静聴雨読

歴史文化を読み解く

宵闇のニューヨーク

2012-07-13 07:31:57 | 異文化紀行

 

ニューヨークには行ったことがない。いや、ニューヨークに行ったことがある。私の気持ちはこの両者の間で揺れ動く。

アメリカには仕事の出張で何十回も訪れたが、私の旅程はいつもニューヨークを避けて作られるのだった。
乗り継ぎのために、ジョン・F・ケネディ空港を利用したことはしばしばだ。また、ラ・ガーディア空港からケネディ空港までの連絡バスに乗って、街中をチラっと眺めたこともある。

しかし、ニューヨークの象徴であるマンハッタン地区に足を踏み入れたことは一度もない。一度、ニューヨークの北のプロヴィデンス(ロード・アイランド州)からプロペラ機でケネディ空港に向かう途中、マンハッタン地区の真上をかなり低い高度で飛んだことを覚えている。ああ、これがエンパイア・ステート・ビルディングか、これが、貿易センター・ビルディングか、と興奮したものだ。1995年のことだった。それが、マンハッタン地区に関する記憶のすべてだ。そのため、「ニューヨークには行ったことがない。」

行ったことはないのだが、どこかで、「行ったじゃないか」という声も聞こえてくる。オードリー・ヘプバーンの『ティファニーで朝食を』、ミュージカル『ウェスト・サイド物語』、ドキュメンタリー『バワリー25時』などの映像で、マンハッタン地区の隅々までおなじみになっている。植草甚一の著作で、マンハッタン地区の古本屋に出入りしたような気分になる。

これが既視感 deja-vu (アクサン・テギュとアクサン・グラーヴは省略)というものだろうか。
ニューヨーク、とくにマンハッタン地区についての情報はおびただしい量にのぼり、自然に、既に訪れたような錯覚におちいるのだ。『大雪のニューヨークを歩くには』(*)という案内書を読んだことも思い出すし、『42nd Street』というミュージカルもあったっけ。

しかし、ニューヨークはマンハッタン地区だけではない。 

東部に広がるクイーンズ地区、北部に広がるロング・アイランド地区などもニューヨーク「州」を構成していて、面積では、クイーンズ地区とロング・アイランド地区がマンハッタン地区をはるかに凌いでいる。

ある年、ロング・アイランド地区に引退している人を訪ねて、ラ・ガーディア空港から車で北を目指したことがある。運転は、現地法人のアメリカ人にお願いした。空港からしばらく走ると、イースト・リバーを渡る。河の両岸には、中産階級や低所得者向けと思われる高層住宅が林立している。

2時間ほど走って、ロング・アイランド地区の山の中に到着した。日本でいえば、軽井沢みたいなところだ。

そこでの仕事を終え、ラ・ガーディア空港に引き返すべく、陽の暮れかかった道を急いだ。
再びイースト・リバーにかかったときは宵に入っていた。そして、周りの景色に唖然とした。往きに見た中産階級や低所得者向け高層住宅が一斉に明かりを灯して、ゆらゆらと漂っているようなのだ。あたかも、蜃気楼のように、砂上の楼閣のように。

実際の建物がそんなに揺れていたわけではない。しかし、夕闇と明かりが相俟って、建物が今にも崩れそうに見えたのだった。アメリカ人の運転手もこの光景を気味悪がり、アクセルを踏んでその場から急いで離れたものである。1983年のこと。
実在するものが幻覚のようになる。これを、幻視 illusion というのであろうか?

というわけで、「ニューヨーク州(の一部)には行ったことがある。」しかし、「ニューヨーク(の中心)には行ったことがない。」
私にとって、ニューヨークの記憶といえば、イースト・リバー近くの「宵闇の楼閣」に他ならない。

5年前の9月11日に、テレビでニューヨークの貿易センター・ビルディングに飛行機がぶつかるのを目撃し、さらに数時間後、ビルの一つが崩落するのを目の当たりにして、驚愕するとともに、「これはどこかで見たことがある」との思いにとらわれた。1983年に経験したイースト・リバー近くの「宵闇の楼閣」の光景が知らず知らず重なり合っていたようなのだ。

あるはずのものがなきがごとく見えること(1983年の経験)と、あるはずものがなくなること(2001年の経験)とは、ほとんど同じではないか? 二本あった貿易センター・ビルディングそのものが「蜃気楼」か「砂上の楼閣」なのかもしれなかった。

これは文学的表現だが、現実が想像力を超えることは時々起こる。9・11はその不幸な実例になってしまった。

9・11以降、アメリカの一国主義の傾向が深まり、外国からの旅行者の入国にも様々なチェックが課せられるようになった。最近のテロ未遂事件でこの傾向はさらに顕著になっている。外国人に開かれていないアメリカのどこに魅力を見出せるのか? 今は進んでアメリカを訪れる気になれない。しばらくは、私にとってのニューヨークの記憶は、イースト・リバー近くの「宵闇の楼閣」に限られ続けることだろう。

(その後、東京で同じような景色がないか、探してみた。中央高速道路を新宿から西に向かう途中、初台を過ぎたあたりのマンション群が、宵の時刻に、イースト・リバー近辺の高層住宅と同じように、ゆらゆらと揺れているのにぶつかった。やはり、あった。「都市の周縁地域」、「宵の時刻」、「高層住宅」。この3つが重なると、どの大都市でも似たような景観が現出するようなのだ。) (2006/9)