世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

子供の観た史跡名所「王の殿と王川」 

2005年10月20日 | Weblog

那覇高校から城岳に向かって150メートルほど行くと元沖縄刑務所の入り口があり、その向かいの路地を200メートル行った処に大きなガジュマルの木が生えています。その側に周囲をコンクリートで固めた井戸があります。そのが「王川」<方言で”おうがー”>です。その向かいの小さい路地の民家の屋敷内に「王の殿」<方言で”おうぬとぅん”>があります。二畳ほどの広さの中に小さい祠があって周囲はコンクリートの塀で囲まれています。祠の裏は野菜畑になっています。「殿」とは祭りごとをする為の場所のことです。その「殿」は王農大親(おうぬうふや)という16世紀の貴族の屋敷跡です。王農大親には後継ぎが居なかったので娘の子の読谷山王子(ゆんたんじゃおうじ)が財産を継ぎ祭りごとを行いました。「王川」とは屋敷内の井戸のことで底は広く口は小さくなる様に石を積み、前は石畳の庭で裏は高く石垣を積んで側に香炉を置き回りに木を植えてある琉球独特の井戸です。この「殿」は楚辺(集落名)の大阿母(おおあむ)=祭祀を執り行う女神官が祭りを執り行う場所の一つになっていました。昭和53年11月6日、市の史跡に指定されています。 (6年 K君)

「王の殿」の周囲は狭い路地内に民家が多く密集しています。この様な処に史跡があるとは意外でした。民家の屋敷内に同居したままなので、いつまでも保存ができるのか気になります。今後、文化財保護と生活権、環境整備など、いろいろな問題が起こることでしょう。「王の殿と王川」の距離を観ると、いかにも大きな屋敷だった事が想像できます。琉球の豪族とは一体何だったのでしょうか。  (K君の父)

<学習の手引き>・・・聞得大君(きこえおおきみ)<神女の最高位の方>と大阿母志良礼(おおあ大むしられ)と阿母(おおあむ)の三者の関係を調べてみましょう。琉球の歴史が、よく分かる様になります。

 


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