フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月28日(木) 晴れ

2023-12-29 20:04:31 | Weblog

8時半、起床。

チーズ&ソーセージトースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

いろいろ試している。ソーセージをトッピングするのはいいアイデアだが、チーズだけの方が軽やかに食べられる。朝食には軽やかさが大切か。

昨日のブログを書いてアップする。

昼食は今日が年内最終営業の「マーボ屋」に食べに行く。年内最終営業ということで、ランチもやっているのだ。

牡蠣の甘辛炒めを定食仕様で。

今年の牡蠣の食べ納めなり。

店長とシェフに「よいお年を」のご挨拶。

チャイをベランダに出してやる。すぐに手すりに飛び乗る。ライオンキングの気分か。君は猫だよ。

「日常生活の社会学」第11回のレビューシートのチェック。昨日が締め切りで、200通ほど提出された。今週の『ジェット・ストリーム』をタイムフリーで聴きながら、コツコツ読む。今週の『ジェット・ストリーム』は村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』第9章が語られる(番組用に編集して福山雅治が朗読)。

 たしか十六歳のころだったと思うが、家人がいないときを見計らって、うちの大きな鏡の前で裸になって、自分の身体をしげしげと観察してみたことがある。そして自分の身体の中で普通よりも劣っている(と本人が思えるところ)をひとつひとつリストアップしてみた。たとえば―あくまでたえとばだが―眉毛がいささか濃すぎるとか、手の爪のかたちがみっともないだとか、そういうことだ。リストは全部で27までいったと記憶している。27まで数えて、そのへんでさすがにいやになって、点検するのをやめてしまった。そしてこう思った。目に見える肉体の各部を取り上げただけでは、こんなにいっぱい普通より劣っているところがみつかるのだから、それ以外の領域ーたとえば人格や頭脳や運動能力ーに足を踏み入れていったら、それこそキリがなくなってしまうに違いない、と。

 16歳の村上春樹がそんなことをやっていたとはね。たしかに初めて彼の写真を見たときー何歳のときの彼だったのか覚えていないが、たぶん30代の頃ではなかろうかー「鼠」に似ていると思った。動物の鼠である。そして、次に思ったことは、彼のデビュー作『風の歌を聴け』に登場する「鼠」は彼の分身だろうということだった。「僕」ではなく「鼠」の方が。

 「俺のことは鼠って呼んでくれ。」と彼が言った。
 「何故そんな名前がついたんだ?」
 「忘れたね。随分昔のことさ。初めのうちはそう呼ばれると嫌な気もしたがね、今じゃなんともない。何だって慣れちまうもんさ。」
 僕たちはビールの空缶を全部海へ向って放り投げてしまうと、堤防にもたれ頭の上からダッフル・コートをかぶって一時間ばかり眠った。目が覚めた時、一種異様なばかりの生命力が僕の体中にみなぎっていた。不思議な気分だった。
 「100キロだって走れる。」と僕は鼠に言った。
 「俺もさ。」と鼠は言った。(『風の歌を聴け』チャプター4より)

 実際、村上春樹は、その後、フルマラソンを何度も走り、やがて100キロマラソンやトライアスロンにも挑むようになった。

 もちろん十六歳というのはおそらくみなさんもご存知のように、とびっきり面倒な年齢だ。細かいことがいちいち気になるし、自分の立っている位置が客観的につかめないし、なんでもないことで妙に得意になったり、コンプレックスを抱いてしまったりする。年を取るにつれて、様々な試行錯誤を経て、拾うべきものは拾い、捨てるべきものは捨て、「欠点や欠陥は数え上げればキリがない。でも良いところも少しくらいはあるはずだし、手持ちのものだけでなんとかしのいでいくしかあるまい」という認識(諦観)にいたることになる。
 しかし鏡の前で裸になって、自分の肉体的な欠点を列挙したときのいささか情けない感覚の記憶は、僕の中に今でもひとつの定点となって残っている。

 レビューシートのチェックを終えてから、依頼原稿の続きに取り掛かる。妻が書斎のドアを開けて、「今日は何もしてないね」と言った。大掃除のことである。「片付けなくちゃならない仕事があるんだ」と私は答えた。仕事と大掃除は同時にはできない。昨日は大掃除をし、今日は仕事をし、明日はまた大掃除をするだろう。

夕食はもつ煮込み、しらすおろし、タラコ、味噌汁、ごはん。 

食事をしながら何かテレビを観たと思うが、何を観たのか、思い出せない。

原稿を書く。八割方書き終わる。明日の夜には送信できるだろう。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。

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