フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月21日(木) 晴れ

2019-11-24 20:58:51 | Weblog

9時、起床。

トースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

紅茶の入ったフクロウのカップは先日買って来た2つのカップの1つ。妻はハリネズミの方を使っている。 

10時半に予約をしてある近所の整骨院へ行き、そのまま大学へ。 

明日は雨の予報が出ている。ここしばらく続いた秋日和も終わってしまうのか。

珍しく昼食を昼休みの時間にとる。おにぎり2個(鮭と昆布)とミニカップ麺。

昼休の終り頃にゼミの面接。

3限は大学院の演習。『ひとびとの精神史』第8感所収の北田暁大「上野千鶴子ー消費社会と一五年安保あいだ」を読む。80年代の上野がさまざまな文体を駆使して文章を発表していたことに言及したいたが、「文は人なり」という見方からすると、後に彼女がエリクソン流のアイデンティティ論の賞味期限切れを宣言して、「脱アイデンティティ」=「多元的アイデンティティ」という概念を唱えることになることがすでにそこで予告されていたことになる。

3時からT君のゼミ論指導。お菓子をいただく。 

5限は講義「ライフストーリーの社会学」。

講義の後、研究室で4名のゼミ面接。

8時前に帰宅。すぐに夕食。 

ラムチョップスと付け合せの野菜は茄子とエリンギと獅子唐とパプリカ。 

「有隣堂」で購入したNHK俳句・短歌のテキスト12月号。俳句は毎月購入しているが、短歌の方がそのときの気分で購入したりしなかったり。

 毛糸編みつづけ横顔見せつづけ 右城墓石

 漂える手袋のある運河かな 高野素十

 「うれしいわ誰も私を見ないもの」冬の桜がそっとつぶやく 島本ちひろ

 太々と銀河流せる極月の夜空を羽織り新年を待つ 佐々木幸綱

よく俳句は理知的で短歌は叙情的という。そういう気もするし、そうかなとも思う。たとえば、「クリスマス」という言葉の入った二つの作品を比べてみよう。

 悲しみの灯もまじる街クリスマス 堀口星眠

 クリスマス・ツリーを飾る灯の窓を旅びとのごとく見てとほるなり 大野誠人

どちらも作者はクリスマスの街にいる。「悲しみ」は感情である。「旅びとのごとく見て」は対象と距離をおいた観察者のまなざしである。そういう点では、前者は叙情的であり、後者は理知的である。しかし、前者は「悲しみの灯もまじる街」「クリスマス」と名詞句と名詞を並べることで対象を客体化(写生)するのに対して、後者は「見てとほるなり」と対象ではなく対象を見ながら移動している自分自身に言及している。前者は叙情的かつ理知的であり、後者は理知的かつ叙情的である。  

 2時半、就寝。 

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