~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

テンション下げた練習

2006年12月27日 22時41分00秒 | ピアノ
今日は、朝から風邪気味だったせいもあって、ちょっと気分が落ち着いていて(笑
)、日頃できないような練習ができそうな気がしたのでやってみた。

ここのところ「展覧会の絵」や「運命」の大きな動き中心の、どちらかというとポジションの確認みたいな練習ばかりで、それはそれである程度成果はあったように思うのだが、
一方細かい動きやハーモニーから注意がそれてしまい、どこかで詰めておかなくてはならないと感じていた。

細かい動きは、ベートーベンの「変奏曲」や「月光 3楽章」に多く出てくるのだが、スケールにムラがあったりフレーズのしまい方が雑だったりする。トリルの終わりがクシャっとつぶれているところもある。こういうところを取り出してしつこく練習する。

「月光の3楽章」のパラパラ感はまだ残っている。
原因はもちろんアルペジオが和音としてとらえられてないことにあるのだが、
細かいアルペジオの中で白鍵の打鍵がしっかりできていないことも問題だ。
黒鍵が多いので、テンポが上がるとどうしても白鍵が浮きがちになる。動きが速いので手首を低くして指先を自由にしたくなるのだが、やはり師匠に注意されたように、指の付け根の関節からしっかり突っ込むようなフォームで弾かなければ鍵盤への吸い付きが悪い。少し手首を上げて鍵盤を「つかむ」フォームに変更。これだと指先だけで弾くことはできなくなる。

これで相当時間練習してましたら、ちょっと見えてきました、和音のかたまりが瞬時にパッパと移動するさまが・・・・。
「パラパラ」から「パコパコ」くらいには変わったかも(笑)。

和音の感じ方については師匠に
「夜、静かになってから一人でじっと和音押さえてみるといいです。
気持ちが忙しいときは、なかなか感じることができませんから」といわれた。
感じる、とひとことにいっても難しいことだ。
スクリャービンなんかは、和音が変わるたびに色も違って見えていたのだろうし、
そういういわゆる「共感覚」について私も関心のある時期があって、そちら方面に敏感でありたいと願ったこともあるのだが、
私の場合、それ以前の問題でまだまだ音自体を聴きとっているとも思えない。

こういう「感覚的」なことは、やっぱり10~20代の頃の方が相当するどかったなあ・・としみじみ思う。鈍くなったおかげで随分楽になった部分もあるわけなのだが。