~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

バッハも血の気は多かった?・・・かも

2007年05月21日 12時40分38秒 | ピアノ
昨日は、娘のお絵かき教室の行事で、宮島水族館へ行ったのだが、昼を食べたところで、娘の咳がひどくなり、タコの吸盤を描いただけで「眠い」といい出した。仕方なく、一足先に引き上げてきた。
一方で、塾へ行っていた息子も具合が悪かったらしく、ダウン。

けさ、いちおう朝食をとらせたものの、
1.娘お休み
2.息子お休み
3.・・・なぜか旦那もお休み

というわけで、全員日曜のまま。
娘は、咳が出始めると止まらない以外はまあ元気なので、ダンボールで「お風呂」を製作中。
実のところは、私も風邪症状オンパレードで、もしかしたら具合が悪いのかもしれないのだが鈍くてよくわからなので、家族の邪魔にならないように(殴)、防音室でじっくり弾かせていただきました(逃)。

ここのところひさしぶりにバッハやってます。
昔やったことのある「音楽のささげもの」の<3声のリチェルカーレ>を、取り出してやってみているのですが、あの異様(?)なテーマと半音階の多さがたまらないです。
平均律はだらだらとやっていて(休んでる年月のほうが圧倒的に多い)、やっと1巻の22番にたどりついたのですが、このフーガは5声とかで、ちゃんと分析しなければならないのでしょうが、やり方もわかんないし、はっきり言ってバカのまま弾いてます。
ちゃんと勉強したいな・・と思う反面で、やりだしたら何年も何十年もかかるだろうし、バッハだけでおわっちゃいそうだなあ・・とちと遠慮の気もあります。
まあ、そういう問題はともかくとして、しばらく離れていたせいか、ほかの作曲家には感じない独特の興奮があるのですけど、これ音列とか対位法とかそういう音楽的なことと別に、どうも運動性にも関連があるような気がします。
たとえば4声の時、両手で4つのメロディーを弾くということは、あきらかにいつもと脳の働き方が違うわけで、これがちょっとした興奮を呼び起こしているらしく思われます。
ということはですよ、指の独立というのは、指だけを漫然とマッスルに鍛えるよりは、こうして脳と連動して、日々脳にプチ興奮を起こしてシワを刻みつつ練習を積むほうが早い、ということですね。
楽曲的な分析はともかくとして、バッハを弾くのはこういうメリットもありそうです。

・・・ですが、私の数少ない経験からですけど、「慣れっこ」で漫然と弾いてもあんまり効果はないように思います。
「おお~~~、ここにこんなフレーズが!歌わしていただきます」
「おお~~~、ここにこんなビートが!刻ましていただきます」
とかいちいち興奮してると、指も反応するような気が。
それは、別に楽曲として鼻息荒く仕上げましょう、とかそういうことではないんですが。

・・・・・そういいつつ、バッハ弾いても鼻血出しそうな気がする、私は(逃)