今日、学校の役員関係でちょっとだけ話し合いがあったのですが・・
なにかを決めようというときに、まあ数人よると、誰かの「ちょっと待った!その心は」的な発言の下に、ほぼ決定しかけたところから、振り出しに近いところまで戻ることはままあるし、私もそういうことを否定するものではありません。
今日もそれに近いような内容の話し合いがあって、そのこと自体は真剣なことだったのですけど、私はなんだか限りなく懐かしい感じがして、これってなんだろ・・・とずうっと考えていたのですが・・先ほど判明いたしました。
私、学生時代に寮長をしていたことがあるのです。
当時、まだそういうお仕事は「ある種の思想を持った方々がなる」という雰囲気が色濃かったです。実際、私の前の代まではその傾向のある方々が歴代勤めておられまして、東京大学で自治会長にいわゆる「無色」の方がなったということで世間がびっくりしたのが、私が寮長になった頃だったと思います。
私は、そういう政治的「思想」どころか「思考」すら持たない人間でして、ただ先輩が「やれ」というのでやっただけだし、、単なるお世話係くらいの認識しかなかったのですが、のほほんな当時にあっても、まだまだ大学と学生では交渉というか直接話し合いを重ねなければならない事項がありまして、それが寮食を作ってくださる<炊婦さん>の問題でした。
簡単にいうと、たとえば4人なら4人の炊婦さんがいたとして、それが当時はたぶん全員国家公務員だったと思うのですが、「公務員を減らせ!」というお上のお達しによって、寮食堂の存続自体が危ぶまれ、学生雇いといった形で炊婦さんを残すかどうか(実際には大学側との交渉により学生負担をいかに軽くするかという話し合いでした)という大問題が目の前にあったのでした。
結局はだいたいどちらも「まあ納得」なセンで、円満(?)に交渉は終わったように記憶しているのですが、この過程でびっくりなことがいろいろ起こりました。
ある日、男子禁制のはずの寮にですね(もちろん立ち入り可のエリアもありました)、ひげもじゃの男性が現れまして
「今回の問題のことはきいています!一緒に戦いましょう!!」
と握手をされるわけです。
・・・・・このヒトだれ?・・っていうか学生?・・・・何年生?・・・・・
きけばですね、そういう寮関係の連盟がありまして、そこの親玉さんらしい。
まさに「お仕事」として親玉さんをやっておられるわけでして、使命感に燃えておられるわけです。
「駒○寮もついに陥落しました。ここは最後の砦です。我々の戦いはここにかかってます」
みたいなことをおっしゃるわけです。
・・・・・・なんのことでせう?・・・・・・
どうも、次々と炊婦さんが減らされて、寮食堂自体がなくなってきていてるらしいんですね。でも、戦うたってねえ・・・
こういう方々と連帯しちゃうと大学側とこじれたりなんかするかもなあ・・と心配もあったのですが、ちょっとだけ行ってみました。お集まりに。
今でもあるんですかね、全寮連とか都寮連とかいうやつ。
いってみたら、
「♪ガンバロウ~~」という歌を歌ったり、シュプレヒコールがあったりでですね、
「学生運動なぞ今や昔」の日常を送っていたはずだったのに、たまげましたね。ほう、こういう場所があったのか、と。
その後は丁重に連帯と共闘をお断りいたしまして、地味に大学と交渉を続けましたが・・・。
なんとなく懐かしいかったのは、この一連のなかのなんだったのかといわれると「????」なんですけど、もしかすると私のちょっと上世代で、こういう戦いをされていた方が学校役員をされている可能性もなきにしもあらず・・・
ほんとに錯覚かもしれないですけど、懐かしい空気を一瞬感じました。
なにかを決めようというときに、まあ数人よると、誰かの「ちょっと待った!その心は」的な発言の下に、ほぼ決定しかけたところから、振り出しに近いところまで戻ることはままあるし、私もそういうことを否定するものではありません。
今日もそれに近いような内容の話し合いがあって、そのこと自体は真剣なことだったのですけど、私はなんだか限りなく懐かしい感じがして、これってなんだろ・・・とずうっと考えていたのですが・・先ほど判明いたしました。
私、学生時代に寮長をしていたことがあるのです。
当時、まだそういうお仕事は「ある種の思想を持った方々がなる」という雰囲気が色濃かったです。実際、私の前の代まではその傾向のある方々が歴代勤めておられまして、東京大学で自治会長にいわゆる「無色」の方がなったということで世間がびっくりしたのが、私が寮長になった頃だったと思います。
私は、そういう政治的「思想」どころか「思考」すら持たない人間でして、ただ先輩が「やれ」というのでやっただけだし、、単なるお世話係くらいの認識しかなかったのですが、のほほんな当時にあっても、まだまだ大学と学生では交渉というか直接話し合いを重ねなければならない事項がありまして、それが寮食を作ってくださる<炊婦さん>の問題でした。
簡単にいうと、たとえば4人なら4人の炊婦さんがいたとして、それが当時はたぶん全員国家公務員だったと思うのですが、「公務員を減らせ!」というお上のお達しによって、寮食堂の存続自体が危ぶまれ、学生雇いといった形で炊婦さんを残すかどうか(実際には大学側との交渉により学生負担をいかに軽くするかという話し合いでした)という大問題が目の前にあったのでした。
結局はだいたいどちらも「まあ納得」なセンで、円満(?)に交渉は終わったように記憶しているのですが、この過程でびっくりなことがいろいろ起こりました。
ある日、男子禁制のはずの寮にですね(もちろん立ち入り可のエリアもありました)、ひげもじゃの男性が現れまして
「今回の問題のことはきいています!一緒に戦いましょう!!」
と握手をされるわけです。
・・・・・このヒトだれ?・・っていうか学生?・・・・何年生?・・・・・
きけばですね、そういう寮関係の連盟がありまして、そこの親玉さんらしい。
まさに「お仕事」として親玉さんをやっておられるわけでして、使命感に燃えておられるわけです。
「駒○寮もついに陥落しました。ここは最後の砦です。我々の戦いはここにかかってます」
みたいなことをおっしゃるわけです。
・・・・・・なんのことでせう?・・・・・・
どうも、次々と炊婦さんが減らされて、寮食堂自体がなくなってきていてるらしいんですね。でも、戦うたってねえ・・・
こういう方々と連帯しちゃうと大学側とこじれたりなんかするかもなあ・・と心配もあったのですが、ちょっとだけ行ってみました。お集まりに。
今でもあるんですかね、全寮連とか都寮連とかいうやつ。
いってみたら、
「♪ガンバロウ~~」という歌を歌ったり、シュプレヒコールがあったりでですね、
「学生運動なぞ今や昔」の日常を送っていたはずだったのに、たまげましたね。ほう、こういう場所があったのか、と。
その後は丁重に連帯と共闘をお断りいたしまして、地味に大学と交渉を続けましたが・・・。
なんとなく懐かしいかったのは、この一連のなかのなんだったのかといわれると「????」なんですけど、もしかすると私のちょっと上世代で、こういう戦いをされていた方が学校役員をされている可能性もなきにしもあらず・・・
ほんとに錯覚かもしれないですけど、懐かしい空気を一瞬感じました。