噛みつき評論 ブログ版

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スポーツ貴族の権力

2018-09-01 23:22:21 | マスメディア
 人間とは、権力を好む生き物らしい。近代以前、政治組織は王政が中心で単独の権力者による支配が主流であった。ギリシャ・ローマの民主制は数少ない例外である。小は部族の酋長から大は14億人の頂点に立つ習近平国家主席まで、今でも世界には様々な古典的な権力構造がある。スポーツ界も例外ではなさそうである。

「体操よ、お前もか」である。次から次へとスポーツ界から美味しいネタが出てくる。メディアにとっては実に喜ばしいことだと思う。それにしてもスポーツ界の小さな出来事がこれ程大きく報道されることには違和感がある(携帯電話会社の適正利益についてもこれくらいやって欲しい)。

 日本体操協会のように、スポーツの各種目に応じて様々な〇〇協会があるようだ。その中に会長、副会長、理事長、副理事、理事、…とか多くのポストがある。さらに下部の府県組織があり、多くの役員が存在する。それだけの人数が必要なのか、私にはわからないが、彼らはスポーツ界の貴族である。選手の海外派遣の選定、強化選手の選定、オリンピックなど競技会出場の決定、そして各種資格の授与・剥奪などを行う権限をもつようである。

 以前、マラソンなどでオリンピック出場選手の決定が客観的なデータだけによらず、役員の主観が入る方法で行われていた(現在は知らない)。これは役員に気に入られなければオリンピックに出られない可能性を思わせる。客観性やルールより情実が重視されてきたわけである。情実による決定権は権力の源泉である。

 何年もスポーツ競技に打ち込んできた若者は少なくない。〇〇協会の権力者はその若者の前途を自由にできるのである。逆らえばオリンピック出場が不可能になるだけではない。永久追放、つまりその世界にいられなくするほどの強い権限を持つ。アマチュアスポーツといっても将来は職業としてコーチや監督になる人は少なくない。追放は(将来の)職業選択の自由をも奪うのであるが、これも権力の源泉である。他の世界にこんな過酷なことがあるだろうか。例えばある会社の社員が不祥事を起こしたとしよう。社員は会社をクビにはなっても、業界から追放されるということはない。永久追放に対して人権派の弁護士はどう考えるのだろうか。

 人が集まれば古典的な権力構造ができるのは自然なことでもある。近代以前はそれが普通であったが、これはまずいということで起きたのがフランス革命に代表される市民革命である。国民主権・法の支配・権力の分立などの理念が重要になるのは学校で学んだ通りである。つまりこうした民主制の理念を強く意識的しなければ組織は古典的な独裁的権力構造になりやすい、ということである。

 法の支配に対するものは情実支配であり、国民主権に対するものは役員ファーストである。スポーツ団体といってもこれら民主制の理念と無関係ではいられない。スポーツ団体を支配している人たちの多くは過去にそのスポーツで優れた成績を修めた人達である。若い頃はスポーツに打ち込み、民主制の理念などを学ぶ時間がなかったのかもしれない。

 このように考えると現在のスポーツ業界で次々と問題が噴出するのは当然なのかもしれない。これを機に膿を出し切らなければならないという議論があるがその通りである。膿を大量に含んだ組織の頂点に立つのがIOC、国際オリンピック委員会である。IOC自体も不祥事では決して引けを取らない。