フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月28日(日) 曇り

2019-07-29 13:35:41 | Weblog

8時、起床。

一階の三部屋の雨戸を開け、仏壇と神棚に朝の挨拶をし、郵便受けから取ってきた朝刊を和室で広げる。

母校小山台高校は昨年に続いて東東京予選決勝で敗退した。それにしても都立高校(しかも進学校)がなんでこうも強いのだろう。

日曜日の朝の楽しみは、新聞の書評欄を読むことである。書評を読んで、心惹かれた本を、本屋に行って購入し、カフェで読むというのは日曜日の過ごし方の中でも最上のものだろう。もし書評家というものが職業として成り立つのであれば、私は書評家になりたかった。好きな本を読んで、好きな本について書いて、それで生活していけたらどんなに幸せだろう。しかし、実際は書評だけで食べているという人はいないようである。自分でも本を書いている人が、いわば余技として、他人の書いた本の書評を(依頼されて)書いているケースがほとんどである。自分の好きなことだけやって生活していくというのはそう簡単ではないのだ。

書評欄ではないが、第2・第4日曜日には「シングル・スタイル」というページがある。晩婚化や非婚化さらには独居老人の増加の趨勢を捉えて、独身者のライフスタイルについてフォーカスしたページである。そういうページが常設される時代になったのである。今回は「博報堂の独身研究家」荒川和久氏へのインタビューである。

「(独身者vs既婚者という)対立は不毛です。お互いさまでいいじゃないですか。結婚していようが独身であろうが、ひとりひとりが未来に対して貢献できるやり方があります。独身でも、働いて、税金をおさめて、消費をして社会を回す。それだけでも、結果的に次世代を担う子供たちのためになってるんですから。」

「増える高齢者をだれが支えるんだっていう論点にすぐなるんですが、なんで高齢者が支えられる側って決めつけるの、とぼくは思います。」

「現役世代が高齢者を支えるのではなく、年齢に関係なく働いてる大人の有業者たちが、何らかの事情で働けない人たや子供たちを含めた無業者を支えるという視点に立てば、ひとりがひとりを支えれば足りる計算です。そういうふうにみんなが感じられた方が、独身でも子がなくても、みんなが社会の役に立ってるよねって思えるんじゃないでしょうか。」

「(シングルにも)いろんな人がいるし、ひとりの人も365日24時間ずっと同じ人間ではない。ひとりは寂しくないと言っていても、ある夜中に、めっちゃ寂しくなったりするんです。自分の中にいろんな人間がいるんです。」

「ソロで生きるって、逆説的ですが、人とつながる力です。家族や職場以外で話し相手はいますかっていう話です。家族に唯一依存するんじゃなくて、ほかにつながりを作ることは、自分の中に新しい自分を生み出すことになります。自分の内面の充実につながります。」

「無理に友達や趣味を作らなきゃと思う必要はありません。本でも旅でも「接続するコミュニティ」になります。いろんなものとつながって、自分の中に、多様な自分を作ってほしいですね。」

このインタビューの面白いところは、引用では割愛したけれど、インタビュアー(シングルスタイル編集長の女性)が荒川氏から「あたなは幸福ですか?」と聞かれて自身のシングルライフに語っているところである。インタビューというのは実は対話なのである。

(朝刊にひとわたり目を通してから)トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昼食はソーメン。

夕食はカレーライス。 

デザートはキュウイ。 

 今日は一歩も外に出なかった。なので髭も剃らなかった。栄養と休養、それだけを心がけた。帯状疱疹の方はピーク(ボトムというべきか)は越したような感覚がある。自分の体のことなので、それはわかる。

『ノーサイド・ゲーム』第3話を観る。リーグ戦初戦、ラグビー教室やボランティア活動のかいあって、地元の人たちがたくさん応援にスタンドに詰めかけた。感激する選手たち。ベタな演出だが、日曜の夜に観るドラマはベタでいいのだ。

卒業生で書道家で句会仲間の恵美子さんが自身のブログで出産のことを書いている。読み応えのある文章である。

「すごく大変だったけど終わってみれば良い思い出、そんなふうにも今の時点ではできない。/経膣分娩でも帝王切開でも、赤ちゃんの可愛さでその痛みなんて吹き飛んでしまう、ということをよく言うものだが、私は今到底そうは思えないのである。/私はきっと、出産というものにとてつもなく大きな、何もかもを凌駕する未知の感動を、知らず知らずのうちに期待していたのかもしれない。/それを思い知るとき、「期待は失望の母である」との大瀧詠一さんの言葉を思い出す。/出産だって当然のことながら例外ではないのである。」

「この子はきっと、一人っ子になると思うが、もしそうでなかったとしたら私もその痛みや恐怖やえも言われぬ不安感を忘れることに成功したのだということになるだろう。/しかしおそらく、私はこの数日間の体験を数年をかけて考えて受け入れていくような気がしているので、きょうだいは作ってあげられないと思う。」

「結婚」や「出産」は祝祭的なライフイベントだ。みんな(社会が)そう思っている。だから「結婚」や「出産」について語るとき、どうしても文章は定型的なものになる。たとえ自分の気持ちがその定型にしっくりなじまなくても、それに無理に合わせたような語り口になる。でも、恵美子さんはそういうことのできない人である。自分の気持ちを自分の言葉で表現しようとする。それは簡単なことではない。彼女がこの文章を書いたのは退院後6日目である。彼女をしてそれだけの時間が必要だったのだ。

彼女のブログは→こちら

2時、就寝。

 

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