噛みつき評論 ブログ版

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即時抗告は鬼畜の所業?・・・袴田事件

2014-04-07 10:14:43 | マスメディア
 袴田事件の再審が認められ、ようやく48年間の獄中生活から解放されましたが、本人は長い拘禁生活のために、釈放も十分に理解できないほどの精神状態であったそうです。冤罪の疑いが濃厚となった今、これ以上に悲惨なことがあるでしょうか。

 しかし検察はこれを不服として即時抗告しました。死刑の恐怖に脅える48年間では足りず、なんとしても袴田氏を殺したいということなのでしょうか。鬼畜の所業としか思えません。この48年間は死刑以上に残忍な刑だと思います。もし有罪であったとしても実質的には罪は償われたと考えて、即時抗告をしない選択もできた筈です。無罪の場合にはこれが唯一の罪滅ぼしとなります。検察も少しは人の心をもっていると評価されるでしょう。

 アイヒマンは600万人のユダヤ人虐殺に大きな役割を果たしました。その裁判を傍聴したハンナ・アーレントは次のように述べています。

 「アイヒマンはどこにでもいる普通の男だった。彼は家庭ではよき夫であり、よき父親でもあった。アイヒマンは極悪人ではなく、命令に忠実なただの凡人であった」(関連拙記事「真面目という悪徳」)

 今回の即時抗告も検察が鬼畜揃いであったからではなく、クソ真面目な人間が検察という組織に忠実な判断をしたら、即時抗告という選択になった、というだけのことでしょう。

 48年間、精神がおかしくなるまで拘禁した人間をさらに殺そうと考えるのは、検察が内部の狭い論理だけしか考えない人間の集団であることを示していると思います。小アイヒマンの集団です。

 ほとんどの商業メディアがこの事件への関心を失うなか、NHKは4月3日のクローズアップ現代で取り上げました。優れた着眼です。当時の検察に対する疑惑と共に、ここでは裁判にどんな証拠を出すかは検察の裁量に委ねられてきたことが問題とされました。被告に有利な証拠はずっと隠されてきたわけで、これでは検察側と弁護側は対等ではあり得ず、この現行制度を正当化するどんな理由があるのか、凡人には想像もつきません。

 検察が無罪を示す証拠があるのに出さない可能性が否定できない以上、著しく公正を欠きます。裁判員裁判では少し改められているそうですが、普通の裁判では依然として続けられているそうです。人を罪人にするのが検察の仕事です。人を殺傷する力を持つ警察などと同様、他人には危険な仕事であるだけに、厳しい公正さが必要です。

 国民の司法への参加という形式ばかりを重視した裁判員制度より、すべての証拠の開示という公正を担保する根幹部分の改革の方がずっと重要だと思います。しかし検察が真面目な小アイヒマンで満たされていたならば、内部からの改革は絶望的だと言えましょう。

 外部からの改革を期待したいところですが、このような重要な問題であっても、多くのメディアが取り上げなければ重要な課題として認識されず、改革の機運はなかなか起こりません。視聴率ばかり気にするような商業メディアでは無理かと思いますが。