7時半、起床。
トースト、サラダ、紅茶の朝食(写真を撮り忘れる)。
午前中に葬儀会社の関連会社の営業の人が来て、香典返しの品を決める。7月20日が四十九日なので、その翌日の発送にしてもらう。
昼食は妻と「天味」に食べに行く。
海老。塩で。
鱚。塩で。
穴子。塩と天汁で。
茄子。塩で。
海老。塩で。
南瓜。塩で。
最後のかき揚はミニ天丼で。ここまで塩中心で食べた来たのは、塩で食べるのが美味しいということもあるが、最後を天丼で〆たかったからである。
妻は帰宅し、私は食後のコーヒーを「テラスドルチェ」で。
東急プラザの「くまざわ書店」で、雑誌を購入。
『現代思想』(青土社)7月号。この雑誌が創刊されたのは1973年4月。それは私が大学生になったときのことだった。学生が購読者の中心を占めていたと思う。たぶん老舗である岩波書店の雑誌『思想』を意識したタイトルだったのではないだろうか。「古典」に対する「現代」。以来、消費社会における「思想」を牽引してきた雑誌である。今日まで続いていることはすごいと思うが、その過程で、「現代思想」は「ポストモダン思想」に変容していった。そうやって生き延びて来たのである。
梅雨晴れや赤いポストのもの思い たかじ
今回は、岸政彦「鉤括弧を外すこと―ポスト構築主義社会学の方法論のために」を読みたくて購入した。
もう一冊、「最後の浮世絵師」小林清親の没後百年を記念した『別冊太陽』(平凡社)を購入。
夕食は蕎麦。薬味の天かすは「天味」でいただいもの。サラダは豚シャブをのせて「五郎八サラダ」風にアレンジ。
東北大学の下夷(しもえびす)先生からご著書をいただく。下夷美幸『養育費政策の源流―家庭裁判所における履行確保制度の制定過程』(法律文化社)。地味で根気のいるお仕事だったと想像する。
「実際、ここまでの道のりはハードで、戦前の議事録には見慣れない活字が多く、文字を判別するだけでも時間がかかり、戦後の資料も裁判所関係のものは手探りで、その所在を確かめることすら思いどおりにならなかった。十分な理解と分析ができたとはいえないかもしれないが、それでも何とか履行確保制度の制定までたどりつくことができたのは、資料から伝わってくる緊迫した議論に引きこまれていったからである。およそ100年前、女性の「泣き寝入り」を問題にし、保守派と論戦を繰りひろげた穂積重遠。およそ60年前、履行制度の導入を求めて、最高裁判所の担当者を厳しく追及する家事裁判官たち。彼らの発言は、気迫にあふれるものだった。
白熱した議論に圧倒されならが、同時に、それから100年、60年、日本社会はどこまで変わっただろうか、と問わずにはいられなかった。いまも、離婚して子どもを抱え、働きづめの生活のなかで、別れた相手から養育費も支払われないまま、泣き寝入りを強いられている女性は少なくない。問題は明らかだが、私たちは戦前n穂積や戦後間もない時期の家事審判官のように、この問題と格闘しているだろうか。かつての気迫あふれる議論をありのままに伝えることで、停滞した現状を少しでも前に動かさなくてはならない。議事録に向き合う日々のなかで、そうした責任感のようなものが強くなっていった。」(255頁)
卒業生の中には家庭裁判所で働いている者もいる。彼らに本書を勧めたい。