20日
浜松町から日比谷通りへ歩いていくと東京タワーが見えてきます。
その一帯は芝公園で、公園内には2棟のプリンスホテルや芝東照宮などがあります。
この公園の中にあった台徳院霊廟は増上寺に造営された徳川幕府2代将軍・秀忠の霊廟でした。
徳川2代将軍の霊廟ということで往時はかなり壮大な規模だったそうですが、
第2次世界大戦の東京大空襲でそのほとんどが失われました。
その際に焼け残った数少ない建造物がこの惣門になります。
場所は芝公園内、日比谷通りに面しているので歩いているとすぐわかります。
ザ・プリンスパークタワー東京の東エントランスの徒歩入り口にもなっています。
隣の増上寺の入り口と間違える方もいます(←私)。
建造は寛永9年(1632年)で江戸時代の代表的な建物です。
当初は45m西にあり1959年に現在地に曳家されました。
『江戸図屏風』に江戸時代の台徳院霊廟の様子が描かれています。
それを見ると大きな伽藍が描かれており五重塔までもが見える。
江戸時代初期、徳川家がどれ程の統治力を持っていたのかはわかりませんが、
将軍の力を見せつけるためにもそれなりの規模にする必要があったのかと思います。
それが本当かどうかはわかりませんが。
※港区芝公園4-8-2
浜松町から日比谷通りへ歩いていくと東京タワーが見えてきます。
その一帯は芝公園で、公園内には2棟のプリンスホテルや芝東照宮などがあります。
この公園の中にあった台徳院霊廟は増上寺に造営された徳川幕府2代将軍・秀忠の霊廟でした。
徳川2代将軍の霊廟ということで往時はかなり壮大な規模だったそうですが、
第2次世界大戦の東京大空襲でそのほとんどが失われました。
その際に焼け残った数少ない建造物がこの惣門になります。
場所は芝公園内、日比谷通りに面しているので歩いているとすぐわかります。
ザ・プリンスパークタワー東京の東エントランスの徒歩入り口にもなっています。
隣の増上寺の入り口と間違える方もいます(←私)。
建造は寛永9年(1632年)で江戸時代の代表的な建物です。
当初は45m西にあり1959年に現在地に曳家されました。
『江戸図屏風』に江戸時代の台徳院霊廟の様子が描かれています。
それを見ると大きな伽藍が描かれており五重塔までもが見える。
江戸時代初期、徳川家がどれ程の統治力を持っていたのかはわかりませんが、
将軍の力を見せつけるためにもそれなりの規模にする必要があったのかと思います。
それが本当かどうかはわかりませんが。
※港区芝公園4-8-2