~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

こんな時代もあった・・のね・・

2007年05月15日 21時39分58秒 | 雑感
今日、学校の役員関係でちょっとだけ話し合いがあったのですが・・

なにかを決めようというときに、まあ数人よると、誰かの「ちょっと待った!その心は」的な発言の下に、ほぼ決定しかけたところから、振り出しに近いところまで戻ることはままあるし、私もそういうことを否定するものではありません。
今日もそれに近いような内容の話し合いがあって、そのこと自体は真剣なことだったのですけど、私はなんだか限りなく懐かしい感じがして、これってなんだろ・・・とずうっと考えていたのですが・・先ほど判明いたしました。

私、学生時代に寮長をしていたことがあるのです。
当時、まだそういうお仕事は「ある種の思想を持った方々がなる」という雰囲気が色濃かったです。実際、私の前の代まではその傾向のある方々が歴代勤めておられまして、東京大学で自治会長にいわゆる「無色」の方がなったということで世間がびっくりしたのが、私が寮長になった頃だったと思います。

私は、そういう政治的「思想」どころか「思考」すら持たない人間でして、ただ先輩が「やれ」というのでやっただけだし、、単なるお世話係くらいの認識しかなかったのですが、のほほんな当時にあっても、まだまだ大学と学生では交渉というか直接話し合いを重ねなければならない事項がありまして、それが寮食を作ってくださる<炊婦さん>の問題でした。
簡単にいうと、たとえば4人なら4人の炊婦さんがいたとして、それが当時はたぶん全員国家公務員だったと思うのですが、「公務員を減らせ!」というお上のお達しによって、寮食堂の存続自体が危ぶまれ、学生雇いといった形で炊婦さんを残すかどうか(実際には大学側との交渉により学生負担をいかに軽くするかという話し合いでした)という大問題が目の前にあったのでした。

結局はだいたいどちらも「まあ納得」なセンで、円満(?)に交渉は終わったように記憶しているのですが、この過程でびっくりなことがいろいろ起こりました。


ある日、男子禁制のはずの寮にですね(もちろん立ち入り可のエリアもありました)、ひげもじゃの男性が現れまして
「今回の問題のことはきいています!一緒に戦いましょう!!」
と握手をされるわけです。

・・・・・このヒトだれ?・・っていうか学生?・・・・何年生?・・・・・

きけばですね、そういう寮関係の連盟がありまして、そこの親玉さんらしい。
まさに「お仕事」として親玉さんをやっておられるわけでして、使命感に燃えておられるわけです。

「駒○寮もついに陥落しました。ここは最後の砦です。我々の戦いはここにかかってます」
みたいなことをおっしゃるわけです。

・・・・・・なんのことでせう?・・・・・・

どうも、次々と炊婦さんが減らされて、寮食堂自体がなくなってきていてるらしいんですね。でも、戦うたってねえ・・・
こういう方々と連帯しちゃうと大学側とこじれたりなんかするかもなあ・・と心配もあったのですが、ちょっとだけ行ってみました。お集まりに。
今でもあるんですかね、全寮連とか都寮連とかいうやつ。
いってみたら、
「♪ガンバロウ~~」という歌を歌ったり、シュプレヒコールがあったりでですね、
「学生運動なぞ今や昔」の日常を送っていたはずだったのに、たまげましたね。ほう、こういう場所があったのか、と。

その後は丁重に連帯と共闘をお断りいたしまして、地味に大学と交渉を続けましたが・・・。


なんとなく懐かしいかったのは、この一連のなかのなんだったのかといわれると「????」なんですけど、もしかすると私のちょっと上世代で、こういう戦いをされていた方が学校役員をされている可能性もなきにしもあらず・・・

ほんとに錯覚かもしれないですけど、懐かしい空気を一瞬感じました。


必要は記憶の母?

2007年05月13日 15時11分11秒 | 家族・友人等
今日は、母の日らしい。
うちは、5月11日が私、15日が息子の誕生日でして、母の日というのはその間に入ることが多いんですね。結果、年々無色透明な日になりつつあります。
・・もちろん、私自身は両方の母親にそれなりの感謝は捧げていますが・・。

母親として自分がどうなのかという問題はおいといて、ひとつ今日は自分になにか捧げてやろうと思い、
本日、3クール(CD3枚)も「音楽の捧げもの」を聴いてます。もうすっかり王様気分
娘は、ず~っと文句もいわず付き合ってますけど、果たして聴いてるんだろうか?
子どもは大変です。両親の趣味にどうしたって巻き込まれますから
娘はたいがいのものは黙ってつきあってますけど、先日朝から「フィンランディア」をかけた時は「うるさくて眠れない!!」と怒られました。
・・・眠ってていい時間じゃなかったんですけど・・・

前から、自分でも変だと思ってるのですが、私の耳はどうも「選択透過性」らしく、<なんとなく>音楽が記憶に残るということがないです。・・・これが記憶の問題だとしたら、選択透過性なのは<耳>でなくて<脳>なんですけどね。
先日「ハッピーフィート」という映画を見にいったんですけど、その後、テレビや街中で、なんかの曲が流れると娘が「あっ、ハッピーフィートの曲だ」というわけです。
友人のブログによると、この映画には私たちの年代には懐かしい名曲がちりばめられていたようなんですが、私には「なんか洋楽が次々流れていた」くらいの記憶しかない(殴)。少なくとも、一回くらいは聴いた曲も含まれていたはずなのに、まったく頭に残ってないです。
ここまでヒドくはないですけど、たとえば、モーツァルトの35~39番のシンフォニーなんかだと、何番だかわかんないこともあり、旦那に「おいおい」といわれることもあるんですが、そういう旦那はショパンの曲がどれも似たように聴こえて判別しにくいらしい。

私、問題はたぶん耳だけじゃないです。
文字に関してもですね、どうも私は美術館や博物館などに書いてある説明がどうしても頭に入らない。
「・・・1923年に○○県で生まれ、・・・・」と書いてあると、そこから先へ進まない。なんで進まないかというと「1923年って、何年だっけ?」とボヤーとしているからなのであって、別に1923年を元号に直そうとしているわけでもなく、ただ単に「1923年っていつ????」と考えてもしょうもないことで頭がフリーズしてます。
なのでもう、歴史的なものの説明を読むと気分が悪くなるほど疲れる。そんなに疲れたあげく結局なにも覚えていない。これって、今に始まった話じゃないので、よくこんなで、学校のテストとか受けてきたもんだと思います。
これが理系に至ってはもう日本語で書いてあっても理解不能だったりなんかするので、興味うんぬんの問題ではなくて、軽く学習障害なんじゃないですかね?

今はなんら不自由のない楽譜でさえ、7~8年前、ピアノを再開したときはそれに近くて、もう大変だったんですよ。
譜をみて例えば「ミ」という音があったとして、「ミってどの音だっけ?」みたいな感じで譜を読むだけでくたくた。当然、初見なんてできたもんじゃなかったです。子どもの頃は楽譜の読み書きになんの不自由もなかったのに・・・ですよ。
あの時は、マジで「頭悪くなった・・・・・」と思いました。
指は動かず、譜は読めず、音程はわからず・・・・三重苦。

その状態からここまできたことを思えば、そのうち「洋楽」も判別記憶できるようになるかも・・とかすかな期待です。
・・・・・いや、またそれは別の問題のような気も・・・・

エチュード:作品ウン十三番「スパルタ」

2007年05月11日 11時44分22秒 | ピアノ
娘のミズボウのおかげで、今週月曜に病院へ行った以外は、階下へ降りることすらなく、買い物にも行かず。
それでなくても先週の生協が不在ゆえにパスだったので備蓄品でしのぐこと5日。な~んだ、買い物なんか行かなくたって生きていけるじゃないか・・・人間地味に暮らせばなんとかなります(逃)。

地味に暮らせば・・で思い出したのだが、私のピアノもなかなか地味に推移している。
どう地味かというと
10-1が何年弾いても、弾けるようになりません!

そりゃあ、難曲中の難曲なのは承知してますし、私ごときがおいそれと弾けるようになるはずもないこともわかってます。が・・・

弾いても弾いてもうまくなりません~!


この調子だと最近譜読みを始めた10-4がまもなく追いつきます、間違いなく。
(いちおう解説・・・10-1とか4とかいうのは、ショパンの練習曲の番号のことです)

私、10-1を<アイロンがけ>
10-2を<蟲は這う>と勝手に命名しておりますけど、
どちらも、だいたいあるテンポまでは、まあまあ打鍵できてると思うのです。
が、あるテンポを超えると、
<アイロンがけ>は、そこここに焦げを作りつつ座礁・・・
<蟲>の方は、天敵についばまれ、オダブツ・・・

ヒドす 

でもですね、この2曲に関しての進歩は見られないにしても、
アホウのように練習しているうちに、右の4&5の指の「曲がった根性のたたきなおし」は某ヨットスクールも真っ青なくらいに進んできたようで、
これらのエチュードをどろどろになって弾いたあとで、他の曲を弾いてみると、まるで、顔を洗って外出した時のようなすがすがしさ(・・意味不明な上に、顔くらいちゃんと洗えよ!と一人突っ込みせねばなりますまい・・・・)。


やっぱりエチュードやったほうがいいでつ・・
サボることウン十年、この私がしみじみ思いますた

(サボることウン十年・・・今思い出しましたが
今日で、ウン十三歳になったようです。こんな話を今日書いたのもなにかのご縁?)

オーケストラ⇒ピアノ・・の心は?

2007年05月09日 21時28分35秒 | ピアノ
HPトップに紹介するのを忘れていたのだが、今FMでピアノでベートーベン=リストの第九をやっている。
ちょうど第4楽章が始まったところだ。

うまいです、ほんとにすごい!!

シンフォニーの編曲ものは縦に音がたくさんあるので(つまり和音が多いということですね)、アルペジオになったり時間差で弾いたりして、ちょっとリズムというか拍が微妙にルバートしちゃったりして、ベートーベンなんかだとあの決然とした感じが、ちょっとだけソフトになって「いい人」感が漂ったり(・・いやいい人だったかもしれないのですけど・・)するものだが、
この演奏は縦の線はバリっとそろい、横のライン(つまり個々の楽器のメロディー)は息長く続くという、ありふれた言い方をすれば「おそるべきテクニック」ということなのだが、とにかくまったくあきない。
この「あきない」というのがかなりポイントで、シンフォニーをわざわざピアノで弾く以上、「オケのほうがずっといいのに、なんでピアノでわざわざ弾くかな?」とか「単一の楽器では限界があるね」と聴き手に思わせたらもう、おしまいと言っていいくらいなので、
望ましくは「オーケストラで聞くより、全体の構造や作曲上のおもしろみがよく伝わった」とか、「一人の奏者による統一感みたいなものがあって聴きやすかった」という感想があるということないような気がする。

もちろん今弾いているピアニストは(すみません、誰かよくわかりません・・・あとで調べます)、音色も多彩なので、ピアノからさまざまな楽器の音を引き出しているのは確かなのだが、敵は第九だ。いくら達者でも、オーケストラと合唱まですべての音色を網羅するのは無理というものだ。

シンフォニーをピアノで聴く楽しみは、私の場合は
「最終的に何百人で演奏される曲であっても、その曲は生まれた時点では作曲者一人がピアノで音を確かめながら作ったであろう」という、曲の原点に触れることができるような気がすることだ。
うまい演奏(それ以前に編曲が肝心)にあたると、オーケストラを聴くのとはまた違った感動を味わうことができる。

私は、よく編曲モノを弾くのだが、動機は単に「好きだから・楽しいから」に尽きるのだが、それではかならずしもそれを聴かせられているほうは楽しいとは限らず、
どうかすると「自分だけで楽しんで弾いていればいいのに」とか「ほかの楽器で聴くほうがやっぱりいい」という再認識のお手伝いをさせていただく結果になってしまったりする。

私なぞはこともあろうか、過去のコンペのソロ3回のうち2回は編曲ものなので、
審査員にもコメントに「ピアノオリジナルの曲でも挑戦されたら」とか「技術はあるので、もっと内容を表現しやすいもので出られたら」とか書かれたりなんかして、結果を目指しているのではなく自分の趣味で出ているのはもうバレバレなのだが、
昨年、「今年は編曲ものではないんですね・・」(ちなみにシューマンの<プレスト・パショナート>というあまりメジャーではない曲でした)とちょっと残念そうに声をかけてくださった先生もいらっしゃるので(爆)、
やっぱりめげずに来年も編曲モノいきたいと思います(殴)。

ただ、いくら趣味とはいえ、独善に陥らないよう、一人でも「この曲、ピアノで聴いてもなかなかいいね」と思っていただけるように、努力したいと思う。

・・とはいえ、来年の話なので・・・今年はそれ以前にいろいろ勉強すべきことがありますね、ハイ・・

こんなん出ました

2007年05月06日 17時41分16秒 | 家族・友人等
5月3日だったと思うのですが、娘が「なんかできてる」といいます。
しきりと上着をめくって気にしていうので、見てみると、カだかダニだかにかまれたような痕がありました。
こういうことは、しょっちゅうあること(・・あっていいことなのか?・・・)なので、「なんか虫にさされたのね」とほうっておきました。

東京では、階段やらなんやら一日中歩いていましたので、こういうことに慣れてない4歳児にはどうなんだろう(・・・昨年までは時々ストライキと大爆発を起こしてくれて、こちらも大変な目に遭いました)、と思っておりましたけれど、元気そのもの、機嫌もすこぶる良くて、よかったよかったと思っておりました。
夜寝ているときは、ほんの少し体温が高めの感じもしましたし、朝起きるとき「目にノリがついてる」と言って目やにをぬぐってましたけど、ゴキゲンだし、食欲も旺盛なので気にとめてませんでした。

昨日、丸善で「なんか痒い」と言い出しまして、シャツをめくりましたところ、
増えてました。ボチボチが相当な数に。
・・・やっぱり・・・
おそらくは水疱瘡だと思われました。で、けさはもう、顔から、腕から・・・・ああああ・・・っって状態です。
昨日こんなじゃなくてよかった。とはいえ、ここ数日間に彼女に接触した免疫の無い方々、知らぬこととはいえ、どうかお許しのほどを。


実はですね、4月の22日あたりに私にも異常がありまして、「もしかすると、これが帯状疱疹というものなのか?」と思ったりしたのです。
万一そうだとすると、大人には感染しないのですが、免疫のない子どもには「帯状疱疹」のご本尊の「水疱瘡」としてうつってしまうので、潜伏期間から考えて、ちょうど東京に行くあたりで、娘に出てしまうかもしれない・・と思ってました。
私のほうは二日ばかり尋常でないだるさがあったものの(ちょうど、みどりのおばさんと、PTAの委員会と家庭訪問が重なった日あたり)、疹は2~3個出て止まってしまったので、「気のせい」か「ダニかなにかのせい」ということで結論をだしてました(殴)。

・・・やはり・・・あれはそうだったのか・・・・

今となっては、すべて無事に終了してますのでメデタシメデタシなのですが、
これがもう数日ずれてたり、私の状態が少し悪かったらエライことだったな、とゾゾっって感じです。

今までもだいたい本番やら旅行の前って、なにかあります。
まだ幼い娘が多いんですが・・・。
スレスレでもなんでも回避できればいいんですけどね。
いや、こういうスレスレの回避というか、ベタな言い方で「ウンが良かった」というヤツ、人生ではぜひぜひ味方につけておきたいです


帰途

2007年05月05日 19時41分20秒 | 雑感
午前中は、丸の内オアゾへ。
宇宙服やロケットエンジンの置かれているショールームや、丸善4階の洋書&ステーショナリーを眺めているだけで時間になった。一階エントランススペースでは、合唱団が「ふるさと」などを聴かせてくれて、それが高い高い吹き抜けに響いてすばらしい。「熱狂の日」無料イベントもなかなかいいじゃないですか!
またまた国際フォーラム周辺をうろうろ。屋台村はすごい人出。
待ち合わせていた叔父夫婦がすぐそばにいたのに気付かず、携帯で連絡とってみたら目の前にいて大笑い。
その後は一時間ほど有楽町のビアホール。

新幹線は、今新神戸すぎたところです。

昨夜の演奏会

2007年05月05日 17時58分25秒 | 雑感
イド・バル=シャイ リサイタル

ヤナーチェク:霧の中で
ドビュッシー:映像第一集より「ラモーを讃えて」
ドビュッシー:練習曲より「半音階のための」
グラナドス:アンダルシア
アルベニス:旅の思い出 作品71―6「入り江のざわめき」
アルベニス:イベリア第2集より「アルメニア」

アンコールはショパンのマズルカ17―4


イド・バル=シャイは1977年生まれ。パリ在住。
私は録音もなにも聴いたことがなく、今回が初めてだ。
弾く前から気になったことがふたつ。
ひとつは椅子が一番高い位置にあったこと。私たちが使うのと同じ自在椅子で座面下のバッテンが伸びきっていたから間違いない。
さらにその座面上になんだか小さい座布団みたいなのを取り付けていた。
もうひとつは、譜が置いてあったこと。
譜面台は使わず、ピンの上に長々とコピー譜が置かれていた。
演奏中は全然見ている風でもなかったが、一曲終えることにきちんとたたんで、また次の曲を見やすいように配置していた。

プログラムにも変更があり、ラストのスクリャービンの4番ソナタがなくなり、変わりにグラナドスが入っていたし、右手薬指にはテープが巻いてあったりしたので、もしかするとあまり調子がよくなかったのかもしれない。
ヤナーチェクやドビュッシーは音がどんなに小さくなっても、どこまででも通りそうな音で、鍵盤を撫でただけでも、音楽になりそうだなあ~と思ってきいていたのだが、
おお!と思ったのはアルベニスで、うなり声というか歌声はすごかったが、音楽自体は品がよく、一方で「スペインのリズムよねえ、これは!」と膝を打ちたい感じもあって、・・・目が覚めた(殴)。

マズルカはかなり弱音で弾かれていて、相当私の好みだったし、23:30近くにこの曲が弾かれるのは、一種独特の雰囲気があった。

スクリャービンなしのこのプログラムでも、時間帯が時間帯だけによかったのでは?と思えたことであった。

22:30から聴きます

2007年05月04日 23時56分12秒 | 雑感
朝は、携帯の買い換え(事情があって広島では買い換えできないことになっていて、今回の旅行の目的のひとつでした)。
その後、有明にあるパナソニックの大展示場内にある「リスーピア」という数学や物理の体感型ミュージアムへ行き、パーソナル端末を持ち歩きながらゲーム感覚で数学や物理に親しんでいくシステムに驚き、また楽しんだ。
次はお台場にある、ソニーのこれまた体験型の映像ミュージアムで家族と遊んだ。
いったんホテルに帰ったのが夜9時。それからまた出直して有楽町の音楽祭を聴きにきたのですが・・
午後10時過ぎなのに席埋まってますよ!
イド・バル=シャイおそるべし。
プログラムはヤナーチェク、ドビュッシー、アルベニスなど。
・・こんな時間なので寝てしまわないか心配(逃)



本日その後

2007年05月03日 23時01分23秒 | 雑感
自分の演奏については、まあミスもなかったし集中もまずまずだったので、音の深みについてはまだまだこれからの課題ということでやっていきたいと思います。
本番の後は、聴きに来てくれていた主人の両親とお茶をし、そうこうしてるうちに家族三人が新幹線で到着。
キティちゃん柄のはとバスで60分観光。車窓から、皇居・迎賓館・警視庁・国会議事堂・最高裁判所・霞ヶ関官庁街・東京タワー・歌舞伎座などなど見物して、おのぼり気分満喫。
丸の内に戻って30分間、杉谷先生のライブを拝聴。
白鳥の湖・剣の舞・ブラームスのワルツ・グラナドスの<オリエンタル>と<アンダルーサ>・禁じられた遊び・ファリャの<火祭りの踊り>
プログラムが大変楽しく、なかでも最後の二曲の並びは最高でした。
「音楽は楽しいものです。遊びです!」とおっしゃってましたが、聴いてる方も心底楽しめました。
夜はみんなで夕食&新丸ビル見学。
長いけど充実の一日だったと言えましょう。


路上ライブ(その2)

2007年05月03日 22時27分58秒 | 雑感
こんなシチュエーションで弾くのは初めてなんでさすがにビビリました・・ちょっと<芸を期待される動物>になった気分・・
進行役の若いピアニストさんは慣れておられるのか、にこやかにテンポよく進めていかれます。
トップバッターの若い方は、カプースチンのノリで<つかみ>、セヴィラックで<場を作り>、こういうライブにふさわしい演奏。
次の方もラフマニノフの、深いしみじみした曲をしっとりと奏でられました。
3人目の方も、チャイコフスキーの「四季」から<1月>を静かに暖かく弾いておられたのですが・・・・
そのときなんとなんと、黒くてにぎやかなお車の一群が!!そういえば今日は憲法記念日なのであって、この付近ではそのスジの方々がさかんに活動されていたのでした(泣)。
お気の毒なことに彼女の演奏は、大半が黒いお車の大音量にかき消されてしまったのでした。
これは演奏者もですが、こういう静かな曲に耳を傾けようと集中していたお客様が残念でいらしたことと思います。
さて、私ですが・・・弾くまでは結構緊張してました、やっぱり。
音を出した瞬間、落ち着きましたけど、力みはどうしても残りました。