噛みつき評論 ブログ版

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思想は虚構に過ぎない

2010-12-02 10:42:56 | Weblog
「思想というものは、本来、大虚構であることをわれわれは知るべきである」
11月21日の毎日新聞のコラム、反射鏡によれば、40年前の三島由紀夫の自決直後、司馬遼太郎は「異常な三島事件に接して」と題する3000字を越す文を毎日新聞に寄稿したそうで、これはその文中の言葉です。

 司馬は「幕末の思想家、吉田松陰を引いて「思想」がいかに取り扱い注意の危険物であるかを論じながら三島の思想(=美)と自決との関連を解析した」と同コラムは解説しています。

 一方、季刊誌「考える人」にはこれに関連する記述があり、一部を引用します。

『三島自決の1ヶ月後に行なわれた鶴見俊輔との対談「日本人の狂と死」も興味深いものです。ここで司馬は、終戦の直前、米軍の本土上陸の際には東京に向かって進軍して迎え撃て、と命じた大本営参謀に、途中、東京からの避難民とぶつかった場合の対応を尋ねます。すると、「その人は初めて聞いたというようなぎょっとした顔で考え込んで、すぐ言いました。……『ひき殺していけ』と」。司馬は「これがわたしが思想というもの、狂気というものを尊敬しなくなった原点です」と語ります』

 司馬はこの終戦直前の経験から思想というものに懐疑心を持ち続け、その後の洞察を通じて「思想は虚構」という結論を得たのでしょう。当時、思想というものには今より高い価値が与えられていたと思われるので、この司馬の言葉はずいぶん刺激的であったことでしょう。

 まあ司馬は三島の自決を思想に結びつけて理解したわけですが、三島は思想が虚構であることを承知の上で自決を選んだ可能性も否定できないと思います。現実的なものに価値を見出せなくなったとき、敢えて虚構の世界に身を投ずることは考えられないことではないからです。

 思想に神秘的な味付けをすれば宗教になります。「思想は取り扱い注意の危険物である」も巧みな表現だと思いますが、これは宗教にもそのまま適用可能です。思想や宗教の持つ影響力の大きさを考えると、人間の頭というのはこうした観念に易々と騙されやすく作られているものだ、とつくづく思ってしまいます。

 私なら、司馬の言葉をもっとわかりやすく「あらゆる思想と宗教は嘘っぱちである」と言いたいところです。いささか品に欠けますが。