噛みつき評論 ブログ版

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伝統の重さと軽さ

2009-06-25 10:36:05 | Weblog
 国民には職業選択の自由が憲法で保証されています。しかし、天皇と皇太子は別扱いのようで、事実上、職をやめる自由もないようです。高齢の両陛下が終生仕事から解放されないことはお気の毒に感じます。それでは引退できるような仕組みに変えればいいではないかと、素人には思われますが、そう簡単にいかないのは伝統という重さがあるためでしょう。

 一般に伝統は守るべきもの、守る価値のあるものだと、肯定的に受けとられることが多いと思います。価値があるからこそ長く続いてきたという考えですが、長く続いてきたから価値があるとは限りません。逆は必ずしも真ならず、です。

 時代や社会の変化によって、数多くの伝統の中にはその意味を失っているものが少なくありません。価値を失った伝統を伝統だからという理由だけで頑なに守るのは不合理なことです。例えば、仏教は8万もの寺を擁しますが、その多くは宗教としての役割を果たしているとは言えません。伝統が大事にされるおかげで建物や組織としての寺は存在していますが、宗教としての意味は希薄です。一部は葬式業や観光業に変身しているのは周知の通りです。もっとも8万もの寺が、かつての創価学会のように強力な活動をすると余計に困りますが。

 現在、日本では西暦と元号という二つの年号が使われていますが、換算の手間、間違いの発生、年号が急に変わった時の混乱など、このために発生する損失は無視できるものではありません。現在、中国の文化的影響の下で伝統的な元号を用いているのは日本だけだそうですが、形骸化した伝統が有害となってもなかなか消えない例でしょう。

 歴史的な長い伝統に支えられて存在し続けてきたものは、簡単にはなくなりませんが、そこには一種の慣性力が働いているかのようです。惰性といってもよいでしょう。それは、「あってあたりまえ」というものには批判の目が向きにくいためではないかと思います。

 一方、社会や組織には変化に対する抵抗性といったものが存在します。役所でよく見られる前例踏襲主義は変化への抵抗性の存在を示す好例です。前例踏襲は目先のリスクを避けるのに有効で、また頭を使わなくてもよい方法であるため、とくに役所では人気が高いのですが、反面、変化への適応を放棄するものです。

 無批判に伝統を守ることと、変化への抵抗性は役所を役所らしくするだけでなく、広く社会の硬直性にかかわっているように思います。社会のシステムに数多く存在する形骸化したもの、存在の価値を失ったものに「スポットライトをあてる」仕事は重要であり、マスコミに期待されるもののひとつでしょう。