噛みつき評論 ブログ版

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無理が通れば道理引っ込む・・・五山送り火を巡る古都の騒動

2011-08-11 10:06:31 | マスメディア
 津波に流された陸前高田市の松を、京都の五山送り火の護摩木として燃やす計画が、放射性物質の汚染を心配する数十本の抗議電話によって中止となったニュースは大きな反響を呼びました。抗議には、燃やせば琵琶湖が汚染されるといった妄想まであったそうです。

 主要紙の多くがこれをコラムで取り上げました。地元の保存会と京都市がすべての薪を検査して、放射性物質がないことを確かめたにもかかわらず、抗議に屈したのは数百本の護摩木に託された亡き家族への思いなど傷つける残念な行為だという論調が多かったようです。

 この騒ぎは単なる偶然ではなく、起こるべくして起こったという気がします。騒ぎを構成する要素として、
①放射性物質に対する不合理というより病的ともいうべき恐怖心、あるいは
②数値に対する理解能力の圧倒的な欠如
③自分達の健康がすべてに優先するという考え方
④被災した人々の心情への無関心
⑤主催者側の情けないほどの定見のなさ
が挙げられるでしょう。①~④は風評被害の成因とよく似ています。ついでに言うと⑤の定見のなさは菅首相をお手本にしたかのようです。

 近年、ダイオキシンや環境ホルモン、BSE、食品の消費期限問題などによる騒ぎが繰り返されました。マスコミの期待にもかかわらず、これらによって実際に健康被害が生じた例は聞きませんが、この度重なる騒ぎによって健康問題は決して侵してはならない聖域として定着したように思われます。

 むろん健康被害が出てはなりませんが、健康に対する安全だけではなく、安心までも重視される風潮が出来上がりました。安心もまた大切なことですが、困ったことにそれは人によって感受性が異なります。鈍感な人もいれば病的なほどに過敏な人もいるわけで、極端に過敏な人にまで安心してもらおうとすると、今回の陸前高田の護摩木使用を中止するといったことになります。

 五山送り火の騒ぎでは、一部の人たちの不合理な意見のために、まともな人たちの行為が曲げられたわけで、実に理不尽な結果となりました。「健康に対する不安」と言われればそれが如何に根拠のない話でも逆らえない、といった風潮が広がっているように感じます。健康不安は、誰もが黙る水戸黄門の印籠のようなものとなりました。

 安心は意識の問題です。十分に安全であるにもかかわらず、安心できない人に対しては安全の理由をきちんと説得するのが道理です。汚染牛肉の問題で政府は方針を転換し、放射性セシウムの値が基準値以下の場合であっても、買い上げて焼却処分することにしましたが、このような安易な方法は基準値の意味を失わせるだけでなく、政府自ら不合理を認めるものです。まあモンスターペアレントの言い分に対し、ご無理ごもっともと、お追従するようなものです。

 このような風潮は、健康被害の恐れを強調することによって不安を煽ってきたマスコミの姿勢と無関係ではないでしょう。不安を煽らなければ不祥事の原因者を激しくバッシングできません。また不安そのものがマスコミの商売に欠かすことのできない大切なものです。

 一方、自分で煽った不安を自分で否定することは困難です。その結果、マスコミは根拠のない不安に対して、毅然たる態度をとることができなくなったのでしょう。陸前高田市の護摩木を使わないという情けない決定はこのような風潮が生んだひとつの例として理解できます。

 先に述べた主要紙のコラムは他人事のようにもっともらしいこと述べていますが、その遠因に自分達も加担しているという自覚があって欲しいものです。ただひとつ、8月8日の毎日のコラム「近事片々」には反省の気持ちが見える一節があります。

「私たちメディアも何を報じてきたのか。木片が問う」

 その後、京都で陸前高田市の松を護摩木として用いる計画が中止されたことに対して、多数の抗議が寄せられたことは、まともな意見も依然として健在であることを示しており、まあ一安心というところでしょうか。


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2 コメント

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Unknown (こんちゃん)
2011-08-12 13:55:24
> ①放射性物質に対する不合理というより病的ともいうべき恐怖心、あるいは
> ②数値に対する理解能力の圧倒的な欠如

この原因の1つとして、政府や電力会社等関係者の隠蔽体質に対する不信感というのがあると思います。
大丈夫だといってるけど、本当は危ないことを隠してるんじゃないのか。学者がもっともらしいことを言うけど、御用学者を呼んできて好意的にしゃべらせてるだけじゃないのか。
実際そうだから、安心などできるわけないのです。

それにしたって、抗議に屈する主催者側の弱腰は情けない限りですが。
「そんなにご心配でしたら、もし病気や怪我をされても、決してレントゲンなど撮らないでください。護摩木などよりはるかに多い放射線を1回で浴びますからね。放射能は自然界でも常時微量ですが検出されますから、できれば防護服を着て生活なさった方がよろしいかも知れませんね。それではくれぐれもご注意ください。」とでも言って返してやればいいのに。
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Unknown (okada)
2011-08-12 17:36:32
確かに、政府や電力会社等関係者の信用の低さも要素のひとつでした。
まあそれにしても、琵琶湖が汚染されるなどといいったとんでもない心配はどうしようもないですね。
「主催者側の弱腰は情けない限りです」全く同感です。毅然として筋を通すという態度が見直されるべきでしょう。
「防護服を着て生活」面白いですね。
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