ジェスチャーで楽譜をめくることができる時代がきたようです。
便利ですが、変な動きをしてしまって、戻ってしまったり先に進みすぎてしまったりしたらどうしよう・・・・と私はちょっとだけ心配。
ジェスチャーで楽譜をめくることができる時代がきたようです。
便利ですが、変な動きをしてしまって、戻ってしまったり先に進みすぎてしまったりしたらどうしよう・・・・と私はちょっとだけ心配。
よく考えてみると(みなくても)、息子は今日が1学期の終業式、娘のほうも学校は今週金曜まで、というわけで、・・・・・・来週から完全に夏休みだ(ガクっ)。
別に夏休みだからといって、四六時中家族の世話をするわけでもなく、自分のことができないわけでもなく、どうということではないのですが、まああれです。。。。。少なくとも娘の昼ごはんが要る(汗)。
というわけで、夕方までなにをやってもかまわないという日はよく考えたら、もはや今日くらいしか残されておらず、午前~昼過まで、ひさしぶりにピアノ部屋にこもりました。
コンペの曲もですけど、とりあえずは、9月本番と言って渡された伴奏の曲、あと12月のベートーヴェンのソナタ。
伴奏譜はラフマニノフのヴォカリーズです~。いいですねえ・・・私も、若いころはいろいろありました・・おっと脱線(笑)。
ベートーヴェンのソナタは1番です、1番。第1楽章だけは小学校高学年くらいで弾いたような記憶がありますけど、あらためて弾くと、時代を感じます。モダンのピアノ以前の曲であることがありあり。
この曲が書かれていたときは、そのあとの約30曲のソナタはまだ存在していなかったわけであり、それを考えると震えがきます。ここからあの大河のような歴史が始まったんですよね。すごすぎる・・・。
それにしても、ひさしぶりにベートーヴェンに向き合ってみると、自分のなかの男性的部分が刺激されるといいますか(いちおう女ではありますけど)、なにかこう荒ぶるものがあります(爆)。緩徐楽章でも女性的というよりは、私からみると男性的な感じします。男性的女性的ってなにかと言われても困りますけど、「こういうのが男だよね」と私が思うから、とりあえずそれでいいです(笑)。
「荒ぶる」で思い出したのですが・・・・・、
昨晩、娘が夏休みの計画表を作ってました。なかに、勉強の時間のところに「怒力ノート」・・・・・と書いてありました。はてなんのことやら???
娘のクラスには「どりょくノート」というものがありまして、これに自分で勉強したいこと、漢字でも計算でも新聞のスクラップでもやっていいことになってます。
でこれは、当然「努力ノート」なわけですが、これが「怒力ノート」になっちゃってるわけです。
ひとえに漢字力の問題なわけですが、私、妙にツボりまして、いやそうとも「怒る力」大事、怒るべきところは自分にも他人にもビシッとせねば・・・・と漢字を注意をする前に瞬殺されました(笑)。
ベートーヴェンも「怒力」あります。けっこうこれが推進力になっているような気もします。
いやいや、感心してる場合じゃないです・・・・「努力」も書けんでどーする!!
最近では学校の書き取りで間違うと、「なんだっけ?と思っているうちに<ゲシュタルト崩壊>しちゃって、変な字になっちゃった」と、信じられないような言い訳をする娘です。
ゲシュタルト崩壊以前に、練習してないから、ちゃんと覚えてないだけじゃろ??
ああ、夏休みが始まる~~~orz
ちなみに娘の計画表、日課の朝7時のところに「起きるかもしれない」と書いてありました(蹴)。
本日の朝日新聞、「惜別」のページに音楽評論家の故吉田秀和氏についての文章がありました。
冒頭の文章を下に引用いたします。
「 音楽家は、言葉からこぼれ落ちる思いを音にする。その音の数々に追いすがり、ふたたび言葉へと導く。音楽について書くことは、永遠に矛盾を追うようなものだ。その矛盾と心豊かに戯れた、不世出の才人だった。」
・・・・・名文であります。じーんときました。吉田秀和氏はもちろん不世出の才人なのであるけれど、この文章を書いた方もまたすばらしい。そして、私はこの書き手の文章をこれまでも実は何度も拝読しております。
書き手は・・・・・朝日新聞記者、吉田純子さん。
非常に印象に残る音楽評を書かれる方で、これまでも彼女の知識・感性、そして文章力に心より脱帽していたのですが、今日はついに辛抱たまらなくなり検索してみました。
このような方でした。→ 音大へ行こう
初めて、お写真それにプロフィールを知ったのですが、非常に好感を持ちました。これまで文章から受けていた印象ぴったりな感じ。それにしても、音楽だけでなく、いろんな分野を担当されてきたのですね。
上記のリンク記事(インタビュー)のなかで印象的だったのが次の部分です。
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吉田:そう。それに音楽業界の人間よりも一般の聴衆のほうが実は時代の風を鋭く感じている時がある、と私は思うんですよ。それを感じたのが漫画『のだめカンタービレ』(※1)のときだったんですね。この漫画が1巻か2巻発表された頃、私は「これはニュースになる」と確信して記事にしました。『のだめカンタービレ』という漫画はすごい漫画で、いわゆるみんなが知っているような有名な作曲家の曲はほとんど出てこない。いきなりバルトークとかですから。それで当時、東芝EMIが関連CDを3000枚発売して、即完売したんですが、それ以上は契約上作れなかったんですね。それで私は、もったいないことをしたと記事に書きました。それから1~2年経ってブームが起こりましたが、一番反応が遅かったのは音楽業界だったのです。ようするに音楽業界は「モーツァルトを聞かせておけばお客さんは喜ぶもの」と、お客さんの敷居はいつも下げてあげないといけないと思いこんでいるんです。そこを『のだめカンタービレ』は、敷居を下げずにクラシックの魅力を真正面からぶつけてきた。そのことに業界は気付かなかった。でも読者はすぐに気付いた。業界の中に居すぎると、感度がよくなくなるんです。だから、普段業界内で言い合っているようなことが自分の常識にならないように気をつけないと、自分が書きたいものが書けないと私は思っています。
― ― そういう立ち居地のようなものは、新聞記者にとってとても重要な気がします。
吉田:どこにも寄っちゃいけないんですね。そして入れ込んでもいけない。個人的には、この人を応援したいとか、この音楽が好きというのはあるべきですけど、説得するには、客観性が必要です。そのうえで、そのうえで、対象に対する愛情もなくてはいけない。
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・・・・・なるほど。
ピアニストとしても伴奏等のお仕事をされているようで、このあたりも、印象深い音楽評につながっているのかな、と思います。
音大へ行かれたことの意味・意義もきちんと説明されていて、ひとつひとつの言葉に説得力があります。
これからも読んでいきたい記者さん、いや文章家のひとり。
先週の火曜日ペダル講座のあとに、ブラームスのレッスンを受けたのですが、
その時以来、(曲に関して)いろいろやりたいことが出てきのだけれど、なんだか進まない・・・という状況に陥っておりました。
ひとつは明日16日の福岡での予選にもエントリーしていたことがあり(こちらで通過しているので、受けなくてもいいわけですが)、それ以前にいろいろいじるのに若干抵抗があったということもあります。
ここのところの集中豪雨もあって、今回福岡は(正確には「今回も」。過去2年エントリーのみに終わってます)やはり見送ろうと思いまして、昨日は一日練習・・・ではなく、終日子供と遊び倒しました(殴)。
ひさびさにサイバラさんの本(「週刊とりあたまニュース」2011年1月発行)を読みまして、以前の「まあじゃん放浪記」やら「うらミシュラン」のような、言いたい放題毒針グサグサ、ここまでいっちゃうか下ネタ全開、に懐かしさやら痛快さやら覚えてましたら、私のなかの何かが飛びましたね(笑)。
このサイバラさんとか、今話題の村山由佳さんは、私と同年生まれなのですが、キケンで奔放な点において、畏敬の対象であります。
・・・・・なにをおそれることがあろう・・・・(笑)
あ、別に私生活で暴れたくなったとか、いけないことに走りたいとかそういうことではないですよ、演奏ですよ、演奏。
で、ブラームスの話にもどります。
先日のレッスンでは長調のバリエーション中心にみていただきました。私、師匠の演奏がことのほか気に入ったのですが、どこがどうなってああなっているのかよくわからない。
ディナミークとかアゴーギクが違うのは自明のことですけど、今後楽曲ごとにちまちま分析していって身に付くような種類のものとも思えない。
なにか違うって、和声感だとか、フレーズ感だとか、ペダルだ、音の響かせかだ・・・等々と、後付的説明はできるわけですが、
こういうことはスコーンと腑に落ちない限り、自分のものにはなりません。
一方で「腕が違いすぎるだろう」で片付けてはなんのためにレッスン受けたのか意味がないので、
スコーンと落ちどころを自分で探したり、じっと待ったりするわけですが、・・・・今朝、ちょっとキました。
たぶん少しはサイバラのおかげ(笑)。
だからといって、あの本を子供には読ませてはなりません。R指定バリバリです。親御さんも人によってはおそらくドン引き(汗)。
ちょっとだけブラームスには申し訳ないような気もしますが、まあいいです。
・・・・という感じで、家族はまだまだ寝てるだろうと、油断全開、Gパン全開でトイレからリビングに出てきたところ、目の前に息子が(大汗)。
「おいっ!自由すぎるだろ、それ」
すみません。フリーダムすぎました(謝)。
本日のお買いもの
楽譜は古書店にてゲット(書き込みなし。新古品)。とくに弾くアテがあるわけでなく、参考文献として。
「セクシーな日本古典文学」は、高校時、古典文学研究クラブで「教科書にのらないような、のせてはいけないような」箇所ばかりをチョイスし輪読していたのを懐かしく思い出し、つい買ってしまいました。
だいたい音楽にしろ文学にしろ、私がマジメに取り組むものは、動機はなべて不純であり、問題が多いです。
歴史(日本史・世界史)、生物、国語(現代文・古文)、英語、あたりはなんとかそれで乗りきってきましたが、
数学、化学にはついに不純な動機が見いだせず(殴)、非常に難儀いたしました。
あとの「まんがで読む」3冊は、とうてい原文は読めないし、長くて根性も続かないであろうものをあえて買ってまいりました。
買ってきたとたん、娘が「ファウスト」と「神曲」は読んでしまい、またしても遅れをとった母であります・・・・orz
最近、ぱっと見、年齢がわからないというか、実年齢よりは若く見える方が多いように思います。
女性の場合、お互いさまなので、どこを見ればだいたいトシがわかるか知っているといいますか、
顔や髪ではわからなくても、こことここには年がでるよね・・・と思ってしまうわけです。
別にトシがでたってばれたってどうってことないですし、私なんかただいまフォーティエイト公言中ですから、なにも問題ありません。
ただですね、やっぱり「若い子とはここが大きく違うよなあ」ということはあり・・・・
最近、リバイバルなのか、歌番組で、私と同世代くらいの方がたが、けっこう出てらっしゃるんですね。しかも若いかわいいカッコして。
芸能人の方がたですから、みなさん、常日頃コントロールされてて、お顔も姿も素敵なんですけど、・・・・なんかやっぱり違うわけです。
ひとことでいうと・・・・・、「背筋にキレがない」。
たぶん姿勢の問題ではないのだと思います。中年以降はお腹もですけど、どういうわけか背中に肉がつき、運動神経の問題もありますけど、動きがシャープに見えない。
クラシックの曲にしても、個人的趣味として「申し訳ないけど、この曲の演奏は絵的に若いコ希望」というものはどうしてもあり、
そういう曲は音についても「イキのいい、ぴちぴちした音色希望」なわけです。
人生経験積んだような、あんなこともこんなこともあったわね・・的な音は勘弁してほしいこともあります。
巨匠の演奏のなかには、お姿は別として、音に関しては、たったいま恋を知ったようなうぶな音、でもそれが実は超晩年の演奏だったり・・ということもあったりして、すさまじくびっくりすることがあります。
いや実際、いくつになっても、たとえ親になろうが子供がいようが孫ができようが、思春期の子のようにときめき続けている人はたしかに存在するわけなんですけど、
それが実生活とリンクせずとも、想像のなかからそういう音が出てきてしまう方はやっぱりすごいというか、天才だと思います。
早熟なほうはよく注目されて、12~13歳なのに、苦しい恋愛を表現したような曲が弾けちゃったりすると「ええ~~っ!」となるわけですけど、
彼らはなにも、全身全霊で打ち込む恋愛とか身もだえするような嫉妬にさいなまれているわけではないと思います(たまにはそういう子がいるかもしれませんけど)。
でも、具体的裏打ちがなくても、そういう心のカーブが天性のカンで音符から読み取れるんだと思います。
逆に、中年や老年になって、子どものような音が出せるというのは、これはもっと難しいことかもしれないと思ったりします。
それは、「成熟しなかった、一生子供のままだった」というわけではなく、また「すべてを経て透明な境地に至った」というものではなく、
「まだわずかな経験しかない若い頃にしか出せない音が、必要に応じて出せる」ということ。
もちろん、深く渋い音が一方にあってのことですが・・・・。
ところで、人間、ひどく疲れているときとか、うつっぽい時というのは、音がモノトーンかつ平板になります。
自分が見た景色に色がついて見えないことがあるように、
自分から出した音が、光も色もなにもない無表情のものになることがあります。
実際他人のそういう演奏に遭遇することもありますが、そのような場合心配すべきは、演奏者のテクニックでも解釈でも知識でもなく、精神状態です。
こういうときは、演奏は批評の対象にはなりえないです。人間のすることですから、いろんなときがあると思いますので温かく見守るのみ・・・。
いろいろな音が出せるようになるということは、もちろん解釈・テクニック・練習、さまざまな要因があると思いますが、
ひとつには、俳優さんが表情と感情の関係を鏡で確認しながら演技の勉強をされるように、
自分の感情(気持ちのポジション)と音色の関係を把握できたり整理できたりすると、コントロールもやりやすくなってくるのかな・・・と思ったりしてます。
・・・・・・・なんといっても最終的には、「こんな音を出したい」という執念のみ、ですが(笑)。
ここのところ、自分の体調がいいのか悪いのか全然わからないのだけれど、
会う人会う人に「いつも元気でいいですね!」と言われるので、たぶん体調もいいんだろうと思ってます(笑)。
どうも身体的に(たぶん精神的にも)「鈍い」人間であることは間違いなく、熱が出ても気づかず、血圧が高くても気づかず、あるときはどす黒いものが出てからやっと膀胱炎であることに気づいたり・・・。
注射も、歯の治療もまず平気なのですけど、これがなぜか、胃カメラだの婦人科の内診だのなると、からきし意気地がないというのは、これまた変な話ではあります。
なんでそんなことを書いたかというと、毎朝起きると「らしくない曲」が頭の中でぐるぐる鳴っているからなんですね。もう何週間も毎朝鳴っているような気がします。
何が鳴っているのか・・・・・これがなんと、ショパンの「バラード第4番」。
今弾いているわけではないですし、印象的な演奏にでくわしたわけでもなく、特別に思い入れがある曲というわけでもないです。
起きてからも、弁当を作り、朝ごはんを子どもたちが食べて学校に出ていくくらいまでは鳴ってます。
どちらかというとメランコリー系の曲なので、逆に「自分の心身の調子はいいんだろうか?悪いんだろうか?」とつい思ってしまうわけです。
10代後半から20代前半にかけては、精神面のコントロールに難儀し、はたから見ても非常にわかりやすくアップダウン曲線を描いておりましたが、
30代前半、気が付いたら、身体面に若干不調の気あり・・・みたいなことがたびたび(足の調子が悪かったり、咳がとまらなかったり、瞼が上がらなくなったり、胃が痛かったり)
その後は四十肩くらいはありましたけど、どこもどうもなくなりまして、・・・というより何も感じなくなって10数年、今に至っております。
病院はたぶん娘を産んで以来だと、1回インフルエンザで内科に行ったのと、最近眼科に行っただけのような気がする・・・・・10年近くほぼなんの検査も受けておらず(汗)。
今年の夏はとりあえず、熱中症に注意せねば。
フォションの「蜜玉露」は、それこそ「加糖茶」のお味でした。
原材料<砂糖、緑茶(玉露)、還元水飴、はちみつ、玄米、香料、ビタミンC>だそうです。
時々不思議な椅子で演奏されるピアニストがおられますよね。
ツィメルマンは座面に傾斜のついている椅子(背中側が高く、腹側が低い)で弾いてらしたし。。。
やはり誰が不思議って、グールドにはかなわない。
<イーヴォ・ポゴレリチ>ショパンコンクール
ショパン:ソナタ第2番第1楽章
椅子もですけど、紐ネクタイ、カフスピン、透けて見えるランニングシャツ、目を奪われすぎです。
個人的には、Graveのあとの電波系の始まり方がたまらない(笑)。
<ラドゥ・ルプー>ウィーンフィルとのコンチェルト
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番第楽章(2分25秒あたりと2分43秒あたりをご覧ください)
曲想のせいもあると思うのですけど、ゆったりした呼吸で弾いておられます。たまには背もたれに身体をあずけるくらいの姿勢ですね。最近こういう感じに憧れます。
<グレン・グールド>グールドと椅子より
椅子の下にぶらさがっている布状のものと、座面に何もなさそうなのがナゾです。
お尻が痛くなったり、ハマりこんだりしないのだろうか・・・
↑ 別に黒ミサとかやってるわけではありません(笑)。
ポジション的に思いっきり逆光になってしまいましたが、それはそれで、肖像権ほか問題なくてよかろうと・・・・(手前に思いっきりどこかのおじさんが映ってますけど)
中国ユース音楽コンクールの曲を中心にした、ペダル講座でした。
私自身はユースの曲を弾くわけでもなければ、子供の生徒がいるわけでもなく、まして自分の子供が弾くわけでもないのですが、
あらためて曲を眺めてみると、「・・・・ひ、弾けん・・・」というか、「子供の頃弾いたけれど、いかにも子供っぽいぺダリングが身体に浸み込んでいて、踏む&離すしかできない」という曲がずらずらっとあったもので、
ペダル講座を各地でされている師匠に相談し、せっかく開催するのなら、みなさんにもお声をかけてみようと思い、実現したのが今日の講座です。
会場の広さからしてほんとにちょうどいい人数、24人のお客様をお迎えしての会となりました。
曲は以下でした。
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モーツァルト:ソナタニ長調KV576(第1楽章)・・・・・・・・・・中国ユース中学生
ショパン:ワルツイ短調(遺作)・・・・・・・・・・・・・・・・中国ユース小学3&4年生
ショパン:マズルカOp.67-2・・・・・・・・・・・・・・・・・・ピティナC級(小6以下)
ショパン:ワルツヘ長調Op.34-3・・・・・・・・・・・・・・・・中国ユース小学5&6年生
ショパン:幻想即興曲嬰ハ短調Op.66・・・・・・・・・・・・・・・・・中国ユース中学生
ショパン:バラード第3番変イ長調Op.47・・・・・・・・・・・・・・・中国ユース高校生
ドビュッシー:ゴリウォークのケークウォーク・・・・・・・・・・・中国ユース小学5&6年
ドビュッシー:アラベスク第2番・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中国ユース中学生
ドビュッシー:<ピアノのために>から「トッカータ」・・・・・・・・・・中国ユース高校生
リスト:<2つの演奏会用練習曲>より「森のざわめき」・・・・・・・・・中国ユース高校生
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基本的なこと、コンクール向けのこと以外に、コンサートピアニストとしての細かいニュアンスの実演も多く、あらためて、ペダルはピアニストの企業秘密(?)であると実感しました。
けれど、これをマネをすることは大変難しいことなので(つまり演奏者の手の技術レベル、および体全体との関連が深い)、明日から役立つというものでもないと思いますが、
2時間以上ペダルの踏み方を見せていただくことで、だんだんと、それは逆にどういう音を欲してのことなのか・・・ということがわかるようになってきたような気がします。
何年か前にもペダル講座が某所で開催され、その時はプロジェクターに大映しになったペダル操作がおもしろかったのですが、今日はピアノをぐるっと囲む形で、直に見聞きする状態でした。
以前の講座に比べると、操作しているペダルの状況を口頭で的確に説明されていて、大きいスクリーンがなくてもわかるようにしてくださったのかな・・と思いました。
ペダル操作は無意識の部分がけっこうあると思うので、説明するというのは難しいというか面倒なことなのだと思うのですけど、そのあたり、慣れてこられたようにも思いました(私が言うのもなんですけど)。
昼食後、1時半からは私自身の個人レッスン。
私がだらだらと長く弾いている間に、この曲を初回初見だった師匠が、あっという間に私の何年分を追い越し(当たり前ですけど)、
弾いてくださるのを聴いてても、「・・・やられた・・・・そうくるか・・・」と各所で思うように(笑)。
瞬間風速でなぎ倒されるとか圧倒されるとかいうのとはまた違う、なんというか・・・・・ジワジワくる・・・(汗)。なんでしょうね、このジワジワ・・・・開けてみたらもう一個、さらに一個扉があった、マジですか、みたいな。
レッスンが終わって、付近でうろうろしていたら、若いピアニストさんがガラス張りのサロンでいきなりショパンの10-1を弾き始められまして、
その速度が「おおお~」という感じだったので、耳をすませていたならば、なんとラフマニノフの3番のコンチェルトの途中からいきなり演奏。
これがまた尋常でない腕なもんで、そばにいって見ていたのですけど、スタイルのいいほっそりした方なのに、フロア中に鳴り響くような通る音で、すばらしく弾かれるわけです。
う~ん、すごい。今留学中でいらして、帰省されてるみたいですが、これから楽しみです。
またそのうち当ブログでもご紹介できると思います。
ほぼピアノ漬けの一日。これから夕飯の用意(笑)。