久しぶりに朝から晴れ晴れとした天候です。
こんにちは。禰宜です。
9月に入りいきなり涼しくなったような気がします。秋っぽい感じです。
まぁ~私は春秋の季節が一番好きなので、ここ最近はとても調子が宜しいです。
さて、そんな9月ですが・・・今月からいよいよ秋祭りが本格化します。
とりあえず一番近い大きなお祭りは、当社の境内社である湊天満宮(みなとてんまんぐう)の例大祭である『放生祭』が、9月25日に斎行されます。
こちらが湊天神。
元々は現在の黒崎地区菅原町に鎮座していました。
菅原道真を祀る天神様が鎮座している町・・・だから『菅原町』っていうんです。
湊天神はかつて菅公が大宰府に流された際、当時の菅原町付近で休息を取ったとされ、後の延長2年に社殿を建立されました。往時は奉納宮相撲や鷽替え神事、牛替え神事などの神社行事が盛大に行われましたが、昭和19年に当社境内地に遷座され現在に至ります。
しかし境内社になったとはいえ、かつては独立した神社であったためか、現在でも当社の行事として、湊天神の御神幸が継承されています。当神社には12の境内社が御鎮座されていますが、御神幸が行われるのは須賀神社と湊天神のみです。
ところで天神様といえば学問の神様の他にも、もう一つイメージするものがありませんか?
そう。雷神様ですね。
雷神としての菅公を著す最も有名なものは北野天満宮の北野天神縁起でしょう。
北野天神縁起(北野天満宮)
うーむ・・・いつみても大迫力。まさに雷様ですね。
この最も有名な北野天満宮の縁起絵巻をはじめとして、全国各地で天神絵巻か作成され現在に伝わっています。
そして当社にも天神絵巻が伝来しております。
それがこちら。
南無天満大自在天神御縁起・・・
なむ・てんまだいじざいてんじん・ごえんぎ・・・と読んでください。
あ、天満大自在天神というのは菅公の神様としての名前の一つです。他に北野天満宮天神などの神号を持っています。
とりあえずはびろっと広げてみましょう。
あぁ、長い!
儀式殿の和室に全部広げられませんでした・・・。
全部広げると20メートル近い長さになります。
絵巻物ですから、こんな感じで絵と文が書かれています。
現代の感性では中々分かりにくいでしょうが・・・
調査をして下さった博物館の学芸員の方曰く、
「とても良いお顔」
・・・らしいです。
しつこいようですが、
「とても良いお顔」
と評価されているんですよ!
大宰府に左遷され琴を弾いている菅公です。
心なしか寂しげです。
梅の花と菅公。
左上には天拝山にて潔白を訴える菅公が描かれています。
あ、雷神化してしまいました・・・。
恐ろしい眷属とともに黒い雲に乗り、祟りをおこす菅公です。
そうそう。この岡田神社所蔵の天神絵巻には、他の天神絵巻には殆ど見られないある特徴ある場面があります。
それがこれ。
竹薮の上に座す菅公。
書かれた文によると
法性坊という僧侶が微睡んでいると、庭の竹の上に黒雲が湧き、菅公が生前の姿のまま座していた・・・と書かれています。
この竹と黒雲の菅公は他の作品にはあまり見られないもので、興味深いものであるらしいです。
そういえば・・・昔々私の曾祖母が「雷さぁが鳴ったら危ねから竹ん下に逃ぐっとよ」とか言っていたような気がしなくもないですが、雷と竹には何か関係あったんでしょうかね。
まぁ実際の雷は竹の下に関わらず屋内以外はどこでも落ちるらしいですが・・・。
以上ざっと見ていただきましたが、これが当社の天神絵巻です。
気になる作者は残念ながらよく分かりません。土佐派の手によるものらしいのですが・・・。
ただ調査の結果、作成年代は室町時代頃という事で、意外に思われるかもしれませんが、九州では最古級の天神絵巻です。
そんな当社の天神絵巻。
残念ながら普段は非公開です。
・・・というか普段でなくても別に公開予定もありません(汗)
数年前に北九州市立博物館で展示会があった時は公開されていたんですけどねぇ・・・。
またいつかの機会に公開できたら良いですね!
さぁて最後に湊天神放生祭のお知らせです。
折角なので天神絵巻の画像を使ってみました。
湊天満宮例大祭『放生祭』
9月25日12時30分祭典斎行・13時30分神輿出御(御神幸)
当社における今年最後の御神輿行列です。
街中で御神輿を見かけられた際は、どうぞ皆様お参り下さいませ。
禰宜