~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

もう年だけど、まだ若い

2006年12月22日 10時19分52秒 | ピアノ
今朝起きましたら(正確には目覚めましたら)、全然腰が動かないわけです。
いや「フォ~!!!(すでに古い感じがしますね)」とかいいつつ振れないとかそういう話ではなくて、まったく起き上がれない。
昨夜から風邪の予感でしたが、う~ん・・・
とりあえずトイレには立たないといけなかったのですが、あやうく「気持ちはあるのに体がついていかず、目前でアウト」な状態になるところでした。
今日はこれから、学校に行かないといけないし、生協は来るしで一体どうすればいいんだ・・と途方に暮れてました。
が、・・家の者が出かけた直後忘れ物を発見。気付いたら持ったままおっかけてて、気がついたら治ってました。
いや、仮病じゃないんです・・ほんとに。

昨日は3人ほどお友達がピアノを弾きにいらして、だいたいの時間は真面目に練習をしたわけなんですが、合間に話すことが・・・・

「新しい製品買ったんだけど、説明書の字が小さくて読むのがいやになって・・・」
「冷蔵庫を整理してたら記憶にないものが出てきた。それもコーヒーのフィルターとか、冷やす必要のないもの・・・」
「子どもから学校のプリントをもらったまでは記憶しているのだけど、そこから先が記憶にない・・・・」
「携帯がないないと騒いで必死に探したら、タンスの中に入っていた・・・」

などなど、もう大丈夫かっ、な話ばかり(爆)。
取り込みの問題あり、メモリー容量の問題あり、操作の問題あり、バグあり、で中年おばちゃんの頭は大混乱です。
こんな頭と体で、若いもんと同じようにピアノを弾き、暗譜をしようとしているそこのアナタ、これは大変なことです。自分も含め、エライとほめてやりたい(殴)。

でも、年をとるのは悪いことばかりではない、と信じたいです。

昔、私が子供のころショパンの幻想即興曲かなんかを練習してましたら、国語教師だった父が
「音楽だと子供にこんな曲をやらせるんだね。文学だとこんな小説はまだ扱わないが・・」とボソッといいました。
いったい父がその曲に何を聴いていたのか、どんなモウソウ(笑)をしていたのか、それはナゾですが、
それはともかくとして、たとえば小学生高学年くらいの上手な子が
ドビュッシーの「喜びの島」やリストの「メフィストワルツ」を達者に弾けたとしても、それと等価(?)の小説を読ませるのは、これは親としては結構抵抗あります。

いや、今でも、「喜びの島(一瞬「悦び」と変換されて焦りました・・)」が弾けるとかわかるとかはまったく思いませんけど、
もしそういう選曲をしたとしても技術的にはともかく「まだ、あんな曲弾くには早いよねえ」とか「若すぎるようねえ」とかの非難は受けそうにないです。
(「年がいもなく・・」の非難はまあ置いといて)

逆に本来は作曲家晩年のしぶーい曲なんか弾いていい年なんだろうけど、
「まだまだ若いもんねえ・・晩年の心境は・・」としりごみしてしまいます。
晩年と言ったって、もうモーツァルト、シューベルト、ショパンの享年はとっくにクリア、シューマンがばりばり作曲をしていた年齢もすでに通り過ぎようとしてます。
まあ、天才の一生とは質量ともに比べようがないわけですが、そんなことを言っていたら、一生なにも弾けないわけで・・・。

・・・あ、また腰痛くなってきた(逃)。足がしびれる~~