6日
散歩していて偶然見つけました。
『御嶽』とは本土の神社にあたるであろう聖地のこと。
沖縄本土では“うたき”と読むことが多いのですが、八重山では“おん”と読むようです。
その他、地方によっていろいろな読み方があるらしい。
この地の説明によると宮鳥御嶽は1705年の『八重山嶋由来記』(やえやまじまゆらいき)に記載され、
1713年の『琉球國由来記』にも“宮鳥屋御嶽”の記載もあるという。
それによれば…
石城山(いしすくやま)に住んでいたナアタハツ、平川(ひらがー)カワラ、マタネマシズの3兄弟妹が、
ここを御嶽として拝み始めると作物が実るようになった。
すると人々は彼らを慕い周りに集まり住むようになった。
そして人々が増え、石垣・登野城・大川・新川各村へと発展していった。
と伝えられているそうです。
ここは石垣4ヶ村発祥の御嶽なのです。
それを物語るようにここの住所は石垣市石垣、やはり市の中心なのだな。
今はみやとり幼稚園と石垣小学校に囲まれていますが、
明治時代までは石垣小学校の敷地を含む広大な森があったようです。
石垣市指定文化財になっているこの御嶽、
本来なら中までズカズカを入り込んで細部を見物し写真に撮るところではあります。
ですが地元の御嶽に対する信仰に対しどうあるべきなのかわからない私は、
恐る恐る正面から写真を一枚撮るだけに留めました。
地元の聖地は尊重しなければいけないね。
散歩していて偶然見つけました。
『御嶽』とは本土の神社にあたるであろう聖地のこと。
沖縄本土では“うたき”と読むことが多いのですが、八重山では“おん”と読むようです。
その他、地方によっていろいろな読み方があるらしい。
この地の説明によると宮鳥御嶽は1705年の『八重山嶋由来記』(やえやまじまゆらいき)に記載され、
1713年の『琉球國由来記』にも“宮鳥屋御嶽”の記載もあるという。
それによれば…
石城山(いしすくやま)に住んでいたナアタハツ、平川(ひらがー)カワラ、マタネマシズの3兄弟妹が、
ここを御嶽として拝み始めると作物が実るようになった。
すると人々は彼らを慕い周りに集まり住むようになった。
そして人々が増え、石垣・登野城・大川・新川各村へと発展していった。
と伝えられているそうです。
ここは石垣4ヶ村発祥の御嶽なのです。
それを物語るようにここの住所は石垣市石垣、やはり市の中心なのだな。
今はみやとり幼稚園と石垣小学校に囲まれていますが、
明治時代までは石垣小学校の敷地を含む広大な森があったようです。
石垣市指定文化財になっているこの御嶽、
本来なら中までズカズカを入り込んで細部を見物し写真に撮るところではあります。
ですが地元の御嶽に対する信仰に対しどうあるべきなのかわからない私は、
恐る恐る正面から写真を一枚撮るだけに留めました。
地元の聖地は尊重しなければいけないね。