・・・私が子供の頃は韓国とは言わなかった、総称して「朝鮮」と云っていた。
今は、朝鮮半島の北の国と、南の国では、あまりに国状が違い過ぎて一緒に「朝鮮」は呼べなくなっている。
今日の新聞に江戸時代にあった朝鮮通信使の記事が文化欄に掲載されていた。
徳川時代を通じて20年に一度くらいの割あいで500人くらいの人が対馬から日本列島を歩いて江戸まで行った。
そして、日本国内ではオリンピックがあるように賑わったらしい。
朝鮮通信使のメンバーは文化人から、軍人、政治家、職人までいろんな人がいたらしい。
この制度は1606年ごろ、秀吉の侵攻以来止まっていた両国関係を、よくするために、この交流事業が始まった。
中華圏に属していた朝鮮国の人は、この事業の最初の頃は、日本に対して、上から目線だったらしいが、日本では子供まで、字が書け、衛生的な暮らしなどの日本人の文化を見て、考えが変わり、お互いに学び合う相互理解がとても進んだらしい。
翻って、現在の両国間を見てみると、目の前の問題にとらわれた両国の政治家に翻弄され、それに乗っかるメディアの影響もあって、とても、あの時代から考えると、信じられない相互不信の状況にある。
基本、常日頃の定期的な、交わりがあっての理解が基本にないと、問題が生じた時の対応は上手く行かないものである。
もっと、日朝国関係は、常日頃の交わりを増やしておきたいものである。