・・・昨日は、大阪市の北にある箕面市の高台の旅館に宿泊しました。
この両館は海抜250mの位置にある見晴らしのよい大阪の北の高台にあるので、大阪平野を一望することが出来る。
上の写真を地形から説明すると、大阪平野の北側の丘の上から、大阪平野の東側を見ている早朝の展望写真です。
左に大阪平野と奈良盆地の間にある生駒山が遠くに見えます。
私が勝手に想像するに、おそらく古代日本の時代(古墳時代以前)は、上の写真で見えてる大阪平野にある街が河内湖と云われる海とその周りの沼地だったと考えられます。
そして、河内湖の北側の海岸の台地(宿泊した旅館のある)から、東南の方角を見ると海の向こうに生駒山がはっきりと見え、(今旅館のある)台地に住む当時の人達は、海の向こうに見える生駒山の方にはどんな人が住んでいるのかと想像したことでしょう。
実際、弥生時代末期から古墳時代初期には生駒の山の向こうには初期のヤマトの豪族が住み、こちらの海の北側の海岸には三島の豪族がいたのです。そして、両者は淀川、木津川水系を通して、生活や文化が繋がっていたと思います。
昨日、泊まった旅館の窓からの展望で、そんな地形的なつながりが、よく理解出来ました。