アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

第20回 銀の滴降る日 集い

2010-06-12 09:53:35 | インポート
6月に入ってから教会の仕事が重なり、活動日誌がなかなかUPできません。先月は毎日のようにUPできたのですが・・・
6日(日)は、わたしたちの日本キリスト教団出版局「信徒の友」取材班が留萌を訪れました。「信徒の友」9月号「ここに教会がある」に掲載予定。教会に集う皆さんの豊かさを十分に載せて頂こうと思います。
7日(月)は、天塩の教会員の家庭訪問と初山別の家庭集会。その帰りに海岸沿いに咲く野生のエゾカンゾウの場所を確認。

8日(火)は、早朝の4時にエゾカンゾウを採りに行き、そのまま旭川へ。第20回「銀の滴降る日」集いに参列しました。
毎年、北門中学校の全生徒が参加してアイヌ民族に関する講演を聞き、旭川チカップニアイヌ民族文化保存会の皆さんのアイヌ古式舞踊を観ます。その後、文学碑の前で幸恵さんの誕生を覚えてイチャルパが行われます。

今回の講演は荒井和子さん。和子さんのご両親と幸恵さんのエピソードをお話下さいました。やさしさにあふれ、同時に芯のしっかりとしている方だったと。また、アイヌであるがゆえに幸恵さんも荒井さんご本人も大変いじめられたと。いじめがいかにいけないことかをお話しされました。

この中学校はかつて知里幸恵さんが通った上川第五尋常小学校(「旧土人学校」)があったところで、この校門のすぐ近くの近文講義所(聖公会の伝道所)に叔母の金成マツさん(婦人伝道師)と一緒に住んでいました。
金成さんはここで日曜学校を行い、65名の生徒が通ったようです。また、若いご婦人達に裁縫、編物、読書を教えたと記録にあります(日本聖公会北海道教区九十年史)。
さらに病人を休ませるためにレスト・ハウスを作るなど幅広い活動をしたとのこと(福島恒雄著「北海道キリスト教史」)。
「旧土人学校」の教育内容は偏ったもので、アイヌは「心性ノ発達和人ノ如クナラザル」として一般の修学年齢より1年遅らせて7歳からとしたり、6年制を4年間と短くしたり、科目も歴史、地理、理科は除かれ、「修身と国語とは国民的性格養成上特殊の地位を占むべく…」と、皇民化教育を徹底するものでした。 1901年から全道に25の設置があり、1940年にすべての学校が廃止されます(幸恵さんの通った上川第五は大正12年に廃止され、生徒は北門、近文へ)。


よく育っているのが野生。一目瞭然ですね。来年も協力できたらいいと思います。

最後に代表の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんが挨拶されました。
まずは中学生たちに知里幸恵さんアイヌ神揺集の一文を読んで、「幸恵さんも望んでいることだから、是非とも神揺集をアイヌ語で練習して聞かせてほしい」と。
また、先日に「先住民族アイヌの権利回復を求める」署名を集めて国会に持っていったけれども受け取り拒否をされた、その後にアイヌ政策推進室を訪れて渡してきたとのこと。川村さんは怒りを込めて参列している民主党議員に「しっかりとやれ」と言われました。



6月19日(土)~20(日)に大雪山旭岳「山のまつり」が旭岳温泉青少年野営場で開催されます。北海道新聞ブログにチラシが掲載されています。
http://blog.hokkaido-np.co.jp/0141kome/archives/2010/06/post_429.html

そろそろトレップ(オオウバユリの根)を採りに行きたくてうずうずしているのですが、NCC教育部からの宿題がまだ全く出来ていません。こどもたちに分かる言葉で当センターの働きを12枚ほどの写真パネルにまとめ、それぞれ100字ぐらいの説明をつけるというものです。
写真は紋様や人の場合にご本人の了解を得なければならないので、今回はわたしのブログにUPしている自然風景や動物の写真のみを使うことを考えています。そのため頭を悩ませています。と言うか、悩みながら目につく細かい作業をやってしまう(逃避)ので、机の上やその回りの資料が整理されてすっきり! 午後4時近くになるとこどもたちも来ますので、そこからは完全逃避! 18日までまとまるのでしょうか・・・
こどもたちは相変わらず毎日来ていて、その輪も広がり、入れ替わり立ち代りで名簿上では30人強。集団となるとギズモからグレムリンに変身するのでみんな凄い。ここでやるゲームが面白くてしょうがないらしいです。明日の日曜日には運動会があるので礼拝の前後は応援に行きます。