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経済より安全が大事、という詭弁

2020-01-19 22:11:39 | マスメディア
 広島高裁は17日、四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを命じる決定を出した。4月に予定されている営業運転の再開はできない見通しだという。森一岳裁判長は「四電の活断層の調査は不十分」であり、また約130キロも離れた阿蘇山で大規模噴火が起きた場合の火山灰の噴出量を、少なく見積もりすぎているとし、安全性に問題がないとした原子力規制委員会の判断は不合理だと決めつけたそうだ。差し止めを申し立てたのは山口県のたった3人の住民である。この3人と弁護士、森一岳裁判長が伊方原発を止めたのである。

 一介の裁判長が安全性に対してまともな判断能力を持っているのか、はなはだ疑わしい。そもそも裁判所が原発運転の可否を決定できるという制度がおかしい。130キロも離れた火山の大規模噴火が原発に危険だという根拠がわからない。森一岳裁判長は原子力規制委員会を上回る知識や判断能力をお持ちなのか。こんな重大な判断が裁判長ひとりで、あるいは少数の取り巻きによってなされるのはおかしい。これでは「独裁」である。

 この判決に賛同した街の声のひとつをテレビが取り上げていた。「経済より安全が大事です」。テレビはこの声を街の声を代表するものと考え、自らも肯定したのだろう。経済より安全が大事という議論は一見、正しいように思える。そしてそれに反論すると、お前は安全よりカネが大事だというのか、カネの亡者か、との非難を覚悟しなければならない。

 しかし、これは詭弁である。この議論には基本的な欠陥がある。原発が経済上の利益をもたらすことは確実である。しかし安全を損ねるかどうかは確実ではない。その危険は10万分の1かもしれず、1億分の1かもしれない。原発の安全性を考えるうえで確率は欠かせない要素である。例えば旅客機の事故は運行200万回に一回程度だと言われる。また日本の交通事故による死者は年間4,000人弱で、事故率は旅客機より格段に高い。

 絶対の安全はあり得ず、事故確率を一定程度まで許容しなければ社会は成り立たない。従って原発の運転差し止めを決定するには事故確率の予想が間違っていることを具体的に説明する必要がある。こんな抽象論では駄目である。さらに経済か安全かの比較で言うと、原発の効用であるエネルギー安全保障、温暖化防止、電気料金の低下による産業競争力への貢献、これらの経済的利益を正しく評価する必要がある。経済的利益が少なければ許容されるリスクも小さくなるのは当然であり、逆も真である。

 失礼だが、裁判官がいかに偉くともこれらの複雑な問題を適切に検討するのは不可能だろうと思う。法曹界には左寄りの人間が比較的多い。従って原発に反対する人間が一定比率存在する。こういう人達は時々バカバカしい判決を出す。たいてい定年間近の、出世が望めない裁判官がやるという。ときに森一岳裁判長は64歳、定年退官まであと8日であった。失うものがない身の、捨て身攻撃である。

 仮処分は即時の効果があるため、害も大きい。裁判権の乱用である。そもそもこれは事故確率の問題、科学・技術的問題、経済問題であり、ほとんど法律問題ではない。裁判官に判断させる性格のものではないのである。仮処分は債権保全などの時によく使われ、原発のようなケースを想定して作られた制度ではないと思うが、是正するのは法律家の仕事である。法律家はゴマンといるのだが。


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