凋落の自民党に再生はあるのか? 国民も忘れたかの様に時々しか思い
浮かべない。ボヤキは野村監督の得意技と思っていたが自民党も常習化し本
格化してきた。新年会の席上、谷垣総裁は、“政治とカネ”に特化し攻め立てる
と意気込む。二番底の景気が訪れると息巻く。攻め立てる材料には事欠かな
いが、負のキャンペーン一色では国民から益々、遊離する。政権与党を攻め
立てる前に自民党内を纏めるのが先決だ。かの舛添氏も、マスコミの前で堂々
と党内批判をした。最低に落ちぶれた党の再生は不可能だ、とのニュアンスで
批判した。対策は、政界再編しかないと・・・。国民が許せば堂々とリーダーシッ
プを執って再編も視野に入れる、と明言した。多くの国民も今の自民党には期
待していない。復活再生も到底、期待していない。東北の“美人すぎる市議”を
抱き込み挽回を図る姑息な戦略も囁かれているが、古賀氏が宮崎県知事を抱
き込んだ二の舞を演じかねない。国民は醒めた眼で観ている。小泉二世の起
用も戦術の手中に有ると聴くが効を奏しないだろう。親の七光りは現今では通
用しない。おばさん族がキャアキャア騒ぎたてる効果しかない。直接、票には結
び付かない。人気と政治は峻別すべきだ。国民の眼は肥えてきている。姑息な
戦略・戦術は負にしか作用しない。マイナスにしかならない。堂々と、この国を
どこに導いていこうとしているのか、この国の形(容)を示して“政策論”で論争
すべきである。本来の政治家の使命、“政策論”で論争すべきである。