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ご臨終近い社民党

2022-01-12 21:37:50 | マスメディア
 この夏、社民党は政党でなくなるかもしれない。公職選挙法などで政党として扱われるには所属する国会議員が5人以上か、直近の衆院選か最近2回の参院選で全国を通じた得票率が2%以上出なければならない。前回の参院選では2.09%であったが、昨年の衆院選では1.77%であり、夏の参院選で2%を超えるのは難しい情勢だ。

 社民党が今後どうなろうとどうでもいい、後は野となれ山となれである。興味を惹かれるのはこのような長い歴史を持った政党がいかに時代から取り残され、長い時間をかけて支持を失ってきたかという問題である。

 社民党の前身は日本社会党である。両者に共通する特徴は「なんでも反対」の党であり、とくに自衛隊には反対で、その考えは憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」に近い。
(指摘されているように「信義に信頼」ではなく「信義を信頼」の方が日本語として正しい)。

 現在の国際環境が「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼し、非武装でよいと考える人はさすがに僅かとなった。よほどおめでたい人だけであろう。非武装中立は両党が掲げてきた主張であった。国際環境の変化と共に社民党の時代遅れの様相が明確になってきたわけである。しかし国際環境の変化がなくても国際政治はパワーポリティクスの世界であり、力が最重要の要素であることは歴史を見ればわかることである。この現実に目をつむり、非現実的な妄想を長期にわたって信じてきた現象は奇妙である。

 福島瑞穂氏は高校生時代、全国模試で一位をとったほどの秀才であり、国際社会の現実を理解できないのはまことに不思議である。また弁護士時代は韓国の元慰安婦に寄り添いアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件の弁護を担当して日本政府に補償請求した。朝日の記事などを真に受けて、善意でのことかもしれないが、真偽を見抜く能力がいささか弱いようだ。

 ついでながら彼女の師匠格である土井たか子氏にも重要な象徴的なエピソードがある。1988年、拉致された石岡亨さんの手紙が有本恵子さんの両親に届いた。文字通り決死の手紙である。両親は土井たか子氏に手紙のことを訴えたものの土井氏は無視し、手紙のことを朝鮮総連に密告した。2か月後、石岡さんと有本さんは死亡したと北朝鮮から発表された。彼らの死と土井氏の密告とが無関係とは思えない。手紙を出したことによる処刑や口封じの可能性もある。土井氏は北朝鮮という国や友党である朝鮮労働党を正確に把握していたとは到底思えない。これも不思議である。これほどの大失態であるが左翼に甘いメディアは十分な報道をせず、あまり知られていない。

 福島氏や土井氏に見られる現実離れした妄想、狂ったとしか思えない現象認識はなぜ生じるのだろうか。それを左翼思想と簡単に片づけてしまっていいものとは思えないのである。若年者が一時期、様々な思想や宗教にかぶれることはよくある。けど社会の現実を見、経験を重ねるにしたがって多面的に見方もできるようになり、より正確に現状を認識できるようになる。福島氏や土井氏にはそれがなく、基本部分は一貫して変化がないようだ。永遠の若者というと聞こえがよいが、アスペルガーにも似た硬直的な精神特性ゆえなのだろう。個人のことならよいが、問題はそれが社会的影響力を持っていることである。

 オウムの世界観は妄想に基づくもので、それは凶悪な犯罪集団の基礎を形成した。妄想が現実認識を歪めた例である。社会党・社民党の防衛政策もそれに似ている。隣の人は平和を愛するいい人であり、戸締りなど必要ないと言い続けてきた。しかし戸を開けたままだと泥棒行為を誘う。戸を閉めることが泥棒や強盗行為を抑止する力になるという常識さえ理解できないのである。社会党・社民党は何十年もの年月をかけて日本の抑止力の足を引っ張ってきて、戦争の危険を高めたと言ってよい。それを可能にしたのはメディアの認識の愚かさであろう。共犯である。こんな有害な政党がいままで続いたことを反省しなければならない。

 思想と宗教につけ込まれやすい性格というのは存在する。こだわりの強い性格などがそうだろう。そして思想の自由、信教の自由としてそれらは強く保護されている。当初、警察がオウム捜査に腰が引けていたのは憲法上の信教の自由のためだった言われている。しかし、これらの自由権は社会の基本であり、制限することはとてもできない。宗教や思想に潜むこれらの危険を防止することができるのはマスメディアだけである。メディアが正確に認識し、応援などしないことである。メディアがアホでないことが必須条件となる。