八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

黒田武士たち

2010年03月12日 14時07分30秒 | 黒崎情報

ようやく春らしさが戻って来ましたね!・・・・・・・風は強いですけど・・・・。こんにちはI権禰宜です。

さて昨日、神社近くにあるニューハートピアにて、「黒田二十四騎 歴史講座」が開かれておりましたので、興味をそそられた私I権禰宜が行ってきました。

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黒田二十四騎は以前このブログなどでもお話したとおり、福岡藩成立(または黒田家拡張)に功績のあった二十四人の部将たちの事で、黒田節で有名な母里但馬守や、大坂の陣で獅子奮迅の活躍をした後藤隠岐守など歴史好きなら一度は耳にした事のある武将が列しています。

特にここ黒崎は二十四騎の中核をなす重臣・井上周防守が城主を務めた地という事もあり、講演会場は満員状態でした。

今回の講演では、『「二十四騎」が成立したのは一体いつの頃だったのか?』というテーマで進んで行きました。一口に二十四騎といっても、中には殿様に歯向かって最後は戦場で敵対(大坂の陣)した者(後藤隠岐守)や、子が福岡藩をお取り潰し寸前(黒田騒動)にまで至らせた者(栗山備後守の子・栗山大膳亮)等も含まれていますので、これらの人物を公的に顕彰するのは初期の福岡藩としては差支えがあったはずですよね。

※ちなみに他の二十四騎も次の代には没落する家が多く、井上家もその一つです。

結局のところ、彼ら二十四騎が顕彰され始めたのは江戸期の中期~後期頃で、ちょうど相次ぐ藩主の夭折など不安定な福岡藩が、初心に帰り過去の業績を見直し始めた為で、これ以降、二十四騎が列する「黒田二十四騎図」が藩内で盛んに作成され、二十四騎の業績が内外に喧伝されて行きました。

さて、黒崎の藤田地区には春日宮が御鎮座されていますが、ここは神額に「黒田大明神」とあるように、黒田家および二十四騎と縁の深いお宮さんです。侠溢れる黒田武士に興味をもたれた方はぜひとも足を運ばれて、二十四騎の武者達に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

I権禰宜