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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月19日(火) 曇り、夜更けに雨

2021-10-20 13:58:39 | Weblog

8時半、起床。

トースト(梨のジャム)、サラダ(+スクランブルエッグ)、牛乳、紅茶の朝食。

朝刊の一面は「9党首討論会」。「9つの党の名前を答えよ」という問題を出されて全部言える人ってどのくらいいるのだろうか。もちろん私は言えません。

本日の『おかえりモネ』。新次(浅野忠信)が動いた。きっかけはモネだった。耕治(内野聖陽)に会いたいとモネに言い、亮も呼んでほしとモネに言った。長浦家に全員がそろった場面で、新次は美波の死亡届に判を押すと言った。嵐の海を見つめながら、「亮を向こうに連れて行かないでくれ」と美波に頼んでいる自分は美波が「向こう」にいることを受け入れていることに気づいたのだという。

食器を洗っているときにチャイが台所に入ってきて、すぐに出されないように、隅っこで座っている。「私はここにいます」(モネか)。

昨日のブログを書いてアップしようとしていたら、手違いで、書いたものが消えてしまった。途中まで書き直したが、家を出なくてはならない時間になった。

昼前に大学に着く。12時に小中学校時代の同級生のナオコさんと文キャンの入口のところで待ち合わせる。

一度、大学生になった頃にクラス会でお会いして以来であるから、50年近い歳月を隔てての再会である。彼女は私のブログの読者なので(以前にメールをいただいたことがある)、私の顔はわかっている。私の方に手を振って近づいてくる女性がいたので、ナオコさんであると認識できた。

カフェご飯がいいとのことなので、「フロハン」(フロム・ハンド・トゥ・マウス」にお連れする。

2人ともCランチ(食事クレープ)を注文する。

彼女は中学2年生の秋にお父様の転勤で大阪に引っ越した。それ以来、ずっと向こうにお住まいで、大阪外大を出て、高校の英語の先生になった。定年(60歳)の少し前に退職されて、外国人観光客のガイドの資格をとって活動されていたが、コロナでその仕事がなくなって、時間が出来たので、私の真似をして今年の5月からブログを始められた。毎日更新されていて写真と文章でしっかり構成されたブログである。

娘さんご一家が東京の巣鴨で暮らすことになって、ナオコさんが東京に様子を見に来たついでに、「私をカフェに連れて行ってくれませんか」というメールをいただいて、「お安い御用です」ということで、今日早稲田でお会いすることになったのである。食事を終えて、まだ時間があったので、もう一軒カフェ(カフェゴトーあたり)に行くか、私の研究室でお茶をするかどちらがいいですかと聞くと、研究室を希望されたので、お連れする。

お茶うけは馬場下の交差点で買った鯛焼きと、

お土産にいただいた「粟玄」の「和洋」という名前のおこし。粟にアーモンドが混じっていて、キャラメライズされている。

本部キャンパスを案内する。

大隈さんの銅像の前で記念撮影(そばにいた学生にお願いする)。

大隈講堂を背景に。

村上春樹ライブラリー(旧4号館)の実物を見たのは私も初めて。

彼女は夏に『ドライブ・マイ・カー』を観たそうだ。

カフェで、研究室で、キャンパスを歩きながら、ずいぶんたくさんおしゃべりをした。小中学校時代はそんなに話をした記憶がないので、おそらく小中学校時代に話をした総量より多い話を今日一日でしたのではないだろうか。

都電に乗って帰られるそうなので、停車場の場所を教えて、お別れする。

次回東京にいらしたときは蒲田周辺のカフェをご案内いたしましょう。

研究室に戻り、途中までだった昨日のブログを書き上げて、アップする。

5限は演習「現代人と孤独」。レポート課題Aを選択した学生たちにどんな文献を取り上げるつもりなのか予告編を語ってもらってから、私がミニ講義をして、グループディスカッション。各グループで話した内容の報告はグループ同士がリンクされていてなかなかよかった。

6時半、帰宅。

夕食はもつ鍋。

食事をしながら『ラジエーションハウス2』第3話(録画)を観る。

レビューシートのチェック。

あれこれの授業の下準備。

風呂から出て、『村上RADIO』の再放送をタイムフリーで聴きながら、今日の日記を付ける。

2時、就寝。

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