~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

ギンカクラゲ(銀貨海月)

2012-07-31 08:18:28 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

7/29 ウミウシ探索に出かけました。朝4時起き~6時半~9時頃まで海に浸かっていました^^

この時間なら、海水客前だし、道路も空いているし、お昼には帰宅できるし。。。最高です^^

ついでに、熱のこもった身体をクールダウン。ホントにずっと海に浸かっていたいですなあ。。。。。

25種のウミウシくんに出逢えました。ウミウシくんは後でねー。

ギンカクラゲ(銀貨海月、学名:Porpita porpita)・・・クラゲって「海月」って書くんですね~。

ヒドロ虫綱花クラゲ目の群体性クラゲの1種。

・暖海性、外洋性で黒潮海域に生息。

 黒潮に乗って南国からやってきたわけですね~

・平らな円盤状の気泡体の中心部は白色から銀色で銀貨というより

 牛乳瓶のフタや大根の輪切りに形容される場合もある。(笑

 円盤の部分は堅いキチン質なので打ち上げられて骨格が残る。

・刺胞の毒性は弱いが人によってはアレルギー反応が出る。

・ギンカクラゲは、浮遊のための浮きを備えたヒドロ虫と考えられている。 by wiki

裏側は、こんな感じ~ 恐ろしい~~~~~~!!

で、こやつを食べる凄くかっこいいウミウシがいるんですよ。逢いたいんですけどね~。いつか逢えるかなあ。

こちらも黒潮に乗ってやってきた子だと思うんだけど、名前が解んない^^;;

このような黒潮に乗ってやってきたサカナを、「季節来遊魚」と言います。以前は、「死滅回遊魚」と言って

いたんですけどね。南の島から黒潮の流れに乗ってやってきて、冬になって水温が下がると死んでしまうから

そう呼ばれていました。でも、近年の温暖化(海の中も)で、そのまま居ついちゃう子も増えてきているようですよ^^ 


レッスン8 「恐れ」のレッスン(1)

2012-07-30 08:24:09 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

 

恐怖は、原始的なレベルでは、有用な警報システムです。恐怖心は安全装置であり、
それなしに生存を維持するのは難しいでしょう。しかし、実際には危険が存在しな
い状況でも、恐怖を感じてしまう場合があります。リアルな恐怖心ではなく、作ら
れた恐怖心です。

作られた恐怖心は訳も無く、ただ人を苦しめるだけのもののようにも見えます。そ
の種の恐怖心は過去の経験に根ざし、未来に対する恐れとなって現れます。ところ
が、よく観察してみれば、それは我々に、愛を選び取る機会を与えてくれていると
も考えられます。作られた恐怖心は成長と癒しを求める、魂の叫びです。作られた
恐怖心そのものが、それまでとは別のやり方で、恐怖を克服して愛を、幻影を克服
して現実を、過去を克服して現在を選び取るための機会なのです。

恐れを通じて自己の道を見い出し、恐れが提供している数々の機会を活用する事が
できたら、人間は他人の反対や非難を恐れず、自己を過剰に抑圧しない、自由な人
生を送る事ができるようになるのです。

人生が私たちに与えるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、いきなりやっ
てきます。大部分の人が考えている以上に、私たちの人生の多くは恐れとその波及
効果への対処に費やされています。恐れは全てをさえぎる影です。愛、真の感情、
幸福、そして存在そのものが、恐れの影にさえぎられているのです。

多くの人の人生が危惧や心配や恐怖に支配されています。だからこそ保険会社は、
人々の危惧の大半がただの幻想であるという可能性に賭け、その賭けに勝って、毎
年、総額何十億ドルという利益を上げているのです。ほとんどの人は、まるで始め
から負けると決まっているような心境で人生を生きています。私たちには実に多く
の機会が与えられています。必要なのは、その機会の大半をものにする術を学ぶ事
です。

ある人は愛によって恐れと戦い、恐れを打ち負かしました。やさしさは、必ず恐れ
を克服します。それが恐怖の克服法であり、恐怖を克服するもので愛に勝る力はあ
りません。恐れの力は虚構の上に成立しています。恐れに向って一歩を踏み出すだ
けで、その虚構は崩れ去り、恐れは打ち負かされます。

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リスク管理や保険のようなレベルでの対処ならば、一般的レベルだと思いますが、「作ら

れた恐れ」がどんどん膨らんでくると、うつ病・対人恐怖症・パニック障害・強迫神経症・

あがり症・不眠症・自律神経失調症などの神経症を引き起こします。先が見えない不安

と恐怖・緊張で身動きがとれなくなってしまうわけです。

 

そこまで病的でないにしても、見えない恐れを抱いていると、自分の行動範囲も自ずと

規制してしまうでしょうし、物事の考え方も窮屈になってしまうでしょう。安全を重視して

いけば「迎合」にもなるのかもしれませんし、マスメディア・マインドコントロール下に置か

れ、誘導され、本来の自分の生き方ができなくなるかもしれません。

 

「恐れ」を克服するものは「愛」・・・そんな映画やドラマや歌がたくさんありますね。不安や

恐れを払拭し、「強く生きること」の底辺には、愛し愛されることによる胸の奥底から沸き

あがる(鼓舞される)生命力が不可欠なのだろうと思います。


「困っている人」 大野更紗著

2012-07-29 04:15:33 | ・映画・本・絵

「困っている人」 大野更紗著

本文から~

破裂したお尻の後には、脂肪組織が流れ出した痕、まるで洞窟のように巨大な空洞ができあがった。おしり洞窟。

おしり女子は、ついに人類から有袋類へと、超絶的な変身を遂げた。ビルマ女子→難病女子→おしり女子→有袋類。

人生とは、確実に妙ちきりんなものである。

 

こんな本、かつて読んだことがありませんでした。

いや~、一気に読んでしまいました。民主化運動、人権問題から難民を追いかけていた彼女が、自ら、

この日本国の難病難民になってしまう。病苦で死んでしまいたい心情さえもコミカルに描いています。

物凄い命の切羽詰った状況なのに、その表現に暗さが全くない。思わず笑ってしまう表現が盛りだくさん

です。

私の義母は、彼女と同じような多発性硬化症という病で他界したのですが、義母の大らかな性格が思い

出されます。特にこの期に及んで、イケメンに弱かったところが・・・^^; 

どんな状況であれ、元気に強気に生きている言葉には勇気をもらえますね。(たとえ裏側の影の部分で

嗚咽のような涙が隠されているとしても・・・)

 

大野更紗 ブログはこちらです。

1984年、福島県の中通り地方に出生。女子高校卒業後、1年間の浪人期間を経て上智大学外国語学部
フランス語学科に入学し卒業。大学在学中にビルマ(ミャンマー)難民に出会い、民主化運動や人権
問題に関心を抱いてNGO活動に参加したことを機に、同大学院グローバルスタディーズ研究科地域研究
専攻修士課程に進学するものの、2008年に自己免疫疾患の一種である皮膚筋炎および筋膜炎脂肪織炎症
候群を発病し休学。1年間の検査と9ヶ月間の入院治療を経験する。退院準備の最中、作家の高野秀行の
ラジオ番組を聴き、高野にメールを送ったことがきっかけとなり、2010年に闘病体験記『困ってるひと』
をポプラビーチにてウェブ連載。主にTwitterにおける口コミなどで評判となり、2011年6月に書籍化。


風と光の中で

2012-07-28 08:38:34 | ・作詩・作曲 paw mp3音源&動画

ネタが切れたので(笑)朝っぱらからオリンピックの開会式を見ながら作成しました。

7年前に投稿したリバイバルです。ブログに投稿してきた写真をスライドしてyoutubeに

アップしてみました。25年前に沖縄・久米島でサイクリングした時に浮かんだ楽曲です。

風と光の中で
(作詞/作曲/歌:paw 編曲:singer song writer5.0)2005.1

G Em7
さわやかな風が 耳元かすめて
Am7 Am7onD D7
海へ続く道 ペダルこいで行く
Bm7 Em7 Am7 Am7onD D7
静かに流れる 光と風の世界
Bm7 Em7 Am7 Am7onD D7
時はまるで 止まっているように

G Em7
降りてきた雲は 真綿のやすらぎ
Am7 Am7onD D7
いつしかちぎれて 空にとけていく
Bm7 Em7 Am7 Am7onD D7
心に残る 無くしたもののシルエット
Bm7 Em7 Am7 D7 G G7
眩しい程の 光に包まれ 消えていった

C D7 Bm7 Em7
あなたがそばにいれば 
C D7 Bm7 E7
それだけでいいと ほら
Am7 D7 Bm7 Em7 Am7 Am7onD G
心が大きくなる 広い空の下

Copyright (C) 2005 by paw


レッスン7 「時間」のレッスン(3)

2012-07-27 08:27:58 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

 

過去は不確実であるというのが、時間の真相です。自分が思っているような形でそ
れが本当に起ったのかどうかは、誰にも分かりません。そして未来もまた確実では
ありません。第一、時間が直線的に進むかどうかさえ確実ではないのです。

医師が患者に末期である事を告げると、患者の時間意識は強烈なものになります。
突然、もう時間がないと感じ、慌てふためきます。しかし、いくら統計的な平均値
である余命が分かっていても、当人にとっては自分がいつ死ぬか分かりません。分
からないという現実と格闘しなければなりません。そのとき、学ぶべきレッスンが
はっきりしてきます。死の淵に立ちすくみ、あと時間がどのくらい残されているか
を知りたがります。しかし、それが分かるはずのないことに気づきます。その人が、
どんなレッスンを学ぶ運命にあり、本当はどんな人間であり、与えられた寿命がど
のくらいだったのかは、誰にも分かりません。受け入れ難いことかもしれませんが、
現実的な目で見れば、人はその死期より早く死ぬことはなく、死ぬ時がその人の死
期なのです。

我々の努力目標はこの一瞬を味わい尽くすことにあり、それは十分にやりがいのあ
る目標です。この一瞬の中に幸福と愛に繋がる全ての可能性があり、未来はこうあ
るべきだという期待の中にその可能性を埋没させてはなりません。未来への期待を
捨てることによって、今ここで生起している聖なる空間の中で生きる事ができるの
です。

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過去の出来事というのは、固定されたものだと思っていたのですが、自分にとっての

自分の過去の評価というものは、変化するのかもしれませんね。思い出したくもない

過去の記憶・・・その時はそう感じた出来事だったのかもしれないが、随分と時間が

経過すると、ただの記憶になったり、逆に懐かしい記憶となったりすることってあります

よね。

また、その過去の出来事は、人によって随分と印象が違うものであったりするのかも

しれません。(同窓会などで話題になる当時のクラスで起きた事件の印象、記憶、感じ

方が人によってずいぶん異なってたりするでしょう)

 

結局、死期が迫ると時間的余裕がなくなります。そこで誰もが時間がないとあたふた

する事になるのでしょうけれど、時間の長さを判断にするのではなく、「未来を見ずに

本当の今を生きる」事を、しっかりと、学ぶ事ができれば落ち着いていられることにな

るのでしょう。

さらにもうひとつ、「肉体が滅んだ後も魂は永遠に存在し、個性も存続する」という事が、

自己の深いレベルで確信することができれば、死という困難に立ち向かう強力な武器

を手に入れている事になります。

次回から「恐れ」のレッスンです。


クリヤイロウミウシ(初)

2012-07-26 08:16:50 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

初見のドーリスウミウシ登場♪ いや~うれしかった~。うつくしかった~。別れがたかった~(笑

クリヤイロウミウウシ(初) 25mm位
レンゲウミウシかと思ったけど、背面突起の形状が違う。クリヤイロで良さそうですね。
「本州のウミウシ」に載ってませんでした。
二次鰓がちらりと見れて出逢うことができましたが、いや~綺麗な子でしたね~。
じっくり観察しました^^ やっぱりドーリスの綺麗な色合いの子は美しいです^^


ウミウシいろいろ

2012-07-25 11:08:21 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

ふい~、暑くなってきましたね~^^;; あああ・・・海に入りたい~~~

2012.7.15のウミウシ探索から~

アオウミウシ 30~40mm位 大きい個体が多かったですね。

ジボガウミウシ 40~50mm位 今まで見た個体で一番大きかったです。

ウスイロウミウシ 10mm位 久しぶりでした。黄色が綺麗でしたね^^

オトメミドリガイ(初) 10mm位 アワビのような貝殻の上に、ちょこんと乗っていたんですよ^^


レッスン7 「時間」のレッスン(2)

2012-07-24 06:34:44 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

 

昨日の自分が今日の自分を無条件に規定しているわけではありません。それに気づ
く事の中に、素晴らしい自由があります。自ら過去に縛られる必要は何処にもない
のです。朝起きて、シャワーを浴び、せっかく昨日の汚れを洗い流したのに、昨日
の感情だけはまだ引きずっているという人が多いですが、それは単なる習慣に過ぎ
ません。

青春時代の活力を懐かしみながらも、ほとんどの人は全く同じ人生を辿り直したい
とは思っていません。若き日の混乱や狼狽ぶりも、ありありと憶えているからです。
中年になると人生の何たるかも多少は分かり、馬鹿げた事をしている時間もなくな
ります。自分が本当はどんな人間か、何が幸福をもたらすのかが見えてきます。若
さは必ずしもいいことばかりではありません。それは無垢な時期であると同時に無
知の時期でもあります。美の時期であると同時に、自意識過剰な苦しい時期でもあ
ります。

ジャックは常に現在という瞬間に生きることのできる人でした。人に会って挨拶を
するとき、彼は相手に全神経を注いでいました。昼食の事(過去の事)、夜のデー
トの事(未来の事)などに心を奪われることがありませんでした。彼は常に、はっ
きりと現在に、相手と共に、相手の為に、そこにいました。彼は、今に生きる人間
の見事な実例でした。現在に生きる方法を知っていた彼には、相手をも現在に生き
させるような力がありました。彼に会った人は、正直に自分自身を見つめたくなり、
質問には心の底から答えたくなってしまいます。彼はこの一瞬を逃す事を何よりも
嫌いました。
彼のような人に会うと、現在という瞬間がいかに過去や未来に奪われているかがよ
く分かります。この瞬間に過去を手放し、現在だけに意識を向けて、現在を十分に
堪能し、自己の人生を真に生きる事以上に素晴らしい経験は考えられなくなります。
配偶者と話をする時は、今夜、大学でする講義の事など考えずに、配偶者との会話
だけに意識を向けたほうがいい。講義の準備はその後すればいい。そうすれば、配
偶者との関係も、講義の成果も、よりよいものになる。一つの瞬間には一つの事だけ
すればよいのです。

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毎朝、日の出とともにまっさらな自分が生まれ、そのまっさらな自分を生きられれば最高

ですよね。そして日の入と共に今日の自分が終わる。毎日、生まれては死んでいく。そう

考えれば、過去に囚われることもなく未来を憂うこともないでしょう。 実践するのは、とて

も難しいとは思いますけど・・・でも、理想ですね。

 

若き日の出来事・・自意識過剰で自己顕示欲が強かったなあ(笑)恥ずかしくって思い出

したくもない事もあります(笑)躍動感、エネルギー、パワー・・・まさに青春でしたよね。で

もそれはそれとして経験して良かったとも思います。

 

その場その場に全神経を注ぐ。どんなに些細な事でも、その場に自分をしっかりと対面さ

せる。今の時代、○○しながら何かをするという事がとても多いように思います。効率は良

いかもしれませんが、何かやっつけ仕事のようにも感じますね。デジタル的に割り切ってこ

なしていく。まるでロボットのようです。

 

先日、対面して大事な話をしているのに、相手がメールの着信に反応して、メール返信し

ながら話を続けました。大事な話をしているのに、電話がかかってきたのならともかく、

メールというのは多少のタイムラグがあっていいものでしょうと、怒りました。

メールしながらお喋りするような同時に二つ以上の事はせず、ひとつひとつの物事に心

を込めて対応することは大切ではないだろうか。一つの瞬間には一つの事だけをすれば

よい。

 

耳を傾けて音楽を聴く。美味しいものを味わって食べる。美しい景色を楽しむ。ひとつひ

とつをしっかりと味わい感じる。感情もひとつひとつを大事にする。それが、上っ面をなめる

ように生きるのではなく、地に足を付けて生きることへと繋がるのだと思うのです。


ヤブミョウガ

2012-07-23 06:26:21 | ・植物

ヤブミョウガ(薮茗荷、学名 Pollia japonica) ツユクサ科に分類される多年生草本植物

葉っぱがミョウガそっくりなんだけど、ミョウガはショウガ科で、花の構造は全く異なるそうですよ。

葉っぱの写真も撮ればよかったですねえ。。。


星の旅人たち~カミーノ巡礼

2012-07-22 10:05:07 | ・映画・本・絵

公式サイトはこちら

INTRO&STORY

最終日前日に、ひとりでレイトショーで見てきました。友人の紹介で^^

先日読んだ カミーノ シャーリー マクレーン (著) が舞台だったからです。

映画館で見たのが大正解でしたよ。臨場感があって、まるで自分もカミーノ

を歩いているみたいで良かったです。

雑魚寝ベッドでの周りのイビキや咳の音もね(笑


レッスン7 「時間」のレッスン(1)

2012-07-21 09:05:59 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

 

現在では地球の何処にいても、その場所の正確な時刻を知ることができますが、時
刻の計測は19世紀の半ばまで、かなりずさんなものでした。1883年、アメリ
カとカナダの鉄道が、標準時間帯システムを採用したのですが、これは当時、あま
りにも人為的なものだと考えられ、多くの人が時間帯や標準時という制度は神を冒
涜するものであると感じていました。

時間は便利なものではありますが、「一つの連続体上の二点を分ける感覚」に過ぎ
ません。誕生は始まりのように見え、死は終わりのように見えますが、実はそうで
はありません。誕生も死も一つの連続体上の一点でしかないのです。

時間の感覚は、人によって明らかに差があります。私たちは普通、変化を好みませ
ん。しかし、好むと好まざるとに関らず、物事は変化してします。変化に抵抗しよ
うとする人は、自分の人生そのものに抵抗している事になります。必要なのは変化
に乗じる事、少なくとも、変化を受け容れることです。

「お幾つですか?」と尋ねる人は、過去を利用して相手の評価基準を決めようとし
ています。私たちは、今の相手を在るがままに見ようとせず、相手を過去の総計と
して見ようとしているのです。

私たちは、なかなか現在の目で他人を見ようとはしません。それは自分に対しても
同じです。ほとんどの人は、今の真の自己を見ようとせず、過去の自分や、そうな
りたかった自分としての自己を見ています。

現在の両親をあるがままに見ている人がどれくらいいるでしょうか?子どもの頃の
両親のイメージを払拭するのは、かなり難しい事です。

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面白いですよね。人や物事が時間で縛られる・・・それが神を冒涜すると感じる時代。

人や物事がコントロールされるとしたら、権力者や神が表現する天変地異しかなかった

時代だったからなのでしょう。

 

誰もが安定を求めます。良い状態、状況がいつまでも続けばと願います。しかし、一箇所

とどまることはできません。歌にもでてきますね、荒波にもまれて・・・風に吹かれて・・・と。

 

初対面の人や、よく知らない人に近づこうとするとき、自分との共通項を探そうとします。

「どちらから来られたのですか?」などなど。「お幾つですか?」とか「お子さんは?」など

は、最近では特にプライベート(個人情報?)に配慮して、あまり聞くことはなくなりました

けれど。同性なら年齢を聞くことにさほど違和感はありませんが。

 

よく知っている人や長く付き合っている人のイメージは、固定されがちです。「昔はこう

だったから誘っても無駄だろう」とか、自分の親ならば、「どうせこう言うと怒るだろう、許

してもらえないだろう」とか。また、初対面の人にも、話のキャッチボールがうまくいってい

れば、その事実だけを評価、認識すればいいのに、「自分より若いかな」とか、「どんな仕

事なのかな」とか「どんな道を歩んできたのかな」とか詮索したくなります。

 

自分に対してもそうですね。苦手意識が固定されてしまっていて、「どうせ、できないに

決まっている」とか・・・。過去の苦い出来事や固定されている得意・不得意に照らして、

自らをその檻の中に入れてしまいます。

 

人に対しても自分に対しても、過去に囚われず、今そのときを生きられるようになれば、

そして、まず一番先に頭に浮かんだこと(ポジティブ方向の)にフタをせずに(これをして

みたい!と思った直後に、いや私には無理だ・・と思ったことのある人は多いでしょう)

実行・行動に移すことができれば、無限の可能性を見出すことができるのかもしれません。


レッスン6 「罪悪感」のレッスン(2)

2012-07-18 00:34:45 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

罪悪感は許せない気持ち、恥じる気持ちといった、その人のもっとも弱い部分と結
びついています。全体の中ではごく小さなその部分が罪悪感を育み、それを放置す
る事が罪悪感に栄養を与えています。罪悪感を持つと人は狭量になり、低次の思考
ばかりが活発になります。そして、その事を恥じるようになります。従って、行動
を起こし、誰かにしゃべる事が解決法になります。それはカトリックの告解に似て
います。告解をする人はしばしば秘密の重荷を下ろし、大いなるものに愛されてい
るという恩寵と出会うことができます。真の自己は罪悪感を知りません。真の自己
は世俗の罪を超えたところにいます。

平和と罪悪感は対立の関係にあります。平和と罪悪感を同時に経験することはでき
ません。平和と愛を受け入れた時、罪悪感が消えます。その逆も同じで、罪の意識
に囚われているうちは、愛と平和がやってこないのです。そのいずれかを選択する
ことができるところに救いがあります。に身をゆだねること、罪の意識と平和の
意識を入れ替えることは可能なのです。

罪の意識を抱いている全ての事は、浄化と許しによって消し去る事ができます。
うしても許せない人がいて、その事で悩んでいる人は、判断し、裁くことの全てを
手放してしまいましょう。神の聖なる子どもとして、その人はけっして罰せられる
ことはありません。自己を許し、他者を許しさえすれば、罪悪感はおのずから消え
ていきます。人は罪に値するものではなく、許しに値するものです。そのレッスン
を学んだとき、我々はまったき自由な存在になるのです。

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落ち込んだとき、凹んだとき、誰かに話を聞いてもらう・・・・これが解決に繋がるよう

です。とすると、男性よりも女性の方が上手に解決しているのかもしれませんね(笑

いずれにしても、独りで悶々としていれば、小さな罪悪感もどんどん膨らんで、やがて

ネガティブな思考が活発になって、卑屈になっていくでしょう。

「罪の意識に囚われているうちは、愛と平和がやってこない」・・・他者を攻めても、

自分を許せなくても、それはネガティブ的であるわけで、ポジティブな心の状態は訪れ

ないということですね。

「罪を憎んで人を憎まず」・・・・「その人」を憎むのではなく、その人の「行いや罪」を憎

む。本来、真の自己(本心や魂)であるその人は、この世での仮面を被っている。仮面

を被った状態での悪い行いは罪であるが、仮面の下は、神の領域と繋がっている。魂

の転生を信じるのならば、自分がその人の仮面をこれから被るかもしれないし、被った

ことがあったのかもしれない。差別意識(肌の色、貧富など)も、それが解ると消滅する

のではないでしょうか? 

次回からは「時間のレッスン」です。


気温も思いも暑い一日でした

2012-07-17 09:09:21 | ・日常

7/16 代々木公園「さようなら原発1000万人アクション」

3歩進んで2歩下がるかもしれない。でも、続けていく事の価値がある。続けていく事の意味がある。

no nukes!!!!! 坂本龍一は、『福島第一原発事故の後で沈黙することは野蛮だ』 だと訴えた。

照らして欲しい、この言葉を。各々の魂に照らして・・・。

主催者発表で約17万人が参加。警視庁は約7万5000人としている。

基本的には雑踏嫌いなpawです。参加するまで反対の電車に乗っちゃったり(笑)、現世的本能ブレーキが

かかったけど、それよりも「動機」そして「同期」を優先させました。ええ?っと思う同志とも、こんな人ごみの中で

出会っちゃうしホントに参加して良かったです。昨日の初見のウミウシくんとの出逢い同様、ホントに導かれている

なあと嬉しくなっちゃいます。感謝感謝♪

そして、デモパレードで団体間に入り込んだんだけど、こんな楽しいオヤジさんと出逢えて、それもそれで、

ホントに楽しかった。「3歩進んで2歩下がるかもしれない。でも、続けていく事の価値がある。」

近視眼ではなく、変える事の努力・忍耐・継続を、いろんな方々に肌で教えてもらった一日でした^^

あわてない、焦らない、でも変えるんだ!そのために忘れない、忘れてはならない、継続し続けるんだと。