5月16日と21日の2日間でモミ播き(直播き)を終えたはいいが、とんと雨が降らず少しばかりヤキモキしていた。
いつの年だったかモミ播きを済ませてから長い旱魃(かんばつ)が続き、本気で雨乞いを考えたことが脳裏を過ぎった。
そこへ今日は、乾ききった田に慈雨となった。
これからは暇を見つけては田をのぞき、モミが芽をだすのが待ち遠しい。
芽さえでれば、あとは「水見半作」といって、水の管理が稲作の半分を占めるほどの大切な作業となる。
稲作にとって、万物を潤し育てる雨こそは“命綱”である。
いつの年だったかモミ播きを済ませてから長い旱魃(かんばつ)が続き、本気で雨乞いを考えたことが脳裏を過ぎった。
そこへ今日は、乾ききった田に慈雨となった。
これからは暇を見つけては田をのぞき、モミが芽をだすのが待ち遠しい。
芽さえでれば、あとは「水見半作」といって、水の管理が稲作の半分を占めるほどの大切な作業となる。
稲作にとって、万物を潤し育てる雨こそは“命綱”である。