昨日の農作試験所事務所から環状線を富良野方面へ進むとすぐに神居交番(神居2-6)があります。
その交番の真ん前にあるのが「空知監獄署出張所の跡」の碑です。
碑文を読んでみましょう。
ここより東200Mの地(現美瑛川の中州)にあったといわれている。
明治22年から24年にわたり忠別太から網走口に通ずる北見道路開設の工事が行われたが
この工事に空知監獄署出張所の囚人が従事して文字どおりの苦役悪闘をしたと伝えられている。
上川開拓のうえで忘れることができな場所である。
空知監獄とは、1882年に三笠に置かれた監獄(刑務所)です。
設置された場所は現在の美瑛川の中州ということですが、これは昔は川筋が違っていたためで、
実際には当たり前ですが美瑛川の横に設置されたものでした。
ここに囚人たちが集められ、旭川から網走までの“北見道路”設置のために働かせました。
“北見道路”は一般的には『中央道路』と呼ばれ、過酷な労働環境により多数の犠牲者が出たことで知られています。
旭川から網走の間には犠牲になった囚人たちの霊を慰める慰霊碑が各地に残されています。
一番有名なのは北見市端野町緋牛内の『鎖塚』ですね。
その労務を担うために空知監獄の囚人たちが集められた旭川の出先がここにあったということです。
昨日のブログでは樺戸監獄(月形町)の出張所があったと書きましたがそちらは上川道路建設に、
こちらは空知監獄の出張所で中央道路の建設に従事したわけだ。
網走には網走監獄があり、こちらも道路建設で多大な犠牲者を出しています。
北海道の開拓期にはそういう負の歴史が各地にあったことは忘れてはいけませんね。