・・・日本の古代史に興味がある私にとって、気になる記事が新聞紙面に出た。
発見されたのは一変50~80mの方墳で、学校の建て替え工事に伴って発掘された。
発見された場所は奈良の明日香村の蘇我氏の住居があった有名な甘樫丘の南端にある。
時代は7世紀中期と記事に書かれているので、埋葬された人については、その時代の皇族、有力豪族(蘇我蝦夷)、皇族(舒明天皇)などの名前が候補に挙がっている。
遺跡の名前は小山田遺跡で、地図を下に示す。
こうした、埋もれた古墳はまだまだたくさんあると思われる。
有名な話は、続日本記に平城京を造った時に、当時の平城京造営長官の命令として、「古墳をつぶす時は丁寧に御霊を葬って工事をしなさい」があると書かれている。
実際、平城京を作った時につぶされたと考古学的にハッキリしている主な古墳に、市庭古墳(後円部が残り、平城天皇陵と宮内庁が制定、元は全長250mの前方後円墳)、神明野古墳(完全に削り取られた全長100mの前方後円墳)がある。
新しく都を作るために、古代の日本では最大級の前方後円墳を崩していることが分かる。
今回の小山田遺跡も、完全に埋もれていた古墳の一つである。