8時半、起床。
チーズトースト、スクランブルエッグ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。スクランブルエッグのよいところは(目玉焼きより)、器を洗うのが楽なことに加えて、赤(トマト)と緑(レタス)と黄の配色がきれいなこと。目玉焼きだとサラダを覆ってしまうから。
本日の『あんぱん』。びっくりした。次郎が戻って来た。てっきり輸送船が敵の攻撃で沈没して彼は亡くなるのだと思って(決めつけて)いた。でも、体を壊して(肺病の手前らしい)海軍病院に入っている。
8月15日を迎えた。戦地で玉音放送を聴く。
家で玉音放送を聴く。
蘭子は豪を思う。
のぶは焼け野原となった高知の街に呆然と立つ尽くす。
昨日のブログを書きながら、昨日も聴いた『サンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴く。
忌野清志郎「いつか観た映画みたいに」
斉藤和義「映画監督」
ザ・ハイロウズ「映画」
この3曲がとくによかった。
昼食を食べに出る。途中でドラッグストアーで風邪薬を買う(常備薬の補充)。
「一二三堂」で『NHK俳句』7月号を購入。
「テラス・ドルチェ」に行く。
注文を済ませて『NHK俳句』7月号の表紙の俳句。
夏帽子水平線の上に置く 落合水尾
「自選句集」(編集中)から。
ヤドカリの野望の果ての夏の浜 たかじ
丸谷才一「川のない街で」(短編集『年の残り』所収)を読み始める。
海老ピラフセットが運ばれてきた。
食後のブレンド珈琲。
「テラスドルチェ」を出て、商店街の入口の「キシフォート」でUSBを5つ購入。「最終講義」の提供用である。
「まやんち」に寄って見る。金曜のみの営業なのでいつも混んでいるが、それでも夕方近くになると空いてくる。少し待てば入れそうなので、ベンチで本(キンドル)を読みながら待つことにする。
ちょうど空いたのが4人用のテーブで、そこに座る。フォレノワールとディンブラを注文する。
私の後から入って来た男女の二人連れから声を掛けられる。Yさん&Yさんだ(「ジョンソン&ジョンソンみたいだが、ご夫婦ではなくたまたま同じ苗字のお二人)。「スリック」(現「ティールーム101」)で何度かお遭いし、「パン日和あをや」でもお遭いしたことがある。「パン日和あをや」の閉店の件を話題にしたら、私のブログを読んでご存知だった。
「川のない街で」を読み終えて、店を出る。
駅ビル西館の有隣堂で、谷川俊太郎『今日は昨日のつづき どこからが言葉か』(朝日新聞出版)。もっぱらキンドルで本を読むようになった私だが、詩集と絵本は紙の本を買う。フォントが大きく、行間も広いので、目が疲れないのだ。
この世の滞在記録が
九〇年を越えた
快挙であると
ひそかに自負している
自分も世界も健やかとは
とても言えない身分としても
ラストスパート
いやラストヨタヨタに差しかかると・・・
(「滞在記録2023」より)
谷川俊太郎は2024年11月13日に永眠した。あと一月ちょっとで93歳になるところだった。
どうして信頼する女友達に話しかけるように詩がかけないんだ
言いたいことがあるわけではなくて でも話始めると
その友達が一瞬でも私を真顔で見てくれるような
そんな何気ない言葉が始まりそうでそれがいつの間にか
詩になってゆくのにも気づかないまま書き続け
六行目くらいで本当は詩をかくつもりだとわかって
その途端に言葉がどこかへ行ってしまう
(「どうして信頼する女友達に」より)
「詩を書こう」と力まずに詩を書くことの難しを90歳を越えた詩人が思うということに感動する。
嘆いているのではないのだ
君が私たちの四月にいないのを
もう五月にも六月にもいないと知ってはいるが
それが私たちにもたらす哀しみには
どこか深く音楽がひそんでいて
私たちの苦しみを空の色で薄めてくれる
(「墓碑銘」より)
長生きすることの哀しみは、友人知人の訃報に接することが多くなることである。それは同時に、彼らの思い出を語り合う友人知人も減っていくということである。私自身はまだ長生きの領域に達していないが、そういうことは想像するに難くない。
ものでも人の生き方でも
美しいなと思うと
一呼吸おいてこれでいいのか
と思うのは何故だろう
どこにも悪が見えないと不安になる
ほんの少しでも醜いものが隠れていないと
本当でないような気がする
(「わざわざ書く」より)
いま、本屋の棚にはそれぞれの年代にふさわし生き方について述べた本が並んでいる。人生のガイドブック。そういうものが少年少女だけでなく老人にも必要とされる時代なのだろう。手に取ってみると、それらしいことが書いてある。なるほどと思う。でも、「きれいごと」だという感じがいなめない。それらの本の著者は本当にそこに書かれているような日々を送っているのかと疑ってしまう。
夕食は豚肉と野菜の蒸篭蒸し。
食事をしながら『舟を編む』第1話(録画)を観る。昨年、BSで放送されて、評判になったドラマだ(ギャラクシー賞など受賞)。三浦しおんの同名の小説のTVドラマ版だが、昨年、劇場版も作られ(主演:松田龍平・宮崎あおい)、馬締光也が辞書編集部の新人だった。TVドラマ版では馬締が編集部の先輩役になっている。あれから時間が経過したということだろうか。春ドラが次々に最終回を迎える中、早々に始まった夏ドラが嬉しい。
デザートはチェリー。
松井久子『疼くひと』(2021)を読み始める。丸谷才一「年の残り」(1966)と主人公の年齢(70歳前後)はほぼ同じだが、書かれた時代は55年も違い、主人公の性別も違う。それが物語にどう反映しているか、そこに興味がある。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
2時、就寝。