噛みつき評論 ブログ版

マスメディア批評を中心にしたページです。  姉妹ページ 『噛みつき評論』 もどうぞ(左下のBOOKMARKから)。

「仮定の質問には答えられません」

2010-09-16 10:07:29 | Weblog
 民主党の代表選を前にした公開討論会で小沢氏は、首相になれば連立を組み替えるのか、また検察審査会で起訴すべきと議決されれば自身の起訴に同意するのかという記者の質問に対し、仮定の質問には答えられない(勝つかどうかわからない)という意味の発言をしました(起訴に関しては後日同意すると表明)。

「仮定の質問には答えられません」は質問から逃げるときしばしば使われる文句です。「たら、ればの質問」も同じ意味で使われ、質問拒否の常套句と言ってもよいでしょう。そして質問者は拒否を認め、それ以上の追求をしないというのがほぼ慣習のようになっています。はたしてこれは一般に質問を拒否する正当な理由になり得るでしょうか。

 予想される仮定がいくつもあったり、質問者が可能性の低い仮定を持ち出した場合は時間的な制約などの理由で質問を拒否することは仕方ないと思います。しかし小沢氏のケースは代表に選ばれるか、そうでないかの2つの可能性があるだけで、どちらの可能性も十分あると考えられていた状態ですから、拒否する理由にはなりません。

 とりわけ選挙の場合、投票者が知りたいことは、候補者が当選したときどのような政策をとり、どのような行動をするかということですから、立候補者は当選後の政策なり行動を予め投票者に伝える必要があります。当選後のことは言えないけど、とにかく投票してくれというでは、見積書なしに購入契約をしろというのと同様です。

 質問をする記者は一般の有権者(代表選の場合は議員や党員、サポーター)を代表して立候補者から当選後のことを聞きだして明らかにするのが仕事です。そして多くの場合、質問は記者クラブに加入しているメディアの記者に限定されています。それだけに記者らに期待される役割は大きく「仮定の質問には答えられません」という返答に「ごもっとも」とばかり簡単に引き下がるのはいささか情けないと思います。

 これでは緊張感を欠く馴れ合いと思われても仕方ありません。「仮定の質問には答えられません」という返答には納得できないという「常識」を身につけるべきでしょう。