世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

子供の観た史跡名所の拝所「弁ケ嶽」

2005年10月02日 | Weblog

「あれ、園比屋武御嶽石門(すぬふぁんうたきいしもん)に似ているね」。この”弁ケ嶽”(べんがだけ=びんぬうたき<方言名>)は首里中学校の側から東側の道に入り20分ほど歩いた処にあります。那覇市内では一番高い所で、昔は「あれあれ拝め、お城へ、弁のお嶽も打ち続く」とある様に航海の目標ともされていました。また戦前は松などの大木が、うっそうと茂り、首里城下の「ハンタン山」を凌ぐ神聖な所でした。ここには園比屋武御嶽石門と同じ形の石門が建っていたそうですが、戦争のため壊されました。しかし1,954年ハワイの「うるま一心会」と鳥堀町の人達の奉仕作業により、また同じ形のコンクリートの石門が建てられました。御嶽(うたき)は大小二つの嶽があり大嶽は神名「玉ノミウヂスデルカワノ御イベツカサ」といい久高島への遥拝所で、小嶽は「天子」(てだこ)といい斎場御嶽(せーふぁーうたき)への遥拝所です。現在の小さな祠(ほこら)は戦後復元したものですが、資金不足のうえに十分な計画も立てないままに工事に取り掛かった為に建造物としては雑に出来ているとの事です。ですから細かく、きちんと戦前にあったものと同じように建てなおしてほしいと思います。そうする事が本当の文化財を大切にする心に通じるのではないでしょうか。昭和31年12月16日に県の史跡に指定されています。 (6年 K子)

ここは園比屋武御嶽(すぬふぁんうたき)の石門を造った「西塘」(にしとう)という石工によって造られています。信心深い人達が、いつも拝んでいる処です。 (母 H子)

<学習の手引き>・・・弁ケ嶽には、他の伝説もあります。おじいさん、おばあさんから聞いてみましょう。資料からも調べてみましょう。