~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ピアノがらみの身体の故障

2008年07月10日 23時59分45秒 | ピアノ
今日の夕方、友人からメールがきました。
「(ピアノを弾いて)左手の小指が痛くなり、だんだん腫れてきたような気がします」

偶然にも、私も今日は右手の小指が痛くなり冷やしていたところでした。
たぶん、友人も私も同じような練習で痛めたんだと思います・・・おそらくは連続のオクターブか和音。
私の弾いている「イゾルデ」はオクターブ&和音が多く、かなり手に負担がかかります。なので、長時間練習するときは、間にクールダウンできるような曲(あまり手を広げず指先の細かい運動が主な曲など)をゆっくり練習したりするのですが、今日は没頭していたのと、ここ3日ばかりろくに練習ができず手がなまっていたせいもあってか、ちょっと負担をかけすぎてしまいました。
これは比較的よくある故障です。でも、これが悪化するとしばらく弾けなくなることも珍しくないので、気をつけなければいけません。

ちょっと前までよくあった故障は、腕がつったようになって指も動かなくなる、というものでした。
10何年ブランクがあったところに、張り切って大きな曲(速い曲)を弾くものだから、相当ムリがきました。脱力もできないまま、ひたすら練習すればうまくなるという勘違いを起こし、腕の筋肉はパンパンになりました。
これは最近はないです・・というより、こんな状態になるような力の使い方ではろくな音は出ないので、改善に努めました。
それから、ツメが割れたこともあります。これも妙なフォームで弾いていたから起こったことなので、以後気をつけています。

手腕以外では、足裏が痛くなる、というのがありました。
これは、右ペダルです。ぺダルのタイミングのまずさは悩みの種なのですが、なんとか細かい操作をやってみようと何時間も続けて練習すると、ツリます。・・・で、足裏がペダルの形に凹みます(爆)。

これもおそらく、ブランクなく子どものころからコンスタントに毎日何時間か弾き続けていれば起こらない故障なのだろうとは思うのですが、40前後でいきなり根つめてやりだすと、身体にきます。

あとはですね、ピアノを再開したらあっという間に指輪が入らなくなり、結婚指輪はできなくなったとか、
半袖の袖口がちょっと絞ってある服は腕がきつくて入らなくなったとか。
それは単に太っただけなんでは?・・といわれると困るのですけど、部位が限定されていることなので、多少はピアノがらみだと思われます。

逆に、これだけの熱心さでもって腹筋でも鍛えたならば、今頃はなかなかシマッタ体になっていたかもしれないと思えなくもないです。


50肩(?)は相変わらずなんですけど、子どもに練習させる必要上、毎日バイオリンを構えなければならないことが逆に背筋(?)を鍛えているのか、そこまでつらくはなくなってきました。
・・今では、しばらくはバイオリンはさんだまま立ってられます。「こんな不自然な姿勢、信じられない!!」と言ってましたけど、そこまで思わなくなってきました。


やっぱりなにごとも身体が資本です。
ブランクと年齢に応じたメニューを考えて、無理なく筋力等をつけていきたいものだと思います。


催眠音楽は媚薬?

2008年07月10日 01時07分34秒 | 見る・読む
月曜の夜テレビをたまたまつけたら、あまりにたまたま過ぎる内容でした。

作家島田雅彦氏がオペラを語るという内容で、この番組の存在そのものを私は実は知らず、テレビ欄になんだか「ワグナーのなんたら・・」みたいなことが書いてあったので、ちょっとつけてみたのですが・・・・

最初にワグナーの「楽劇」の説明があり、それに続いて島田氏が
「ワグナー(の楽劇)は、なぜかだるくなり、眠くなり、情緒的になり、退廃的になり、最終的には心を病んだりしてしまうのですが・・・・・この要素のすべてが盛り込まれているのが<トリスタンとイゾルデ>です」と言われましたよ。
・・ええ、もう大爆笑。
それに続き
「私は<トリスタンとイゾルデ>を何回か観ていますが、一度として最後まで目覚めていたためしがないです。・・・これはワグナー自身も認めていることですが、彼の音楽には極上の催眠効果があります」と。
・・私、<トリスタンとイゾルデ>はDVDでしか観たことがありませんが、一度として眠気が襲わなかったことはありません(笑)
さらに島田氏
「たとえところどころ眠ってしまったとしても、物語の進行にあまり影響はありません。舞台上には動きはありませんし、メロディーはまた同じものがめぐってきます」
・・ええっとたしか島田氏、指揮の大野氏とお友達だったと記憶してますけど、すべてを解釈し暗譜しているような演奏家を前にして寝てしまっている?(爆)
それはともかく、私もDVDを鑑賞していて、トリスタンの長い長い40分あまりの独唱部分で眠ってしまい、しばし熟睡して起きたら、また似たようなメロディーを歌ってた(殴)ということがあり、実はこの部分は歌手にとってはまさに難所中の難所なのだということを後で知り、ほんとに申し訳ない気持ちになったことがあります。

島田氏によると、
「ワグナーの音楽は、レム睡眠で聴いているような夢うつつ状態、水中にもぐったときのような曖昧模糊としたところがある・・それは、音がたわみ、水の屈折によってゆがみ、青ざめ、感覚があいまいになるという感じであり、浮遊感がある。
陸上でははっきりとした輪郭を持ち、社会的に生き、シラフを保っている私たちが、音楽によって無意識の世界に誘われ、自らの無意識の世界をのぞきに行くような体験である。
ワグナーの頃はまだ無意識は発見されていなかったし、人々は無意識をおそれていたかもしれない。セオリーとして確立される以前の<無意識>に人々をいざなっていた音楽とは・・これは毒である。毒も微量なら薬なのだが、これ(ワグナーの音楽)は、長く分厚い毒なんですね」
最後の<長く分厚い毒なんですね>のところで、島田氏うれしそうにニヤっとされ
ましたよ・・・・まさに、お好きな方にはタマラナイ。


ところで、昨日ある方がうちに遊びにきてくださって、私いろいろお話をきいたのですが、
その方によると・・・
あるピアノの先生がですね、内声の複雑な曲を超スローで生徒に弾くよう言われるのだそうです。しかも、ダラダラと続く内声(ほぼ同じパターンで続く内声です)を最後まで息を続けて弾くように!と。ダラダラの内声の一音一音を葬列かなんかのローソクに喩えて話されるのだそうですが、一つ一つはゆらめいているけど離れてみたらツーと線になってみえるように弾きなさい、ということらしいです。
・・・これは、まことに高度な要求だと思うのですけれど、そう弾けたらすごいだろうな、と思いましたね。繰り返される、一見パターン化されたものの表現というのは大変難しいですけど、これは一方で催眠効果を醸し、一方で深い世界へのいざないともなる。<トリスタンとイゾルデ>の場合は、これにさらに半音の表現がからみ、また独特の効果を生んでいます。・・・このあたりが「退廃的になり、最終的には心を病んだりする」ものと無縁でもないかもしれませんが。



ところで、島田氏のこのシリーズ、次の次の回は、リヒャルト=シュトラウスの「ばらの騎士」&ショスタコーヴィッチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」という、これまたなかなかマニアックな内容のようです。