法善神の一尊となった。

by wikipedia

 

プラモンドップ

法典が収められています。

4ヶ所の門を鬼と蛇が守っている。

プラモンドップの横にはアンコールワットの模型があります。タイの建築様式はクメール文化の影響を強く受けています。つづく~


2015.7タイ・バンコク旅行記6(バンコク3-ワット・アルン(暁の寺))

2015-08-04 11:53:35 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

ワット・ポーに続いて、ワット・アルンへ。

歩いて・・・・と思ったら・・・

チャオプラヤー川の対岸へ渡し舟に乗ります。

う~む・・・この茶色い川は・・・・

そうだ、ベトナムに行ったときのメコン川クルーズのときと同じ色ですね。

ワット・アルン

「暁の寺」としてタイでもっとも有名な寺院のひとつ。1767年、タークシン将軍はビルマによる侵攻で荒廃したアユタヤの地を離れて

チャオプラヤー川をくだり、とある夜明けにこの寺に辿り着きました。そしてこの周辺を拠点に、現在のバンコク王朝の前身にあたる

トンブリー王朝を開き初代の王に。当時ワット・マコークと呼ばれていた小さな寺院は、そのことから「暁の寺」と呼ばれるようになった

という言い伝えがあります。また、ヴィエンチャン攻略で戦利品として持ち帰えられたエメラルド仏(持ち帰ったのは当時タークシン王

の部下だったところの後のラーマ1世)が祀られ、「王宮寺院」となっていた時期もありました(現在エメラルド仏はワット・プラケオ内で

みることができます)。ラーマ2世の頃に建設が始まり、ラーマ3世の時代に完成した現在の美しい仏塔は、バンコク様式で、10B硬貨

にも描かれています。

http://www.thailandtravel.or.jp/detail/sightseeing/?no=269 より

残念ながら写真のとおり修復中でした。ライトアップされた夜景の写真は美しかったですよ。

修復工事中。細かい作業のようです。陶器の破片?欠片?のようなものを埋め込んでいます。

チャオプラヤー川

5連くらいの貨物船もゆっくりと^^

バンコクを中心とする中央湿地帯では、農業用あるいは運搬用に運河が掘られ、世界でも有数の稲作地帯に発展した。

これをチャオプラヤー・デルタ(三角州)という。by wikipedia


2015.7タイ・バンコク旅行記5(バンコク2-ワット・ポー)

2015-08-02 10:13:01 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

17日はアユタヤ方面、18日はバンコク市内観光って感じです。

バス窓より

フワランポーン駅

タイの首都バンコク都パトゥムワン区にあるタイ国有鉄道の駅であり、タイ国有鉄道の主要幹線4路線の起点駅として

位置づけられている。また、バンコク・メトロ(地下鉄)の駅でもある。

 

ワット・ポーへ。

私のハンドルネーム「ポー」と同じ(笑) 若干、雨が降りましたが、大したことはありませんでした。

本堂の周りには、現チャクリー王朝のラマ1世から4世までの歴代王を象徴する4基の大きな仏塔が据えられています。

中国からやってきた陶器の破片をはめ込んで造られた色とりどりの仏塔は、微妙に色分けがされていて、

緑が1世、白が2世、黄色が3世、青が4世を表しています。中にはそれぞれの王の遺骨が納められていて、お墓のような役割を

果たしています。大仏塔の周りには小仏像が並んでいて、こちらは寄付をすれば一般人でも遺骨を納めることができるそうです。

http://www.bangkoknavi.com/miru/41/ より

ワット・ポー

●アユタヤ王朝末期のプラペートラチャ王時代(1688~1703年)に建立されたといわれる、バンコク最古の寺院。

その後、バンコク王朝のラーマ3世(1824~1851年)が17年をかけて長さ46メートルの涅槃像を祀る本堂と

その回廊、礼拝堂、71もの仏塔を建立させました。

また同時に、タイに古くから伝わる医薬資料を集め、それが後にタイ初の古典医療の拠点として発展することに

つながりました。見どころとしては、巨大な涅槃像をはじめ、お釈迦様にまつわる言い伝えやインドから伝わった

古典文学のラーマヤナなどを描いた本堂の壁画、そして境内のいたるところに見られる石造の面白いレプリカなど

があげられます。http://www.thailandtravel.or.jp/detail/sightseeing/?no=14 より


●ワットポーは、仏歴2331年(西暦1788年)、ラマ1世によって建てられた“バンコク最古の寺院”です。

正式名称は『ワット・プラ・チェートゥ・ポン・ラーチャ・ワ・ララーム』といい、名前が長く複雑であればある

ほど箔がついてありがたみが増すそうです。http://www.bangkoknavi.com/miru/41/

う~む・・・時代が多少ズレてるな・・・・??

 

本堂内部

本堂にはトンブリーから移されたというブロンズ製の本尊をはじめとして、150体の仏像が安置されています。

この台座にはラマ1世の御骨が納められていると云われています。

信者の方から旅行客まで、ごった煮状態です。

ナーガ上の釈迦

お釈迦様が、七つの頭をもつナーガと垂れ下がる木、ムチャリンの下で瞑想されています。

ナーガとはサンスクリット語でヘビ。もともとは水のシンボルであり、この生き物はヒンドゥー教文学の中に

登場している。このナーガのとぐろはお釈迦様を支えることで仏教に仕えることになった。

梵鐘

ワット・ポー全体図

仏像の後ろの壁の下のグレーのところに遺骨が納めらているらしいです。納骨堂ですね。

タイの仏教寺院は、幾層にも積み上げられた急勾配の屋根の形状で知られていますが、その屋根の両端の

『 人文字形 』に拡がる部分を 『 ナー・ジュア 』 と言います。

タイ上座部仏教寺院の屋根の突端部分には、『 チョー・ファー 』と呼ばれる神聖な棟飾りが乗せられています。

日本建築だと魔除けを意味する『 鬼瓦 』が乗っている箇所ですが、『 チョー・ファー 』は単なる魔除けではなく、

極めて神聖なものとして崇められています。

『 チョー・ファー 』 の形は、神や天使が住む天界園に生存する創造上の鳥の頭の形をモチーフにしたものです。

最頂部の『 チョー・ファー 』から屋根の下端に連なる金ピカの鱗状の装飾は、お釈迦様が悟りを開かれる時の

守護者である『 ナーガ蛇王 』の胴体とされています。 お釈迦様の守護者である『 ナーガ蛇王 』は、屋根の稜線

だけではなく、タイの寺院境内の彼方此方に重要な装飾飾りとして取り入れられています。

屋根の稜線部に連なる『 ナーガ蛇王 』の胴体の上にある突起物は、インド神話の創造上の高貴な水鳥の『 ホン 』

(大雁)の尻尾の羽根(ハーン・ホン) をイメージ化したものです。

http://ameblo.jp/hiro-1/entry-10028886175.html より

なぜ愛称がワット・ポーなのか?

それは境内にある、何世紀も前にスリランカから移植したとされる大きな菩提樹が由来。菩提樹の下でブッダは瞑想中に悟りを

開きましたが、伝説によると、まさしくその菩提樹の枝から増やした菩提樹がワット・ポー境内にある樹なんだそうです。

タイ語では菩提樹を「ポーの樹」と言うので、菩提樹のお寺、という愛称になっているんだそうです。

http://asiantokyo.jugem.jp/?eid=107

で、これがその菩提樹らしいです。

 

さて、礼拝堂に入り、大寝釈迦仏をぐるり1周していきます。

大きいです!

全長49メートル、高さ12メートルの寝釈迦仏の堂々とした寝姿に思わず圧倒されます。

全長46m、高さ15m レンガ造りで表面を漆喰で成型されている。という微妙に数字が違う説もあります(笑

ぺったんこの偏平足は“悟りを開いた者のしるし”。http://www.bangkoknavi.com/miru/41/ より

長さ5メートル、幅1.5メートルの大きな足の裏には、仏教と深い関わりを持つバラモン教の宇宙観が、108の絵で表されています。

螺鈿細工という、細かく砕いて磨いた貝殻を嵌め込む技法によって描かれていますが、ちょうど工事中で、上記写真が

わずかに見れました。

後姿も、手抜かりはありません。

頭をあずけていらっしゃる枕にも美しい装飾がほどこされていて、何とも優雅な後ろ姿です。

 

 

●タイ古式マッサージ

タイ・トラディショナル・マッサージには大きく分けて2つのスタイルがあり、「ワットポー」スタイルと「チェンマイ」スタイル

があります。

ワット・ポーは、タイ式マッサージの総本山。仏教医学の叡智(薬草や治療法などを記した石盤や文献)が集められた歴史が、

このお寺にマッサージスクールを設立するようプミポン国王が指示した背景にあります。

http://asiantokyo.jugem.jp/?eid=107

タイ古式マッサージに関しては、最終日に受けましたので、後でまた投稿します。


2015.7タイ・バンコク旅行記4(バンコク1-市内風景)

2015-08-01 09:06:21 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

昼食(もう何を食べたか忘れてしもうた・・・^^;あんまり食の写真撮らないし。。。)後、某紡績工場を見学。

2011年の洪水では、柱の印のあるところまで、水位が上がったそうです。機械も全て水に浸かって・・・。

綿から綿糸、そして生地まで作られる工場です。綿糸が美しい~。

2~3時間の見学後、バンコク市内へ。

バス窓より

ナショナル・メモリアル (国立戦没者慰霊堂)

バス窓より

ドンムアン空港>タイ・バンコク中心部から北方に約20km

1970年代以降の発着機数の増加により手狭になったため新空港が建設され、スワンナプーム国際空港が2006年9月28日に開港。

バス窓より

いや~、バンコクのタクシーはカラフルです。バスもですが。。。

バス窓より

いや~クルマが多いです。

路地も混みます。とにかく人も車も多いです。

「BKK48」の看板が・・・・。検索すると・・・・お任せします(笑

トゥクトゥク

今回の旅行では見るだけでした。乗ってみたかったなー。 

2泊したADELPHI GRANDE HOTEL

ウエルカムドリンクかと思ったら有料のようで・・・^^;

水洗トイレには、トイレットペーパーを流せません(水流、水圧が足りないのか?詰まってしまうようです)。

日本から、トイレに流せるティッシュ(水に溶けるティッシュ)を持っていきました。

バンコクから北へ76kmのアユタヤの標高は7m。バンコク周辺で5m。たったの2mしかありません。

ちなみに東京から北へ63km位の暑さで有名な館林の標高は20.3m。東京スカイツリーの墨田区は1m。

傾斜で10倍近く違いますね。これでは上流で大雨が降ったら、海への抜けが悪いでしょうし、生活排水も流れにくい

のが解ります。ちなみに都内の標高は・・・東京駅3m、高円寺駅42m、八王子駅119mだそうですよ。  

スパイダーリリー

確かにクモみたい^^ ハマユウなどの仲間ですね。

ホテルの敷地にもゾウさん。仏壇(サーン)の中には象の神様(ガネーシャ)

ガネーシャの功徳(くどく)を見ると、

あらゆる障碍を除くことから、新しい事業などを始めるにあたって信仰され、除災厄除・財運向上でも信仰を集めている。

また智慧・学問の神でもあり、学生にも霊験豊かとされる。祈祷を始めとして、あらゆる開始にあたってまずガネーシャに

祈りを捧げると良いとされる。by wikipedia

とあるので、ここでは「商売繁盛」と云ったところでしょうか。


長い一日でしたー。夕食は、コカレストランでタイスキ(名物タイ風寄せ鍋)でした。まあ・・・鍋ですね。青唐辛子が、ツボに

はまってタイヘンな事になりました(笑)その後、露店を一時間くらいブラブラして帰りましたとさ^^


2015.7タイ・バンコク旅行記3(アユタヤ3-象乗り、ウィハーン プラ モンコン ボピット)

2015-07-31 12:33:36 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

象に乗ってきましたよ。

ガネーシャ

ヒンドゥー教の神の一柱。太鼓腹の人間の身体に 片方の牙の折れた象の頭をもった神で、4本の腕をもつ。

障害を取り去り、また財産をもたらすと言われ、事業開始と商業の神・学問の神とされる。

上座部仏教国のタイでも、ガネーシャは仏教徒に信仰されている。by wikipedia

ガネーシャかどうか分かりませんが、象像が奉られていました。

なかなかの高さです。

二人で乗ると左右の変な動きが腰にいい感じ^^

乗ったゾウは、小さくて、同行グループにどんどん追い抜かされました。

サギの仲間かな?

ゾウのお尻が可愛いです^^

ゾウが遅くなると、尖ったカマの付いた棒で、ゾウの頭を叩いてました。ゾウは神聖な動物なんじゃないの?可愛そうに・・・。

周遊コースの一番奥で、互いのゾウが向かい合って、鼻にチップを挟むように要求されます。何だかなー。

我々の乗ったゾウは小さくて遅かったので、その行為に間に合わず・・・若いゾウ乗り師は、睨まれて・・・

ゴール近くで、「オカネ チョウダイ」と^^; 可哀相なんでチップ渡しましたが・・・・何だかなー。

ゴール近くには、ふんぞり返ったゾウ乗り師が二人・・・元締めなのか?

何だか、現実を垣間見たというか・・・ちびっと醒めてしまったのでした。

ともあれ、ゾウさん、ご苦労様です^^

その後、ウィハーン プラ モンコン ボピットへ。

1603年にラーマティボディ2世により作られた、タイ最大の高さ17mのブロンズ製の巨大な仏像を安置する塔堂です。

2011年の洪水の時の写真ですね。

モンコン・ボピット仏

タイ最大の高さ17mのブロンズ製の巨大な仏像

この仏陀像は、1538年、ソムデッチ・プラ・チャイラーチャ王の時代に作られました。

でかいです!

金箔ペタペタです。

 

ワット・プラシーサンペット(アユタヤの王の遺骨を納めた3本の仏塔を含む仏教的施設)には時間が無くて寄れませんでした。

大きな破壊を受けた他の仏塔遺跡と比べ、漆喰などが当時の状態をよく保存しているため、アユタヤ時代の建築がそのまま

見ることの出来る貴重な遺跡・・・・・との事。残念でした。。。。。


2015.7タイ・バンコク旅行記2(アユタヤ2-ワット・マハタート)

2015-07-30 08:43:01 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン Wat Yai Chai Mongkon の後、ワット・マハタート Wat Phra Mahathat へ。

ここにもシキチョウが居ました。お尻をフリフリ可愛かったです。恋の季節??

リスも居ましたよ。バンコク市内でも見かけました。

●ワット マハタートは1300年代の後半に建立された寺院で、建立者については異なる二通りの説がある謎深い重要な

遺跡の一つです。(1369年~70年のラーメスアン王と1370~88年のボロムラーチャー1世王)

 

●建立当時は境内中央に高さ50メートル、上部が黄金に輝く仏塔と、その東西に礼拝堂と仏堂があったと推測されていますが、

1767年にビルマ(現ミャンマー)の軍隊による攻撃により壊滅的な打撃を受け跡形も無くなり、現在では崩れ落ちたレンガの

壁や礼拝堂の土台が残るのみの廃墟となっています。

 

●また仏塔があったと思われる場所を中心に、これを取り囲むように多くの仏像が置かれていますが、当時仏像の頭部には金箔が

貼られていたらしく、ビルマ軍が頭部のみを持ち去ってしまったため全ての仏像は頭の無い無残な状態で放置されています。

 

●1956年、タイ政府の文部省芸術局は仏塔跡地の掘削調査を開始し、17メートルの地下から数々の黄金仏や宝飾品などを発見、

これらは現在チャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されています。

http://www.cool-bangkok.com/ より

う~む・・・日本語で・・・・^^;

●アユタヤのワット マハタートを有名にしたのは石仏の頭部が根の部分に取り込まれた1本の菩提樹です。

●ビルマ軍が切り取り放置した仏像の頭部が、長い年月の間に木の根に取り込まれ、木を切らない限り取り出すことが

できなくなってしまったもので、戦争の悲惨さを如実に物語っています。この仏頭の前で写真を撮る場合、仏頭よりも頭が

低くなるように座って写真を撮らなければなりません。

http://www.cool-bangkok.com/ より

悲惨さとはうらはらに優しいお顔をされていました。この前で集合写真を撮りましたが、皆、仏頭よりも高くなってる~^^;

洪水の時には、口のあたりまで水位が上がったようです。

塔の手前、三体とも仏頭がありません・・・・。

仏頭がありません・・・・

こちらも仏頭が・・・

悲惨さという事象よりも、洪水も含めた長い年月の風化を感じました。年月を重ね、そのままにされている人工物は、

ただ、そこに佇むだけで重厚感があり、威圧的な空間を形成していました。

仏塔はアリ塚のようにも感じました。

空の「青」が印象的でした。

静かでした・・・・。


2015.7タイ・バンコク旅行記1(アユタヤ1-ワット・ヤイ・チャイ・モンコン)

2015-07-29 17:50:38 | ・2015.7 タイ・バンコク旅行記

2015.7.17~19 仕事絡みでタイ・バンコクへ行ってきました。

夜出発して朝到着。帰りも夜出発して朝帰国。2泊4日になるのかな?なかなか過激な旅程でした。

TG661便 00:20(日本時間)発(羽田空港)→04:50(現地時間)着(スワンナプーム空港)<所要6:30> 時差-2時間。

到着後、バスに乗って、アユタヤ歴史公園へ。

バス窓より

バス停留場>金曜日の朝なので、工場へ出勤などかユニフォーム姿の人も並んでいます。

バス窓より

会社?乗り合いのクルマも多かったです。とにかく人もクルマも朝から多いです。セブンイレブンが沢山ありました。

6:50 トイレ休憩

プルメリア

いい香りを放っていました。

ヒメカッコウでいいのかな?ちがうな・・・よく分かりません。

シキチョウ

シキチョウ(四季鳥)は、スズメ目ツグミ科に分類される鳥類の一種。インドから、東南アジア、中国南部にかけて留鳥として分布する。

バンコクでも鳥に反応(笑

赤い花の街路樹は??ベニハナトチノキ? クルマは左側通行です。日本車が多いです、ハイエースも。バスは派手です(笑

アユタヤ遺跡付近に到着。

このバスの特徴はピンクのカーテンです(笑

 

◆タイ仏教あれこれ 

●タイ族はピー信仰(精霊信仰)を信仰していたが、13世紀頃に「上座部仏教」が最大の勢力をを持つ宗教として成立する。

(もうひとつの仏教は、中国やチベット、日本等の地域に伝わった「大乗仏教」)

●国民の約95%が仏教徒。

●タイ語で寺院の事をワットと云います。なので寺院は、みんな、ワット・○○○です。

●タイの祝祭日も仏教関係のものが多く、使われている年号も仏暦(西暦に543年を加えると仏暦になります。)です。

タイの寺院では本尊には必ず仏像を配置しヒンドゥーの神々はあくまで装飾の一部である。

●袈裟(仏教の僧侶が身につける布状の衣装)は、なぜオレンジ色か?

仏教では出家僧侶は私有物を持つことを禁じられており衣服も例外でなかった。布は在家者(白い布をまとっていた)と区別する

ために草木や金属の錆を使って染め直され(染壊)、黄土色や青黒色をしていた。by wikipedia

●タンブン

庶民の仏教観念としてタンブンというものがある。タンブンとは徳を積む行為のことである。

タンブンと言う言葉は広義には人や動物を助けたりする行為が含まれるが、狭義には寺院や僧への寄付のことになる。

タンブンの観念は輪廻転生の思想が影響している。生まれ変わることを前提としているタイの仏教思想においては

低いとされている身分や動物、地獄に生まれ変わることはブン(徳)が足りないからだと説明され、現在金持ちなのは

前世のブンが多いからと説明される。この思想は特にタイに仏教が伝わる以前からあった思想である。

ブンは興味深いことに、タイにおいては他人に転送可能であると考えられている。たとえば、寄付する際、領収書に親や恋人の名前を

書くことで自分のブンが他人に転送されると信じられている。またこの転送は死者にも可能と考えられている。このようなブンの観念は

仏教徒のタイ人ほとんどが人生に一度出家を行う理由の一つとされる。by wikipediaから要約

●出家

タイにおいては、仏教徒の男子はすべて出家するのが社会的に望ましいとされており、出家行為が社会的に奨励される

傾向にある。出家するための条件としては男子で20歳以上、宗教的な罪がないことを前提としている。ちなみに、出家の要因として主に

成人するため、ブン(徳)を両親に献上するため、宗教的な行為を通して良い仏教徒になる、罪の消去、配偶者及び家族の死去で支えて

くれる家族がいない、教育を受けるため、などがある。

近年ではこの出家の行為が形骸化の傾向にあり、出家者のほとんどは成人式的な通過儀礼として行うことが多く、労働価値の高い

若年層が数ヶ月も非生産的な集団に入ることは実際には大きな経済的ロスであるため、数週間という短い期間で出家を終える。

僧はいつでも還俗することができ、その意思が妨げられることはない。by wikipediaから要約 

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン Wat Yai Chai Mongkon

1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王がセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院。

別名を「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」。

また、遠くからでもひときわ目立つ高さ72mの仏塔は、1592年に19代ナレスアン王が象にまたがり一騎打ちでビルマ王子を敗り、

ビルマ軍との戦いに勝利した記念の塔です。

http://www.thailandtravel.or.jp/

袋詰めの袈裟

寺院内の仏像の汚れた袈裟と交換するのだろうか?人が座っていたから参拝者が購入して交換?よく分かりません。

大きいです!目つきが微妙です。なんんと云ったら怒られますね^^;

 

涅槃仏(ねはんぶつ)

釈迦が入滅する様子を仏像としてあらわしたもの。主にタイの寺院などで見ることが出来、足の裏には宇宙観を示す文様などが

描かれている。

入滅(にゅうめつ)とは、仏教用語で、滅度(めつど)・寂滅(じゃくめつ)ともいい、サンスクリットの「निर्वाण」

(Nirvana、ニルヴァーナ)の訳、煩悩の炎が吹き消えた状態、宗教的解放を意味する「解脱」のことである。by wikipedia抜粋

ワットの入り口付近には売店があり、参拝に使われる花やろうそく、線香などを組み合わせたお参りセットを20パーツくらいで売って

います。花はジャスミン、クラウンフラワーにバラやマリーゴールドなどを直径10cmほどの輪状につなげた「ポアンマライ」や、蓮の花が

よく使われます。ろうそくは1本、線香は3本(仏教の三大要素である仏陀、仏法、僧侶を意味しています)、ほかに2cm四方くらいの金箔

が付きます。

ここでは、蓮の花と線香3本と金箔でした。

礼拝堂に入る時は必ず靴を脱ぎます。ろうそくに火から線香に火をつけます。ひざまずいて、花と線香を持ちながら両手を合わせ、

願い事を唱えます。唱え終えて、線香を線香立てにさし、花を「パーン」というお盆の上にのせます。最後にもう一度ひぎまずき、

合掌した手を額の位置まで上げ、そのままおじぎをする形で、降ろした両手を床につけます。その動作を3回繰り返します。

金箔は仏像やその周辺の台座などに貼るものです。金箔を貼るという行為は仏像を縁起のいい金で飾るということで、良い行為とされ、

タイの人々は色のくすんだところや、地色が見えかかっているところに貼ったり、または自分の願い事に関連する部分(例えば腰痛解消

には仏像の腰のあたり)に貼ったりします。

さて、街を歩いているとワットまではいかなくも、なにやら参拝者が絶えないところをよく見かけます。これは「サーン」と呼ばれるもので、

その土地の守護神を祀った祠です。

わたしたちもお参りして金箔を貼ってきました。

オオハッカ

絵になる鳥だなー(笑

インドハッカ

スズメ目ムクドリ科ハッカチョウ属に分類されるアジア産鳥類の1種。

豚さんを従えて・・・現世ご利益参拝満載って感じなんですが・・・^^;

塔に登ります。

 どこを切り取っても絵になります。最後の写真を撮ったのが08:28分。長い一日の始まりです(笑