仁和寺の桜が、京都で一番遅いと聞いて行ってきました。
入ってすぐに桜の花のの中を歩きながら、時々見える五重塔や青空と山をバックに桜の花が鑑賞できるように植えられています。
此処の五重の塔も重要文化財になっている形の良い塔です。
境内は上のようにつつじの花、シャクナゲの花も見ごろでした。
仁和寺の桜が、京都で一番遅いと聞いて行ってきました。
入ってすぐに桜の花のの中を歩きながら、時々見える五重塔や青空と山をバックに桜の花が鑑賞できるように植えられています。
此処の五重の塔も重要文化財になっている形の良い塔です。
境内は上のようにつつじの花、シャクナゲの花も見ごろでした。
京都市の左京区一乗寺にある八大神社にお参りしました。
神社の境内から本殿に入る入口に、上の写真の看板がかかっています。
「宮本武蔵の悟りの地」と書いてあります。
意味が分かりにくいのですが、この神社が宮本武蔵と関係がある事は間違いがなさそうです。
本殿の境内の隅に宮本武蔵の銅像がありました。
そもそも、映画で有名な「一乗寺下り松の決闘」という松は境内にはなく、少し離れた場所にあります。
叡山鉄道の一乗寺駅を降りて、東にまっすぐ来ると、この写真の松がある場所にたどり着きます。
そして、そこから、チョット言ったところに八大神社があり、説明によると、武蔵は吉岡道場一門の人と決闘したのが、下がり松があるところで、八大神社はその前に祈願に寄った所だそうです。
この所、所用で、度々、京都を訪ねている。
今回は時間もなかったので、宿泊した場所の近くの下賀茂神社に、散歩がてらで、お参りしてきた。
土曜日で、天気も悪くなかったので、下賀茂神社は、たくさんの人でにぎわっていました。
叡山電鉄の出町柳駅に出てから、糺の森を通って下賀茂神社の境内を歩いてきました。
途中の糺の森の木々は、まだ十分紅葉が楽しめました。
紅葉の落ち葉の中を白い馬車に乗って走るイベントを、やっていて、これは、チョット違和感がありましたが、乗っている人もいました。
白い馬車はドイツの古城で見かけた時は、その風景に、よくあっている気がしましたが、ここでは・・・?。
先日私が訪れた京都市伏見区の醍醐寺は名前は知っていたが市内中心部から離れているので、詳しくは知らなかった。この寺は世界遺産になっているらしい。
「古都京都の文化財」という名前で世界文化遺産に登録されているのが17件です。
具体的には上賀茂神社、下賀茂神社、護国寺、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺、天竜寺、鹿苑寺、慈照寺、竜安寺、本願寺、二条城である。
いずれの寺社等も名前を聞けば、行ったことがあり風景が思い浮かぶ建物です。
このうち数件は名前は知っていても、具体的な風景がおもい浮かばなかった。
醍醐寺は数少ない、そのうちの一件でした。
しかし、行ってみると、この寺は国宝、重要文化財がたくさんある場所であることを知りました。
国宝のいくつかの写真を撮ってきました。
上は金堂で国宝です。
秀吉が紀州から、戦争に勝って、持ってきたものだそうです。
奈良には古い木造建築が多くありますが、京都の木造建築では、この五重の塔が一番古くて、塔と一階の壁画が国宝だそうです。
三宝院にある勅使門で、写真に写っている、横の茶色の看板に国宝と書いてありました。
この寺は、醍醐天皇と後の豊臣秀吉が深くかかわった寺なので、宝物がいっぱいあり、庭も素晴らしいので、一度行く価値があると思いました。
・・・京都で泊まった家から、大文字山がよく見える。
街中を散歩した時に見た、京都の町並みの中で見る木々は、すこし色付いていました。
此処からでも「大」の字がよく見えます。
・・・両親の墓参りに行ったついでに、帰りに京都によって伏見稲荷に行ってきました。
下の入口の鳥居は私鉄の駅前にあります。
伏見稲荷は千本の赤鳥居で有名ですが、それが長さ数キロ以上の山頂に続く道に、鳥居が続いていることは知りませんでした。
ズツト急な階段が続きます。
所々、鳥居の無い場所があり、休憩所もあります。
京都の山なので、それほど高くはないですが、結構高い山に感じました。
急な山道の一周3キロはきついです。
今は、コロナがあるので、人はそれほどいませんでしたが、修学旅行生が多く来ていました。
・・・私が住んでいるのは愛知県です。昔は西は尾張地方と東は三河地方でした。
安城城は戦国時代においては、織田氏・松平氏・今川氏、三者の前線基地で、城を取ったり、取られたりの歴史がありました、
テレビの連続時代ドラマには、その理由で、よく登場します。
信長、家康が連携した時代に、この城は廃城になりました。
いまは、先日私が訪れた歴史博物館と松平氏の菩提寺、大乗寺が本丸跡にあります。
上の写真は大乗寺の門。
あまり知られていませんが歴史を感じる城跡です。
・・・高速道路のサービスエリアと言うと、広い駐車場ときれいで、広いトイレと土産売り場やレストランの併設をした広々とした景色を想像する。
先日、吹田ICから近畿自動車道に乗ってから、ドライブ途中にトイレに行きたくなったので、ナビで検索すると、東大阪SAを見つけた。
このSAは道路の下にあって、中央付近に、トイレと自販機があり、駐車場はかなり細長い。
末端には、コンビニが一軒、併設してあった。
駐車場の車の後ろには通路があり、そこで、ドライバーの皆さんは立って休憩しているようでした。
私は、高架下にある高速道路のSAを利用したのは初めての経験で珍しかったです。
・・・先日、大阪へ車で行った時に、高速道の関ICで降りて、関宿に行ってきた。
関宿のメイン通りが上の写真です。
上の写真は今回、関宿の中を回ったコースを赤線で書き込みました。
また、下に載せた写真の建物の位置を書き込みました。
関宿と云うのは日本古代において、三関のうちの一つ「鈴鹿の関」の事で、672年の壬申の乱の時に、日本書紀に名前が出てきます。
そして、江戸時代では東海道53次の47番目の宿場町として、また、現在は国の重要保存地区となっています。
この宿場町で一番古くて、大きな建物が「地蔵院」です。境内の本堂他が国の重要文化財に指定されています。
上は宿場の高札場跡です。
江戸時代の旅篭の鶴屋が現在でも当時のままの使用体で、見学できるようになっています。
・・・高千穂峡は日本の古代神話とかかわる場所で、そこでも、古くて、有名な神話にかかわるのが「天岩戸神社」です。
天照御神が隠れた岩穴の戸をいろいろなことをして、開けようとした話はあまりに有名ですが、ここは「天岩戸」を祭っている神社で、たくさんの人が訪れていました。
神社はさほど大きな神社ではありませんが、天岩戸と川を挟んだ対岸の位置にあります。
中の建物の中で、神楽殿が古びた建物で、趣がありました。
何故か、ロシア人の団体客と同じ見学が一緒の流れになりました。
少し離れた場所に,天安河原が有ります。
とても神秘的な場所で、そこに立つと、何となくパワー・スポットの様な気を感じました。
・・・今回、北九州の旅に出かけた一番の目的は西都原古墳群を見学することでした。
南九州は日本でも有数の西都原古墳群があるとともに、古事記などに書かれている様に、神話では、国の発祥地とされている高千穂峡のある場所である。
西都原古墳群は四世紀から七世紀にかけて築造された319基の古墳からなっている。そのうち男狭穂塚(全長175メートル)は日本最大の帆立貝形古墳。女狭穂塚(全長180メートル)は九州最大の前方後円墳で、共に宮内庁管理の参考御陵地です。
最初に訪れたのは西都原考古博物館です。県立だそうですが、とても立派な石造りの建物で、宮崎県の考古学にかける意気込みを感じました。
建物内を見学するについては、ボランティアガイドの人が展示品の説明をしていただき、とても良い雰囲気で、中を見学しました。
最後に、建物最上階の見晴らしの良い展望ラウンジで昼食を頂きました。
平日の月曜日だったので、人もいなく、のんびりとした時間を過ごせました。
その後、広いので、古墳群の中の代表的な古墳を、案内していただいた人に紹介いただき、周りました、上の写真は古墳群で唯一の横穴式の石室と円墳を取りまく土手がユニークな鬼の窟古墳。
日本で、南九州独特の古墳として、地下式横穴墓を有する111号古墳も初めて見る、古墳形式なので、興味深く見学できました。見学者のために、わかりやすい説明版と中をビデオカメラで見れる工夫も初めての体験でした。
四世紀の前方後円墳の13号古墳も、きちんと管理されており、後円部に設けられた扉を開けて、石室の内部に入って、見学できるようにしてあるのは素晴らしく、古墳を勉強するには良い設備だと思いました。
全体を通じて、西都原古墳を見学して、この遺跡の地元の人たちの古代の遺産を愛する気持ちが、強く感じられる、素晴らしい見学に成りました。
・・・旅行で観る景色から受ける感動は、インターットや本などで、旅行前に見た写真の景色と、実際にその場に身を置いて見た景色では、当たり前ですが、全く別物です。
今回の旅では、熊本から高千穂経由の延岡までの山の間をドライブする山間の景色が、紅葉の季節も相まって、とても印象深いものに成った。
宿泊した部屋のベランダから、阿蘇の草原と中岳などが見下ろせた。
ホテルの露天風呂からも同じ景色が見下ろせた。
この写真は食事の席から撮った写真です。
南阿蘇で一泊した時は外輪山の中腹にある、ホテルなので、阿蘇の草原と中岳が眼前に広がるビューはとても素晴らしかった。
上は、南阿蘇の白川と云うところに、湧いている水源で、きれいに保っているので、柄杓が置いてあって、直接、水をすくって飲める様にして有りました。
湧水の白川水源の景色も、昔、行った青森の奥入瀬渓谷を思い出させる、林の中の素晴らしい水辺の風景でした。
・・・恵那市にある中山道広重美術館に行ってきました。
以前から、浮世絵専門の美術館が恵那市にあることは知っていました。
初めて行きましたが、今回は新版画と云う浮世絵の流れを受けている、大正から昭和の木版画の企画展が有り、学芸員の説明会に参加し、浮世絵を楽しんできました。
上が今回の企画展のカタログです。
この美術館で良かったのは、広重の中山道六十九次の69枚の浮世絵の展示が見られたことと、
実際の版画を刷る体験ができたことです。
四種類の五色刷り浮世絵が体験できます。
上の写真はその体験のコーナです。
上は実際に私が体験して刷った浮世絵版画です。(雨の中の中津川宿)
・・・戦国時代に作られた苗木城の遠山氏は、甲州の武田氏と三河の徳川氏と尾張の織田氏に挟まれてうまく立ち回り、その場所的重要さゆえに、明治まで生き延びた城主です。
上の写真は苗木城の天守です。
天然の岩山を利用して作られた天守の跡地に作られた木組みの展望台です。
城を訪れてみて、改めて、交通の要所にある、天然の要害の素晴らしい城であることを知りました。
上の写真は天守からの展望で、東の方角の正面が恵那山で、その下に広がる市街地が中山道の要所の中津川の街、下に流れるのが木曽川です。
西の方角は恵那峡の方角です。
この城を訪れると一番感動するのが、大きな天然の岩の上に、城が出来ていて、真下に木曽川が流れている眺めが素晴らしいです。