今まで、立ち止まって何か考える時に、いつも仰ぐのは先人の考えであった。
「私のバックボーン」で挙げた、日本人10人、外国人10人は、いずれも19世紀から20世紀にかけて生き抜いてきた、私にとっての「先人」である。
特に、いつまでたっても青臭さの抜けない私は、先人の考えを仰ぐことばかりに熱心であった。
イギリスのオックスフォード、アメリカのパロ・アルト(スタンフォード大学のある町)、ボストン(ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学のある町)などを訪れると、いくつになっても胸が高鳴る。これは、青臭さの抜けない表われだ。
だが、60歳代の半ばを迎えて、考え方を変える必要に迫られている。
現代を考え、これからの社会を展望するのは「次の世代」の役割ではないか、と考えるようになったのだ。
そのような「次の世代」を代表する人物を見つけ出す。これはものすごく難しい仕事だ。
最近になって「発見」した金子郁容は50歳代、私にとって「次の世代」の星だ。
現代社会哲学のキー概念に、以下のようなものがある、と指摘した。
「老いの哲学」
「ボランティアの哲学」
「介護の哲学」
「クラブの哲学」
「メディアの哲学」
「ネットワークの哲学」
「地域振興の哲学」
「ブログの哲学」、などなど。
それぞれの分野で思索をめぐらす人を見つけ出し、紹介することがこれからの課題となる。重い課題だが、好奇心のある限り、この課題に取り組んでいきたいと思う。 (つづく。2008/7)
「私のバックボーン」で挙げた、日本人10人、外国人10人は、いずれも19世紀から20世紀にかけて生き抜いてきた、私にとっての「先人」である。
特に、いつまでたっても青臭さの抜けない私は、先人の考えを仰ぐことばかりに熱心であった。
イギリスのオックスフォード、アメリカのパロ・アルト(スタンフォード大学のある町)、ボストン(ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学のある町)などを訪れると、いくつになっても胸が高鳴る。これは、青臭さの抜けない表われだ。
だが、60歳代の半ばを迎えて、考え方を変える必要に迫られている。
現代を考え、これからの社会を展望するのは「次の世代」の役割ではないか、と考えるようになったのだ。
そのような「次の世代」を代表する人物を見つけ出す。これはものすごく難しい仕事だ。
最近になって「発見」した金子郁容は50歳代、私にとって「次の世代」の星だ。
現代社会哲学のキー概念に、以下のようなものがある、と指摘した。
「老いの哲学」
「ボランティアの哲学」
「介護の哲学」
「クラブの哲学」
「メディアの哲学」
「ネットワークの哲学」
「地域振興の哲学」
「ブログの哲学」、などなど。
それぞれの分野で思索をめぐらす人を見つけ出し、紹介することがこれからの課題となる。重い課題だが、好奇心のある限り、この課題に取り組んでいきたいと思う。 (つづく。2008/7)