初夏の足音ももうそこまで聞こえてきそうな・・・そんな陽気です。
こんにちは。I権禰宜です。
さて。昨日ですが、当社に「熊鰐」についてお尋ねのお電話がありました。
熊鰐。
読めます?
これは字のまんま「くまわに」と読んで下さい。
当社の右殿・熊手宮(県主神・熊手神)の御祭神です。
↑右殿の御扉に掲げられる県主神の神額。
この熊鰐という人物は古に岡地方(旧遠賀郡)に勢力を張った豪族です。
日本書紀・仲哀天皇紀に曰く、仲哀天皇と神功皇后が筑紫へ行幸啓される際に、木の枝三つに鏡・剣・珠を掛けて周防まで出迎えた人物こそ熊鰐です。因みに・・・この「枝三つ」が八幡東区の「枝光(えだみつ)」の地名の由来だとか。
木の枝三つを掲げて天皇皇后を出迎えた熊鰐は、そのまま己の勢力地である崗地方を案内しましたが、途中で一行を乗せた船が前に進まなくなってしまいます。
この奇怪な出来事により自分の忠誠心を疑われた熊鰐でしたが、大倉主と菟夫羅媛という男女の神を祭祀する事(現在の高倉神社と岡湊神社)によって再び船は進むようになり、無事に案内の勤めを全うすることが出来たということです。
日本書紀に出てくる記述がここで終わってしまうため、その後の熊鰐の足取りは不明ですが、書紀で熊鰐の事を「岡県主の祖」と記述している以上、熊鰐自身、もしくはその子孫が岡県主に任じられるようになったのでしょう。熊鰐は後代、岡県主から祖神として熊手神社に祀られるようになりました。これが当社の右殿・熊手宮の御由緒です。
その後、熊手宮は周辺の岡田宮と八所宮と合併。
↑旧岡田宮跡(熊西)
現在の新・岡田宮へと繋がっていきます。
旧遠賀郡の守護神ともいうべき熊鰐ですが、祭神として祀っている神社は(私がざくっり調べた限り)それ程多くありません。
「福岡県神社誌」で旧遠賀郡の範囲内で調べてみると・・・
熊手の岡田神社(相殿・熊鰐神縣主命)
芦屋の神武天皇社の境内社・岡縣主社(熊鰐命)
岡垣の高倉神社の境内社・仲哀天皇社(岡縣主命)
岡垣の山崎神社(相殿・岡縣主熊鰐命)
・・・以上でした。
「この神社が抜けてるぞ!」とか「この神社にも祀ってあるぞ!」というお叱りがありましたら申し訳ございません・・・。不勉強なもので・・・。
残念ながら当社の社家は違うようですが、現在でも遠賀地方の社家には岡県主以来の血統を誇りとする家々が数多く現存するということです。
熊鰐は今でも遠賀地方に息づいているのでしょうね。
I権禰宜